クロゥとバスケスは、朱金の光の中に今にも溶けそうなユーリの透明な笑顔を、魅入られた様に見つめていた。そんな二人の、どこかポカンとした表情に、ユーリはますます照れくさそうに頬を赤らめた。 「おれさ」 ユーリがまた、己の居城に視線を向けて言った。 「だからこそ、頑張んなきゃって思うんだ。……おれ、ずっと皆に助けてもらってきた。それが…当たり前だって思ってきたんだ。でも、そうじゃなかった……。いつか、おれの側にいてくれる人が、離れてしまうこともあるんだってこと……勉強したから……」 「ユーリ!」 焦りを声に滲ませて、コンラートがユーリの背後に駆け寄る。そして、ユーリの肩に両手を置こうとして、躊躇うように手を震わせた。と、ユーリがパッと振り返って、コンラートの宙に浮く両手を掴んだ。 表情を曇らせていたコンラートが、ハッと目を瞠く。ユーリはじっとコンラートを見つめている。 「ごめん、コンラッド。コンラッドを責めてるんじゃないんだよ? ただ……永遠に続くものなんてないんだって、実感したっていうか……。やっぱお釈迦様は偉いよね」 ユーリ、と、コンラートが苦笑を浮かべる。 「だからね」 コンラートの手を握ったまま身体の向きを変え、コンラートに背を向ける形で、ユーリがクロゥ達に向き合った。 「頑張ろうと思うんだ。支えてもらって当然だって思うようになったら、きっとおれはダメになる。皆だって、離れていく。……おれは頭も悪いし、いつまで経っても未熟者だけど、でも、うーん、そうだね、皆に『こいつは自分が助けてやんなきゃな』って思ってもらえるくらいには努力しなきゃ……って、そこでお終いじゃ、王様として話になんないんだけど」 たはは、とユーリが笑う。キマんないなー、おれって。 「本当にどうしようもないへなちょこだな、お前は!」 フォンビーレフェルト卿が怒鳴った。 「あまりにもへなちょこ過ぎて、見捨てることもできないだろうが!」 そしてそのままぷいと横を向く。 「……魔族の民は……」 思わず、クロゥは胸の内に湧き上がってきた思いのままに口を開いた。 「幸せです」 きょとん、と、ユーリがクロゥを見返す。 「……クーちゃん……?」 口走ってしまった言葉に、ちょっと困った様に視線をユーリから外して、それからクロゥは改めて言った。 「この王を自分が支えていこうと臣下に思わせるのも、立派な王の資質だと思います」 「……そ、そうかな……?」 ええ。今度はまっすぐユーリを見て、クロゥは頷いた。 ありがと、クーちゃん。ユーリがにっこりと笑う。 「でもやっぱり……一番幸せなのはおれだよ」 ね? と握ったままの手を自分の胸元に回し、背後に立つコンラートを見上げてユーリが問いかけた。ユーリの身体を背後から抱く形になったコンラートが、だが、ユーリに向けて「いいえ」と首を振る。 「一番幸せなのは、ユーリ」コンラートの笑みが柔らかく広がる。「あなたに仕えることのできる俺達です」 「………コンラッド……」 見つめ合う二人。何だか照れくさくなって、クロゥは視線を外した。 この少年王が幼いなりに、どれだけのどのような日々と、そして思いを重ねて今日に至ったのだろう、そんなことをふと考えながら……。 と。 「いい加減にしろーっ! お前達っ!!」 いきなりフォンビーレフェルト卿が怒鳴った。 彼ら全員、というか、周囲にいた人々までが皆「何事?」という顔で一斉に注目してくる。 「黙っていればいい気になって! いつまで僕という婚約者を蔑ろにする気だ、ユーリ!」 …………………。 ………こ。 「「婚約者ぁっ!!?」」 クロゥとバスケスの叫びが物見台に谺した。 「何だ、知らなかったのか、お前達? 僕はユーリの正式な婚約者だぞ?」 注目する人々から逃れるように離れた場所で、フォンビーレフェルト卿が改めてふんぞり返った。 「……え? あ……いや、その………でも……」 男同士、では? 「あ、やっと言ってくれたーっ」 思わず確認の声を上げたクロゥに、ユーリが嬉しそうに声を上げた。 訳が分からず、呆然とユーリを見つめるクロゥ。と、バスケス。 「そうだろー? そう思うだろー? ほら、ヴォルフー、おれ達男同士なんだしさー、それやっぱり……」 「男同士だったら何か問題があるとでもいうのか!?」 きっぱり問い返されて、逆にクロゥは答えに詰まってしまった。問題、といわれても……。 それに! フォンビーレフェルト卿が眦を釣り上げてユーリを睨み付けている。 「ユーリ! 男同士と言うが、お前は半分は女性ではないか! 子供だって産めるんだ。何の問題もない!」 ………今、何といった……? 呆然としているクロゥとバスケスに、さすがのグリエも解説の必要性を感じたのか、コホン、と一つ咳払いをした後、声を潜めて二人に囁いた。 「へい…じゃなく、坊っちゃんはぁ、身体がちょっとだけ変わってて、雌雄同体、つまりー、男性でもあり女性でもあるんだな。つまり、子供を女に産ませることもできれば、産むこともできるってぇ、まあとっても便利な身体をしてるっていうかー…」 「……半月……?」 「人間の国じゃそういうのか…? まあ、魔族的には特にそれが問題って訳じゃないんだが、何せその事実が分かったのも実はつい最近でな。坊っちゃんも男として育ってきた訳だから、そりゃもうすごい衝撃だったわけさ。同じ男として……その心境は分かるだろう? でもってー、坊っちゃんのその動揺が治まらない内にお前さんらが来ちまったんで、俺らもかなり焦ったんだよな……」 『……こんな時に』 『お前達の来た時期が悪かった』 グリエも、それからフォンヴォルテール卿も、確かにそんなことを口にしていた。 そしてコンラートの、自分達の前であからさまなまでにユーリを大切に構ってみせた、あの態度。 なるほど、とクロゥは心中で頷いた。 しかし、それにしても……。 愛らしい顔を真っ赤に紅潮させて、ユーリは何やらフォンビーレフェルト卿と言い合いを始めている。 もともとあの可愛さ、美しさだから、実は少女だと告げられても、特に驚きはしなかったと思う。 「魔族の中では」グリエにそっと囁く。「陛下に限らず、は……いや、その両性というのは、差別されたり気味悪がられたりしないのか?」 クロゥの知る人間社会では、両性は明らかに異端だ。先祖の悪行の報いだとか、呪われているとか、ほとんどが魔物同様に忌避され、一家して住まいを逐われることもある。家族の手で見せ物小屋に売られる例も、またある。だが。 「何でだ? 男だろうが女だろうが両方もってようが、そいつはそいつだろ? 形なんぞ関係ねーよ」 質問した方が恥ずかしくなる程、明解な答えだった。 胸元でしっかりとコンラートの手を掴んで離さずにいるユーリに視線を向けて、クロゥと、そしてバスケスは、言葉にならない思いをため息に変えて、しみじみと吐き出した。 そんなこんなと色々あったものの、総じて楽しい一日─眞魔国に渡って以来、おそらく初めてそう感じることのできた一日─を過ごし、彼らは城に戻ってきた。 そして翌日から、クロゥとバスケスはフォンヴォルテール卿の許可を得て、二人だけで王都、そしてこの機会にと、王都以外の地域へと足を伸ばしてみることにした。 時には泊りがけで、二人は馬を飛ばし、様々な街、そして村を訪れ、人々の暮しを見て回った。 こうして街や村を回るだけでも。クロゥは思った。学ぶことが多くある。 「なあ、クロゥよお」バスケスがしみじみと言う。「道ってなぁ、大切なもんなんだな」 「お前もそう思うか?」 ああ、と相棒がいかにも感じ入ったという顔で頷く。 眞魔国では地方に向かう街道はどれも広く、隅々まで整備されている。途中で狭くなったり、いきなり悪路になることもない。馬車や馬と歩行者とを分ける道の整備こそまだ完全ではないものの、広い道の両側には歩道も作られて、歩行者の安全はかなり確保されているように見えた。また、街道沿いに点在する村には休憩所や宿が完備され、人も馬も旅程に合わせて身体を休めることができるし、旅の便利を図るための品も数多く備えられている。その上、村々で自警団を組織し、軍と協力して街道の安全を常に守ってもいる。聞けば、休憩所や売店での上がりは税が免除されるのだという。売上げがそのまま村の収入になることから、どの村も旅人を迎え入れようと競って設備や品を充実させているし、街道と旅人の安全にも積極的に関わっているのだ。 どうりで客あしらいもしっかりしたものだったと、後からクロゥは思った。 そして、その整備された広い道を。 多くの人々が、馬が、山のように物品を積んだ馬車が、一時たりと絶えることなく、ひっきりなしに往来している。人と物が、驚く程の量、移動を繰り返しているのだ。 物流が盛んだということは、すなわち経済が盛んだということを意味する。そしてそれを滞りなく流れさせるために、この整備された道の存在は大きい。 人と物が動くといえば、戦に関することしかないあの国のことを思うと、あまりの差に愕然としてしまう。 彼らが生きるあの国では、大きな街以外の田舎の道など、眞魔国のものに比べたら獣道といってもいいくらいだ。人々は、難民として彷徨う者以外、自分の生きる土地から離れようとせず、経済はその地域内だけで完結し、現在の混乱状態では国を覆う物流などないに等しい。 戦が治まっても、国を興すためには経済を発展させて行かなくてはならない。道も整備して、人も物も移動しやすくしなくてはならない。いや、その前に治安を安定させなくては話にならない。いやいやそれ以前に、大地の崩壊を止める方法を探らなくてはならない。……せねばならないことが、自分達には山積みにあるのだ。ほとんど見上げても頂上が見えないほどの巨大な山か壁のように。 にも関わらず、自分達は……。 どの街、どの村を訪れて聞いても。 ユーリを讃えない者はなかった。 当代陛下がご即位なされてから、どれほどこの国は豊かになったか。平和になったか。皆が幸せになったか……。 フォンヴォルテール卿や民達が口にするように、彼がこの国を変えてきたというならば。 あの少年も、こんな思いをしたのだろうか。 頑張ろうと、王として努力しようと思えば思う程、その行く手を塞ぐ巨大な壁に、あの少年も絶望しかかったことがあるのだろうか。 支えてくれる人達がいるからこそだと笑ったあの王も、自分の行く手の険しさと王ゆえの孤独に、涙したことがあったのだろうか。 側近の苦労は並み大抵ではなかっただろう。コンラートは文字通り命を賭けた。 そうやって、ついに得た繁栄。 すごい、と。 妬みも嫉みも羨望もなく。ただひたすら。彼は、彼らはすごいと、クロゥはそう思った。 そうして、眞魔国、魔王、魔族全体に対する認識を大きく改める1週間を過ごしたクロゥとバスケスは、ユーリ言うところの「お祭り」、軍によるチャリティーフェスティバルの日を迎えたのだった。 すっかり贅沢な習慣になってしまった朝の湯あみを終え、メイドが運んできてくれた冷えた果汁のグラスを手に、二人はいつものようにベランダからの庭の風景を眺めていた。 一息で果汁を飲み干し、ぷはーっと息を吐き出したバスケスが、ベランダから下を眺めて笑う。 「……すげぇな。今朝はどいつもこいつもえらく忙しそうだぜ」 城のメイドや使用人、それから兵士達は、いつも朝から忙しそうに行き来している。だが今朝はそれに輪を掛けて、皆が中庭を、ほとんど駆け回っているように見える。 それぞれが手に大きな荷物を抱えていたり、ワゴンを押したり引いたりしながら、どこかへ運んでいくようだ。……この庭は祭の会場への近道なのだろうか? 走り回る人々のあまりの数に、クロゥは首を傾げた。 その時。 ばーんと勢いよく部屋の扉が開いた。 「クーちゃん! バーちゃん!」 ……どうしていつもこう、朝から賑やかなんだろう。 やれやれ、と振り返ると、すでにユーリはすぐ側までやってきている。 「ねっねっ、もう朝ごはん食べた? ねえ、もう食べた?」 これからです、と答えてから、「おはようございます、陛下」と軽く頭を下げると、ユーリも「おはよー」と答える。順番を間違えていることは、その明るい表情から察するに全く気がついていないらしい。 「ところで、陛下?」 「なに? クーちゃん」 「……どうしてすでに髪の色も瞳の色も変えてあるのでしょうか……?」 いかにも「わくわく」といった様子で、ユーリは落ち着きなく手足を動かしている。今にも飛び出していきそうだ。どうやら気分はすっかり「お祭り」状態らしい。 「決まってるじゃないか、そんなの!」 ユーリがいかにも心外だという顔で、ぷくっと頬を膨らませる。……可愛い。 「皆の手伝いだよ! できることは昨日までにやってあるらしいけど、商品のセッティングとか、飾りつけとか、食べ物の準備はやっぱり当日じゃないとできないし。屋台だって、今年は数が増えて城内だけじゃ納まらなくなってるんだ。城の中だって、玄関に一番近いホールは休憩用に開放されるから、その準備だってあるし。とにかく一人でも多くの手が必要なんだよ! でもさ、俺が髪も目も黒いまんまで入っていったら、皆、気を使うだろ? だからこうやって変装してるんだ! ねっ、二人ともおれと一緒に……」 「などということは、もうなさらないで下さいと、去年申し上げましたよね?」 背後から、やってきて当然の男の声がする。 ぴく、と顔を引きつらせたユーリが、「うー」と唸りながら振り返った。 「……だってコンラッドー……」 腕組みしたコンラートが、今朝はちょっとだけコワい顔でユーリを見下ろしている。 「去年もそう仰せになって、ちょっと目を離した隙に行方不明になられました」 「………だっけ…?」 「お探しするため、結局人手がごっそり抜けなくてはならなくなり、祭の準備に支障をきたしました」 「……その節は、大変ご迷惑を……」 「その間、陛下が何をなさっておられたかというと」 「えーと、確か……?」 「屋台の一つで、クッキーの型抜きをせっせせっせと」 「………………焼き立てのクッキーを食べさせてくれるって……」 「焼き立てのクッキーが珍しいのか、このへなちょこ! と、ヴォルフに怒鳴られたのを覚えておいでですか?」 「………うー」 「それからグウェンからの伝言です。今回はお客さまもあるし、彼らをちゃんとお迎えし、挨拶をしてもらわないとならない。それに書類もいつも通りどっさり山積み。よって、少なくとも午前中はしっかりきっちりみっちり執務! だそうです」 「ひえ……」 さ、参りましょう。そう言ってコンラートが手を伸ばすが、ユーリは「うーうー」唸って動こうとせず、最後の抵抗を試みている。それを見たコンラートは、表情一つ変えないまま「では失礼」と一言いうと、ひょいとユーリを肩に担ぎ上げた。 「…こっ、コンラッド!」 ばたばたと暴れるユーリ。前にも見た光景だが、今回は少々趣が違う。 「コンラッドはおれの味方だろーっ」 「もちろんですとも、陛下。ですからすべきことを全部終えたら、誰にも邪魔されずに祭が楽しめるよう、全力を尽くさせて頂きます。ということで、どうかお許しを、陛下」 「陛下ってゆーなっ、名付け親!」 抱えるユーリの腰の辺りをぽんぽんとあやす様に叩きながら、「邪魔したな」と一言いい置くと、コンラートはそのまま部屋を出て行った。「ふぎゃー」とか「うぎー」とか、意味不明の声が尾を引くように聞こえてくる。 「………ちょいと妙だったな……」 声が聞こえなくなってから、バスケスがぽつりと言った。 「確かに……あいつにしてはひどく強引だったような……」 顔を見合わせて、クロゥは肩を竦めた。自分達が口を出す問題じゃない。というか、魔王が仕事を放っぽり出して、屋台の手伝いをしていてはマズいだろう。 やれやれと思ったところで、扉がノックされた。メイドが朝食のワゴンを押して入ってくる。 その顔から抑え切れない笑みが零れていることに、クロゥは気づいた。 「……陛下は、コンラートに担がれたまま?」 その言葉に、メイドがプッと吹き出しながら、はい、と頷いた。 「閣下の背中をぽかぽかお叩きになって。一緒にみんなの手伝いに行こうよーって」 すっかり馴染みになったメイドが気楽に答えを返してくる。……王様はまだ諦めていないらしい。 「魔王さんはそのー」バスケスが声をあげる。「しょっちゅうあんな風に変装して、城の中を走り回ったりしてるのかい?」 ワゴンの料理をテーブルに並べながら、メイドはその質問にもあっさりと頷いた。 「以前は城下にお忍びでお出かけになるための変装だったんですけど、今は城の中を探険なされる時にも皆が気を遣わないようにと色を変えておいでになるんです。………バレバレですけど」 「……魔王が、自分の城を探険……?」 「はい。何せこの大きさですし。陛下がご存知ない場所も、色々な部署もありますし。それから迷路も抜け穴も罠も、あちこちに盛り沢山らしいですし」 「罠?」 「ええ。賊避けのものや、もにたあを求める毒女のものまで用途はいろいろ」 ………もにた……毒女……? 「大抵はウェラー卿やフォンビーレフェルト卿がご一緒なさるのですが、時々陛下がお一人になって、ついうっかり妙なところに迷い込んでは、よく遭難なさってます」 ………遭難……? 「その度に捜索隊が結成されるんです」 …………………。 「でも陛下はとっても楽しそうに駆け回っておいでになります。ですから私達、陛下が変装なさっておいでの時は、陛下だと分かっても、素知らぬ顔をしていることにしてるんです。陛下は民や城の皆の飾らない日常生活に飛び込んで行きたいとお望みでいらっしゃいますから。陛下と気づいて変に畏まったりすると、それはもう……寂しそうなお顔をなさるんです。私……」 ほう、とメイドはため息をついて、何かを思い出す様に視線を上げた。 「私も見てしまったことがあるんです。あの頃……ウェラー卿が陛下のお側を離れておいでの頃、陛下が、どう考えてもおいでになるはずのない城の裏庭の片隅で、膝を抱えて……まるで捨てられた人形のようにぽつんとおいでになるのを……。その時の陛下のお顔が……目にしたこちらがたまらなくなるほど……寂しそうで、哀しそうで……。私、その時ウェラー卿を心からお恨み致しました。陛下のあんなお顔は見たくない。……ですから私、私達皆、陛下が笑顔でおいでになるためなら何でもしたいって思ってるんです。陛下が喜んで下さるなら、どんなことでもって。……だって陛下の笑顔は、私達皆の、幸せの象徴ですもの」 ……私ったら、ごめんなさい、一人でぺちゃくちゃと! 自分をじっと見つめる二人の視線に気づいて、メイドが慌てて詫びる。それからバッとお辞儀をすると、飛び出す様に部屋を出て行った。 「………まあ、何だ、その……食おうぜ」 「ああ、そうだな……」 クロゥとバスケスは何となく重くなった胸を抱えて、テーブルについた。 「……なあ、クロゥ」 「何だ?」 「俺達ぁよお……この国に来ちゃいけなかったのか……?」 思わず開きかけた唇をきゅっと閉じ、クロゥは相棒を睨み付けた。 「それは一体誰の立場に立って言う言葉だ?」 それは、と言い掛けて、バスケスがばりばりと頭を掻く。 「俺達には俺達の、譲れない理由がある。そうだろう? 砦の皆が、今どんな思いで戦っているか、忘れた訳じゃあるまい?」 「……悪ぃ……」 しおしおと謝る相棒に、クロゥは罪悪感を覚えて思わず視線を逸らした。 バスケスに言ったのではない。今のセリフは自分に言ったのだ。 一瞬、バスケスと同じことを思ってしまった。思わず同意しそうになった。 自分自身に必死に言い聞かせなくては、自分の中の、もうごまかしきれない何かが、大きくうねり、膨れ上がって、今にも身体から飛び出してしまう。そんな気がするからだ。 ……胸が痛んだ。辛いのは、それが一体誰のための痛みなのか、もう分からなくなっていることだった。 食事を終えた二人は、気分を変えようと祭の準備に賑やかな外へ出てみた。と、練兵場で顔見知りになった兵士達が、木材だの布だの鍋だの野菜を詰めた箱だのを抱えてやってきた。荷物は多いし、かなり重いらしく、ほとんどへっぴり腰といった姿で、よろよろとやってくる。 よお、とバスケスが声を掛けると、かなり引きつってはいたが、彼らも笑顔で「お早うございます!」と挨拶してくる。 「大変だな。手伝うぜ。その箱をこっちへよこしなよ」 とんでもない、と遠慮する兵士達を制して、バスケスはほとんど無理矢理重そうな箱の一つを「それっ」と肩に担ぎ上げた。 「おう、こりゃ結構重いや。ほれ、まだ片手が空いてんだから、どれかよこしな」 「俺も手伝おう」クロゥもそう言って、兵士の一人に手を伸ばした。「どうせ俺達は何もすることがないんだ。それに……」 思わずくすっと笑って、クロゥは続けた。 「魔王陛下が先ほどまで、皆の手伝いをするのだと張り切っておられた。残念ながら執務があるとかで、コンラートに拉致…いや、連れ去ら……執務室にお戻りになられたが。俺達にも手伝って欲しいとの仰せだったから、遠慮されると逆に困る」 陛下が…! クロゥの言葉に、兵士達の目が輝いた。 では、お願いします! と声を揃えて頼まれて、クロゥとバスケスも、祭の準備要員の一員となることが決定した。 血盟城本丸というべき城の前庭から門を経て、城下に通じる本道沿いに、骨組みがほとんど出来上がった屋台が並んでいた。そしてまた、その所々で枝別れする各庁舎や部署に至る道、また各城門前の広場にも、屋台はもちろん、芝居のための舞台や、「みにさっかあ」、「半日やきゅう教室」といった「いべんと」のための設備もこれまたほぼ出来上がっている。その全てに、兵士や城のメイド、使用人達が群がって、準備の仕上げに懸命だ。 本道の中程、「三の門」と呼ばれる城門脇の広場で、クロゥ達は兵士達と共に屋台の仕上げや、調理の準備を手伝っていた。 「今年は国内でも有名な店が出店してくれるというので、前評判がものすごく高いんですよ!」 「へえ。でも店の儲けにはならないんだろう?」 「ええ、もちろん。ちゃりていですから。でも、志に賛同してくれる商人が年々増えて、本当によかったと皆言ってるんです」 「地方の特産品や、ご当地の人しか口に出来ない幻のお菓子とかもありますし!」 楽しみにしてて下さいね、と言われて、クロゥ達も笑顔を返した。 「で? 君たちはどういうものを?」 「お菓子や軽食をいくつか。……こちらでは『ほとんどちょこばなな』と『まんまなたでここ』っていうのをつくるんですけど」 「…………?」 「『ほとんどちょこばなな』は、果物に城の厨房で開発したクリームをからめて串に刺したものなんですが、最初に味見なさった陛下と猊下が、声を揃えて『これってほとんどちょこばななじゃん!』と仰せになったという話でして」 「…な、なるほど……」 「で、『まんまなたでここ』というのは……」 「あー、いい、大体分かった…」 などと、とりとめのない会話を交わしながら準備を進めていたのだが。 「ねー、おにーさーん。私の髪飾りを選んで下さらない〜?」 突如背後から掛けられた、聞き覚えのあり過ぎる声の、あり得ない言葉に、クロゥとバスケスは恐る恐る振り返った。 「は〜い・」 「うげっ!!」 鍋や野菜を蹴飛ばして、二人が咄嗟に飛び退る。 「何やってんだ、てめえっ!?」 指を突き出すバスケスのすぐ前に、グリエ、と思しき人物が立っていた。 身体の線にぴったりの、異様に艶かしいドレスで身を包み、化粧をして、うふ、としなを作っている。 「………ど、どういう余興に出るんだ……?」 懸命に心を落ち着かせて言うクロゥに、グリエが「やあねえ」と首を振った。 「何にも出ないわよ〜。今日はお祭りだから、おしゃれしてみただ・け・ 似合うでしょ〜?」 ない胸、というか、厚い筋肉を誇示するように反り返るグリエに、「グリエ殿、今日もお綺麗ですね!」とか「本日のドレスも見事ですね〜」と、兵士達が口々に声を掛けている。眞魔国で三本の指に入るという剣豪の艶姿に、クロゥは思わず目眩を感じて頭を抱えた。 何が恐ろしいといって、もしこれがグリエだと知らなかったら、逞しさの中にも色気たっぷりの、かなりの美女だと思い込んで、それで………。 「…お、お、落ち着けよ、クロゥ」 バスケスが焦った様にクロゥの肩を掴んでくる。 「お前、昔っからか弱い女より逞しい女の方が好みだけど、あの顔も、お前好みだと思うけど、いいか? ありゃあグリエだぞ! 男だぞ!」 「分かってる、そんな事! 狼狽えてるのはお前の方だ!」 ……これまで惚れた女は全て、保護欲を掻き立てるような淑やかな女ではなく、己の人生は己で切り開く強さと逞しさを兼ね備えた女ばかりだった。ついでに、陽気な雰囲気があればもっといい。例えば目の前に今いるような…………じゃなくてっ! 「………何だってそんな格好を……」 「趣味」 殊更声を低めて問えば、さらりと答えが返ってくる。 白地に派手な花柄のドレスを纏ったグリエが、「んふ」と笑う。……色気があり過ぎる。 「……か、変わったドレス、だな。それは魔族の……」 「これは俺様のおりじなるでざいんってヤツでな。『完璧ちゃいな』っていうんだぜ。どうして『完璧ちゃいな』かというとー」 「それを目にした陛下が、『あ、グリエちゃん、それって完璧ちゃいなじゃん!』と叫んだ、とか……」 「…………よく分かったな…?」 一気に疲れを感じ、クロゥとバスケスは、げっそりとため息をついた。……本当に、この国にやってきてから、一体自分達はどれだけため息をついたのだろう…? 二人の様子を眺めていたグリエが、「ま、いいや」と呟くと、わずかに表情を変えて二人を見た。 「お前ら、ちょっと俺につきあってくれ。……こいつら、借りてくぜ?」 最後の言葉を兵士達に掛け、グリエが先に立って歩き出す。ほんの少し顔を見合わせたクロゥとバスケスは、「お手伝い、ありがとうございました!」と礼を言う兵士達の声を背に、慌ててその後を追った。 「やあ、お久し振りですな」 グリエに導かれ、城に戻り、どこかの回廊を回ったところで思いもよらない人物と再会した。 「………ヒスクライフ…どの…」 カヴァルゲートの元王太子、未来の女王の父、ミッシナイの大商人、ヒスクライフがそこにいた。 回廊に佇み、朝陽に煌めく中庭の自然を見つめる男の表情は、何故か硬い。 ……そういえば、客があるとコンラートが言っていた。彼の事だったのだろうか…? 疑問が顔に出てしまったのか、クロゥの表情をちらりと見たヒスクライフの口元が小さく笑みの形を作る。 「私は今日の午後、こちらに到着の予定でしてな。実際正式な一行は後で到着することになっています。ですが……急ぎご報告したいことがありまして、私一人、密かに夕べの内に入国したのですよ」 「……密かに……?」 一体なぜ? 素直な疑問が丸々顔に出ているクロゥとバスケスをじっと見つめて、ヒスクライフは「ふむ」と頷いた。 「こいつらは大丈夫ですよ」 意味は分からないが、グリエが彼らの何かを保証してくれる。 「そのようですな。まあ…よかった」 だから何が。 話に置いてけぼりにされるのはもううんざりだ。内心の苛つきを隠しもせず、二人を睨むクロゥに、ヒスクライフが表情を明るく変えた。 「それよりも、お二人とともお元気そうだが、いかがです? 眞魔国は」 その言葉に、クロゥとバスケスは、初めてヒスクライフと対面した時の状況を思い出し、うっと顔を引きつらせた。 「…あー、その……」コホン、とわざとらしく咳をする。「ご挨拶が遅れました、ヒスクライフ殿」 言って、クロゥが姿勢を正す。隣で相棒も慌ててそれに倣った。 「その節は、御協力頂きまして、ありがとうございました。それから……あの時は、その、色々と不明なことが多く……大変失礼致しました!」 胸に拳を当て、騎士の礼をとるクロゥと頭を深々と下げるバスケス。その場に、ヒスクライフの軽やかな笑いが響いた。 「いやいや、頭を上げて下さい、お二人とも。………私はね」 あなた方とまたお会いするのを、とても楽しみにしてきたのですよ。 穏やかなヒスクライフの言葉に、クロゥ達はハッと顔を上げてその顔に視線を向けた。 「ユーリ陛下に偶然お会いして」 回廊から庭園に下りて、花を愛でつつヒスクライフが思いを綴る。 「あの方を通して私は魔族を知り、眞魔国を知りました。以前から興味はあったが、あの時から私は真剣に魔族について調査を始めました。ちょうど娘がカヴァルゲートの王位につくことが決定した時でしたし、娘のためにも私は必死だったのです。なぜなら私達が生きるこの世界は……」 滅びに瀕しているから。 少しづつ少しづつ壊れていく世界。そんな世界で、一つの国の未来を、我が子が担うことになってしまったから。 「やがて私は確信したのですよ。この世界を救う全ての鍵は、魔族が、あの少年王が握っているのだ、と。彼こそがこの世界を破滅から救う唯一の存在だとね。だから私は、眞魔国に対し敵対行為を繰り返していたカヴァルゲート政府を説き伏せて、眞魔国と友好を結ばせました。そして魔王陛下始め側近の方々と積極的に交流を始めたのです。そうしている内に、私の確信はますます深まっていきました。確かに、当代陛下はまだ余りにも幼く、あらゆる意味で未熟で、欠点も多い。理想を語る言葉に力はあるが、それを実現させる政治的な力はほとんどないに等しい。実体よりも高い評判ばかりが先行し過ぎて、その齟齬に当のご本人も悩んでおられるほどだ。しかしね……」 くすりと笑って、ヒスクライフは後ろをついてくるクロゥ達を振り返った。 「妙に聞こえるかもしれないが、もしあの方が、出会ったその時からすでに偉大にして完璧な名君だったら、私はこれほどの希望と夢を、あの王に抱いたとは思えないんですよ」 「……それは……」 分かるような気がする、と言い掛けて、クロゥは口を閉ざした。この地にやってきた理由を思えば、自分がそれを口にするのはおこがましいような気がする。 だがそんなクロゥの複雑な心境など全て察しているかのように、ヒスクライフは微笑んだ。 「楽しくてね」 ヒスクライフの笑みが深まる。 「あの魔王陛下をすぐ近くて見ていられるのが本当に嬉しくて、楽しくてね。悩みながら、苦しみながら、それでも懸命に王の道を進もうとなさるあの方が、ご無礼ながら愛しいとすら思える。一つ何かを乗り越える度、確実に成長されるその姿が、本当に素晴しいと思える。あの方が、ユーリ陛下が王として成長されればされるだけ、世界は滅びから救いに向かう。そんな気がする。そして、その成長の一助に、この自分がなっているのだと思うと、心底嬉しくてたまらなくなるのですよ。ユーリ陛下の周囲には、実に有能な側近達が集まっている。そう思いませんか?」 問われて、クロゥとバスケスは大きく頷いた。 宰相フォンヴォルテール卿、コンラート、仕事振りはよく分からないが、フォンクライスト卿、フォンビーレフェルト卿、それからムラタもグリエも……それぞれかなりクセはあるが、有能なのだろうと思う。 「これからさらに陛下の周囲には、有能な家臣が集まってきますよ。あの方には、人を惹き付ける力がある。この方のためにこそ、我が力を奮おうと、心から思わせる力だ。それはね、本物だけが持つ力だ」 「……本物……」 思わず繰り返した言葉に、ヒスクライフが「そうです」と頷く。 「ユーリ陛下は本物です。あの方がどこまで成長していくのか、私は楽しみでたまらない。それ以上成長も変化もしない完璧な王など必要ではない。不安定で、未熟だからこそ、ユーリ陛下の成長は世界に夢と希望を齎し、そして……世界を確実に変化させていくのですよ」 我ながら少々熱くなり過ぎましたな。いやはや、お恥ずかしい。ヒスクライフがわははと、照れ隠しのように笑う。 だがクロゥは、そしてバスケスも、その熱意と思いの強さに圧倒されつつも、目の前の男の言葉に心の中ではっきりと頷いていた。まさしく。その通りだと。 ふむ、と軽く声に出してから、ヒスクライフは瞳に真摯な光を灯して、二人を正面に捉えた。 「ですから私は、あなた方に事前にこの国の事や魔王陛下の事についてお話することは避けました。実際を観なくては、とても理解できないと思ったからです。しかし、この国を訪れて、そしてあの魔王陛下と触れあえば、必ず分かる。魔族を全く誤解しているこの二人も、きっと変わってくれる。そう信じました。……当たっていたでしょう?」 いたずらっぽく笑いかけられて、クロゥ達は赤面する思いで顔を伏せた。あの時の、ヒスクライフをも邪悪な男だと信じていた自分達を思うと、たまらなくなる。 「それで、です」 ヒスクライフの声が、唐突に低くなる。その変化に、クロゥは思わず顔を上げた。 「あなた方に協力をお願いしたい」 「……協力、ですか……?」 そうです、と頷いて、ヒスクライフはグリエに顔を向けた。グリエが頷き返す。 「実はな。昨晩遅く、密かに王都に入られたヒスクライフ殿が知らせて下さった件なんだが……」 グリエの言葉に、ああ、そう言えば、とクロゥは思った。何か緊急の知らせを運んできたと……。 「……どうやら、シマロンの工作員と思われる一団が、王都に侵入を果たしたらしい」 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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