愛多き王様の国・8



「ユーリ陛下は……いいや、ユーリ陛下の御世は、あまりにも急激にこの国を変えた」

 ハウエル先生の、どこか苦しげな声。ユーリは瞬きもできないまま、真正面に座るその人を見つめていた。

「……眞魔国は、ユーリ陛下が御即位なされる以前、周辺諸国と比べても、まあ…ごく普通の王国だった。つまり、お偉い方々は庶民の生活には目もくれず、ただ税を搾り取ることしか考えない。庶民も、貴族だの魔王陛下だのがお住いの雲の上で何があろうと気にならねえ。貧乏人にとって大事なのは、毎日の食い扶持を稼ぐことだけだ。何も変わらねえ毎日を、変えたいとも変えなきゃならねえとも考えることなく、ただ生きていくわけだ。それで誰も何の文句もなかった。まあ……戦時中はひどかったがな。国に碌な策がないことは、俺みてぇな三流代弁人にすら分かっちまうほどあからさまだったしよ。そんな国の命令で、どんどん戦場に送り込まれる兵士達こそ哀れだったなぁ。行き当たりばったりのひでぇ作戦に駆り出されて、それこそ麦の穂みてぇにごっそり命を刈られちまったんだから……」

 話がズレちまったな。
 言って、先生はバリバリと艶やかな頭頂を掻き毟った。
 ……まさか、この癖のせいで髪の毛がなくなったのかも……。ふと頭に浮かんだ考えを、ユーリは急いで振り捨てた。そんな問題じゃない。

「ところが、ある日突然、本当に突然、ユーリ陛下が登場なされた。まるで……」

 天から舞い降りたみてぇにな。

 こくん、とユーリの喉が鳴る。

「そして、一気に、とんでもない勢いで国が変わった。どん底で喘ぐように生きてきた民にとっちゃ、夢のような変化さ。家族が病に罹っても、一銭も金を掛けずに医者に診てもらえるようになった。せめて我が子にはまともな人生を送って欲しいと願っていたら、学費までタダになった。子供が学校で学び、正しい知識と豊かな教養を身につけるのは、眞魔国臣民としての義務である。今まで、どこのどの王がそんな事を民に言ってくれた? それどころか、子供を学校へやることで家の稼ぎが減っちまったら、国が援助してくれるってぇおまけまでついてきた」
 初めて聞いた時は、耳を疑ったぜ。
 うん、と自分に頷いて、ハウエル先生は客達をぐるっと見回した。

 あんた達にゃあ分からねぇだろうなあ。ため息をつくように先生が言う。

「これが夢じゃねえかと、どんだけの貧乏人が頬っぺたを捻り上げたと思う? 今まで雲の上の、自分達には関係のないお人だと思っていた魔王陛下が、名もない民1人1人の生活を、人生を、子供の未来を変えてくれたんだ。想像もできなかったほど良い方向へな。正直言うとよ」

 当時を思い出したのか、しみじみと先生がため息をつく。

「俺ぁ、こんな政策が上手く行くはずがねえって思ってた。なりたての王様が民に媚びるのも分からねえじゃねえが、それにしても限度がある。医療費にしろ、教育費にしろ、とんでもなく金が掛かる。それを全部国庫から出すとなりゃ、一体国はどうなっちまうのかってよ。ところが、陛下は同時に国の経済まで改革あそばされた。人間の国との交流を軸に、産業の育成と貿易の振興と……。今じゃ国庫にゃ金が唸ってるっていうじゃねえか。民の生活も、ほんのちょっと前が思い出せねえくらい良くなったしよ。ふと周りを見回せば、街からも民の顔からも、貧しく荒んだ色がきれいさっぱり消えちまってる。あるのは、まあ…こっ恥ずかしい言葉を使わせてもらえりゃ、希望の色ってところだな」

 希望の色。その言葉に、ユーリの頬がほっと緩んだ。

「前が、特に戦時中が酷かっただけに、民の心も高ぶるってもんさ。だからよ、ユーリ陛下がこの国の表舞台に登場なされた日を、民が何と呼ぶか知ってるかい?」

「……え……いえ……」
 思わず首を振るユーリに、ハウエル先生がにやっと笑って見せた。

「ユーリ陛下、御降臨の日って呼ぶのさ」

「……降臨?」
 それは王位に就く時に使う言葉だっただろうか? 首を捻るユーリに、「おうよ」とハウエル先生が頷く。
「それほどユーリ陛下というお方が、民にとってなくてはならねえお方になったってこった。陛下は民の生活を救っただけじゃねえ。民の魂まで救ってくださったんだからな。……ただなあ」
 ふと、ハウエル先生の表情が硬くなった。とくん、とユーリの胸が鳴る。
「…ただ…?」
 うん、と頷いて、ハウエル先生はきゅっと眉を顰めた。
「これはユーリ陛下にとっちゃ、決して良いことだとは思えねぇんだが……。今じゃユーリ陛下は貧しい民にとっての、そう……」

 神に、なっちまったんだ。

「……え…!?」
 きょとんと。ユーリの目が大きく見開かれた。

「尊い双黒、そして絶世の美貌。英知と指導力を兼ね備え、魔族のみならず、かつては敵であった人間までも救うことを躊躇わない慈悲深さとお志の高さ。かの大賢者猊下までもが4000年の時を経て眞魔国に、ユーリ陛下の下に御帰還なされ、そして忠誠を誓われた。ユーリ陛下こそ、魔族の歴史にその名も高き精霊の王。世界の王。このお方を神と呼ばずに何と呼ぶ!」

「……え……ええ〜〜…っ!?」
 ハウエル先生の言葉の途中から、すでにユーリの顔は引き攣っている。
「あっ、あのっ、そそそそれって、褒めすぎ…だと思いますっ!」
 ぜーぜーと、なぜか肩で息をしながらユーリは叫ぶように言った。声はひっくり返っている。
「だだだだって…! おれ…ゲフンっ、ま、魔王、陛下だけで政治ができるわけじゃないんだから…っ! ど、どんな立派な政策だって、周りがそれを理解して、助けてくれないと絶対……!」

「当たりめぇじゃねーか」

「…………え?」

「ユーリ陛下はまだ子供っていっても良いくらいの若さだぜ? いくら理想が高かろうと、あのお方が1人でじたばたして政が上手くいくわけねーじゃねえか。いいや、王が若けりゃ若いほど、理想が高けりゃ高いほど、鼻っ柱を叩き、頭を押さえつけるのが宮廷に蔓延る古狸、特に十貴族共のやり方だろうが。ああいうヤツらが一番嫌がるのが変化ってヤツだからな」
 けっと忌々しそうに吐き出して、先生は思い出したようにグラスの酒を飲み干した。もういい加減にしなよと言いながら、アニッサ夫人が酒を注ぐ。
 やっと興が乗ってきたんだ、余計な口を挟むんじゃねえやと妻に毒づき、ハウエル先生は改めて顔をユーリと村田に向けた。
「今、あのお方の周りには、昔っから出来物と評判の高いフォンヴォルテール卿がいる。フォンクライスト卿がいる、英雄ウェラー卿がいる、そして大賢者猊下がいる。俺ぁ、ユーリ陛下が実は何にも分かってねぇただの子供で、宰相閣下や王佐閣下、誰より大賢者猊下の仰ることを、ただニコニコ笑って頷いているだけのお人形さんだったとしても驚かねぇよ? いや、案外その可能性はあるって思ってるぜ?」
「……………」
 思わずぽかんと口が開く。

 そんなユーリの表情を伺い見て、ハウエル先生がいきなり「がはは」と笑いだした。

「んな顔すんじゃねぇよ、坊っちゃん。言っただろ? 俺ぁ、捻くれ者だって。皆が御立派なお方だと褒めれば褒めるほど、そうでもあるめえと眇目になるのが俺なんだよ。でもな、そんな理屈はどうでも良いんだ。要は、ユーリ陛下の御世になって初めて、国が民に目を向けてくれたってことさ。ユーリ陛下が御即位あそばされる以前にも、フォンヴォルテール卿がいたし、フォンクライスト卿もいた。だが結局あの方々は前王陛下の時代、何もできなかった。摂政の力がどうだのこうだの、理由は色々あるだろうよ。だが、何もできなかったし、しなかったってのが事実だ。だがよ、今は違う。誰が実際に政をやっていようと、これがユーリ陛下の御世で始まり、そして続いてるって事が何より大事なんだよ。分かるか、坊っちゃん。つまりな、ユーリ陛下は、民の、それもどん底で喘いでいた貧しい民の、幸福と希望の象徴になったんだ。象徴、これすなわち神さ! ユーリ陛下のご威光、それこそこの大地を照らす希望の光、歩む先に見えるのは幸福な未来ってなあ。……だからこそだって、俺ぁ、思うんだ」
「…………な、何、を…?」
 きょとんと聞き返すユーリに、先生がプッと吹き出す。
「先に質問してきたのはそっち、ああ、いや、隣に座ってるあんたの従兄弟じゃねえか。だからよ、今の俺がこんなコトになっちまった原因は、民にとってユーリ陛下が神様になっちまったからじゃねえかって思うわけよ」
「……それって……」
「人を超えた神だから」
 そこで言葉を発したのは、それまでずっと黙って話を聞いていた村田だ。
「人ではない、神に対しての冒涜であるから、それは人の法を越えた最大の罰で応えなくてはならない。民はそう勘違いしてしまった、ということですね」
「小難しい理屈じゃねえ。民にとって、ユーリ陛下というお方が、御即位以来実行された政策も何もかもひっくるめて、『ユーリ陛下』というお名が、とてつもなくでけぇ存在になっちまってるってことさ」
 確かに、と村田が頷く。分かっているのかいないのか、ユーリがはー…っとため息をつく。
「俺ぁよ」ハウエル先生の眉間の皺が深まる。「他人事じゃああるが、気になってるんだ」
「何をですか?」
 村田の質問に、ふん、と鼻を鳴らしてグラスを呷る先生。
「さっきも言ったが、ユーリ陛下はまだお若い。とんでもなく若い。それがこうまで民の尊敬を勝ち得ちまったてのがなあ……。もし陛下がそれを自分の実力だと思っちまったら、いや、それどころか……ユーリ陛下ご自身が、自分を神だと思っちまったらって考えてな……」
「…! それは……!」
 言い返そうとしたユーリの腕を、さっと村田の手が押さえる。
「むら…」
 思わず本名で呼びかけそうになるユーリに、村田が小さく首を振る。

「……もしそんなことになっちまったら」
 目の前の二人の少年の様子に気付かなかったのか、ハウエル先生の言葉が続く。

「他人事じゃあ済まねえ。王が自分を神だと信じまったらどうなる? 自分のやることに間違いはねえ。自分に反対するヤツぁ、神に逆らう不届きモンだ。そんなことになっちまったらと思うと、背筋がこうゾワゾワするぜ。……眞魔国にゃあ、眞王陛下ってぇ神がおわす。おまけに今じゃ大賢者猊下までおいでになるんだ。生きてる神様なら、このお人がおいでになるだけで十分だ。まあ…4000年も身体を取っ替え引っ替え生き続けるなんざ、これもちょいと疑わしいと俺なんかは思うわけだけどな。俺がもし猊下の立場だったら、とっくに狂ってるぜ。もし人に魂ってモンが本当にあるんなら、それがどんだけ偉大なお方の魂だろうと、とうの昔に擦り切れちまっててもおかしかねえだろ? まあもしホントに4000年もそうやって生きてこられたってえなら、俺なんぞ、偉大なお方と讃え奉るよりも、お気の毒に、何でまたそんなひでぇ目にお会いなすったんでございましょうと、ご同情申し上げてぇところなんだがな」

 思わずごくりと喉が鳴る。
 すぐに親友の表情を伺うことを躊躇ってしまったユーリが、そっと背後の仲間に目を向けると、コンラート、ヨザック、透の3人の顔は、揃って瞬間冷凍されたかのように引き攣っていた。全員目の焦点が合ってない、気がする。それから覚悟を決めて、おそるおそる村田に目を向けると、親友は意外なほど穏やかな表情で目を伏せていた。唇にはあるかなきかの、苦笑めいた笑みが浮かんでいる。
 その笑みを目にした瞬間、ユーリは思わず、膝の上の村田の手に自分の手を重ねた。
 ハッと、驚いたように村田が顔を上げる。そしてユーリと目を合わせる。
 村田はほんのわずかユーリを見つめると、小さく、だがにっこりと、この親友としてはほとんどあり得ないほど無垢な笑みをユーリに向けた。
 なぜだか急に胸が苦しくなって、どんな表情を浮かべていいのかも分からなくなったユーリは、無理矢理浮かべた笑みを親友に返した。

 すぐに話が横道に逸れちまうのが俺の悪ぃ癖だな。
 自分にうんざりしたようにため息をつくと、ハウエル先生は姿勢を改めてユーリ達に顔を向けた。

「王が神である必要はなんかねえんだ。いいや、魔族だろうが人間だろうが、王は生身の人でなきゃあならねえと俺は思う。欠点も、失敗もあるどっさりある人でなきゃあな。失敗することもあると思やぁ、人の言うことも聞こうとするだろ? 謙虚になりゃあ、忠告にも諫言にも耳を貸す気になるもんだ。神にも等しいと思うから、間違えちまうんだよ。王も、民もな。いや、ユーリ陛下が御自分をどう思ってらっしゃるかは分からねえよ? ただな、今の民はそうだ。陛下が何一つ間違うことのない完璧な存在に、神様になっちまったから、人への対応では不敬だなどとバカな言葉が口から飛び出しちまうんだ。人だってこと、自信もなけりゃ不安もどっさり抱えてる人だってことを、皆が気づかなけりゃな。そして陛下もまた、自分が欠点だらけの人だってことをお認めになられれば、それを無理に隠したりなんぞしなけりゃあ、今はどうだか知らねえが、将来はきっと本物の立派な王になられると思うぜ」

「…そう、思いますか…?」
 呟くように尋ねるユーリをどう思ったのか、先生がじっとその顔を見つめ、それから頷いた。
「ああ。きっとな」

「先生」
 村田が穏やかな口調で呼びかける。
「何でぃ?」
「先生は、ご自分の思うところを主張できる場があれば、そこに立つ覚悟はおありですか? 例えば……法学者を集めた討論会のような場で」
「討論会かあ……」
 ちょっと嫌そうに、ハウエル先生は顔をくしゃりと歪めた。
「俺ぁ、口が悪いからよお。お偉い先生方の前じゃ、どうもなあ……。それにすぐ喧嘩を売っちまう悪い癖もあるし」
「でも、今のままではどうにもなりませんよ? 先生が名誉を回復するためにも、法学者達を味方につけるべきです。民の声に揺らいだり、雇い主の意向に添って愚かな言動に走る者の目も覚まさないとなりませんし。まさかと思いますが、裁判所が民の声に押されて道を踏み外すことにでもなったら……」
「もしそうなったら、この国の司法の歴史にとんでもない汚点が刻まれるってこった。後の世のいい嗤いモンだ」
「最初のお気持ちはどうあろうと、今のあなたは民に喧嘩を売ったようなものです。ここまできたら最後まで喧嘩面を張って、先ずはご同業に檄を飛ばしてはいかがです?」
「喧嘩面を張るってぇのは、良いトコの坊っちゃんが口にしちゃあダメだぜ? 下品だからよ」
 けっけと笑いながら、ハウエル先生が村田に指を突きつけた。ようやく酔いが回ってきたのか、ごついブルドック顔に赤みが射している。
 自分でもそれが分かったのだろう、ふうとため息をつくと、先生はグラスを卓に置き、徐にパンパンと両頬を平手で叩いた。
「俺ぁ、三流法学者で三流の代弁人だ。んな御立派なコトができるもんかね。でもまあ……」
 やらなきゃならねえと思うことはある。
 最後の一言、その声に加わった力に、ユーリはハッと目を瞠った。
「俺も言いてぇことがある。分かってるくせに誰も言ってくれねぇ、新聞も頼りにならねえとなりゃあ、どこかで己の口を使わにゃなるめえよ。だからよ、俺もちっとばかし考えてたことがあるのさ」
「お聞かせいただけますか?」
 丁寧な村田の口調に、うん、と頷いて、それからハウエル先生はユーリと村田、二人の顔を改めて交互に見遣った。
「考えてみりゃ、あんた達にはちょうど良い頃合に来てもらったわけだ。なあ、坊っちゃん達、あんたらは、いや、あんたらのご家族は上の方とも繋がりがあるんだよなあ? だったらよ、ちょいと俺を売り込んでもらえねえか?」
 売り込む?
 意外な言葉に、ユーリと村田は顔を見合わせた。2人の身分を利用するような、器用な真似はできないと言っていたはずなのに。
「……どこへ売り込んで欲しいと?」
 慎重に尋ねる村田に、ハウエル先生がにやっと笑った。
「別にあんたの家のお抱えにしてくれってんじゃねえよ。俺をな」

 魔王陛下暗殺未遂犯の代弁人に推挙してくれ。

 沈黙が部屋を覆った。
 さすがの村田、そしてユーリも、呆気にとられた顔で真正面に座る法学者を見つめている。

「………せ、先生……っ!」
 喘ぐように師匠を呼ぶのはロミオだ。
 それまでずっと沈黙し続け、師匠を護るように侍っていた青年が、腰を半ば浮かせ、顔を引き攣らせている。
「お前さんっ! あんた、何てことを……!」
「父ちゃん!」
 続く、悲鳴のような妻と娘の声に、だがハウエル先生は表情を変えないまま、じっと正面に座る二人の少年を見ていた。
「……今度こそ、殺されてしまいますよ?」
 村田の言葉に、「だなぁ」と先生が笑う。
「確かに、ヤベぇや」
「それでも、ですか? この国の裁判制度では、被告に代弁人をつけることは義務ではありませんでしたね?」
「その通りだ。俺はそれもこの国の制度の不備の1つだと思ってるがな。本当に代弁人が必要なのは、読み書きもできねぇ貧乏人だ。ところが本当に必要な者は代弁人を雇う金がねえ。代弁人を雇うのは金持ちの特権だ。俺の親父のこともあるが、俺も代弁人として結構長くやってきたからよ、その辺りが不満で堪らねぇのよ。……なこたぁどうでもいいや」
 へっと自嘲気味に笑って、先生は表情を真面目なものに改めた。
「何度も言ってるが、俺ぁ、捻くれモンなんだよ。でもってな、それでも代弁人なんだ。だからよ、代弁人としてやらにゃあならんと思ったことをやろうと思う」
「魔王陛下の命を奪おうとした彼らを救うことが、貴方の役目だと?」
 そうじゃねえよ、と先生は慌てて手を振った。
「そこまで捻くれちゃあいねぇ……だろうと思うし、ご大層な使命感を持ってるわけじゃねえ。そいつらにしたって、れっきとした殺人未遂犯だ。罰せられるべきだと思ってる。どれほど不備があろうが、今この国にある法律にきちんと従って、その法の下に正しく、少なくとも、限りなく正しい形で、罰せられるべきだと思う。今、その一番大事なトコが、捻じ曲げられようとしている。けど、その声を上げるのが俺しかいねえのなら、俺がやろう。まあ……そんなとこさ」

 酒焼けした赤い鼻、骨組みがごつい割に肉の弛んだ顔もまた赤く、小柄で小太りの身体も不摂生が祟ってか、何とも見栄えのしない男だ。とてもじゃないが、頼れる法学者、代弁人には見えない。
 だが、今、自分を見つめるその青い瞳の、何と鋭いことか。そして、その奥に瞬く光の何と真摯なことか。
 そこまで考えて、村田はふと笑みを浮かべた。
 不思議なコトに、僕はこういう男が結構好きだ。

「分かりました。先生のお望みの通りにしましょう」

「…! むら…」
「シンノスケ!」
 偽名で呼ばれて、ユーリは咄嗟に言葉を飲み込む。
「先生は自分のすべきことから逃げないと仰ってるんだよ。その気持ちは、君もよく分かるだろ?」
 どれほど危険であろうと、己が己に課した義務から逃げたりしない。
 ユーリもまた、その覚悟を持っているから。
「………分かった」


「悪ぃなあ。よろしく頼むぜ、坊っちゃん方」

 呆然と佇む家族達を背に、ただ1人にこやかにそう言って、ハウエル先生は一行に手を振った。
 そうして辞去してきた帰り道、街の視察を兼ねようと徒歩で道を行くユーリ達一行は、しばらく無言のままで歩を進めていた。
「……あの一家の警護を手配いたします」
 最初にそう口火を切ったのはコンラートだった。
「うん、そうだね」村田が頷く。「とりあえず、彼らに気づかれないようにして……。彼が弁護を担当することが正式に決まったら、一家を移動させた方が良いな。弁護団ができれば、一箇所に集めた方が警護しやすいし、彼らも仕事が楽だろう」
「弁護団に……なるかな?」
 最悪、ハウエル先生1人だけになるかもしれない。
 不安な顔でユーリが言うと、村田が肩を竦めた。
「もしそんなことになれば、この国の未来を僕は心から憂えることになるよ。とにかく、魔王陛下の声明が空気を変えることを祈ろう。それから、法が正しく執行されることを願う法学者が代弁人に立候補しやすいよう、環境を整える必要があるね。とりあえず、王都の上級裁判所の首席裁判官の人柄を知っておきたいな……」
 眞魔国の裁判所は、上級裁判所と下級裁判所に分かれている。下級裁判所は、いわゆる民事事件を担当し、上級裁判所は刑事事件に相当する事犯を担当している。首席裁判官はその中でも重大犯罪を担当する裁判所のトップだ。
 ふん、と考えを巡らせ始めた村田を横目に、ユーリは後ろを振り返ると透を呼んだ。
「へい…いえ、坊っちゃん?」
「どうなるか分からないけど、とにかく今度のことが動き始めたら、透さん、あの先生を手伝ってあげてくれる?」
「僕が、ですか!?」
「うん。お願いします。おれとしても、透さんがいてくれると思うと安心だしね」
「そう、それに、僕達との繋ぎ役にもなってもらいたいからね。僕からも頼むよ、透さん」
 魔王陛下と大賢者猊下の2人から頼まれて、透は思わずその場で頭を下げた。
「畏まりました! 全力を尽くさせていただきます!」
 うん、よろしくね。ユーリが応え、改めて一行が足を動かし始めたその時、コンラートとヨザックが同時にぴたりと動きを止めた。と、2人がさっと振り返る。
「……コンラッド…?」
 どうしたの? と聞く前に、ユーリの視界に一人の男の姿が映った。
「あれ……ロミオ、さん…?」
 彼らが今やってきた方向から、青年が、ハウエル先生の弟子のロミオが走って彼らに追いつこうとしていた。

「……あの……すみません」
 ユーリ達の前で足を止め、息を整えながらロミオが言う。
「何か、俺達に言い忘れたことでも?」
 コンラートに問い掛けられて、ロミオが荒い息を吐きながら眉を顰める。
「……あなた、方は……本当に先生を、その、暗殺未遂犯の代弁人に、推挙される、おつもりですか……?」
「俺達がそのつもりというよりも、先生がそうなさりたいと仰っておられるのだが?」
 こちらに文句をつけられても困る。その意味を込めて言い返せば、ロミオはますます顔を顰めた。
「……お願いです。どうか何もなさらないで下さい。そもそも先生がそのような真似をなされる必要など全くないはずです…! 確かに今の状況は先生にとって危険ですが、時を待てばいずれは事態も沈静化して……」
「正論の言い逃げ? どれだけ立派な発言も、言うだけ言って後始末しないでそのまんまじゃ、むしろ先生の名を……」
「命が掛かってるんですっ!」
 ぎりぎりと、歯の鳴る音が聞こえる気がするほど強く口を噛み締めて、ロミオは村田を睨み付けた。
「一番大事なのは、命じゃないんですか!? 名誉なんかそんなもの、何の意味も価値もありません! 先生は立派な法学者です! 三流代弁人なんかじゃありません! 僕達法学生にとっても、貧しい人々にとっても、なくてはならない方なんです!」
「その割に夜逃げ人生続けてるよね? 弟子だって皆、あの先生に見切りをつけていなくなったと……」

「違いますっ!」

 一際大きく叫んで、ロミオは唇を噛んだ。それから気を落ち着けるように大きく肩を揺らすと、ほう、と息を吐き出した。

「違います。先生の弟子は、誰一人として先生の側を離れようとしませんでした。でも先生が……ラドフォードで権勢を張る大商人や貴族達を敵に回した自分の側にいては、法学者として立ち行かなくなる。身の危険も考えられる。だから自分を見限れと、そう…仰ったんです。先生が自ら師弟の縁を切ったのです。先生の弟子は皆……」

 悲しげに眉を曇らせ、わずかに言い淀んでから、ロミオは再び口を開いた。

「皆、貧しかったり、人に言えない事情を抱えていたり……ろくに束脩も出せないような人ばかりでした。でも皆一生懸命だった。先生の教えを受けて、貧しい人や苦しむ人を助けられる立派な法学者になろうと、本当に懸命に勉強してました。そして皆、先生を尊敬していた。先生は、一見すると確かに、その…あまり見た目が良いとは言えませんし、品も良くないし、言葉遣いも……でも、本当に素晴らしい方なんです! 長く先生の下で学んだ高弟達は、そこらの金持ちお抱え代弁人など足元にも及ばないほど立派な法学者でした。先生も、お前たちは十分独り立ちできる。いつまで俺の側にいるんだと笑っていたくらいで……。皆、先生の側を離れたくなかったんです! ずっと先生と一緒に勉強して、働いていたかったんです。だけど、先生に説得されて泣く泣く……」

「君は? どうして君だけが先生の側に残ることになった訳?」
 村田にいきなり質問されて、ロミオは鼻白んだように眉を顰めた。
「僕のことなんて、どうでも良いでしょう?」
「うん、そうだね。これはただの好奇心。それで? どうして君は残ったのかな?」
 ロミオの端正な顔が、紛れもない嫌悪に歪んだ。
「……あなた、友達少ないでしょう?」
 村田の背後で、誰かの「ひぃ」という声がした。
「そんなの、数いれば良いってもんじゃないよ。友達は、本当に心の許せる親友が1人いれば充分さ。そして僕には、最高の親友がここにちゃんといる。そういう点で、僕はとっても幸せ者だと思ってるよ?」
 隣でユーリが、ほわぁと笑みを浮かべて、うんうんと頷いている。
 その様子に、ロミオが忌々しそうにそっぽを向く。
「僕は先生に拾われるまで、法学者なんて存在は知りませんでした」
 ユーリ達から目を背けたまま、ロミオが話し始めた。
「拾われた?」
 ええ、とロミオが頷く。
「僕は君が貴族なんじゃないかと思ってたんだけどね」
 村田の突然の発言に、ユーリ達も驚いたが、ロミオはさらに驚愕したらしい。とっさに村田に顔を向けると、まじまじとその顔を凝視し始めた。
「…ど、どうして……」
「何となく。そんな気がした」
 再び目を瞠って、ロミオが村田を見つめる。だがその表情は、つい今しがたの嫌悪感が薄れ、ただただ驚いている、という様子だった。
「……仰るとおりです。父に言わせると、元を辿れば十貴族の係累だそうですけどね」
 へえ、と、今度はユーリ達が驚いた。
「とは言っても、とっくに没落しています。祖父の代には家もわずかな土地も全て手放したそうですし。父は酒造業者に雇われて、酒蔵の番人をしてましたよ」
 それはまた…と誰かが呟く。
「ついでに、酒蔵の酒を横流しして、小遣い稼ぎもしてました。見つかってしまいましたけど」
 今度は誰も言葉がない。
「その金を返すことになって、父は売り飛ばせる最後のものをついに売る決心をしたんです。つまり、息子の僕をね」
 僕はまだ60歳になってませんでした。
 何となく雰囲気が重くなってきたユーリ達一行を見て、ロミオは小さく笑った。身の上話で逆襲する気になったらしい。

「父は僕を淫売宿に売り飛ばしました。そして受け取った金を持って、とっとと逃げました。今はどうしているのやら。生きているのか、のたれ死んでいるのかも分かりません。で、僕はめでたく男娼の仲間入りをしたわけです。といっても、僕は元々可愛げのある方じゃありませんでしたからね。大人しく客に奉仕するなんてどうしてもできなくて、店の者にもお客にも、暴れるは引っ掻くは刃物は振り回すはの、とんでもない問題児でした。そしてついには隙をみて、宿を逃げ出しました」
 そしてすぐに捕まった。
「僕は宿の似たような境遇の子供達の前で、裸に剥かれて鞭で打たれました。逆らうとどういう目に会うか、見せしめですね。僕の身体には、その時の鞭の跡が残ってますよ。そして……身体中血まみれになって、もう自分はきっと死ぬんだと思ったその時……先生が飛び込んできてくれたんです。夫人の目を盗んで、馴染みの女にでも会いにきてたのか……」

『てめぇらっ、子供に何をやってやがるっ!!』
 怒りに燃えて飛び込んできた男の姿は、ロミオの霞んだ視界にそれこそ獰猛な獣が突進してきたように映った。
『ちょいと旦那、妙な真似は止めて貰いましょうかね。こいつはウチが高い金を出して買ったガキだ。生かすも殺すもこっちの勝手。とっとと出てって、女でも男でも買って楽しんでって下さいよ』
 バカ野郎っ!! 凄まじい叫びを上げた男は、小柄な身体でドンっと床を踏み鳴らした。
『そもそもこんな年端もいかねえガキを買うって事自体が違法だろうがよっ! それをてめぇ、生かすも殺すも勝手だとぉ!? ふざけるのも大概にしやがれっ! この世に人の命を勝手にできるヤツなんぞいやしねえんだよっ! 罪を犯しておいて、何を余裕ぶっこいてやがる! おまけにこれは紛れもねぇ傷害、いや、殺人未遂の現行犯だぞ! 俺が告発すりゃあ、てめぇら全員鉄格子の向こう行きだ!』
『おっとっと、旦那、よしなせえよ』
 へらへらと店の男達が笑い出した。
『この店はねえ、ドルガン様に色々とお世話になってましてねえ。ご存知でしょ? あのドルガン様ですよ。妙な真似をなさると……』
『おきやがれ、バカ野郎共が! この俺を誰だと思ってやがる。法学者ハウエル・ハウランだぞ! おお、そうかい、あのドルガン様かい。だったらそのお方も含めて、全員動かぬ悪事の証拠を並べて告発してやるから楽しみにしてやがれっ!』
 ロミオの耳が捉えた会話はそこまでだった。後は意識をなくして覚えていない。
 次にロミオが目を覚ました時、彼はハウエル先生に背負われ、どこかに向かっていた。

「運ばれたのは先生の家でした。傷がもとで高熱を出した僕を、先生と奥様と、それから弟子の人達がずっと看病してくれました。以来、僕は先生のお側にいます。子供の頃は、読み書きのできない貧しい子供達に文字を教えて、少し成長してから本格的に先生の弟子に加えてもらいました。……先生は僕も信頼できる法学者に預けようとお考えになったらしいですが、一緒にいさせて欲しいと必死でお願いしました。奥様もお嬢さんも、僕は弟子というより家族だからと先生に口ぞえして下さり……現在に到るというわけです」

 好奇心は満足されましたか?
 皮肉な目つきでそう言うロミオに、村田がにっこり笑って頷いた。

「人に歴史ありって至言だね。うん。十分満足したよ。欲しいと思ってた情報も貰ったし。ありがとう、ロミオさん。君、もう帰っていいよ」

 すうっとロミオが息を吸う。その顔が怒りに青ざめるのを、ユーリはハラハラと見守っていた。

「…………先生を、代弁人に推挙するのを止めてください……!」
「断る」
「……あなた、本当に………性格が悪いと言われるでしょう? あなたを嫌っている人が、周囲にかなりいると思いますよ」
「とんでもない!」
 村田が朗らかな笑顔で青年を見上げた。
「僕は皆から愛されてるし、尊敬もされているよ! ね? 皆、そうだよね?」
 村田がひょいと振り返れば、コンラート、ヨザック、透の3名が必死の形相で頭を振った。こんな勢いで振ったら、脳にも頚椎にも良くないんじゃないかな? と、ふとユーリが心配するくらいに。
 その様子に、わざとらしく肩を竦めると、ロミオはふんっと鼻を鳴らして踵を返した。そしてそのまま足早に去って行った。

 ふふ、と村田が笑っている。
「………村田ぁ〜、お前さあ……」
「いいねー、若いねー。……うん、結構気に入ったな、僕」
「若いねって……。気に入ったって、ロミオさんのこと?」
「彼も、あの先生もね」
「……お前さあ、気に入った相手にああいう態度はさあ……」
「どうしてかなー、気に入るとついつい苛めたくなっちゃう人っているんだよね」
 にこにこ顔でそう答える村田に、ユーリが思わずため息をつく。
「あのぉ、猊下、1つ質問してもよろしいでしょうか…?」
「はい、どうぞ、透さん」
「はぁ、その……気に入った相手を苛めてしまうとなりますと、ではその…気に入らない相手はどうなされるのでしょうか……?」
「苛め倒す」
 二度と起き上がれないように。
 横目でちらりと透を見遣った村田の唇の端が、きゅうっと持ち上がるのを目にした瞬間、透は背筋を冷たいものが一気に駆け上がっていくのを感じた。ぞくりと身体が震える。
「あ、大丈夫だよ、透さん」
「……な、何が、でしょうか……?」
「僕、透さんのことをとっても気に入ってるけど、苛めの対象じゃないから。これも人それぞれだね。やっぱり人徳の問題かな。だから安心してね?」
「……………あり、がとうございます。光栄です……」
 語尾が擦れて消えていく透の両肩を、コンラートとヨザックがぽんぽんと優しく叩いた。


「では、陛下、猊下、あちらの路地に入って頂きたいのですが…」
「路地? あの細い道? コンラッド、どうして……?」
「はい、実は、先ほどからずっと、殺気にも似た……」
「殺気!?」
「いえ、それほど強い情熱的な眼差しが、こちらを窺っておりまして……」
「どこから!?」
「上空から、です」
「…………え?」
「とにかく人目がありますので、とりあえず路地へ」

 コンラートの言葉に透が周囲を見回せば、確かに街の人々がちらちらとこちらの様子を窺っている。おそらくロミオと立ち話をしていた時から注目されていたのだろう。この辺りでは、あの一家の顔はよく知られているだろうから。

 コンラートに促され、路地に入った一行は、薄暗い壁と壁の間の空間で立ち止まった。ユーリがコンラートの顔を見上げる。
「コンラッド、それで一体……うわっ!」
 透の耳に、バサバサッという乾いた音が飛び込んできた、まさしくその瞬間だった。
「っ! へっ、陛下…!?」
 ユーリの顔が、何か大きなものに覆われているではないか!
 ユーリの腕が、わたわたと振りたくられる。と見た次の瞬間、コンラートが布を広げ、あっという間にユーリの顔を覆う何かを包み込み、引き剥がした。
 布はコンラートの上着だったようだ。コンラートはそれで包んだものを腕の中に抱え込んでいる。
 ちなみにそのモノは、コンラートの腕の中で全力で暴れている。ぐきょーとか、くあーっとか、くぐもった喚き声も聞こえてくるところから推測するに、一応生き物らしい。
 ぷはーっとユーリが大きく息を吐き出した。

「……コンラッド、それ…ザイーシャ、だよね? もしかして…おれ達の後を追いかけてきたのか!?」
「追いかけてきたというか、上空からずっとついてきていたというか…。それにしても、この狭い空間で一直線に陛下のお顔に突進ができるのですから、なかなか身体能力が高いですね」
 感心しました。にこにこと笑って頷くコンラート。
「まったくもう……。置いてけぼりにしたのが寂しかったのかな?」

 ザイーシャ。呟いて、透はようやくその名前を記憶の棚から引き出した。
 アシュラム公領という小国の守護鳥とされる黄金の鳥だとか。悪を撃退する神鳥といわれているらしいが、たまたま出会って以来、ユーリにすっかり懐いてしまったのだと聞いた。
 コンラートの上着の端から、確かに猛禽類と思しき足が、じたばたと動き回っている。
「あの事件の時に、陛下をお助けしたという鳥ですね?」
「実際に助けたのはウェラー卿だけどね」透の質問に、村田が答える。「犯人に襲い掛かるというド派手な活躍が報道されて、すっかりお手柄を奪い取っちゃったんだよ」
 ね? ウェラー卿。笑いを含んだ声で問い掛けられて、「それはどうでも良いことです」とコンラートが答えた。全力で暴れる鳥をがっちりと押さえ込むのはかなり力が必要だと思われるが、コンラートの顔も声も全く平静だ。
「陛下さえご無事であれば。……ザイーシャ」
 ふいにコンラートが、腕の中で暴れる鳥に向かって呼びかけた。

「お前は、陛下にご迷惑をお掛けしたいと考えているのか?」

 鳥にそんな真面目に話しかけてどうするんだろう? と。
 透が疑問に思ったその時、暴れていた鳥がぴたっと動きを止めた。

 ………ぐ、偶然、だよな……。

 どきりと鳴る胸を押さえて、透はコンラートの腕の中、上着に包まれたモノを見つめた。

「お前は王都では有名な鳥だ。その色が何より目立つ。お前が陛下にこのような場所でまとわりつけば、陛下の御身分が明らかになり、御身が危険に晒される。陛下を危険な目にあわせたいと思うか?」

 信じられないことに。透はごくっと喉を鳴らした。
 コンラートが押さえている鳥の、おそらく頭に当るだろう部分が、ふるふると横に振られたのがはっきり分かった。

「陛下に、無事に城に戻って頂きたいな?」

 こくこくと、小さい頭、らしき部分が頷いている。

「利口だなー、ザイーシャは!」

 ユーリが弾んだ声を上げた。……利口で済むのだろうか…?
 ユーリの褒め言葉が聞こえた、のだろう、上着の下で羽と思しきものがはたはたと動いている。と思ったら、コンラートが改めて両腕でがっちりとその動きを抑えた。

「駄目だと言っただろう? ザイーシャ?」

 まるで恋人にするような甘く優しい囁き。なのになぜか、透の背筋が先ほどの大賢者に対して感じたのと同じ冷気に震えた。
 どうなんだろう。あんなに穏やかな表情なのに、腕に籠もる力が並大抵じゃない気がするのだが。
 ギリギリと締め上げられて、上着の下から唯一見えるあの鳥の足が、引き攣って開いて……痙攣しているように見えるのは気のせいなんだろうか。まさかと思うけれど、あの鳥、絶賛絞め殺され中だったりすることは……。
 コンラートが気づかないはずはないと思うが、一応注意しておいた方がいいのだろうか?
 透はコンラートに向けて、おずおずと口を開き、かけたところで、誰かに腕を掴まれた。

「……ヨザック……?」
「止めとけ」
 と、止めるということは、この男もちゃんと気づいているということだ。
「幾らなんでも、坊っちゃんの見てる前でやりゃしねーよ」
「………それって、見てないところだったらやりかねないって言ってるように聞こえるんだけど?」
 ヨザックは無言のままで肩を竦めた。

「へい、いえ、坊っちゃん、コレは俺がちゃんと運びます。いつまでもこのような場所にいては危険ですので、そろそろまいりましょう」
「うん、そうだね。ザイーシャ、聞こえるか? ちゃんといい子にしてろよ? コンラッド、頼むな?」
「畏まりました、坊っちゃん。大丈夫です。ザイーシャは利口ですから、ちゃんと大人しくしてくれます」

 それは利口だから大人しくしてるんじゃなくて、命の危機の瀬戸際で、意識をなくしかけているってことじゃないでしょうか…?

「眞魔国で焼き鳥を楽しむ日も近いかな? 神楽坂で手に入れた、美味しいタレもあることだしねー」
 くすくすと笑いながら、大賢者が路地から出るべく歩き出した。
 何だかなーと思いつつ、どうしてあの隊長が鳥相手に殺意満々なのか、後々のためにもヨザックに聞いておこうと、透は心のメモ帳に書き付けた。


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とにもかくにも進めて行こうと思います。
先生との出会いも終わって、次回からは新たな展開へ、のつもりです。
裁判になると、色々と問題も出てくるかと思いますが、どうかご容赦をお願い致します。
次回も頑張ります。
ご感想、お待ち申しております!