愛多き王様の国・2



 その日の午後のお茶の時間。
 アシュラム公領のエヴァレット公女は、魔王陛下に招かれて血盟城の客間にいた。

「陛下、巫女様方のアシュラム派遣、まことにありがとうございます」
 嬉しそうにそう述べるエヴァレットに、魔王陛下は手にしていたカップを卓に戻し、「とんでもないです!」と表情を改めて答えた。
「友好条約が締結されてから何年も経ってるのに、巫女の派遣までこんなに時間が掛かってしまって……。聖地の探索に時間が掛かったのもありますけど、お待たせして済みませんでした」
 本当に申し訳なさそうに眉を落とす魔王陛下に、エヴァレットは微笑んだ顔のまま首を左右に振った。
「それこそとんでもございませんわ。他国の方々のお話を伺いまして、アシュラムはまだまだ恵まれているのだということも分かりましたし、そもそも、我が国の自然と大地を救って欲しいというのは、私達の勝手なお願いでございます。陛下には、他国を救う義務も責任もないのですから、そのようなお顔をなさるのはどうかお止め下さいませ。逆に申し訳ございませんわ。それに……」
 ふと言葉を切ったエヴァレットに、ユーリや、同席するコンラート、村田、ヴォルフラム、そして護衛としてその場に侍るヨザックとクラリスが視線を向ける。
「……不思議なものですわね」
 ふと笑みの形を変えて、エヴァレットが呟いた。
「エヴァ様…?」
 ユーリの呼びかけに、エヴァレットが顔を上げる。
「眞魔国と友好条約を結んだことがきっかけになって、私も、多くのアシュラムの国の者達も、他国の方々と交流することが叶いました。それで初めて、私達は自分達がどれほど狭い世界で、内向きになって生きてきたかを思い知らされたのです。魔族の方々とお付き合いをする決心をしてようやく、自分達人間の世界の実体を知ることができました。もし、あの時、陛下とお会いしなければ……私達はいまだに実体のない言い伝えや価値観に縋りついて生きていたでしょう。そして、いつか来る滅亡に身を任せることになったのです。あの時……ウェラー卿が天下一舞踏会に招かれることがなければ、陛下がフランシアにおいでになることがなければ、そして……アグネスと陛下がたまたまお会いすることがなければ……。時々そんなことを考えてしまうのです。世界を変える切っ掛けとは、ほんの些細なものから始まるのだな、と……」
 申し訳ありません、突然おかしなことを。そう言って、エヴァレットが照れくさげに笑った。
 そんな彼女に、いいえ、とユーリも笑いかける。
「エヴァ様の仰ること、おれも分かる気がします」
 答えたユーリとエヴァレットが、目を合わせて笑みを浮かべた。エヴァレットの背後では、乳母と乳姉妹のアグネスが深く頷いている。

「今日、アシュリー伯がお見えになるのでしたね」
 和気藹々と進むお茶会の中、ふと問い掛けたコンラートに、アシュラムの一行が「はい」と頷いた。
「巫女様を派遣して頂くに際して、父が責任者となりましたので、ご挨拶と、それから具体的な打ち合わせをしに参ることとなっております」
 アシュリー家の跡取り息子であるランが答えたと同時に、何か思い出した様にくすりと笑った。
「父には連れが……あるかもしれません」
「連れ? どなたかご一緒に?」
 コンラートに再び問われて、ランの笑みが深まった。
「ええ、まあ……ちょっと」
 悪戯っぽい笑いを見せながらも言葉を濁すランに、眞魔国の王と側近達が怪訝な眼差しを向けた。



 ケーン、と。
 青空を切り裂くようにその声が響き渡った。
 その瞬間、ウェラー卿コンラートの手が剣の柄に掛かった……。

 眞魔国とアシュラム公領が友好条約を締結し、交流を深め、理解を深め合って数年が経ち。いつしかアシュラム公領は、魔族の友好国の中でも、特に友情厚い国の1つに数えられるほどになっていた。
 もちろんその間、両国それぞれに様々な出来事が起こっている。
 関係者の間で最も話題となったのは、魔王陛下の身体の秘密が明らかになったことだった。男性でも女性でもあるというその事実は、人間の世界では古来から忌まわしいこととされている。だがそれも、結果として魔王陛下の神秘性を高めるだけの結果を生んだ。それからしばらくして、魔王陛下の側近中の側近であるウェラー卿コンラートが再度大シマロン、いや、かつて大シマロンであった土地に向かい、新たな国の建国に力を尽くすこととなった。ウェラー卿の尽力により、その広大な土地は新連邦として生まれ変わることとなる。その彼が帰国すると間もなく、さらに大きな話題が眞魔国とその友好各国を駆け巡った。
 魔王陛下と英雄であるウェラー卿の正式な婚約が発表されたのだ。
 第27代魔王陛下の御婚約発表が巻き起こした興奮の余韻がいまだ消えないこの時期。
 アシュラム公領にようやく大地を復活させるための巫女が派遣されることとなり、今日、そのためにアシュラムから特使がやってくるのだ。

「アシュリー伯、眞魔国にようこそ!」
 謁見の間ではなく、外まで出迎えてくれた魔王陛下の厚意に、アシュリー伯は破顔して、それから深々と頭を下げた。
「わざわざのお出迎え、恐悦至極に存じます、陛下、皆様方。まことにお久しゅうございます」
 伯とその背後に並ぶ随員達に頷きかけて、ではさっそく中へ、と魔王陛下達が動き始めたその時だった。
 その「声」が空間に鳴り響いたのだ。

「……今の、声!?」

 魔王陛下、ユーリが、ハッと空を見上げる。

「実は、魔王陛下を恋い慕っておりますものを、今回連れてまいりましたのです」
 アシュリー伯の声が笑っている。

 ケーン! 鋭い声と同時に、天空から1つの影が一気に地上に向かってきた。

「ザイーシャ!!」

 魔王陛下が影に向かって大きく腕を広げてその名を呼ぶ。

 影はすぐに1羽の鳥の姿となる。そしてその鳥は、大きな身体、黄金の羽を、傾きかけた陽射しに煌かせながら、魔王陛下に向かって一直線に飛び込んできた。

「ざい……っ、うぷっ、むぷぷ……!」

 ユーリの顔を、黄金の鳥の身体が覆っている。
 頭を羽でがっちり抱き締められ(?)て、ユーリはわたわたと手を振り回した。
 ……暖かくて柔らかいものでいきなり視界が覆われたと思ったら、目の前が真っ暗になってしまった。

「………あれは、陛下を窒息させて暗殺しようとしているんだな、そうだな、許しがたい犯罪行為だな、これはもうこの場で成敗を……」
「隊長、それ無理矢理だから、だから剣を抜くなってば!」
 ぶつぶつと呟いて剣を抜こうとする幼馴染を、ヨザックはとっさに押さえつけて止めた。
 ウェラー卿の目は完璧に据わっている。
「………たく、お前は坊っちゃん、いや、陛下の婚約者なんだぜ? もうちょっと心に余裕ってモンが持てねえのかよ…」
 周囲の空気をどす黒く染めている幼馴染に、ヨザックはげんなりとため息をついた。

 ぷはー、と息をついて、ユーリが腕の中の黄金の鳥、アシュラム公領の守護鳥ザイーシャの顔を覗きこんだ。
「ったくもう、いきなりなんだから、お前はー。でも……」
 久し振りだな、ザイーシャ!
 満面の笑顔でそう言うと、ユーリの腕の中でザイーシャがそっくり返って鋭い嘴を開いた。

 ぐるっぽぐるっぽぐるぐるぐるっぽ〜っ!


「ほう、これがアシュラムの守護鳥。話には聞いていたが、確かに神秘的な輝きだな。……うむ、これはかなり知能も高そうだ」
 ユーリの肩を当然の様に独り占めし、ふんぞり返る黄金の鳥に、宰相グウェンダルが感心したように言った。
「黄金の鳥とはまた見事な……! 猛々しいながらも、高貴な香りに溢れておりますね」
 このような鳥は初めて目にしました。
 同じく、しみじみとそう言ったのは王佐のギュンターだ。

 魔王陛下の執務室で、集まった人々の感歎の眼差しと賞賛の言葉に、ぐんぐんぐんと胸を張ったためだろう、ザイーシャの顔はついに天井を向いてしまっている。そろそろ肩から落っこちるぞ、とユーリが苦笑しながら言った。

「我が国の神殿が、代々その血を伝え続けてきた神鳥なのです。その目は悪を暴き、その爪は神の鉄槌となって邪を滅ぼす。悪を懲らす力を神より授けられた鳥であり、善なる者の守護者とされております。……魔王陛下にお会いして以来」
 説明するアシュリー伯が微苦笑を浮かべてユーリに視線を向けた。
「すっかり陛下に懐いてしまいまして、どうやら自分を陛下の守護鳥であると考えている様子でございます」
「それは蓋し慧眼と申すべきでしょう。神の鳥と呼ばれるのも無理なきこと…!」
 満足そうに大きく頷く王佐殿に応える様に、アシュリー伯も微笑みを浮かべて頷いた。
 視線の先では、魔王陛下がザイーシャの喉元を指で掻いてやっている。楽しそうな笑顔の魔王陛下と、その肩の上に満足気に落ち着き、まるで猫の様に目を細めているザイーシャを目にしながら、アシュリー伯は国を出立する直前の出来事を思い返していた。


「魔が降りたか! 魔に誑かされたか! 己が神に背く罪人となったことを自覚せよ! 己の命を持って、神と民に謝罪するのだ!」

 アシュリー伯が出立を前に、最終的な打ち合わせをするために神殿を訪れた時だった。
 大神官や高位の神官達を前に、どこか地方からやってきたのだろう、神官らしき男が口から泡を飛ばすように声を張り上げ、大神官たちを糾弾していた。
「………またか……」
 思わずため息が出る。
 すでに眞魔国と友好条約を結び、交流を始めて数年が経っている。
 国の中枢部、そして首都においては、魔族を魔物と忌避する声はほとんど消滅してしまった。むしろ、今時そんなことを口にすれば、どこの田舎者か、無知蒙昧の輩かとと笑われるのがオチだろう。
 眞魔国の高い文化はアシュラムでも様々な形で紹介され、実際民の生活に役立っているものも多い。技術や知識を学ぶため、眞魔国への派遣や留学を希望する若者は、年々数を増やしている。
 自分達の言い伝えは間違っていたのだと。それはすでに当たり前の認識として国の隅々に行き渡っている。と、思っていたのだが。
 時折、こうして過去の遺物のような者がやってきては、その怒りを大公や神殿にぶつけてくるのだ。
 神官らしき男の服は、薄汚れ、かなり草臥れてきている。
 その姿は、己の信仰を疑うことを恐れ、変化を恐れ、目も耳も心も全てを閉ざした挙げ句、どこにも行き場をなくしてしまった境遇の象徴の様にも思えた。
「そなた達には、申し訳ないと思っている。あまりにも……急激であったからのう……」
 大神官が苦しげに顔を歪めて言った。
「だが分かって欲しい。我等は知ったのだ。我等が伝え続けてきた『真実』が、全く真実ではなかったことを……。間違っていたと分かった以上、一刻も早く正さねばならん。どれだけ認めるのが辛くとも、それが国のため、民のため、この世界のため……」
「世迷言を申すな!」
 瘧の病に罹っているかのように全身を震わせて怒鳴る男に、大神官達が深々と息をついた。
 その時、外からザイーシャが大広間に飛び込んできたのだ。
「おお! ザイーシャ!」
 救い主を見つけたかのように、男が止まり木に羽を休めたザイーシャに駆け寄っていく。
「神よ! 偉大なる正義の使者よ! ここに貴方の意思を正しく知る者がおります! どうか我と共に来たれ! 真に正しき道をあゆまんとする神の戦士達が、貴方のその黄金の輝きに照らされる瞬間を待ちわびております! 何とぞ愛と正義と真実に生きる戦士達に、神の祝福を与えたまえ!!」
 男が大きく腕を広げ、止まり木の上から見下ろすザイーシャに熱っぽく潤んだ眼差しを向ける。
 それに対して、誇り高い「黄金の猛き翼」、その無表情ながらも強いザイーシャの眼差しが、汗ばんだ顔に媚びるような笑みを浮かべる男をじっと見下ろし、そして。
 ぷいっと、そっぽを向いた。
 その瞬間、アシュリー伯の脳内に「けっ!」と吐き捨てる声が聞こえた様な気がしたが……幻聴だ幻聴だと自分に言い聞かせる。
「おお、ザイーシャよ! 背徳者に罰を与えよ! 魔の闇を光と見間違えた愚か者を、それでも神官の衣を脱がぬ恥知らずを、その爪にて断罪せ……!」
 諦めることをしない男の声が、唐突に止まった。
 おや、とアシュリー伯が覗き込むと……。

 ザイーシャの容赦のない足が、剥き出された爪が、男の顔をげしっと踏みつけていた……。

「ザイーシャを眞魔国に連れて行ってやってはくれませぬか」
 大神官の言葉に、アシュリー伯は驚いてその顔を見返した。
「しかしザイーシャは我が国の守護鳥……」
「どんどん元気をなくしておりましてな。遠くを見つめては哀しげに鳴く日が続いております。なに、元気を取り戻してくれるのが一番。それには魔王陛下の笑顔が最高の薬でございましょう」
 なるほど、と答えながらも、アシュリー伯は表情を改めて大神官を見返した。
「……反魔族の一党が、ザイーシャを狙っているのですな」
 疑問形ではない。確認の言葉だった。先ほどの男の言葉からも、魔族と結ぶことを良しとしない組織が、ザイーシャを求めていることは容易に推測できる。
 大神官が、それでもさほど驚いた風もなく、苦笑いを浮かべた。
「あの者は、少々勇み足でございましたな。気の毒に。仲間の下へ戻れば、おそらく失態を責められましょう。……歴代のザイーシャの存在には、かつての魔族に対する言い伝えと並ぶ意義がございます。彼らにすれば、自分達がいかに正しい主張をしているかを証明するためにも、ザイーシャを必要不可欠と欲しているのでございましょう。確かに、肩にザイーシャを乗せて反魔族を唱えれば、それなりの説得力がないわけでもない」
「しかしそれも今さらですな」
 今さら、魔族と結ぶ以前のアシュラムに戻ることなどできない。
 アシュリー伯の言葉に、大神官も大きく頷いた。
「我等は間違っていた。それを認めるのがどれほど苦痛であろうと、過ちは認めなくてはなりません。それが民を導く者の義務です。それに、眞魔国から伝えられた最新の技術は、確実に民の生活を向上させております。汚水を浄化する技術のお蔭で、川や湖の水も同時に浄化されました。毎年村々を襲っていた疫病も一気に終息した。……まったく、魔族のお蔭で病がなくなるなど、昔の我等であれば一笑に付しておりましたでしょうな」
 しみじみと、アシュリー伯も頷いた。
「ザイーシャを眞魔国へ連れてまいるのは、その者共の手からザイーシャを護るために?」
 はい、と大神官が頷く。
「眞魔国に入り、魔族と交わったとなれば、ザイーシャの、まあ、彼らが期待するところの『神鳥』としての意味はなくなると考えてよいでしょう。こういう言い方はしたくありませんが、彼らはザイーシャが魔族に汚されたと考えるでしょう。そうなれば、ザイーシャを我が物にとはもう考えますまい」
「なるほど……。しかし、神殿としてそれは……」
「ザイーシャは魔王陛下がこの世界にとってどのような意味を持つ存在であるかを、ちゃんと分かっております。魔王陛下の存在意義を見極めることができるからこそ『神鳥』。我等はそのように考えております」
「………確かに、承りました」
 アシュリー伯は立ち上がり、深々と頭を下げた。そして止まり木に止まって、じっと自分を見下ろすザイーシャに歩み寄った。
「ザイーシャ、私と共に眞魔国へ、魔王陛下の下に参るか?」
 途端、ザイーシャがケーン! と鋭く鳴き、黄金の巨大な翼を大きく広げた。そして…。
「………喜んでいるようです、な……」
 まるで踊るように翼を振り回し始めた『神鳥』に、アシュリー伯と大神官は思わず深々と息を吐き出した。
 ザイーシャは、獰猛なまでに猛々しい、それでも無表情のまま、ばっさわっさばっさわっさと跳ね回っている……。


「陛下、そろそろ王都ぷらざに向かわれるお時間でございます」
 フォンクライスト卿の言葉に、うん、とユーリが頷いた。
「そっか、今日は展覧会の開催日だったな」
「お忙しいところお時間を頂き、光栄でございました、陛下。それでは我等はこれにて失礼を」
 アシュリー伯の言葉に促され、同席していたエヴァレットやランも立ち上がろうとする。
 そこへ、「あ、そうだ」と何かを思いついたらしい魔王陛下の声が響いた。
「エヴァ様、アシュリー伯もラン様も、一緒に行きませんか? 子供達の発明展が今日から街の王都ぷらざで始まるんです。子供達の発明品もなかなか見応えがあって、実用化されるものもあるんですよ! 魔族だけじゃなく、人間の子供達の作品もちゃんとありますし」
 ほう、とアシュリー伯が目を輝かせる。
「子供達の発明ですか。それは面白そうですな。ふむ……巫女殿との打ち合わせにはまだ時間もございますし、よろしければぜひご一緒させて下さい」
「私もあまり王都に出向いたことがございませんし、ご一緒させて頂きたいですわ」
 笑顔で頷くアシュリー伯とエヴァレットに、ユーリも嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、一緒に! ……あれ?」
 ふと見ると、ユーリのすぐ後ろ、ソファの背もたれに止まっていたザイーシャが「ぐるんぐるん」と喉を鳴らしながら頭をユーリの頬に擦り付けている。
「分かった分かった。もちろんお前も一緒だよ!」
 ぐるっぽー。ザイーシャが満足げに鳴いた。

「グリエ殿」
 魔王陛下の女性護衛官、クラリスがヨザックに囁きかける。
「隊長ががんがん殺気を飛ばしているのですが……」
「どういう権利があって陛下の頬っぺたに頬刷りなんかしやがるんだ、このクソ鳥! ってトコだろうな。いずれ雌雄を決するつもりなんじゃねーの?」
「………鳥とですか?」
「こと陛下に関しちゃ、相手が鳥だろうが猫だろうがクマハチだろうが関係ねえし。陛下をお護りするためなら相手が何者であろうと容赦はしない。ほら、立派だろう? さすが俺達の隊長」
「……何気にバカにしてますよね」
「隊長を? それこそバカを言うんじゃねえよ。俺は感動してんのさ。ずっと心を閉ざして自分を見せないようにしてきたあの隊長が、ああも情けないトコや大人気ないトコやヘタレなトコやおバカなトコをさらけ出すようになっちまった。我等が魔王陛下の何と偉大なことか! ってな」
「……そっちですか」
 ふう、とクラリスがため息をついた。
 と、同時に。

「失礼致します!」
 声と共に扉が開いた。
「どうした?」
 有能な軍人以外の何者でもない顔で、コンラートが立ち上がる。衛士と共に姿を見せた兵は、王都警備の、すなわちコンラート配下の兵だった。
「はっ、あの……」
 敬礼した後は、賓客の姿に遠慮しているのか、口ごもる配下の兵にコンラートは足早に近づいていった。そしてしばらく会話を交わした後、踵を返してユーリの下に戻った。
「コンラッド?」
「申し訳ありません、陛下。王都守備隊から緊急の報告がまいりまして……」
「では、私どもは失礼させて頂きましょう」
 アシュリー伯が気を利かせて言葉を挟んだ。
「お出掛けのお時間になりましたら、どうかお声をお掛け下さい」
 アシュラムの一行は今度こそ立ち上がり、魔王陛下とその側近達に一礼して部屋を出て行った。

「不穏な情報だと!? それはどういうことだ!」
 宰相グウェンダルの厳しい声に、その場の空気がぐっと緊張感に包まれる。
「それがまだ分からないんだ。そうだな?」
 コンラートが振り向いた先には、報告にやってきた王都警備の兵が直立不動で立っている。
 はっ、と、兵が畏まって答えた。
「出自を明かさぬ人間の男が先ほど警備本部にやって参りまして、眞魔国に非常な危険が迫っている、自分はその情報を持っているが、あまりに重大な情報なので、最高責任者以外には話せないと申しております。それで閣下にご報告に上がりました!」
「人間で、何者かも明かさないというところが気になるが、とにかく俺が行って話を聞いてみないことには始まらないと思う」
「確かに」グウェンダルが頷く。「ではコンラート、お前は警備本部へ出向いてその男の話を聞いてきてくれ。陛下、それでよろしいな?」
 確認されて、「うん、もちろん」とユーリも頷いた。
「申し訳ありません、陛下。これからお出掛けなのに、護衛の任が果たせませんが…」
「大丈夫だよ、コンラッド。ヨザックやクラリス達もいてくれるし。っていうかー……」
 おれ、コンラッドのこと、もう護衛だとか考えてないんだけど。
 ちょっと照れくさそうにそう言うユーリに、コンラートが一瞬きょとんと目を瞠る。
 それからかすかに頬を赤らめると、これもやはりどこか照れくさそうに頭を掻き始めた。
 ゴホンっ! と苛立たしげな咳払いの音が響く。
 ハッと顔を向けた2人の前で、口元に拳を当てたヴォルフラムが思い切り目つきを悪くして立っていた。
「緊急事態ではないのか!?」
 弟の言葉に、コンラートが慌てて緩みかけた頬を元に戻す。
「で、では、行ってまいります。ヨザ! クラリス! 後を頼むぞ!」
 へーへー。ひらひらと手を振るヨザックを一睨みして、コンラートは部屋を飛び出して行った。
「……それじゃそろそろ出かける準備を……」
「ですが陛下」
 ギュンターがふいに言葉を挟んできた。
「齎された情報とやらが気に掛かります。陛下、万一ということもございます。本日のお出掛けは見合わせた方が……」
「大丈夫だよ、ギュンター!」
 慌てたようにユーリが声を上げた。
「まだ何も分かっていないんだろ? それに、子供達から届いた手紙、ギュンターも読んだだろ? 皆、おれが会場に行くのを皆楽しみにしてくれてるんだ。おれは行くよ!」
 それは仰せの通りですが…と眉間を曇らせる王佐に、グウェンダルも「確かに」と眉を顰める。
「コンラートが戻るのを待ってはどうだ?」
 顔を覗きこんでそう尋ねる宰相に、ユーリは力いっぱい首を振った。
「それじゃ遅いって! なあ、大丈夫だよ。報せが入っていきなりどうこうなんて、ないってば! それに皆がしっかり護ってくれるし! な? いいだろ? な? グウェン、ギュンター、ヴォルフも!」
 名指しされた3人が顔を見合わせ、やがてそれぞれが小さくため息をついた。
「まあ確かに、いきなり何が起こる、ということもない…だろう、な。おそらく」
「僕もしっかり側におりますし、大丈夫です、兄上」
「……そう、ですね。ヴォルフラム、しっかり陛下をお護りして下さいよ」
「じゃっ、じゃあ、おれ、着替えてくるから!」
 3人の気が変わらない内にと、ユーリは部屋を飛び出していった。ヨザックとクラリスがすぐ後を追う。
 主の後姿を見送った3人の側近達が、申し合わせた様に笑を浮かべた。
「陛下は子供達の期待を裏切るまいと、一生懸命でいらっしゃいますね」
「おかげで側にいる者は苦労する」
「それがユーリの良いところです。……では兄上、僕も出かける準備をします」
 一礼して部屋を出て行くヴォルフラムを見送って、グウェンダルとギュンターは改めて顔を見合わせた。
「……ヴォルフラムは、心の整理が完全についているのでしょうか……?」
「あれも、私が思っている以上に成長しているようだからな」
 ふん、と息を吐いて、グウェンダルは書類の山が待つ席に戻った。
「こればかりは、傍がどうこう口を出してどうなるものでもあるまい。まして……」
 当事者の一方もまた、グウェンダルにとって大切な弟なのだ。
 コンラートが己の感情を殺すことなく、愛する人と幸せになってくれることをグウェンダルはやはり心から願っていたのだから。
「結局はなるようになる。私達にできることは、見守ることだけだ」
 羽ペンを手にするグウェンダルに微笑み掛けながら、ギュンターもまた仕事に戻るべく席に向かった。
「そうですね。皆が幸せになるよう、温かい眼差しで見守り、支えてまいるのが私達年長者の役目です」
「………そこまで年を取った覚えはないぞ」
 憮然と言うグウェンダルに、ギュンターが小さく笑った。

 その時、自分達がどれだけ油断していたのかを、彼らは後に心底悔やむことになる。


 王都ぷらざは、王都の外れにできた巨大な建物だ。
 中には、民が自ら主催し、参加できる各種展覧会や展示会、演劇や音楽会、舞踏会などが開催できる大中小の広間と劇場、そして商盛会や自治会などの様々な組織や趣味の会が集まって活動できる部屋がいくつもある。
 王都ぷらざは事前に申し込みさえすれば、民が自由に利用することのできる大変便利な施設なのだ。
 その王都ぷらざで、その日から眞魔国と人間の子供達から寄せられた発明品の展示会が開催される。
 その開会式に、魔王陛下が出席することになっているのだ。

 王都プラザの正門前に馬車が到着し、中から漆黒を纏った美貌の少年が姿を現した瞬間、待ちわびていた人々から一斉に歓声が上がった。
「陛下! 魔王陛下!」
「魔王陛下、万歳!」
「眞魔国、万歳!」

 正門から、ぷらざの正面玄関に到る前庭、その中央を突っ切る舗装された道路の両側には、おそらくずっとユーリの到着を待っていたのだろう子供達と、その親や関係者である大人達がぎっしりと並んでいる。
 彼らが一斉に顔を輝かせ、ユーリを呼び、手を降り始めた。

 彼らの声に紛れるように、上空から「ケーン」という鋭い鳴き声が聞こえてくる。
 人々は気づいてもいないが、クラリスは顔を上げ、天空高く円を描くように飛ぶ鳥の姿を見つけていた。
「……てっきり陛下の肩の上でふんぞり返っているかと思いましたが……」
 意外そうな声に、ヨザックも笑いながら頷いた。
「俺もさ。あの鳥なら絶対そうするだろうと思って、こいつぁ隊長がどう出るだろうと楽しみにしてたんだがなー」
 コンラートは王都警備大隊の本部へ向かい、ザイーシャはいざ城を出ようとしたところで空へ飛び立ってしまった。馬車の後を追ってはきたようだが……。

 ま、いいさ、と、ヨザックは至高の主の姿に視線を戻した。

 慌てる必要もなく、ユーリは手を振る子供達に手を振り返し、花束や心づくしの品を捧げようとする子供の姿を見つけてはその場に歩み寄って、満面の笑みを浮かべながら自ら贈り物を受け取っていた。
 魔王陛下がその気さくな人柄から、身分の低い者とも快く触れ合うことを知っている民は多く、贈り物を抱えた子供達の数も多い。
 魔王陛下の歩みは自然と鈍くなる。
 そんなユーリのすぐ傍らには、同行者としてアシュラムの公女エヴァレットとアシュリー伯、その息子のラン、そしてエヴァレットの乳母と乳姉妹のアグネスが、護衛としてヨザックとクラリス、そしてヴォルフラムがついていた。そしてわずかに離れた前後を、クラリスの部下である女性親衛隊員現在6名が分かれて護っている。

「ありがとう! これは君が彫ったの?」
「はいっ!」瞳を輝かせ、頬を真っ赤に染めた少年が、大きな声で応える。「僕、将来彫刻家になりたいんです!」
「すごいな! 未来の芸術家だな!」
 おざなりでないユーリの言葉に、少年の幸せそうな笑顔がさらに輝きを増した。
「芸術が盛んな国は、平和的な文化国家の証明だ。勉強と修行を欠かしてはならんぞ!」
 眞魔国の現代芸術を背負って立つと自負するフォンビーレフェルト卿が、後輩に威厳をこめて訓示を垂れる。
「はい! 僕、一生懸命頑張って、立派な芸術家になります! ありがとうございますっ、陛下、閣下!」
 直立不動で声を上げる少年に、ユーリとヴォルフラムが大きく頷いた。 

 その頃。
 このところ少々幸せボケがきてるんじゃないかと幼馴染に心配されているウェラー卿は、王都警備大隊の本部にいた。
「俺に会いたいという人間の男はどこにいるんだ?」
 司令官の質問に、その場にいた兵士達が困ったように顔を見合わせた。
「そ、それが……。そこに座らせておいたのですが、いつの間にか姿が見えなくなって……。あ、あの、申し訳ありません。問題はないと考え、特に見張ってもおらず……」
 困り果てた兵士の声を聞き流しながら、コンラートは男が座っていたという訪問者用の椅子を見つめていた。
「……まさか……」
 無意識に呟いて、それからコンラートはハッと目を瞠った。
「しまった……!」
 閣下! 叫ぶ部下の声を背に、コンラートは本部を飛び出した。

「陛下、よろしければ私共もそれを少しお持ちいたしましょうか?」
 エヴァレットが笑いながらそう言い、手を差し伸べてきた。それにユーリが申し訳なさそうに首を振る。
「ありがとうございます、エヴァ様。でも、なるべくおれが持っていたいんです。皆、おれのために一生懸命考えて贈ってくれたものだし……」
 そう答えるユーリの腕の中には、子供達からの贈り物が零れんばかりに抱え込まれていた。
 ヴォルフラムが途中で半分受け持ったが、すぐに腕一杯になってしまう。とはいえ、ヨザック達護衛の手を荷物で塞ぐ訳にはいかない。ユーリに付き合って荷物持ちができるのは、せいぜいヴォルフラムくらいだ。
 途中で、見かねた王都プラザの関係者が飛んできて荷物を受け取ろうとしたが、ユーリはやはり首を振って断っていた。せっかく贈ってくれた物を、贈り主の目の前でさっさと人に渡してしまうのはどうにも気が進まない。せめてプラザの中に入るまで、なるべく自分と、自分の側近として顔も名も知られているヴォルフラムとで持っていたい、と訴えたのだ。
 感激したプラザの職員達は、いつでも役目が果たせるよう、今は魔王陛下の側に侍っている。
「……とはいえ、ユーリ、まだ半分も進んでいないぞ。いい加減、前の分だけでもこの者達に運んでもらおう。それに、お前も手を空けないと、新しい贈り物を受け取ることができんだろうが。ほら、そこの子供が贈り物を出して良いのか悪いのか、困った顔で見ているぞ」
「た、確かに……」

 フォンビーレフェルト卿の言葉にようやく納得したのか、腕一杯に抱え込んでいた贈り物の山をぷらざの職員に手渡す魔王陛下の姿を、ヨザックは微笑ましい思いで見つめていた。
 心優しくて、一生懸命で、でもちょっとヌケたところのある魔王陛下は、どこもかしこも可愛らしい。
 改めて子供達から贈り物を受け取り、会話を弾ませる至高の主とその周辺に、ヨザックが笑みを浮かべながらも注意深く目を配っていたその時。
「グリエ殿。グリエ・ヨザック殿」
 ふいに名を呼ばれた。成人の、男の声だ。
 意味ありげな声に周囲を見回すが、目に映るのは笑顔の子供達とその親ばかりだ。
 ……だが、気のせいってこたぁあり得ない、し……。
 再び魔王陛下の姿を確認し、それからもう一度周囲を見回す。
「グリエ殿。こちらです。グリエ殿」
 やはり声がした。……微妙に、前に聞こえた位置とズレているような気がする。
「……グリエ殿、今誰かが呼びませんでしたか?」
 近くにいたクラリスの耳にも入ったのだろう、近づいてきたと思ったら、眉を顰めて囁きかけてきた。
「どうも、この場に相応しからぬ雰囲気の声、だったように思いますが……」
「ああ、お前さんもそう感じたか? 俺も……妙に切羽詰ったような声に聞こえたんだが……」
 さらに注意深く辺りを見回すと、笑顔の大人達がぎっしりと並んだその隙間から、暖かい陽気にそぐわない厚手の布を頭から被った人…男、らしき頭部が見えた。
「……あの男…?」
 陛下から目を離すなよ。そうクラリスに言い置いてヨザックが足を踏み出すと、その男らしき人物は小さく頷くように頭部を動かし、それからすっとその場を離れた。
 誘っている。そう判断したヨザックは、沿道の人々を掻き分けて男を追った。

 クラリスの目の前で、魔王陛下がまたも別の子供から花束を受け取っている。
「ごこんやく、おめでとうございます、へいか!」
 一生懸命練習したのだろう、一言一言、懸命に言葉を繰り出す少女に、魔王陛下が本気で照れている。
「どうもありがとう!」
 花束を受け取って、少女の頭を撫でると、ようやく緊張の解れた少女がパアッと笑顔になった。
「陛下、本日はウェラー卿はご一緒ではないのですか?」
 母親が思い切ったように声を掛けて来た。どうやら2人が一緒にいる姿を見たかったらしい。
「コンラッドは、あ、えーと、ウェラー卿は仕事でこれないんです。ごめんね?」
 とんでもございません! と、真っ赤になった母親とその友人らしき女性達が一斉に胸元で手を振った。
「陛下、どうかお幸せに!」
 勇気ある女性達の声が続く。
 ありがとー! ユーリが大きく手を振って応える。
 平和な光景に、クラリスの胸もほんのりと温まる気がする。
 そうして。
 長い長い時間を掛けた道行きももう間もなく終り、あとわずかで正面玄関に入ろうという所まで来た時だった。

「結局またいっぱいになっちゃったな」
 笑ってユーリが言えば、同じだけの大量の贈り物を腕の中に抱えて、ヴォルフラムが重そうに天を仰いだ。彼らの後ろにはぷらざの職員達がずらりと従って贈り物を抱えている。
「後もう少しだ。こうなったらとことんやるぞ、ユーリ!」
「おう!」
 気合の入った陛下と閣下に、一体何をやるんだかとクラリスが吹き出した時。

「陛下!」

 弾むような少女の声がした。

 ユーリ達が一斉に顔を向けると、赤いドレスの少女がこれまた跳ねるように全身でユーリの注意を引いている。
 微笑ましい姿に、ユーリはにっこり笑って近づいていった。
 ユーリの側にはユーリと同じだけの荷物を抱えたヴォルフラム。
 そのすぐ後ろに護衛のクラリス。
 さらに後ろにアシュラムの一行と、贈り物を山と抱えたプラザの職員達。
 彼らを中心にして、離れた前後に親衛隊の女性達が3名ずつ。

 近づいていったユーリの目の前で、少女の身体がふいに浮いた。
 頑健な体つきの男が、笑顔で少女の脇に手を差し入れ、高々と抱え上げている。
「これの父親でございます」
 男が丁重にそう言った。抱え上げられた少女が、きょとんと顔を男に向ける。
「陛下、ぜひぜひ受け取っていただきたいものがございます」
 にこやかに言う男に、「はい」とユーリ、そしてヴォルフラムとクラリスが近づいていく。
「これで……ございます!」

 男が、勢いをつけて少女を放った。クラリスに向けて。
 きゃあっ! 少女の悲鳴が体と一緒に宙を飛ぶ。。
 唯一空手だったクラリスが、咄嗟に少女を受け止める。
 その瞬間。

「滅びよっ! 悪魔!!」

 いつの間にか肉厚な短剣を構えた男が、全身をばねに、ユーリに飛び掛った。

「ユーリっ!」
「陛下!!」

 愕然と目を瞠り、凍ったように立ち尽くすユーリ。

「世界のために!」

 死ねぇっ!

 あ、なまはげ。
 こんな状況で、ユーリの脳裏に浮かんだのはそんな馬鹿げた感想だった。
 鬼の形相で短剣を構え、自分に向かってくる男。
 異様にゆっくりと、その姿はユーリの目に映った。
 呪いのような男の言葉が胸に突き刺さる。
 そしてその言葉を追うように、刃が……。

 ケーンっ!
 善なる者の守護鳥が、天を引き裂くように鳴いた。


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やっと2話目です! ほんっとにお待たせ致しましたっ!
でも話は全然進んでないー……(涙)。

暗殺未遂事件というのは、事件そのものを発生させるのが結構難しいと書きながら気づいてしまいました。
だって側にはコンラッドもヨザックもヴォルフもクラリスも、それにこの時期ならクラリスの部下もいるはずですし、危険な人物がユーリに肉薄するなど、そうそうできるわけがない、と。
で、まあ、ちょいと苦しい気もするのですが、あのような形でユーリの周囲を手薄にしてみました。
でもやっぱり責任問題が生まれそうだなあ……。うーん。
陛下暗殺未遂というのが、ザイーシャに抱きつかれて窒息、というのだと……全然シリアスになりませんしねー。

ようやく時間のコントロールができるようになってきた…ような気がするので、次回はもっと早めにアップできる…んじゃないかなーと思います(…あ、すごくいい加減な…)。
次回こそリクエストの本題に入れるように頑張ります!
ご感想、お待ちしております。