「……うわ、あ……」 「すご……」 「信じられない……」 考えるより先に、口からあふれ出るため息と言葉。 僕達はその「宝物」の周りに集まって、ただ呆然とそれを見つめていた。 「……きれいだ。ホントに……きれいだぁ……」 魂を抜かれたように呟くミツエモンの声に、僕もただ頷くことしかできない。 課題を必死で仕上げた後は、取り急ぎこの後の対策を検討した。上流貴族組のヤツらが僕達を罠に嵌めようとしていることが分かった以上、僕達もできる限りの対抗措置を取らなくてはならない。 タウシュミットの宝物を護るのは、1班2時間となっている。僕達8名の間では、中流地方貴族達の後を受け、先ずエドアルド達が警護をし、その後を僕達平民組が担当することになっていた。終わる頃には夜も白々と明け始めるだろう。 エドアルド達のすぐ後を僕達が担当することになっているのを幸いに、この4時間を2班で分かれず、8人一緒に警護をすることに決めた。あいつらが何を仕掛けてくるか分からない以上、人数は揃っていた方がいい。 ……結局対抗措置といっても、今のところ具体的にできることなんてこれくらいだ。あいつらが何を仕掛けてくるか、まだ何も分からないんだし。 「…フォンロシュフォールは、何か分かったらまた報せてくれるのかな?」 「さあな」 エドアルドの答えはそっけなかった。 「それを当てにするのは止めよう。情報をただ待っていては敵に後れを取るからな」 同じ王に忠誠を誓い、祖国と民を護る。そのために共に学ぶ同期生を「敵」と呼ぶのは……辛いな。 思わずため息をついた僕の顔を、エドアルドが覗き込む。目が合う。 「とにかくしっかり仮眠を取ろう。寝ぼけた頭では先を予測するどころか現状の把握さえ危うくなってしまう。……迷惑を掛けそうで心苦しいが、カクノシン殿とスケサブロウ殿もお手伝い下さるのだし……」 そうなんだよな。ミツエモンがすっかりその気になってくれたおかげで、あの2人も必然的に一緒に警備をしてくれることになった。万一実力行使で何か攻撃があったとしても、カクノシンさんとスケサブロウさんがいれば1000人力だ。というか、あの2人の顔を見ただけで、襲ってきた連中は即座に回れ右だろう。でもその分、もし本当に問題が起きたとき、ミツエモン始めカクノシンさんやスケサブロウさんに降り掛かる災難はとんでもないことになりそうで……。 ミツエモンは気にするなと言ってたし(あいつがそう言っても、今ひとつ安心できないんだよなあ……)、気にしても、今の僕達にはどうにもできないんだけど……。 「……やほ〜。みんな、あんばってるかあ〜。おーえんにきたぞ〜」 引継ぎを終えて任に当たっていたエドアルド達に僕達が合流して間もなく、寝ぼけてふらふらのミツエモンと、真夜中でも爽やかな笑顔のカクノシンさん、悪戯小僧みたいな笑顔のスケサブロウさんがやってきた。スケサブロウさんはお茶とお菓子を乗せたワゴンを押している。……いいのかな、任務中にお茶とお菓子なんて……。 「坊ちゃん、無理しないで下さいね。何でしたらクッションを持ってきますので、そこの椅子で仮眠を……」 「えーきえーき、もおすっきりさわやか、えんきいーぱい!」 どこがだ!? しょぼしょぼの空ろな目でふらふらと……。眠気がこっちにまで移るじゃないか。ったく、これじゃせっかくの可愛さも半減………してないな。寝ぼけ顔までたまらなく可愛いって、何なんだろうなあ、こいつ。 「で? 肝心のお宝ってのは……そこかい?」 スケサブロウさんの声に、僕達の意識がハッと戻る。 しまった、とっくに任務に入ったというのに、大切な警備対象から目を離してしまってた。 部屋の中央に台座がある。1辺は僕の肩幅くらい、高さは僕達のちょうど胸元くらいだから、それほど大きなものではない。 そしてその台座の上には黄金色に輝く天蓋が設置され、天蓋と台座の間には金糸銀糸の刺繍も鮮やかな織物がカーテンの様に垂れ下がっていた。 宝物は、その布の中に収められているはずだ。 「……見ても、いいのかな……?」 ミハエルが誰にともなく尋ねる。 「自分が何を護っているか分からないというのもなんだし……いいよな?」 ホルバートも続けるが、誰も何となく答えられずにいる。 タウシュミットの持ち物というだけなら気にしないが、これが魔王陛下に捧げられるものとなると、何というかー……いいのかな、と。 エドアルドでさえ、宝物と僕達を遮るどっしりとした布を睨んで、どうしたものかと腕を組んでいる。 と。 「何やってんだぁ? 坊や達」 すたすたとスケサブロウさんがやってきた。半歩遅れてカクノシンさんが。カクノシンさんは……。 「……赤ん坊かよ……」 ミツエモンを小さな子供みたいに抱え上げている。 僕のすぐ隣にカクノシンさん(と抱っこされたミツエモン)が立つ。見るとミツエモンはカクノシンさんの首に両腕を回し、首の付け根に顔を埋めて……僕の耳にも「すくぅ、すくぅ」という気持ちの良さそうな寝息が聞こえてくる……。こいつって、ホントにとことんカクノシンさん達に甘えてるよな。何でか分からないけど、だんだん腹が立ってきたぞ……。 「ほーら坊ちゃん、中味を確かめますよぉ? ……っと、寝かしとくか?」 「坊ちゃん? 一眠りしますか?」 軽く揺すり上げるようにしながら、カクノシンさんがミツエモンの耳元に囁く。その声に、なぜか僕の心臓がひとつ、ドキッと音を立てて跳ねた。 カクノシンさんの声が、何と言ったらいいのか……ものすごく優しくて甘くて、母親が赤ん坊に囁きかけるようなというか、でもちょっと違うというか……よく分からないんだけど。 んー、と唸り声を上げながら、カクノシンさんの腕の中でミツエモンがもぞもぞと動き出す。だいじょぶ、おきる、と小さな声。 カクノシンさんがゆっくりとミツエモンを床に下ろした。 「それじゃあご開帳ぉ!」 言ったかと思うと、僕らの意見も聞かず、スケサブロウさんがひょいっと無造作に布を払い上げた。 「……っ、う、わ……!」 台座と天蓋の間、重々しくも華麗な布に半ば包まれた、それは真四角のガラスの箱だった。 縁を繊細な彫金で飾り付けられた、一抱えはありそうな透明なガラス。 その中に。 あった。 「……これ……魔石……?」 一気に目が覚めたのか、すぐ傍らでミツエモンの声。 「……すごい……!」 「こんなの、初めて見たよ……」 「きれいだ……!」 魔王陛下に捧げられるものだという遠慮も気後れも忘れて、魔石の魔力に引き寄せられるように、僕達はガラスの箱を囲みその中にあるものを目を凝らして見つめていた。 それは元は魔石の塊だったのかもしれない。おそらくは、赤ん坊の頭か、それより一回り小さな大きさの。 赤と一言で表現するにはあまりにも複雑な、そして神秘的な光を内側に抱き込むように輝く紅の石の塊の、塊として残された部分はおそらく半分に満たないだろう。 残された塊には、ごつごつと削った痕がくっきりと刻み込まれている。その削り痕を見ていると、石というより、荒々しく切り立った崖を彷彿とさせる。まるで岩の一部のようだ。 そしてその岩から。 一体どこをどうしたらこんなものができるのか、僕にはさっぱり分からないけれど。 まるで天の恵みを必死にその身で受け止めて、そして懸命に儚い命を繋いでいるかのような。 一輪の花が。 咲いていた。 「…………これ……彫刻? もしかして、魔石を削って、花を……!?」 ミツエモンの驚愕の声が、僕の耳を打った。その言葉を、まさしく自分自身の言葉として聞きながら。 それは、紛れもなく魔石の塊を削って創り出した石の花だった。 薔薇の様に華麗な花ではない。むしろ、名もない野の草花。そんな感じだ。 「うまく言えないんだけど」ミツエモンが続ける。「人が登ることも下りることもできない、岩が剥き出しの険しい崖があってさ。その岩のあちこちにぽつっと緑があったり花が咲いてたりする。何か……そういう光景を思い出しちゃったよ、おれ……」 切り立った険しい崖の中腹に、可憐に咲く花。そこにあることは知っていても、遠くから眺めることはできても、決してその手にすることはできない花……。 ごつごつとした岩の割れ目から、すんなりと伸びる細い茎、葉、そして8枚の花弁。 それはまるで崖の下から吹き上げる風にあおられているかのように、全体が柔らかな曲線を描いていた。3枚のすんなり伸びた葉も、そして花びらも、今まさしく吹く風に、ゆったりとその身を任せている。そんな感じがする。本当に……これが石だなんて信じられない。手を伸ばし、触れてみれば、その指に感じるのは陽の光の下で呼吸する植物の、柔らかな感触に違いない。そう確信できるほど、この花は生きている。そう思った。 ほうっと誰かがため息をつき、僕はハッと我に返った。 皆が放心状態といった様子で、食い入るように花を見つめている。 「……確かにこいつは芸術品、それも天下一品のシロモンだ。……見事なもんだぜ……」 ひゅう、と、なりそこないの口笛といった息を吐いて、スケサブロウさんがしみじみと言う。 その言葉で意識が現実に戻ったのか、皆がそれぞれ、ガラスの箱からぎくしゃくと身体を離した。僕も、力を込めて押し当てていた掌をガラスの面から離す。………あ、しまった、興奮しちゃったのかな、指紋がべったりだ。後で拭いておかないと……。と、よく見たら、ガラスの箱はどこもかしこも掌の跡で覆われていた。照れ笑いが皆の顔に浮かぶ。 「それが、タウシュミット家に仕えて数々の彫刻を生み出していた若き天才、スーリン・ディオンの最後の作品だ」 突然背後から掛かった声に、文字通り飛び上がった。 慌てて振り返れば、そこにいるのはフォンロシュフォール・アーウィンだ。 フォンロシュフォールは無意味にじたばたする僕達に目もくれず、すたすたと台座に向かって歩いてきた。 エドアルドの隣に立つと、「様子を見に来た」と微笑みかけ、それから石の花に視線を戻す。 「1つの石から削りだしたとは思えないだろう? ほら、場所によって石の輝きが全く違う。花びらなど、ほとんど透き通っているのが分かるか? どうすれば硬い石をここまで薄く滑らかに削ることができるのか……想像もつかない」 解説されて、またも花に見入ってしまう。そんな自分が悔しくもあるけれど。 「夢中になって当然だ。僕も初めて見せてもらった時には、しばらく声も出なかったくらいだからな。……とても人の手が生み出す技とは思えない。これこそまさしく天才の作品、魔王陛下が手になされるにふさわしい品だ。むしろ今まで献上されなかったのが不思議なくらいだが……」 「スーリン・ディオンといえば」 声にハッと見上げると、カクノシンさんが指をあごに当てて、何かを思い出すように首を傾けている。 「確か、あの大戦で死んだはずだな」 よくご存知だ。フォンロシュフォールが答える。 「あの対シマロンの大戦が激化して、さしもの天才芸術家もついに徴兵されてしまった。そして、戦死した」 「だから最後の作品なんだ……」 ほう、と、なぜか皆揃って深く深くため息をついてしまった。 「これは魔石だからな」 フォンロシュフォールが分かりきったことを言う。僕達に分からないとでも思っているんだろうか? 僕達の怪訝な表情に気付いたのか、フォンロシュフォールが「そうではなくて」と苦笑を浮かべた。 「魔力に反応するのだそうだ。魔力を持たないものが手にしても何の反応もしないが、強い魔力を持つ者が手にすると、この世のものとも思えぬ輝きを放つ、と。ぜひ魔王陛下の御手による輝きを拝見させて頂きたいとタウシュミットが言っていた。……あいつはこれを献上することで失った点数を一気に挽回するつもりのようだ。いや、上手く立ち回れば、魔王陛下のご寵愛をも得ることができると期待しているようだな。バドフェル殿がそれはもう悔しげにしておられたが。……当代陛下のご寵愛をモノで得ることができると考えるのは、あまりにも楽観的に過ぎると言っておいたのだが……どうもな」 フォンロシュフォールの苦笑に苦味が増す。どうも自分の周囲にいる連中の程度の低さに、いい加減うんざりしている、といった雰囲気だ。 「もしそのつもりなら、僕達を罠に嵌めて云々というのはもうないのではないか?」 エドアルドがもっともなことを口にする。 しかしフォンロシュフォールは、苦笑を浮かべた顔のまま「そうとも言えない」と首を振った。 「その辺りをどうしようと考えているのか探ろうと思ったのだが……どうも僕が気乗り薄であることに彼等も気付いたようだ。僕には直接何も教えようとしなくなった。互いの家の者同士は情報を交換しているようだから、いずれ何か報せも入ると思うのだが……。しかし、何かやろうとしていることは確かだと思う。君達は彼らにとってあまりにも目障りな存在だからな。特に平民出身の諸君が自分達と同じ場所に立つのは、由緒正しい身分の者に対する侮辱だと考えている。この発想を捨て去るのはなかなか難しいようだな」 「お前はどうなんだ?」 エドアルドが尋ねる。 「お前が由緒正しい身分の生まれであることを、何より誇りに思っていることを僕はよく知っているが?」 エドアルドは厳しい、何か責めるような表情でじっとフォンロシュフォールを見つめている。 「君の言う通りだ、エドアルド」 フォンロシュフォールが即答する。 「僕は偉大なる魔族の中でも、最も栄光の歴史に満ちた十貴族の一員であることを心から誇りに思っている。だが……」 フォンロシュフォールが僕達をぐるっと見回した。 「僕は平民が士官になることに、特に反感を覚えることはない。能力があるなら、その能力を活かせばよいのだ。それが士官であるというならなればいい。この点においても、僕は魔王陛下のお言葉に全面的に賛同する。そのことが、バドフェル殿達がやかましく口にするように、貴族の誇りを踏みにじるものであるとは全く思わない。平民が士官になるくらいで傷つくほど、我ら栄誉ある貴族の誇りは薄っぺらなものではないはずだ。そう思わないか? エドアルド。……もともとが武人階級である我々にとって、士官学校卒業は手続きの1つにすぎない。にも関わらず、バドフェル殿達は……。あれでは全く話にならん。今回のことにしても、彼らのやりようはまさしく醜態だ。真に誇りの何たるかを知る貴族とは到底思えない。僕が思うに、バドフェル殿達はよほど自分に自信がないとみえるな」 十貴族として、実に嘆かわしいことだ。フォンロシュフォールがふう、とため息をつく。 どうしてだろう? フォンロシュフォールの言っていることは、少なくともフォンギレンフォールやタウシュミットより遥かにまともなように聞こえるけれど……。それでも、根っこにある大貴族の選民意識に何の違いもない、いや、むしろその思いはフォンロシュフォールにこそ強くあるような気がする。 ……もしかしたら。 こいつは僕達を認めてなどいないんじゃないのか? こいつが友人として認めてるのはエドアルドだけで、僕達など気にとめる必要もないほどちっぽけな存在だと考えているんじゃ……。 「自信満々だなあ、アーちゃんは」 恐る恐る頭を巡らす僕達の視線の先に、ミツエモンの笑顔があった。 椅子に逆座りして、背もたれに腕と顎を乗せている。 「……今の言葉は、もしかすると僕に言ったのか?」 眉を顰め、フォンロシュフォールがミツエモンに問いかける。 うん、もちろん! と、ミツエモンが行儀の悪い格好のまま、にっこりと笑った。 「アーちゃんのその自信って、どこから生まれたものなのかな。栄誉とか名誉とか、貴族がそこまで立派な存在だってのも、どういう根拠で言ってるんだろう?」 「……根拠……?」 怪訝に問うフォンロシュフォール。僕も、ミツエモンが何を言おうとしているのか分からない。貴族ってのは、つまりその……そういう存在、だろう? 僕は仲間達と顔を見合わせて首を傾げた。 「例えば十貴族だけど、眞魔国建国の時に眞王と一緒に働いた人たちが始まりなんだよね? つまり4000年以上も大昔のご先祖様が偉かったって、それだけのことだろ?」 ごくり、と、誰かの喉が大きく鳴った。……僕かもしれない。喉が急にカラカラに渇いてしまったような気がする。 ミツエモン、お前、一体今自分が何を口走ったのか、分かってるのか……!? 「……きさま……」 フォンロシュフォールの顔が一気に色をなくす。 「ご先祖様が立派だったことを自慢するのは構わないと思う。でもそれってご先祖様の功績だよね? あんた達はまるでそれを……」 「我らは4000年来、この国を護る柱石となってきたのだ…! 常に人々の先頭に立ち、国を護り支えてきた。我がロシュフォールからは王の位に就いた方もおいでになる。輝かしい栄光に満ちた一族を誇りとするのは当然のこと……!」 だからー、とミツエモンが言い返す。 「立派に生きたご先祖様を誇りに思うのはちっともおかしくないってば。おれが言いたいのは、あんたやギレンホールやタウシュミットが、まるで自分の持ち物みたいに自慢してる名誉も栄光も、ホントは全部ご先祖様のものだろうってことなんだよ。なのにあんた達は、それが自分の手の中にあるみたいに振りかざして、平気で人を傷つけようとしてる」 「あいつらと僕を一緒にするなっ!」 フォンロシュフォールが怒鳴った。………こいつが我を忘れて大声を上げるなんて……。 一声怒鳴りつけた後、フォンロシュフォールは大きな声を上げたのがよほど不本意だったのか、苦しげに目を閉じて息を整えている。ミツエモンの方はといえば、相変わらず椅子の背もたれに腕をのせ、そこに顎を乗せて、いっそあどけない表情でフォンロシュフォールを見上げている。 「お前は、とんでもない勘違いをしている」 フォンロシュフォールの口から、平静な、もしくは平静であろうとする声が発せられた。 「どんな?」 「貴族の名誉も栄光も、一代限りのものではない。それは血が続く限り受け継がれていくのだ。……先祖がその栄光を手にした時、何を考えどう行動したか、我々は代々語り継いでいく。貴族の、まして十貴族の家に生まれたとなれば、幼い頃より先祖の功績を学び、そこにある教えを受け止め、己のものとし、その栄光をまた次の世に伝えるにふさわしい存在となるよう研鑽を積み、精進を続けていかなくてはならない。少なくとも我が一族はそうやって血統を繋いできたのだ。僕もまた、ロシュフォール当主の嫡男として、栄えある先祖の名を貶めぬよう、その名にふさわしい当主となるよう、自分を鍛えてきたつもりだ。僕は必ず、一族の栄光を体現する領主となってみせる。十貴族の持てる栄誉は決して過去の遺物などではない。この身に流れる血と魂に、永遠に受け継がれていくのだ!」 フォンロシュフォールの熱弁に、思わず息を呑んでしまった。 だけどミツエモンは、こいつにしては意外なくらい冷静な顔でじっとフォンロシュフォールを見つめている。 「立派な領主になろうっていうあんたの決意は、それこそ立派だと思うよ。もっとも、具体的にどんな領主が『立派』なのかは分からないけど。でもそれを評価するのはずっと後の世代の人たちだよね。今生きてるおれ達でも、もちろんあんた自身でもない。だってそれって、あんたがこれから一生掛けて作り上げていくものだと思うし。そもそもあんたはまだ……」 自分の力で何かを成し遂げたわけでも、その手でどんな栄誉を掴んだわけでもないよね。 沈黙の部屋で、ミツエモンのその言葉は異様なまでに大きく響いた。響いたような気がした。 フォンロシュフォールの瞳がこれ以上ないほど大きく瞠かれる。そしてその身体が見る間にわなわなと震えだした。顔も蒼白になっている。 これはマズいんじゃんないのか? いや、絶対マズい! とっさに隣にいたエドアルドの腕を掴む。愕然としていたエドアルドが、ハッと顔を上げた。すぐにフォンロシュフォールに向けて足を踏み出す。 だがわずかに遅かった。 「無礼者!」 一声叫んだフォンロシュフォールが、ミツエモンに向かって飛び出した。フォンロシュフォールの右手は剣の柄に掛かっている。ミツエモンは座ったままだ。 次の瞬間。 全ての音と動きが止まった。 飛び出したフォンロシュフォール。行儀悪く椅子に腰掛けるミツエモン。そして2人の間に。 カクノシンさんがいた。 今にも剣を抜く姿のまま、固まっているフォンロシュフォール。その手に握り締められた剣の柄。それが、カクノシンさんの掌にしっかりと押さえられていた。 フォンロシュフォールは必死で剣を抜こうとしている。力が入り、白く筋張る右手。ロシュフォールの額に浮かぶ汗。 柄の頭を掌で押さえているカクノシンさんは、あの時と同じ、余裕の表情だ。 「………どけ」 「引きなさい」 「僕に命令できると思っているのかっ!? 僕はロシュフォールの嫡男なんだぞ! どれほど腕が立とうが、お前ごときに……」 「俺をどかせたければ」カクノシンさんが涼やかに遮る。「剣で俺と勝負しなさい。家の名を振りかざすのではなく。俺が君に君の本当の実力を教えてあげよう。……己を省みず、たまたま生れ落ちた身分の高さだけで人の上に立てると思うなら、君はギレンホールやタウシュミットと全くの同類だぞ?」 「ぼ、僕はあいつらとは違う。僕はこれまでずっと良き領主となるために努力してきた……!」 「坊ちゃんが仰っていただろう? その努力は生涯続けなくては意味がない。君はまだ80歳そこそこだろう。魔族人生はまだまだ続く。80歳程度で極めたと思えるほど、この人生は甘くない。先は長いぞ?」 フォンロシュフォールの目が大きく瞠かれた。その表情が、怒りから困惑に揺れるのがはっきりと見える。全身を支配していた力が、ゆっくりと抜けていく。 カクノシンさんが腕を引く。フォンロシュフォールが剣の柄から手を離す。その様子は、どこかぐったりと疲れているように見えた。 「ねえ、アーちゃん」何事もなかったかのように、ミツエモンが言う。「だからあんたはまだ皆と、平民だろうと貴族だろうと関係ない同期生の皆と、同じスタートライン、全く同じ線の上に一列に並んで立っているんだ。誰が上でも下でもない。同じ高さの同じ場所に、一緒にだ。それをアーちゃんは忘れちゃいけないと思う」 フォンロシュフォールが伏せていた顔をゆっくりと上げた。ゆっくりゆっくり、その視界にカクノシンさんを、そしてミツエモンを映す。 「……お前達は……」 フォンロシュフォールの口から、力のない声が洩れる。 「一体……何者だ……?」 喉の渇きが一層激しくなる。いつの間に心臓が頭まで上がってきたのか、耳元で鳴る鼓動が煩くて仕方がない。 カクノシンさんはいつも通り穏やかに微笑んでいる。ミツエモンは危うく斬られそうになったとは思えないほどケロリとした顔で座っている。そしてその背後を護るように立つスケサブロウさん。 どこからも誰からも言葉が出ない。 と。 その時だった。 「失礼する!」 声と共に、いきなり扉が開いた。 「……じゃあ君達も不穏な話があると聞いて……?」 「ああ。万一にも魔王陛下に献上される品に問題が起きてはいけないと思ってね。眠らずにいたら、この部屋で大きな声がするという報せを受けて、これは何かあると思いやってきたという訳なんだ」 「そうだったんだ……!」 僕達は、仲間同士顔を見合わせて、思わず笑みを交し合った。 深夜の部屋に突然飛び込んできたのは、僕達の前に警備の任についていた班と、僕達の後、夜明けから警備に就くことになっていた班の、合わせて8名の同期生達だった。皆、地方から初めて王都にやってきた中流貴族の子弟達だ。この中流地方貴族というのが、今年の同期生の中では最も数が多い。 彼らは、同じ程度の身分同士で集まって、フォンギレンホール達とも、そして僕達とも1線を画して行動している。もちろん十貴族と争う気など全くないだろうし、中には何とか上流貴族と親しくなろうとしている者達もいるだろう。 だがこの8人は、タウシュミット達が宝物を使って何か問題を起こすらしいことを聞きつけ、ずっと様子を探っていたのだそうだ。 「……なるほど。魔王陛下に献上すると宣言した品を、タウシュミット殿が何に使おうとしているのかさっぱり分からなかったのだが……そういうことか」 愚かなことだ。僕達の説明を聞いて、8人の中の一人が呟くように言った。 「こともあろうに、陛下に献上する品をそのようなことのために悪用しようとするなど……。一旦献上を公言した以上、この品はもうタウシュミット殿のものではない。それが分からぬはずもなかろうに……」 確か、シュトラウスとかシュトレイルとか、それで名前は確かペーターだったと思う同期生が呆れたようにため息をついた。彼がこの8人の中心格らしい。 「正直、君達では万一の用を為さないと考えてね。……いや、失敬、怒らないでくれたまえ。まあそれで、こうして慌ててやってきたのだが、まさか君達も8人揃って護っているとは思わなかった。それも……フォンロシュフォール殿もご一緒に……」 「卿」はつけないものの、やはり十貴族に対する敬意は同期生であっても控えるつもりはないらしい。その辺りがやっぱり「身分を弁えた」貴族らしいところなんだろうな。 そしてそのフォンロシュフォールはというと、先ほどまでミツエモンが座っていた椅子にぽとんと腰を落としていた。 部屋がにぎやかになってすぐ、ぐったりと脱力気味のフォンロシュフォールを「アーちゃん、大丈夫? こっちに座りなよ」と手を引いて座らせたのはミツエモンだ。フォンロシュフォールは不気味なくらいそれに素直に従い、今は何事か考え込んでいる様に見える。 「それにしても揃ったなあ。きっちり……20人か!」 「これだけいれば、さすがに何か仕掛けてくることはできないよね」 ホルバートとセリムが笑いながら話している。 「君達は部屋に戻らなくていいのか?」 エドアルドに問いかけられて、シュトラウスだかシュトレイルだか……ペーターでいいか、が、「大丈夫です」と首を振った。 「最初からそのつもりでしたので。全員、3晩やそこらの徹夜など平気だと言っておりますし、お付き合いさせて頂きます。フォングランツ殿」 ペーターとその仲間達が笑って頷く。 そうか、と答えてから、エドアルドが苦笑を浮かべた。 「ならば先ず頼みがある。フォングランツ殿というのは止めにしてくれないか。僕と友人達は名前で、敬称も一切抜きにして気軽に呼び合うことに決めているんだ。会話ももちろん敬語抜きで、対等に話をしている。僕達は、同じ学校で共に学ぶ同期生だろう? できれば君達にもそうしてもらいたい。どうかな?」 ペーター達が顔を見合わせる。それから小声で互いの意思を確かめると、やがて納得したように頷き合った。 「分かりました。あなたがそう仰るなら僕達にも異存はありません。……改めて自己紹介させて頂きます。シュトレーゼン・ピートと申します。ピートでもピーターとでも呼んでください。……あ、いや、呼んでくれ、で……いいのかな?」 シュトレーゼン・ピート。……全然違ってた。申し訳ない。心の中で詫びる僕の隣でエドアルドが「フォングランツ・エドアルドだ。ミツエモン殿からはエド君と呼ばれている。どちらでもいいのでよろしく」と笑っている。……そんなに気に入ってたのか、エド君。 「はーい、坊や達〜。足りないカップも持ってきたし、お茶にしましょう〜」 改めて全員が自己紹介をし終えた頃(ミツエモンはどこから出したのか不明の手帳に、一生懸命全員の名前を書き綴っていた。……「名付け親」ミツエモンの犠牲者がまた増える訳だな)、カップを乗せた新しいワゴンを押して、どこの奥さんかメイドかといった様子のスケサブロウさんが入ってくる。……大分慣れたな、この人のこのヘンな口調と態度も。 僕達、任務についているつもりなんですけど、というピート達の戸惑いはあっさり無視されて、スケサブロウさんがさくさく淹れたお茶のカップがどんどん手渡されていく。椅子も隅に片付けてあったものを引っ張り出して、ミツエモンを始め何人かが腰を下ろしていた。エドアルド達は、この時間は本来自分達が任務につく時間なのだからと立っている。 「今夜はもう何も起きないだろうね」 「こんなに人が集まっている状態で何か起こせれば、逆にあいつらも大したものだと言えるのだがな」 ハインリヒの言葉にそう答えたのは、さっきまで落ち込んでいた(?)フォンロシュフォールだった。カクノシンさんから手渡されたお茶を神妙に受け取って飲んで、ようやく復活してきたらしい。 「それに宝物は、ほら……」 促されて見れば、石の花の周りにはエドアルド達の他に僕達の後に任務につく班、つまりまだ宝物が何か知らなかった4人が集まり、ガラスを抱き込むような勢いで花に見入っていた。エドアルド達が何か解説でもしているのか、4人がふんふんと頷いている。 フォンロシュフォールの言葉と宝物の様子に、なるほど、と頷いて、ピートが「それでは」と立ち上がった。 どうするのかと思ったら、彼は真っ直ぐミツエモン達の下に向かい、3人を前にして軽く頭を下げた。 「シュトレーゼン・ピートと申します。先日はご教授頂き、ありがとうございました。お二方の剣の冴え、感服致しました」 こりゃまたご丁寧に。スケサブロウさんがふざけた調子で答えている。 と思ったら、ピートが彼らの前に立ったのを目にした彼の仲間達が、慌ててミツエモンの、いや、カクノシンさんとスケサブロウさんの前に集まった。 「彼らが」ビートが僕達にちらっと目を向ける。「先日食堂で、あなた方に剣の指導をお願いしているのを耳にしました。本当はあの場で僕達もぜひとお願いしたかったのですが……。改めてお願いします。僕達にもぜひ、剣の指導をして下さい!」 よろしくお願いします! 全員が声を揃え、一斉に頭を下げる。 「坊ちゃんと教官達のお許しがあれば、俺は構わないが。……よろしいですか? 坊ちゃん」 「うん! もちろん! コ…カクさんもスケさんも、しっかり教えてあげて」 「「「ありがとうございます!」」」 ミツエモンは……まるっきりいつも通りだ。無邪気っていうか、子供っぽいっていうか…。 さっきのあれは何だったんだろう。フォンロシュフォールのあの疑問は……。 ………関係ないよな。ミツエモンは、ちょっと考えなしにものを言うクセがあるんだな。苦労知らずの坊ちゃんだしな。……そう、だよな……。 とにかくその後は、何だかすっかり和気藹々としたお茶会になってしまった。……いいのかなー。もしこんな様子を教官達が目にしたら、一気に50点くらい減点されそうな気がするんだけどなあ。 とはいえ、中流貴族の中にも結構話せるヤツがいて、気がついたら故郷のことだの何だの話し込んでしまっていた。20人もいるのであちこちで会話する姿が見られるが、一番多く集まっているのはやっぱりカクノシンさんとスケサブロウさんの周りだ。特に剣を交えて以来、ずっと話がしてみたかったというピート達が、しっかり3人の周りを取り囲んでいる。 軍ではどの部隊に? どうして軍を辞めて商家に? チリメンって一体何ですか? 相次ぐ質問に、笑みを浮かべたカクノシンさんとスケサブロウさんが、昔のことだから、ご縁があってね、ある国の特産品さ、などと答えている。 「武人として、再び主を持つ気は?」 その質問をしたのはフォンロシュフォールだ。目が何かを探っている、ような……? 「今の主が、俺の生涯の主だ。俺も、それからもちろん……」 「俺もな」 カクノシンさんが答え、スケサブロウさんも続く。 それは、と言い返そうとして、フォンロシュフォールが口を閉ざした。眉をきゅっと顰めてミツエモンを見ている。 こいつもしかして、この2人をミツエモンから引き離して自分の配下にしたいとか考えてるんじゃないだろうな。 フォンロシュフォールと、それから僕達を差し置いてカクノシンさん達に近づこうとするピート達(表現がおかしいってコトは分かってる!)にちょっとむっとした僕は、ずいずいと彼らの輪の中に入り込んでいった。 「カクノシンさんとスケサブロウさんは、僕の父と昔から親しくして下さっているんだ!」 ………あ。何か、ものすごく子供っぽい自慢をしてしまった。おまけにそこはかとなく誇張してるし。 それでも、へえ、とか、ほお、とか声を上げるピート達の羨ましそうな表情に、嬉しさもこみ上げてくる。 何となく親父の心境に理解を覚えながらも、ちらと盗み見た2人は、特に僕の言葉を訂正するでもなくにこにこと笑っていた。カクノシンさんは頷いてもくれている。 「あ、あの、僕、お伺いしたいことがあったんですが」 気が大きくなって続けると、カクノシンさんが穏やかな視線を僕に向けてきた。 「父と戦時中親友でいらっしゃった方、えっと……剛腕って呼ばれてた方は、今どうなさっておいででしょうか?」 僕の質問に、ああ、とカクノシンさんがわずかに目線を下げる。 「カールは…戦死した」 あ……。 「戦争が終わる直前だった。……同じ部隊で戦って、共に死線を潜り抜けて、だが……帰ってこれなかったな」 「殺しても死なないやつだと思ってたんだがなぁ」 「……そう、だったんですか……」 親父が生きてるから、その人も生きてると思い込んでしまったんだ、僕……。 「あ、だったら」 カクノシンさんの隣で、ミツエモンが何か思いついたように声を上げた。 「その人も混血だったんだね。アルノルドで亡くなったんだろ?」 ………アルノルド……!? その言葉を耳にした全員が、一斉に目を瞠いた。 「そう言えば、ミツエモン殿は……混血だと……。では、カクノシン殿もスケサブロウ殿も……?」 僕の背後から上がった声は、エドアルドのものだった。 「では…ではあなた方は……」 湧き上がる興奮に、エドアルドの声が上ずっていく。 「ルッテンベルク師団の方だったのですね!!」 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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