いきなり降って湧いた「任務」。 それは。 「魔王陛下に献上される宝物を護れ」 というものだった。 「これは我がタウシュミット家に属し、かつてビーレフェルトはおろか眞魔国全土においても右に出るものがいないと評された不世出の天才によって制作された、地上に唯一無二の芸術品だ」 その宝物が何であるかを説明しろと言われて立ち上がったのは、何とタウシュミット・ルーディンだった。 誇らしげに胸を張り、自慢たらたら話しているが、その宝物が実際どういうものか具体的な説明がない。 とにかくよく分からないその芸術品とやらを、入学式の式典にご臨席なされる魔王陛下に、忠誠と敬愛の証としてその場で献上するのだそうだ。そしてその献上品を、どうしてそうなるのかさっぱり分からないが、当日まで僕達自身が護らなくてはならなくなったという訳だ。 「このような任務を与えられることがどれほどの栄誉であるか、諸君らにはよく理解して頂きたい。その上で……」 「誰がお前に訓示を述べろと言った。余計なことを口走っておらんと座れ」 ボッシュ教官殿が、タウシュミットのどこの指揮官だと聞きたくなる様なセリフを冷たく遮る。 一瞬ぐっと詰まったタウシュミットが、頬を引きつらせ、だが何も言い返さずに席に着いた。……妙に素直だ。 「そのご立派な宝物とやらを」ボッシュ教官殿が苦りきった顔で続ける。「入学式までこの学校内で保管することとなった。お前達は今夜、日付が変更になると同時に任務につき、入学式当日朝までそれを交代で護ることとなる。血盟城の敷地内にあるこの士官学校にわざわざ忍び込む賊がいるとも思えんし、そもそも士官学校はそのような任にあたる場所ではないなど、疑問も多々湧き上がることとは思うが、とにかくそういうことになった。なってしまった以上、任務は果たされなければならん。なお、講義時間中に任務に当たった者は講義を、放課後に当たったものは試験と課題を免除する。夜間に当たった者は課題を時間までに終了させて任務に就くこと。……学業と訓練に勤しむべき士官学校初年生の本分が蔑ろにされるようであるが、それもまた致し方ない。班分け、及び任務に就く時間帯など詳細については放課後改めて報せる。以上。分かったな!」 はいっ! 全員の声が教室に響いた。 「……って、何だよ、これっ!?」 僕の叫びが響いたのは、課題を仕上げるために集まったいつもの談話室だ。 「……講義と、それに放課後にかけての警備は……ずっとタウシュミットやフォンギレンフォールや……上流の坊ちゃん達ばっかりじゃないかっ!?」 「露骨なサボりだな。3日間、見事に自分達だけでこの時間帯を占領している。……ここまであからさまだといっそ見事というか」 エドアルドがため息と共にそう呟いた。 「でもって……夜も更けるに従って、担当の身分が低くなる訳だ」 呆れて笑うしかないね。セリムが言ってわざとらしく肩を竦めた。 当番表には、これから3日間の宝物警備に当たる各班と警備時間帯が記されていた。 講義も試験も課題もサボれる時間を上流貴族の坊ちゃん達が占め、講義も試験も課題もきっちりやらされる時間帯を中下級貴族と僕達平民組が担当する。そして僕達8人はエドアルド達貴族組と僕達平民組の2班に別れ、それぞれ夜更けから明け方までを交代で担当することになっていた。3日間ずっとだ! 「何なんだよ、この不公平な配置は! まさか……」 まさかあの教官達が、上流貴族達に阿ってこんな……。 最後まで言葉を続けることができず、僕は深々とため息をついた。ため息はその場にいた全員に伝染するように広がり、僕達の雰囲気は一気に暗くなってしまった。 「しっかりしろよ、皆! こんな陰謀に負けんなよ!」 拳を握って力強く声を上げるのはミツエモンだ。今夜も超優秀なお供を従え、差し入れを持ってやってきた。 「……陰謀なあ……。確かにかなりセコいけど、陰謀っていやぁ陰謀だよなあ……」 ホルバートがぐったりした声で答える。 「それにしても妙なことになっちまったな」 お茶のカップを傾けながら、スケサブロウさんが言う。……この人の声はいつどんな時も変わらない。皮肉の粉末を降り掛けたお気楽な響き。 「妙なことって? グリ、じゃないスケさん」 誰かと間違えたのか、ヘンな風に言いなおしてミツエモンが尋ねる。 「宝物を魔王陛下に献上なんてね。そんな話、どこからも耳にしてませんし。……エラく唐突だなあってね」 「そういえば……だよね」 分かって言っているのか、ミツエモンも一緒になって首を捻っている。 その時。 閉じてもいない扉を叩く音がした。 え? と全員が視線を向けた先に、一人の同期生が立っている。 「邪魔してもいいかな?」 フォンロシュフォール・アーウィンが、軽く首を傾げるような仕草でそう言った。 エドアルドほど親しみもなく、というか、十貴族でありながら全く偉ぶったところのないエドアルドが本来変わっているんだろうとは思うけれど、とにかく紛れもない未来のロシュフォールのご当主殿の登場を、僕は平静に受け止めることができなかった。少々情けない話だけれど、気後れというのだろうか、妙な戸惑いが胸いっぱいに湧いてくる。そしてそれはどうやら僕だけのものではなかったらしく、フォンロシュフォールがゆったりと談話室に足を踏み入れた瞬間、僕と仲間達は一斉に席を立って彼を迎えていた。 ふと確かめてみると、エドアルドとそれから……ミツエモン、カクノシンさん、それからスケサブロウさんの4人が席に座ったままでいる。 エドアルドがちらりと僕を見上げる。その、どこか責めるような眼差しに、僕は急激な恥ずかしさというか、いたたまれなさを感じて思わず目を伏せてしまった。 「構わない。皆、座ってくれないか。これでは話もできないし、それにエドアルドの言葉ではないが、僕達はこの場において皆平等な立場だろう? 身分のことは忘れて欲しい」 「どういう心境の変化だ? 突然似合わない事を口にされると気味が悪い。それともどこかで人生観が変わるような神秘体験でもしたか」 「……エドアルド……」 フォンロシュフォールが苦笑を、かなり無理をした様子で浮かべて、友人(おそらく)を見下ろす。だけどエドアルドは、少なくとも僕から見ればあり得ないほど冷たく傲慢なセリフを口にした後は、彼に視線を向けようともしない。無表情のまま、部屋の壁を見つめたままだ。 そして僕達はといえば、本来ならそんな必要もないはずなんだけれど、揃って静かに静かに椅子を引き、そうっと音を立てないように腰を下ろしていた。……エドアルドの、何もかも拒絶しているような冷たい態度が怖かったのかもしれない。 「エドアルド」 根気強く呼びかけるが反応はない。フォンロシュフォールがひとつ、ため息を零す。 「ロシュフォールの坊ちゃん、この椅子にどーぞ」 面白がってでもいるような声が、変に間の空いた空間に響いた。もちろんスケサブロウさんだ。 椅子を差し出すと、「新しいお茶でも淹れましょうかねー」と立ち上がり、のんびりした足取りで部屋の隅にある茶器を並べたワゴンに向かう。カクノシンさんもそうだと思うけど、スケサブロウさんも相手が誰だろうと見事なまでに態度を変えない人だ。卑しく相手に阿ったり、ムダに遜ったりしない。……男として見習いたいよな、こういうトコ。 「フォンロシュフォールさんは名前、何ていうの?」 ミツエモンがガタガタと音を立て、座っていた椅子ごとロシュフォールに近づくと、にこにこと呼びかけた。……こいつの態度が誰に対しても同じなのは、カクノシンさんやスケサブロウさんとは大分意味が違うと思うぞ。 「……アーウィン……だが」 スケサブロウさんの差し出した椅子に腰を下ろしつつ、フォンロシュフォールが慎重に答える。 そっか、とにっこり笑うと、ミツエモンは自分を指差し、「おれ、ミツエモン!」と明るく声を上げ、それから「こっちがカクさん。今お茶を淹れてくれてるのがスケさん。よろしくなっ」と、紹介とも言えない紹介をする。その無邪気な笑顔をじっと見つめていたフォンロシュフォールが、ふと顔をカクノシンさんに向けた。 「昼間はありがとうございました。あそこまできちんと弱点を指摘してもらえたのは初めてです。説得力のあるお言葉に感服致しました」 言って、軽く頭を下げる。 どういたしましてと、十貴族の若君の、あり得ないほど丁寧な態度と言葉を余裕の笑顔で受け取るカクノシンさん。……カッコいいなあ、やっぱり。何だか嬉しくなってしまうのはどうしてだろう。 そして自己紹介を終えたミツエモンはというと、ぶつぶつと天井に向かって何か呟いている。 ………何考えてるか、大体分かるぞ。でもミツエモン、フォンロシュフォールは愛称なんて欲しがらないと思うぞ。 「フォン」だし、十貴族だっていうのはとっくに分かっているんだろうに、ミツエモンは自然体のままだ。もちろんこいつの「自然体」は、カクノシンさんの武人としての「自然体」とは全っ然意味が違うけど。 「さっさと用件を言って出て行ったらどうだ。卑しい身分の者と同じ空気を吸っていると、気分が悪くなるんだろう? こんなところで熱でも出されてこちらのせいにされては迷惑だ。そういえば、取り巻きの役立たず共はどうした。高貴な若君が夜中に一人歩きするのは感心されないんじゃないのか」 ……エドアルド〜……。 仲間達が困ったようにそっと目を合わせながら、さりげなく視線を外していく。 相変わらず自分を見ようともしないエドアルドに、さすがのフォンロシュフォールもきゅっと眉を顰めた。 「さきほど君は僕が神秘体験でもしたのかと聞いていたが、君の方こそ高熱でも出して頭がおかしくなったのではないか? 自分では分からないのかもしれないが、幼児退行を起こしているぞ。80を越えた男にしては、一言一句大人気ないことこの上ない」 ガタンっと耳障りな音を立て、椅子を叩き倒す勢いでエドアルドが身体を捩る。冷静な顔のフォンロシュフォールと、眦を吊り上げ、頬を引きつらせたエドアルドがテーブルを挟んで真正面に向き合う。 ほんの数瞬の間を置いて、フォンロシュフォールが唇の端をくっと持ち上げ笑みを作った。乗せられたのに気付いたのか、エドアルドがハッと表情を変えると、悔しそうに唇を噛んで椅子に座りなおす。 「その辺で、そろそろ話を進めた方が良いんじゃないかな?」 天の助けのような言葉に、思わず感謝の眼差しを送ってしまう。その声の主は言わずとしれたカクノシンさんだ。 「君達は一刻も早く課題を仕上げて、仮眠を取らなくてはならないだろう? 宝物警護は真夜中だしね。彼も大切な話があるからこうして一人でここまで出向いてきたのだろうし、つまらない意地を張って時間を無駄にするべきじゃないと思うな」 つまらない意地、と言われたのが恥ずかしかったのか、エドアルドの顔が、いや顔から首にかけての見える部分が一気に真っ赤に染まった。首や耳が赤くなったのは見たことがあるけれど、エドアルドがここまで羞恥を露にするのは初めてのような気がする。見るとフォンロシュフォールも意外だったのか、ちょっとぽかんとした顔でエドアルドを見つめていた。 「それで?」 穏やかに促す言葉に、フォンロシュフォールが居住まいを正す。それを待っていたかのように、スケサブロウさんがお茶のカップを置いた。 フォンギレンフォール・バドフェル殿が言っていたことを覚えているか? フォンロシュフォールの話はそこから始まった。 「バドフェル殿は実際にお父上に掛け合ったのだ。現在の教官達は身分教養共に卑しく、我々高貴な身分の子弟を教育するにはふさわしくない。あまりにも自分達の身分を蔑ろにしている。高貴な者を尊ばないと態度は、すなわち魔王陛下をも蔑ろにするものであり、陛下に忠誠を誓う我々としては断じて許しがたい。早急に眞魔国士官を養成するにふさわしい教官達に交代させて欲しいと」 自分勝手な理屈だよねぇ、と苦々しい笑いを交えてセリムが呟く。 「上流貴族は年中こういう理屈をこね回している」 エドアルドがそっぽを向いたまま付け足した。 「物心ついた頃からさんざん聞かされているから、考えなくても口をついて出るようになる」 「まあその通りだな」 意外にもフォンロシュフォールが同意した。 「で、バドフェル殿のお父上はギレンフォールのご当主である兄上に泣きつき、ご当主殿は可愛い甥のために、早速士官学校の教官入れ替えを進言しようとしたのだが……」 「上手くいかなかっただろう?」 いくはずがない、とエドアルドが続け、フォンロシュフォールも分かっていたかのように「ああ」と頷いた。 「ギレンフォールのご当主も暢気なお方だ。そもそも士官学校改革を仰せになったのは魔王陛下だ。そしてそのために誰が動くかを考えれば、教官入れ替えなどできるはずもない」 あの、とマルクスがおずおずと手を上げた。……おいおい、ロシュフォールは教官じゃないだろ! 「じゃあ、教官を一斉に入れ替えたのは……」 「宰相、フォンヴォルテール卿グウェンダル閣下に決まっているじゃないか」 やっぱり、と納得の声が広がる。おそらくそうだろうとは思っていたけれど、僕も思わず声を上げて頷いてしまった。 「26代陛下がご退位なされ、ユーリ陛下が即位あそばされたその瞬間に、前摂政フォンシュピッツベーグ卿シュトッフェル殿の失脚は決定した。以来十貴族の頂点に立ち、権力を揺るぎないものになされたのはフォンヴォルテール卿だ。宰相閣下は魔王陛下と共に改革の先導者として次々に新たな政策を打ち立てておられる。そしてその改革路線に全面的に賛同しているのがクライスト、カーベルニコフ、ウィンコット、そして…グランツの4家。シュピッツベーグは当主であるシュトッフェル殿が守旧派であることは周知の事実だが、すでに権力とは程遠いところに追いやられている。実際のところ、妹君である上王陛下のご威光に縋るのが精一杯の状態だ。そしてその上王陛下といえば、政には一切口を出さず、ユーリ陛下に全面的な支持を表明している。よって当然の帰結として、シュピッツベーグ家は消極的ながら改革賛同派となる。それからビーレフェルトだが、ご当主は古い秩序を重んじる方ではあるものの、現在甥であるヴォルフラム閣下が魔王陛下と婚約関係にあるという微妙な立場に立っている」 「だったらビーレフェルトは、陛下の改革にも色々と口を出すことができるんじゃないですか?」 口を挟んだのはホルバートだった。そういや、こいつってビーレフェルトの出身だっけ。 「魔王陛下とヴォルフラム閣下は、熱烈に愛し合っていると……」 ごふぉっと何かが吹き出す異様な音がした。 ミツエモンがお茶にむせて、ごふごふと可愛い顔に似合わない男前な音を立てて咳き込んでいる。「はーい坊ちゃん、がんばー♪」という妙に無責任な励ましはスケサブロウさんだ。カクノシンさんは苦笑を浮かべながらミツエモンの背中を撫でている。……どうしたんだろ? 「……えーと」水を注されたホルバートが、ミツエモンに向けていた顔を戻す。「だから最愛の婚約者殿の叔父に当たる方の言葉なら、陛下も蔑ろには……」 「それは少々認識が間違っているようだ」 フォンロシュフォールの言葉に、僕達の視線が集まる。 「どうやら魔王陛下とフォンビーレフェルト卿ヴォルフラム閣下との間に恋愛感情は存在しないらしい。兄宰相殿が陛下の御身を護るため、防波堤として弟君を形ばかりの婚約者の座に据えたというのが本当のところのようだな」 ほおー、というため息が一斉に洩れる。やっぱりこういう話は庶民には伝わらないよなー。 「よってビーレフェルトのご当主に魔王陛下に対する発言力などない。しかしビーレフェルトとしては、何としてもこの婚約を本物にしたいと願っている。魔王陛下の伴侶の一族となれば、フォンビーレフェルト卿とビーレフェルトの一族は、宰相閣下と権力を二分する勢力ともなり得るからな。従って現在のビーレフェルトは、表立って改革に反対の意を唱えることなどできない。もし強硬に反対して、婚約を破棄されようものなら大変なことになる。つまり内心どうあれ、ビーレフェルトは宰相殿の意に従うということだ。後は我がロシュフォール、ラドフォード、そしてギレンホールの3家だが……」 「どこもがちがちの守旧派だ」 「……エドアルド」 「だがロシュフォールもラドフォードも、ギレンホールと一緒になって士官学校の改革に反対して見せるほどの根性を持っているわけでも、無鉄砲でもあるまい。フォンヴォルテール卿のおこぼれとはいえ、中央でわずかなりと権力を握る機会を自ら捨てることになるからな」 「その通りだ。だがそれだけではないぞ、エドアルド。……魔王陛下の改革は、紛れもない平和と繁栄をこの国に齎した。我がロシュフォールでも、農産物やロシュフォール独自の貴金属工芸を特産品とした貿易を行うことで、税収は数年前の十数倍に達した。領民の暮らしも飛躍的に改善された。父上は、陛下のさらなる改革に期待しておいでなのだ。もちろんそれが……古き良き秩序を完全に破壊することがあってはならないとも仰せだが……。しかし、改革そのものには賛成なされている。ラドフォードのご当主も同じだ。わが子可愛さに宰相閣下の措置に真っ向から歯向かうなどあり得ない。実際のところ、フォンギレンホール卿は十貴族の誰からも賛同を得られなかった。それでも試しに宰相閣下に願いを申し出てみたらしいのだが、その場で甥の成績を見せられ大恥をかいたらしい。……昨夜遅く、ギレンホールのご当主からバドフェル殿にきついお叱りの手紙が届いた。成績や素行の不良で放校処分となれば、二度と故郷の土地は踏ませない。上官である教官の命に従い、きりきり励め! とな。てっきり上手くいくと思い込んでいたバドフェル殿はもちろん、僕の家の者達までもが呆然としていたな。……情けないことだ」 最後の一言が、フォンギレンホール達に向けられているのか、それとも自分の取り巻きの考えの浅さに向けられているのかは分からなかった。が。……なるほど、タウシュミットが妙に素直だったのはそのせいか。 それにしても……国の頂点に立つ人達ってのは大変なモンだな。こうしてほんのわずか、権力争いの切れ端みたいな話を聞いただけでも、遥か遠くに見えるあの巨大な城の中で、さまざまな力と意思と野望と欲がぶつかり合い、そして跳ね返し、かと思えば溶け合う不気味な渦の絵が頭の中に浮かんでくる。 権力かあ……。僕には永遠に縁のない言葉だな。 そんな臣下達の姿を、生きながらにして眞王陛下と同じ神の座におわすとまで賞される魔王陛下は、どのようにご覧になっておられるのだろう……。 「おれ、ワケ分かんねー」 腕を組み、ミツエモンが胸を張って宣言する。まあ、お前はそうだろうな。 「大体さあ、学校の成績が悪いのは先生が自分を大事にしないからだなんて主張するヤツに、バカ言ってんじゃねーって言い返すだけで、何でそんなメンドくさい展開と説明が必要なわけ?」 ……そう、言われてみれば……。 「そのように言われてしまうと身も蓋もないのだが……」 さすがにフォンロシュフォールも苦笑を浮かべている。 「君達、いや、我々全員を巡る現状をきちんと理解してもらいたかったのだ。とにかく、教官が再度入れ替えられる状況にはない。……さて、本題はこれからだ」 え、とエドアルド、そして僕達全員の顔が向けられた。……教官は大丈夫だって教えにきてくれただけじゃなかったのか? 「君達は、どうして入学式を延ばしてでも最終試験が行われることになったか、分かっているか?」 フォンロシュフォールの問いかけに、僕達平民組4名の視線が交差する。 「……平民が士官になることに反対する勢力が、何とかして僕達を士官学校から追い払うために、でしょう?」 一番最初にそれに気付いたセリムが、探るような視線をフォンロシュフォールに向けて言った。 「その通りだ」フォンロシュフォールが頷く。「改革に消極的な十貴族各家の当主達は、先ほど説明したように、表立って反抗してみせることはしない。だが彼らの周囲にはタウシュミットのように利害を一にする者達も大勢いるし、彼らにとって主家の隆盛は自らの繁栄のための命綱だ。だから彼らは主家の思惑に添う働きをすることで、自らの立場をさらに強化しようと常に考えている。十貴族ではないといっても、それぞれがわが国でも指折りの名家であるし、集まればたった十家しかない十貴族よりも力を発揮しかねないということも自覚の上でだ。そしてまた、改革を推進しようとなされる宰相閣下は絶大な権力を握っておられるものの、自分に反対するものをことごとく潰してしまうことが不可能であることもよくご存知でいらっしゃる。折々にある程度の譲歩をしてみせることもまた重要ということだな。つまり、タウシュミットのような者達が陰に陽に働きかけたことと、宰相閣下とその賛同者の妥協の産物が、今現在のこの状態というわけだ。もちろん宰相閣下もしたたかなお方だから、妥協すると見せかけて新入生全員を篩いにかける態勢を整えられたのだが」 何でそう、何でもかんでもめんどくさくするわけ〜? ミツエモンの呆れ果ててげっそりした声。思わず頷く僕達一同。……カクノシンさんがミツエモンに何か囁いている。 「そして」 フォンロシュフォールの言葉が続く。 「今回のことも、その流れの1つだ」 全員の顔がきょとんとなってロシュフォールに向けられた。だから、とフォンロシュフォールが苦笑を浮かべる。 「今回の。宝物の献上とその警備について、だ」 ああ! と一斉に納得の声が上がる。何だ、そこに繋がってくるのか! ……長い道のりだったな……。 「嫡男の士官学校入学の御礼と、改めて一族挙げての忠誠を誓うという、率直にいえば点数稼ぎのための宝物献上は元から決めていたらしい。もちろん当初は士官学校で保管するなどという話ではなく、ビーレフェルトから運んできた品を、タウシュミットの当主とフォンビーレフェルト卿が並んで魔王陛下に献上するはずだったらしいのだがな。それが……教官達の入れ替えが不可能になった昨日になって一気に状況が変化してしまった。宝物を学校内で保管し、その警備を新入生全員でさせる、と。ついでにその方面に圧力を掛けて、候補生達の警備態勢についてまで干渉したらしい。その結果があの不公平な配置なのだな」 「つまり意趣返しってことか!?」 叫んだのは僕だ。 上流貴族たちのあまりのセコさに、相手が未来のご領主様だってことも吹っ飛んでしまった。 「教官達を追い出せなかったから、今度は講義と最終試験を妨害するってことか!? 自分達は講義も試験もサボって、僕達には面倒を全て押し付けて……! 嫌がらせかよっ」 「警備時間にまで口出しして? 一日も掛けずにやってのけるんだから、こういうのも行動力があるっていうのかな。笑っちゃうけどね」 そう言うとセリムは本当にくすくすと笑い出した。 同じ貴族として情けないよとハインリヒが言えば、本来貴族は武人階級であるにも拘らず、恥知らずが多すぎるとルドルフが顔を覆う。 「これは単なる嫌がらせではない」 ふいに、フォンロシュフォールが言った。断言するその口調に不吉なものを感じて、僕の背中に緊張が走る。 「どういうことだ……?」 眉を顰めてそう問いただしたエドアルドが、次の瞬間、ハッと表情を変えた。 「まさか……あいつら……」 「3日間だけの嫌がらせなら、わざわざ僕が一人で忠告に赴いたりなどしない」 エドアルドの唸るような声が、更に深くなる。 「……標的は僕……いや、ここにいる全員か……」 「それと教官達だ。彼らは僕達の行動に対して全責任を負う立場だからな」 「…っ。……くそ…っ」 「………あ、あの……エドアルド……?」 皆が口々にエドアルドに呼びかけるが、髪を掻き毟るように頭を抱えてしまったエドアルドは何も答えようとしない。 「……あの、一体……」 僕やミハエル達がフォンロシュフォールに顔を向けた時だった。 「ちっとは想像力ってもんを働かせてみなよ、坊や達。これも士官には大事な素養だぜ?」 スケサブロウさんだ。 振り返った先で、椅子にだらしなく背を預けてにやにやと笑っている。隣には僕達同様よく分かっていないらしいミツエモン、それからいつもの穏やかな笑みを浮かべて僕達を見ているカクノシンさん。 「お前さんたちが宝物の警備をしている最中に、もしもお宝がなくなったり、傷ついたりしたら……どうなる?」 へ? とマヌケな声を上げて。 ふと想像して。 ……ゾッとした。 「モノは恐れ多くも魔王陛下に献上されるお宝だ。自分達で護っていたにも関わらず、それがどうにかなっちまったとしたら、警備をしていた者はただじゃあ済まされないよなあ。それがまだ学校の入学式も終えてないガキだとしてもだ。そしてもちろん、そいつらに警備をさせた教官達もきっちり責任を取らされる」 「無理矢理警備をさせたのは教官達じゃあ……!」 叫びかけて止めた。そんな理屈が通じる相手じゃないんだ。 「……まさか、それって、もしかして、つまり……」 マルクスがおろおろと声を上げる。 「つまりこういうことですよね。僕達が警備をしている間に何か問題を起こして、そして僕達全員と教官達にその責任を全て被せて処分しよう、と……」 「罠に掛けるってことか……」 「でも物は魔王陛下への献上品だぞ! 本当に問題が起これば、放校処分では納まらない!」 「下手すりゃ命で贖わなきゃならないかもな」 セリム、ハインリヒ、ルドルフと続いた最後に、スケサブロウさんが香辛料たっぷりの笑いと共にそう言った。 ごくりと、誰かの喉が鳴る。 部屋に一気に沈黙が、それもかなり重たく暗いものが垂れ込める。 あいつらは。 呪詛するように低く、エドアルドの口から言葉が洩れた。 「あいつらは……いつもそうだ。いつもいつも……っ。どうしてこれほどまでに……どうして……!」 「エドアルド」 フォンロシュフォールが言って、それからすっと立ち上がった。 「油断するな。僕はそれを伝えに来た。……たやすく彼らの罠に掛かるな。君の、君達の」 グランツの名誉のためにも。 それだけ言うと、フォンロシュフォールはさっと踵を返して扉に向かい歩き始めた。 「君は」 ふいに上がった声は、カクノシンさんだった。 「彼らを止めようとは思わないのか?」 カクノシンさんの問いかけに、フォンロシュフォールが振り返る。 「僕は彼らの主でもなんでもない。一応無茶はするなと言っておいたが、由緒正しき貴族の名誉と誇りのためだと言われれば、それ以上どうしろと言う事もできない。この僕にしても……」 一族の名誉と栄光のためとあらば、どんなことでもやり抜く覚悟を持っている。 そう言うと、フォンロシュフォールは廊下に続く扉を開けた。 「あんたの覚悟っていうのは」僕の口から思わず声が滑り出た。「ギレンホールみたいなみみっちい陰謀もやるってことなのか? それからあんたは今一族の名誉とか何とか言ったけど、あんたが大切にするものの中にロシュフォールの民は入ってないのか?」 「……どうしてそのような事を聞く?」 「僕がロシュフォールの領民だからさ」 フォンロシュフォールがじっと僕を見つめてくる。その目の中には……僕を卑しむ光はない。ないと思う。あってくれるなと願う。 「……そうか」 それだけ口にすると、フォンロシュフォールは部屋を出て行こうとした。 「……アーウィン」 三度目にロシュフォールを呼び止めたのは、エドアルドだった。 フォンロシュフォールが振り返る。振り返って、今度は小さく微笑む。 「………やっと名前を呼んでくれたな」 「……そんなことはどうでもいい。それよりも……。どうしてわざわざ警告などしに来た? 友人達を裏切ることになるのではないか?」 友人? エドアルドの言葉に、どこか意外そうにその言葉を繰り返すと、フォンロシュフォールはふっと息を吐いた。 「友人というのも、考えてみればひどく曖昧な存在だな。……僕がこんな風に言うと、また君の機嫌を悪くするかもしれないが。そうだろう? エドアルド」 エドアルドがふいっと顔を背ける。 「君は、僕や僕の一族の、父の仕打ちをいまだに許せずにいる。そうだな?」 エドアルドは反応しない。 「それでも」フォンロシュフォールがくるりと僕達に背を向けた。「僕は、君と共に学べると知って……嬉しかった」 フォンロシュフォールが廊下に向かって歩みだす。 僕達はただ無言で、その背を見送った。んだけど。 「あっ、ねえねえ!」 ………ミツエモン〜……。 フォンロシュフォールが首を捻って、顔半分だけをこちらに向ける。 「アー君と、アウアウと、ウィンウィンとどれがいい?」 仲間達─エドアルドまでも─が、一斉に頭を抱える。 ……………アー君はまだいい! ただ縮めただけだけどまだいい! でも、何なんだ、そのアウアウだのウィンウィンだのっては! じっとミツエモンを見つめていたフォンロシュフォールは軽く肩を竦めると、もう興味はないといわんばかりにきっぱり背を向け部屋を出て行った。 「母上は僕を『ウェン』と呼んでいる。……もっとずっと幼かった頃は『私の苺金髪さん』と呼んでおられたが…」 そう言い置いて。 「それにしてもとんでもないことになったな」 フォンロシュフォールを見送った直後、僕は言った。 「だが逃げ出すことはできない」 エドアルドが、決意の籠もった声で応える。 「そう……逃げ出したりなんかするもんか」 僕もそう言って、エドアルドとしっかり目を合わせる。 「受けて立つしかないよね」 セリムが言う。 「まさか士官学校に入学する前から命懸けの任務につくとは思わなかったけどね」 ハインリヒが続ける。 「でもあんなヤツらのセコい陰謀なんかに負けたくはない」 「負けないよ」 ホルバートが言い、ミハエルが受ける。 「が、がんばりましょう…!」 「皆で力を合わせれば何とかなる!」 マルクスが立ち上がり、ルドルフが拳を振り上げる。 「そうだよ! 皆一緒にがんばるんだ!」 全員の視線がその声の主に向く。 ミツエモンが頬を紅潮させ、でっかい瞳をきらきらさせて立っていた。 「入学式にその宝物が献上できればオッケーなんだろ? だったらそうさせてやろうじゃないか! 皆でそれを最後まで護り抜いて、あいつらの鼻を明かしてやるんだ!」 「……えっと……ミツエモン……?」 何だかものすごく盛り上がってるけど……この場合、お前はあんまり関係がないんじゃ……。 坊ちゃーん、とスケサブロウさんが声を掛けているけど、どうやら聞こえてないらしいし。 「おれ、こんな卑怯なやり方、大ッキライだ。絶対許さないぞ!」 言ったかと思うと、胸元で両の拳を握り締め、キッと僕達を見据える。 「おれも皆と一緒に宝物を護る! こんな陰謀に負けてたまるか!」 思わずカクノシンさんとスケサブロウさんに目を遣れば、2人とも苦笑というか何というか……もうほとんど諦めの境地みたいな複雑な笑顔で頭を掻いている。 「よーし、おれ燃えてきたぞ! ファイトだ、皆! 一緒に頑張ろうっ!」 ふぁい、と? 首を傾げていると、ミツエモンがいきなりずいっと右手を僕達に差し出してきた。 「……えっと……?」 「皆で手を重ねるんだ。友情を確認し合って、仲間の心をひとつにして頑張ろうって決意表明する感じ。ほらほら、皆、手を出して!」 これも都会のやり方なのかな? でもまあ……心をひとつにっていうのは悪くないかもね。 一番最初にマルクスが、おずおずと手を出し、ミツエモンの手に重ねた。それからハインリヒが、セリムが、ミハエルが、ルドルフとホルバートが腕を伸ばしてそれぞれ手を重ねていった。 そして、うっかり見守ってしまったためにちょっと出遅れた僕が手を重ね、最後にエドアルドが僕の手の上に自分の手を乗せた。僕の手を包むように感じる仲間の手の温もりが、何だか……すごく心地良い。心をひとつにっていうミツエモンの言葉の意味が、その温もりと一緒にほのぼのと胸を満たしていく。……単に乗せられただけかもしれないけど。 「3日間、力を合わせて宝物を護り抜く! そして陰謀なんか跳ね返してやる! 頑張ろう、皆! ファイトッ!!」 「……ふぁい…?」 「声が小さい!」 「は?」 「そんなこっちゃ、あいつらに負けちゃうぞ! 声を揃えて、ファイトーっ!!」 「「「ふぁっ、ふぁいとお……っ!」」」 何だかよく分からなかったけれど、でも確かに気合は入った、ような、気がする…かな? 「なあなあ」 興奮が落ち着いた途端、課題が全く出来上がっていないことに気付いて慌てふためく僕達に、ミツエモンが気楽な声を掛けてきた。 「『ウェン』っていうのはさ、どうも今ひとつ面白みに欠けるっていうか、意外性がないって感じがするけど、『苺金髪さん』っていうのは、可愛くっていいよね。何で止めちゃったのかな? おれも『苺金髪のアーちゃん』って呼んだらダメかな?」 「……………」 「……………」 「………喧嘩売ってると思われるから、止めておいた方がいいと思う……」 なあ、ミツエモン。僕は心の中で呟いた。 お前、頼まれても誰かの名付け親になるのは止めておけよな。 長い三日間の、最初の夜が始まろうとしていた。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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