ほら吹きオーギュの息子・14



 ……………今、ミツエモンは何て言ったんだ……?

 僕は呆然としたまま、周囲の仲間達を見回した。……どうやら、今の言葉を聞いたのは、僕だけじゃなかったらしい。言われたクリスはもちろん、エドアルドもアーウィンも、とにかく全員、ぱかっと口を開き、目を瞠り、発言した当人を凝視している。
 そして見つめられているミツエモンといえば、いかにも良い事を思いついたという顔で、にこにことクリスを見ていた。

「……おっ、おまっ……何言ってんだよ!?」

 思わず怒鳴りつけたら、「へ?」とミツエモンが僕を見返した。
 何なんだ、この脳天気に可愛い顔は!? 自分が何を口走ったのか分かってないのか!?

「こいつにあの花を返してどうするんだよっ! そんな事をしたらどうなると思ってるんだ!? 僕達が何のために苦労してると思ってるんだよ、お前はっ!!」

 うん、そうなんだけど、とちょっとだけ困ったように小首を傾けてミツエモンが言った。

「でも話を聞いたら、やっぱりあれはクリリンに返した方がいいと思うんだ。元々お姉さんのもので、タウシュミット家が献上品にする権利なんてないんだから」
「いえっ、あの、でも…!」クリスが慌てて口を挟んだ。「ディオン兄さんはタウシュミット家の庇護を受けていて、作品をどうするかはタウシュミット家が決めていたんです! 兄さんもそれを受け入れていましたし……。ですから!」
「でもあの花は、ディオンさんがお姉さん、シホナさんだっけ? その人に形見として渡したんだろう? だったらやっぱりあれはシホナさんのものだよ。だからさ、クリリン、お姉さんに持って帰ってあげて。ね?」
 ね? じゃねーよっ!
「そういう理屈が通じる相手じゃない」
 エドアルドが1歩前に出てミツエモンと向き合った。
「このままクリスが持って帰ったとしても、結局タウシュミットに取り上げられるだけだろう。彼もそれには逆らえまい。逆らえば、一家でどのような目に合わされるかしれたものではないのだから」
「というか」セリムが後を受けて言った。「魔王陛下に献上されると決定しているものを、僕達が勝手に出来る訳ないだろう? それくらい、考えなくても分かると思うんだけどなあ」
 呆れたような口調に、ようやく気を取り直したらしい皆がうんうんと頷いている。
「それくらい分かってるよ!」
 ミツエモンがぷくっと頬を膨らませて言った。かと思うと、いきなりくるっと向きを変え、わずかに下がった所に控えていたカクノシンさんとスケサブロウさんに身体を向けた。
「下ごしらえは終わってるんだっけ?」
「下ごしらえと申しますか」カクノシンさんがくすっと笑う。「一応の下準備はできています。先ほどあちらに向かわせましたので、そろそろ動きがあるでしょう」
 そか! とミツエモンがにっこり笑う。
 ………はあ? 何だって……?
「それはどういう意味だ!? 何かしたのか?」
 アーウィンがわずかに声を荒げて言った。自分の知らないところで何か起きている、かもしれないことが気に入らないらしい。あからさまに眉を顰めている。
「このまま漫然と入学式を待つのもどうかと思って、昼間の内にそれなりにね」
 アーウィンの様子を気にとめるでもなく、カクノシンさんがゆったりと笑って答えた。
「君達を睡眠不足にするのも良くないし。それに……少し考えれば分かると思うが、素人の君達に献上品の警備を任せて眠れるほど、ここの教官達は無責任じゃないんだよ?」
「…! それは……」
 思わず皆と顔を見合わせてしまう。つまり……それって……?
「という訳で!」
 ミツエモンがぽんと手を打ち鳴らす。
「あの花はクリリンに返そうと思います!」

 その結論に至るまでの途中経過が全然分かんねーだろーがっ!! 

「とにかく、あの花、台座から下ろしてきてくれる? スケ……んー、そろそろいいか。ね? グリエちゃん!」
 ……ぐりえ? ちゃん?
「はい、畏まりましたー、坊ちゃん」
 スケサブロウさんが胸に手を当て、まるで貴人に対するように大げさにお辞儀をすると、花の台座に向かって行く。

「…まっ、待って下さい!」
 焦った声でクリスが叫んだ。

「そのガラスの箱を動かしてはいけません! それを間違った方法でちょっとでも動かしたら、すぐにルーディン様に知られてしまいます!」

 魔術が掛けられているのです。
 どういうことだと問う皆の視線に答えて、クリスが言った。
「不用意に動かせばルーディン様はすぐに察知なされ、すかさずここに踏み込んでこられるでしょう。戻しても痕跡が残るようになっているので、言い訳はできません。魔王陛下に献上される品を勝手に動かせば、それだけでも大問題になりますから、必ず責任を追及されます」
「あいつに察知されない方法ってのはないのか?」
 ホルバートの質問に、クリスは「察知はされるが、ここに踏み込まれない方法はある」と答えた。
「一定の手順を踏めば、やはり動いたということは伝わりますが、ルーディン様は僕がやった事だとすぐにご理解なされるでしょう。正しい手順を知っているのはタウシュミット家の者だけですから。おそらく僕が花の奪取に成功したとご判断され、部屋で僕が戻るのを待つ、という可能性は高いと思います」
「しかし結果は同じだろう?」ビートが口を挟んできた。「花が動いたのは事実だし、もし君が花を持って帰れば、それは結局彼らの計略が成功したということだからな。遅かれ早かれ、タウシュミットはエドアルド達の責任を追及してくるだろう。そう……例えば賊に奪われたものを、クリスが奪い返したのだとか何とか主張して」
「そうです。ですから、どうあれそれを動かしてはいけません。ちょっとでも動かせば、それで……終わりです。 魔王陛下への献上品に勝手に触れ、動かした。ルーディン様は他にもきっと何らかの理由をつけて、ロードン君やノイエ君達の、いいえ、この場に居合わせた全員の責任を追及なされるでしょう。タウシュミットの圧力も掛かるでしょうし、そうなれば全員放校処分では済みません」

 はあ……と、何とも複雑なため息が一斉に漏れた。

「……あのな、ちょっと聞いてもいいか?」
 ふと湧いた疑問に、思わず口を出してしまった。
「ノイエ君?」
 クリスが僕を見る。
「お前、いや、君さ、タウシュミットの役に立ちに来たんだろう? だったら……僕らの目を掠めて花を奪うのは無理でも、例えば適当な事を言って僕達にあの箱を、ちょっと持ち上げるとかずらすとかさせれば良かったんじゃないか? 僕達もさんざんその箱に手を当てて花を見せもらってたし、ちょっと動かすくらいなら簡単にやったと思うぞ?」
 それからタウシュミットたちを招き寄せ、僕達が勝手にやったと主張しても良かったんじゃないかな?
「これだけの目撃者がいるのに?」
 首を捻って尋ねる僕に、クリスが苦笑を浮かべた。
「そうだね、もしここで花を護っているのが君達、平民出身の4名だけだったらそれが成功した確率は高いね。君達が何と言い訳しようと、居丈高にそれを押し潰すこともできたかもしれない。でも……20人もいるんだよ? それにフォンロシュフォール卿もフォングランツ卿もおいでになる。僕の主張が通る可能性は限りなく低いよ」
「……あー………そうか」
 それに……。
 納得して頷く僕に、クリスが力なく言葉を続けた。
「何とかしたいと思っていたのも確かだけど……やっぱり人を陥れるのは……イヤだよ……。正直言うとね、ここに入ってこれだけたくさんの人がいて、もう僕一人じゃどうしようもないって分かった時に……ホッとしたんだ」
 駄目だね、僕は。
「役立たずだよね……」
 そう言うクリスの声が潤んでいる。

「主に忠義を尽くすというのは、主と共に道を踏み外すことではないよ?」

 カクノシンさんの声が響いた。
 クリスがハッと顔を向ける。

「本当に主を大切に思うなら、大切に思えるほど仕える価値のある主だと思うなら、持つべきは、それは間違っていると主に諫言する勇気だね。主の器によっては、叱り飛ばすでも怒鳴りつけるでもいいと思うけど。……それはそれとして、君が感じたことは人として当然のことだ。それを卑下するのは間違っていると思うな」

 カクノシンさんが言い、隣でミツエモンがうんうんと頷いている。
 しばらくじっとミツエモン達を見つめていたクリスは、やがて「はい」と頷いた。
 それから目元をそっと拭うと、改めて顔を上げ、背筋を伸ばした。

「お願いします」

 クリスがミツエモン達に真摯な瞳を向けて言った。

「お気持ちはとても嬉しく思っております。ですがどうか危険なことはお止め下さい。あなた方だけでなく、ここにいる同期生全員のためにもです。……先ほどフォングランツ卿が仰せになられた通り、もしここであなた方から花を返して頂いたとしても、僕はそれを姉の元に戻すことはできません。ルーディン様がお求めになるまでもなく、僕は花をタウシュミット家にお渡しします。たとえ僕の心情がどうあろうと、それが僕の役目であり、立場ですから。……あの花を姉に返すとお決めになれるのは……タウシュミットのご当主様だけです」
「もう一人いるよ」
「……は?」
 辛い思いを押し殺し、懸命に綴った言葉をあっさり返されて、クリスは声の主、ミツエモン、をきょとんと見返した。
「あの花をクリリンのお姉さんに返すって決めることができるのは、タウシュミットだけじゃないだろ?」
「…え……それは……」
「だからさ」
 そう言うとミツエモンは、花の側に立つスケサブロウさんに頷きかけた。
「はい、坊ちゃん」
 にっこり頷くと、スケサブロウさんは迷いもせず花の台座に手を伸ばし、そして。

 ぽかんと見守る僕達の目の前で。

 あっさりと花を納めたガラスの箱を台座から外してしまった……!?

「…う、うわぁっ!」
「そんなあっさりーっ!?」
「ちょちょちょっ、ちょっとーっ!!」

「スケサブロウさんっ、あなたそんな……っ! ミツエモンっ!!」
 もう訳も分からず叫ぶと、僕は思わずミツエモンに詰め寄った。
「何考えてんだっ、お前は! タウシュミットは僕達を陥れる機会が来るのを、手ぐすね引いて待ってるんだぞ! あいつらに何て言い訳するつもりだよっ! カクノシンさんっ、あなたもです!」
 どうして止めて下さらないんですか!?
 興奮する僕に、なぜかカクノシンさんは微笑んだ。
「マチアス、落ち着いて」
「でっ、でも……っ!」

「何かお考えがあるんですよね!?」

 悲鳴の様に聞こえたのはエドアルドの声だった。

「カクノシン殿やスケサブロウ殿が、お考えもなくこのようなことをされるとは思えません! もう間もなくタウシュミット達がここに駆けつけるでしょう。どうなされるのか教えてください!」
 期待を込めてエドアルドがカクノシンさんを見上げる。
 その言葉を耳にして、瞬間、全員が一斉にエドアルドに倣った。
 ……そうだ、確かにそうだよ。カクノシンさん達が、考えもなしにこんなとんでもないことをするはずがない!
 必死の信頼を込めて見つめる先で、カクノシンさんが「いやぁ」と爽やかに笑った。

「俺は何も。お考えがあるのは坊ちゃんだよ」

 ……………………………。

「………あのさ……。皆して、何でそこで一斉に引くんだよ……」

 一瞬で真っ暗な沈黙に陥った僕達に、ミツエモンが目を眇めて低ーく唸った……。

「……僕達どうなるんだ…?」
「献上品窃盗の共犯…とか……」
「…ああ……せっかく士官学校に合格できたのに……」

 あのなあ!

 ずぶずぶと暗闇に沈んでいきそうな気分の僕達に、ミツエモンがでっかい声を上げた。
 あのな、じゃないよ。お前のせいだろー?

「何暗くなってんだよ! んなコトになんないから安心しろって! おれにどーんと任せろ!」

「任せられるかーっ!!」

 叫んだ僕に罪はないと思う。

 とはいえ、どうこう問答する時間はなかった。
 この部屋に向かって近づいてくる、荒々しく乱れた幾つもの足音がはっきりと聞こえてきたからだ。

「来たぞ!」

 その言葉とほとんど重なるようにして。
 部屋の扉が弾けるように開いた。

「我が一族の宝物を勝手に動かした者がいるな!」
 扉を大きく押し開いた従者の間から、タウシュミットとフォンギレンホールの2人が肩をそびやかすようにして入ってきた。
「恐れ多くも魔王陛下に献上される宝物を………き、貴様…っ!」
 怒鳴りながらぐるりと顔を巡らせていたタウシュミットの視線が、花を納めた箱を腕に抱えているスケサブロウさんを捉えた。
 その瞬間、本当に一瞬のことだったけれど、タウシュミットの目が満足、もしくは歓喜、に輝いたのを僕ははっきりと見てしまった。と、思う。

「貴様、やはり賊の一味だったか!」
 タウシュミットが指をスケサブロウさんに突きつけた。……どうあってもミツエモン達を盗賊に仕立てるつもりか。
「魔王陛下に捧げられる貴い品をお前のような下郎が手にするなど、許されざる大罪だぞ!」
 貴様達もだ!
 タウシュミットと並んでいたフォンギレンホールが、僕達を見回して怒鳴った。
「陛下への献上品をお護りするという名誉ある任務についていながら、この体たらくは何だ!? それも……これだけ人数が揃っていて、わずか3名の賊を取り押さえることもできないとは! 恥を知れ!!」
 怒りの声と態度の後ろに、嬉しくてたまらない本音が透けて見える。結局はこの程度の薄っぺらいヤツなんだ。
 ただ単に高い身分の家に生まれついたというだけで、こんなのがいずれ国を動かす立場に立つのか? 許されるのか?
 そんなことで、良い政治ができるのか? どれほど魔王陛下が偉大であろうと、このままで本当に良い国になるのか?
 ……そんな疑問を抱くことは許されないのだろうか……。

「おっ、お待ちください!」

 クリスが前に飛び出してきた。

「おお、クリス!」

 タウシュミットが相好を崩してクリスを呼ぶ。
「分かっているぞ。お前はこいつらの企みに気付き、悪事を止めようとここにやってきたのだな。お前の行動で我々はこうして間に合い、悪事は未然に防がれた。よくやったぞ!」
 何がどうしてどうなったかなんて、本気でどうでもいいんだな、こいつ。
 もし分かっていることがあるとすれば、それはクリスがここに来たことが切っ掛けになったというそれだけだ。そしてそれはその通りなんだけど…。
 あ、あの……と、クリスが口ごもって動けなくなる。
 仕方がないよ。こうなったらクリスにはもうどうしようもない。ああ、本当に、どうしようも……。

「とにかく!」フォンギレンホールが声を張り上げる。「貴様達、全員ここを動くな! すぐに教官達を呼んで事の処理に当たらせねばなるまい。我らが賊を捕らえたこともはっきり伝えねばな!」
「卑しい出自の者に、このような役目が果たせるはずもないのだ。これはやはり、教官達の責任もはっきりさせねば!」
 ……反論する間も与えず、自分達の筋書き通りになし崩しに事を進めようとしてる。それははっきり分かっているんだけど……。一体どうすればいいんだ!?

「お前達」
 タウシュミットが部屋を見回し、それはもう吐き気がするほど悪意たっぷりの笑みを浮かべて言った。
「覚悟しておけ」

「いい加減にしたまえ、タウシュミット、それからバドフェル殿も!」
 ずいっと前に進み出たのはアーウィンだ。相当怒っているらしく、綺麗な細い眉がきりきりと上がっている。
「おや、これは驚いた。フォンロシュフォール卿。貴公までがどうしてここに?」
 フォンギレンホールが今気付いたという顔で目を瞬かせる。
「よもやアーウィン殿、貴公ほどの方がこのような卑しい者共と行動を共にされるはずがない。やはりこやつらの悪事に気がつかれ、それを防がんとなされたのであろう?」
「もちろんその通りでありましょう、バドフェル殿。フォンロシュフォール卿、我らはちゃんと分かっております。……さあ、どうぞこちらに」
 タウシュミットがそう言って、アーウィンに向かって手を差し出した。……お仲間を悪い立場に置いたりしないという訳だ。実に親切、いや、恩着せがましい2人の笑顔に、さすがにアーウィンも切れた。
「き、さま、あ……っ!」
 僕をバカにしているのかっ!?
 剣の柄を握り締め、突進しようとするアーウィン。タウシュミットとフォンギレンホールの取り巻き5人が、一斉に主を護ろうとその前に回りこむ。だけどアーウィンのその動きは、わずか1歩でガクリと止まった。
 剣の鞘を支えていた左腕をエドアルドがしっかりと掴まえている。
「……エド……」
「馬鹿馬鹿しいにも程というものがある。こんな阿呆共、相手にするな」
「これはこれはフォングランツ卿」
 嫌みったらしく、タウシュミットがお辞儀をしてみせる。
「あなたもおいでになられたか。このような場所で一体何を? ああ、そうでした! あなたの大切なご友人があまりに無能なので、助太刀においでになられたのだったな? だがそれも役には立たなかったようだ。それどころか、ミツエモンなどとふざけた名を名乗るこやつらが賊徒の一味と気付かず、こうしてこの場に引き入れるという重大な過ちを犯してしまったのだからな。フォングランツ卿エドアルド殿! この責任をどう取られるおつもりか!」
「1つ確認しておきたい」
 エドアルドがタウシュミットとフォンギレンホールを睨み据えて言う。
「真実は必ず明らかにされる。そこまで口にしたからには、お前達もそれ相応の覚悟はしているのだろうな?」
「な、何だと……?」
「無実の者を盗賊扱いした責任を取る覚悟はあるのだろうなと聞いている!」
「無実も何も!」タウシュミットがスケサブロウさんを指差して怒鳴る。「魔王陛下への献上品を勝手に持ち出そうとしているのだぞ! その現場を押さえられて一体何をほざいている!?」
 ……そうなんだよな、この状況じゃ言い逃れができないんだよ。盗む気なんてないのは分かってるけど、でも勝手にクリスに渡そうとしてたのは確かだし、持ち出そうとした言われても、これじゃ違うって言えないじゃないか! 全くもう!
 言い返す言葉を捜しあぐねたのか、エドアルドが唇を噛む。アーウィンも、そして周りを囲む僕達も、何も言えないまま立ち尽くしている。対照的に、タウシュミットとフォンギレンホール、そしてその取り巻き達─クリスを除く─は、勝利を確信して余裕の笑みを浮かべている。

「えーと、そろそろいいかい?」

 ふいに。本当に唐突に。場に全くそぐわない暢気な声が響いた。
 え? と全員で顔を向けた先に、花の箱を抱えたままのスケサブロウさんがいつもの陽気な笑みを湛えて立っている。

「いやさ、言いたいことはそれで全部か? って聞いてんだけどね」

「……す、スケサブロウ、さん……?」
「き、貴様、何を……っ」

 そんじゃ、ま。
 気楽な声を上げて箱を一揺すりし、しっかり抱え直すと、スケサブロウさんはそのまますたすたとミツエモンとカクノシンさんの元へ歩いていった。
 そしてミツエモンの前に立つと、「はい、坊ちゃん」と箱を差し出した。
「やっぱり坊ちゃんの手から返した方がよろしいでしょう?」
「うん、そだね。ありがと、グリエちゃん。……これ、重い?」
「ちょいと重いですよぉ。気をつけて持って下さいね」
「ああ、無理に一人で持とうとなさらないで。俺がお手伝いしますから」

 ………うわー、何かこの三人、話の流れも雰囲気も、きれいさっぱり無視してるぞ……。

「おっ、お前達っ、何をやっているっ! 花を返せ! この盗賊………っ!!」

 花を納めた透明な飾り箱が、スケサブロウさんの手からミツエモンの手に渡る。
 ミツエモンが、カクノシンさんに支えられて箱をしっかりと腕の中に抱える。

 その瞬間。だった。

 それを、僕は何と表現すればいいのだろう。

 ミツエモンが花の箱を胸に抱くように受け止めたその時。

 突如。

 花の命を得た魔石が、燦と輝きを増した。

 紅と黄金が混ざった、それでもどこまでも透明な光は一瞬で箱の内部を満たし。

 そして次の瞬間。

 透明なガラスの箱は一気に砕け散り、同時に……花も砕けた。


 りんりんと。
 音がする。

 存在するのに存在しない音。
 耳に聞こえないのに、耳に聞こえる音。

 真冬の深夜、雪が静かに静かに積もる音。
 水溜りに落ちた落ち葉から広がる波紋の音。
 夏の陽射し。花びらを乗せて流れる風。蝶の羽ばたき。
 ………目蓋をこじ開け、零れて流れる涙の音。

 聞こえないのに、聞こえる音。

 りんりんと。
 鈴の音よりも透明な音がする。

 部屋の中は、満天の星を全て集めたかのような光の粒子に溢れていた。
 部屋の中いっぱいに鏤められた光の粒は、黄金に紅に、そして光そのものを形にしたように透明に輝いて、ゆっくりと流れるように動き、そこにあるもの全てを耿耿と照らし出している。
 言葉もなく、呆然と見つめるその先で、光の粒子は少しづつ速度を上げ、帯の様に集まって流れ始めた。まるで…天空の星の河のように。

 星の瞬く音がする。

 光の帯は部屋を縦横に流れ、しだいにそれは渦を巻き始めた。さらに速度が上がる。
 光の渦。星の渦だ。さらにさらに速度が上がる。凄まじい勢いで部屋の空気を掻き回す。
 綺麗だ。ものすごく綺麗だ。綺麗だけど……っ。
 渦巻く迫力がすご過ぎて、何て言うかっ、光の渦に襲われてる気がするんですけどっ!
 黄金と紅の輝きが一段と強くなる。目を焼くほどに強く!

「うわーっ、これってやばいー!?」

 声にハッと目を開く。
 強烈な光の中にミツエモンがいた。ミツエモンとカクノシンさんとスケサブロウさんが寄り添うように立っている。
 光の渦は、この3人を中心に起きている……?

「反応が過激すぎるって! まずいよ、これ! 落ち着けー! 落ち着いて大人しくしろー…って、この魔石、おれの言うこと聞いてくれる? 耳ある?」
 あるわけねーだろっ!
「大丈夫ですよ」
 カクノシンさんの落ち着いた声。……この人が焦るってこと、あるんだろうか?
「ちゃんと言う事を聞きます。落ち着いて、心を集中させて言い聞かせればちゃんとね」
 耳なんかないのに?
 カクノシンさんの言葉に頷いたミツエモンが、ゆっくりと深呼吸するのが見えた。
 渦巻く光の粒の中で、大きく息を吸い、そして吐く。それから閉じていた目を開くと、ゆっくりと両手を広げる。

「大丈夫。ここにおいで」

 唐突に。渦が止んだ。

 しんと静まる部屋の中で、ただぜいぜいと僕の、それから皆の、喘ぐように呼吸する音だけが響いている。
 あの3人を除いて、立っているものは誰もいなかった。へたり込むように座り込み、もしくは床に這い蹲っている。
 そのまま呆然と動くこともままならない僕達の前で、まるで奇跡の様にそれは起きていた。

 部屋を満たす光の粒子。
 それがきらきらと、さらさらと、りんりんと、光を瞬かせながら流れ、ゆったりと、そしてこう表現することが許されるなら……おずおずと、ミツエモンの元へと集まり、それからまるでベールか衣のように優雅にミツエモンの全身を包んだ。
 ミツエモンが黄金と紅と、そして透明な光に包まれて輝く。

「……う……わ……!」

 綺麗、だ……!

 光の衣を纏ったミツエモンは、嬉しそうににっこりと笑みを浮かべ、そしてその感触を確かめるように手をゆっくりと動かした。光が、その動きに合わせて揺れる。
 ふいにミツエモンが顔を上げた。
 部屋の中でへたり込む僕達をぐるっと見渡すと、楽しそうに笑い掛け、そして。
 腕を、僕達に向かって大きく広げた。

「皆にもね」

 光が弾けた。

「……わ…あ……っ!」
 身体が光に包まれている。無数の小さな小さな光の粒が集まって、それがそよ風の様に流れ、流れるに従って黄金から紅に輝きを変え、僕を包み、そして……暖めてくれる。僕の胸の中を、ほんのりと。
 見れば、カクノシンさんとスケサブロウさんも、エドアルドとアーウィンとクリスも、セリムとホルバートとマルクスも、ハインリヒとミハエルとルドルフも、それからピート達と、えっと…………一瞬こいつらには必要ないんじゃないかと思ってしまったタウシュミットとフォンギレンホールとその他、も、全員が光の粒でできたベールに包まれている。

「………まるで」
 アーウィンがうっとりと呟いた。
「祝福されているようだ……」

 どれだけの時間が経ったのか、ふと気付くと光のベールが解け、ふわりと広がり、かと思った次の瞬間、それはまたゆっくりとミツエモンの元に戻っていった。

 ミツエモンが手を翳す。
 光の粒がその手に集まる。
 粒子にまで散っていた光が、集まって、集まって、1つになろうとしているかのようだ。いや、違う。これは……。
「……元に戻ろうと、している……?」
 エドアルドが言った。
 いつの間にか僕たちは立ち上がっていた。
 立ち上がり、光の粒子を追うようにミツエモンの前に集まる。
 そうして。
 ミツエモンとカクノシンさんとスケサブロウさん、そして僕達の見ている前で。
 光の粒は1つの光の塊となり、やがて形を取り戻し始めた。

 一輪の魔石の花に。

 ミツエモンの両の掌の上。
 これまでと寸分変わらぬ形の花がそこにあった。
 いや……。
「前よりも……さらに美しく輝いているような、気がする……」
 でも、たぶんそれは気のせいじゃない。

 ほう……というため息がいくつも漏れて。でも誰もそれきり動けなくなってしまった。
 何を言って良いのか、この後どうすれば良いのかも、さっぱり分からない。
 僕達も、タウシュミット達も。

 呆然と花を見つめる僕達を他所に、動いたのはミツエモンだった。

「はい、これ。クリリンに返すね」

 あり得ないほど無造作に、ミツエモンはクリスに向かい合うと掌の上の花を差し出した。
 魂が抜けたような顔で受け取るクリス。

 クリスの手に花が移ったその時、花がまたふいに反応を見せた。
 全体がほのかに光り出すと、きらきらと、あの光の粒子が湧くように現れ、花の周りを遊ぶように泳ぐように揺らめいている。
「………魔力を持つ者が手にすれば……このように輝くのです……。でも、どんなに魔力が強い者が手にしても、せいぜいこの倍程も輝くかどうか……」
 それが、どうして……。
 クリスの瞳が、むしろ不安に慄くようにミツエモンを見つめている。

 花は光の粒子の中でほんのりと輝いている。
 もし何も知らないままであれば。あの光の渦を、僕達を包んだ光のベールを目にしていなければ。この輝きはまさしく奇跡の光だと、僕は心から感動しただろう。
 でも今は。

「これ、クリリンのお姉さんのものだよね?」
 ミツエモンがタウシュミットに向かって言っている。
「この花はクリリンの家にお返しするから、もう取り上げちゃだめだよ?」
「……な……何を……言って、いる……」
 搾り出すように、タウシュミットが言い返した。
「これは………我が家、より、陛下に……」

「うん。でもおれはもう充分……」

「来たようです」

 ミツエモンが言いかけた言葉に被さるように、カクノシンさんが言った。そしてその言葉が合図だったかのように、扉が開かれた。

「…! きょっ、教官どの……!」

 先ず最初に入ってきたのが、ボッシュ教官殿とユーリア教官殿。そして後数人の教官達に続き、飛び込むように入室してきたのは……見るからに上流貴族の、値が張りそうな豪奢な衣装を身に纏った男性、だった。

「ちっ」タウシュミットがひっくり返った声で叫ぶ。「父上!」

 父上ぇ!?
 てことは! この男が……タウシュミット家の当主!?

 その男性、タウシュミット卿は、血の気の引いた真っ青な顔を汗びっしょりにして、まるで病人のような様子で身体を震わせていた。

「父上っ!」
 タウシュミットが父親に向かって駆け寄って行く。
「父上、私は……」

「この…バカ者がぁっ!!」

 怒鳴り声と同時に、タウシュミットの身体が吹っ飛んだ。
 床に叩きつけられた主を、取り巻き達が愕然と見つめている。フォンギレンホールも、そしてもちろん、僕達も。
 タウシュミット卿は息子を殴り飛ばした拳を、いや、全身をわなわなと震わせ、それからハッと気付いた様に引きつった顔を上げると、その見開いた瞳を何かを探すように周囲に彷徨わせた。そして。

 ミツエモンを見つけた。

 タウシュミット卿の身体がぶるりと大きく震える。

「…お、おお……」
 ギリギリまで大きく瞠いた目で、ミツエモンを凝視するタウシュミット卿。
 静かに見つめ返すミツエモン。
 と。
 タウシュミット卿が動いた。強張った手足を無理矢理動かすようにギクシャクと。
 だけどそれもほんの数歩。
 突如、まるで何かに突き飛ばされたかのように、タウシュミット卿がミツエモンの前に身体を投げ出した。

「おっ、お許しをっ!!」

 絶叫するように許しを請いながら、タウシュミット卿が額を床に打ち付けている。

「愚かな息子の無礼、何とぞ、何とぞお許し下さりませっ!!」

 いざるように床を進み、ミツエモンの足にすがり付くように這い蹲ると、さらに頭を床にこすり付ける。

「………ち……ちち、う、え……?」
 取り巻きに支えられ、上半身を起こした姿で呆然と呟くタウシュミット。

 誰かの喉が鳴る。
 あり得ない光景に、僕達の誰も動けない。軽口の1つも出てこない。ひたすら唖然として、目の前で起こっている事を見つめているだけだ。
 ただミツエモンとカクノシンさん、スケサブロウさん、そして教官達だけが、静かな目でひたすら許しを請う男を見下ろしている。


「タウシュミット卿」

 ミツエモンが足元に蹲る男に呼びかけた。男がさらに畏まるように身体を縮める。

「おれさ、人にそんな風にしてもらうの、好きじゃないんだ。立ってくれないかな?」
 困ったような口調でミツエモンが言う。だけどタウシュミットの当主は、その言葉に逆にますます身体を硬く小さく縮めてみせた。
「とっ、とんでもございませんっ!」
 顔を伏せたまま、悲鳴の様に声を上げる男に、ミツエモンがいかにも「困ったなあ」という顔で息をつく。

「あのね、タウシュミット卿」

 仕方がないやとミツエモンが、こいつには似つかわしくないほど穏やかな声で足元の男に声を掛けた。

「おれ…これはあんまり口にすることはないんだけど……ほんとはね……」

 いつも、怖くて仕方がないんだ。

 沈黙と共に、その場に集った全員の視線がミツエモンに集まった。
 タウシュミット卿もまた、きょとんと顔を上げる。

「すっかり勘違いされてて、正直おれ、困ってるんだ。名君だとか、偉大だとかって、おれには絶対似合わないのにね。それどころか、史上最高の、なんて言い出す人もいてさ。そんな人とは恥ずかしくって目も合わせられないよ。何せ、ほら、実物がコレだろ? もう申し訳なくってさ」

 くすくす、と、ミツエモン……が笑う。

「おれさ、王位に就いたばかりの頃は理想がばりばりにあってさ。もう絶対やってやるぜーっ! って、張り切ってたんだ。でも、時間が経てば経つほど、ああおれって口先ばっかだなって思うようになった。別に理想をなくした訳じゃないけど、それは絶対ないんだけど、その理想を現実にするためにどうするか、おれが王様として何をすべきか、何ができるか、全然分かってなかったんだよね。そりゃ……そのための勉強なんてしてこなかったんだから仕方がないって言えば言えるかもしれないけど、でもそれを言うのは甘えだってくらいは分かるようになったし……。けどおれバカだから、自分では何も出来もしないくせに、やっぱり理想を口にするのを止められないんだな」

 ミツエモン、と名乗っていた人が顔を上げ、ぐるっと僕達を見回した。
 見回して、微笑む。
 誰からもどこからも言葉はない。音もない。何も、考えられない。

「おれが王様になって、国が良い方向に進んでるって言ってもらえる。人間との関係が良くなって、民の暮らしも良くなったって。嬉しいよ、とっても。でもおれは大事な事を忘れるわけにはいかない。おれは……何もしてない。ただ理想を口にするだけ。ただ後先考えずに無我夢中で飛び出していくだけ。もしもおれの理想が現実になって、そして民の暮らしが、この国が良くなったというのなら、それはおれの手柄じゃない。グウェンやギュンター達が、おれの理想を形にするため、毎日死に物狂いで働いてくれるからだ。おれみたいなガキが皆に認めてもらえるように、立派な王様になれるようにと、おれの周りにいてくれる皆が命懸けで仕えてくれるからだ。それなのにおれは……いつまで経ってもバカなガキなんだ。だから、ヴォルフには朝から晩までへやちょこ呼ばわりされるし、そして……」

 コンラッドには……。
 その大きな瞳が、まっすぐにカクノシンさんに向けられる。

「反逆者となり、命を投げ出す覚悟までさせてしまった。たった一人で……たった……ひとりで……」

 カクノシンさんが首を左右に振る。
 主を見つめる見開かれた瞳に、どこか物狂おしい光が瞬く。

「だからおれは……怖くて仕方がない……」

 彼の顔が改めてタウシュミット卿に向く。

「おれのこの願いは、本当に民のためになるんだろうか。今この判断は正しかったんだろうか。この道を選んで良かったんだろうか。おれの今の言葉は、何かとんでもない結果を引き出したりしないだろうか。おれが口にした言葉のために、誰かが苦しむんじゃないだろうか。おれの願いを叶えようと、また誰かが傷つくことも厭わずに無理をしたりしないだろうか……」

 ハッと彼が顔を上げた。すぐ傍らにカクノシンさん、が、いる。
 彼の両肩に手を、まるで力任せに掴むようにして、じっと彼を見つめている。
 噛み締めた唇が、今にも何か言葉を発しようとするかのように震える。

「でもね。ひとつだけ分かってることがあるよ」
 カクノシンさんに、彼、が、にっこりと笑みを投げかけた。

「もしも、おれが怖さを感じなくなったら。皆がおれのために苦労することを当然だと思うようになったら。そして……名君だの、偉大だの、そんな言葉で褒めそやされることを当たり前の様に感じて、そして自分で自分を、おれは史上最高の王様だなんて自慢に思うようになってしまったら」

 僕達がミツエモンという名前で知っていたはずのその人が、僕達に笑顔を向けた。
 それまで当たり前に見てきた幼さも、脳天気さも、こそぎ落したような静かな静かな笑顔を。

「その時、その瞬間に、おれは……」

 魔王の資格を失うだろう。  

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また変なトコで終わってしまったー……。
ミツエモン坊ちゃん大変身の巻? だったり。
ちゃんと語りにオチがつくかどうか不安たっぷりですが、後もうちょっと!
とにかく頑張ります!

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