銀の星ふるふる・1



「……ふわぁ……キレイだなー」
「ホントだねぇ。これは素晴らしいなあ」

 木々の葉が色づき始めた秋のある日。
 我らが魔王陛下とその最も近しい家族同様の人々が、気軽に集まり、気楽に語り合われる部屋。普通の家なら居間と呼ばれる場所の中央に、デンと据えられた広い卓を挟んで、2人の高貴な少年が深々とため息をつかれた。
 お1人はもちろん魔王ユーリ陛下。そしてもうお1人は、「少年」などと申し上げては少々不敬に当るのかも知れない、大賢者ムラタ・ケン猊下だ。
 そしてお2人と一緒になって卓を囲んでいるのが、宰相であり俺の直属の上司でもあるフォンヴォルテール卿グウェンダル閣下、かつての上司で幼馴染で腐れ縁で…まあイロイロ名称のつく関係のウェラー卿コンラート、閣下、通称コンラッド、そしてその弟であり、魔王陛下の婚約者であられるフォンビーレフェルト卿ヴォルフラム閣下、さらに王佐のフォンクライスト卿ギュンター閣下、といういつもの面々だ。
 で、俺ことグリエ・ヨザックがどうしてこの場にいるかだが。ま、大したコトじゃない。国外諜報任務を終えて報告に戻ってきた俺に、陛下と猊下が「土産話をイロイロ聞きたい」と仰せになったからだ。
 とは言っても、お二人がため息をついておられるのは、別に俺が超絶イイ男だからでも、俺の話が面白かったからでもない。そもそもまだ何の話もしていない。

 広い卓の上にあって、尊いお2人の視線を釘付けにしているのは、銀で出来ているらしい細工物だった。

 何でも、あまりに歴史がありすぎて、出処がすっかり不明になったモノを保管している地下のガラクタ置き場……じゃねぇ、宝物庫を探検なさっておられた陛下が見つけ出したシロモノらしいのだが……。

 それは、どでかい卓の上、一面に広がるほどの巨大な「街」だった。
 中央に広場がある。そしてそこから放射線状に道が広がり、道沿いに家々や塔がぎっしり並んでいる。高さもかなりあり、1番高い塔は望楼が俺の目の高さくらいまである。
 全てが銀色に輝く、銀の街だ。
 造作がおっそろしいくらい細かい。家々の造りはもちろん、全ての建物の中もきっちり作りこんであるようだ。閣下方の肩越しにちょいと覗いて見たら、家の中にやっぱり銀色に輝く卓だの椅子だのが並んでいた。卓の上には小さな蝋燭立てがあり、その周りにはさらに小さな茶道具が一式置いてあった。別の部屋には台所があり、竈にはちゃんと鍋が乗っかっている。正直、仰天した。というか、そこまでやるのか、それも、こともあろうに銀を使ってと、造ったヤツにも、造らせたヤツにも、妙な、そう、怒りのようなものを感じてしまった。何だかな。

 街は、石畳もしっかり再現してある。木々や窓辺の花々に到るまで、家の中以上に一つ一つ、手を抜かずに細工してある。
 そしてそこかしこに、住人である人、もちろん銀の人形、が配置されていた。
 小さな銀の人々は、当たり前かもしれないが、いや、かなりすごいことじゃないかと俺なんかは思うわけだが、1人1人、顔も髪型も年代も服装も、全てが異なっていた。
 そして彼らは、家の中では居間で茶を飲み、台所に立ち、書斎で本を読み、寝台で寝ていた。窓や戸口から顔を覗かせている者もいる。そして外に出れば、広場で佇んだり、何人かで手を繋いで輪になっていたり、屋台を挟んで向かい合っていたりしている。
 さらに俺達が驚いたのは、この細工物が単なる置物じゃなく、自鳴琴になっていることだった。
 底の厚みにネジがある。それを回すと、金属を弾く音が響く。残念ながら、古くて中身がどうにかなっているらしく、音楽とはちょっと呼べない状態だが、それでも透明な音は驚くほど涼やかで、俺なんぞの耳にも心地良く響く。
 そしてその音、昔は音楽、に合わせて、人形達が動き回る仕掛けになっていた。
 買い物籠や花束を持って道を歩き、広場で輪になったのはぐるぐると円を描いて踊りだし、屋台を覗くのは店番らしいのとお辞儀を繰り返し、窓から身を乗り出してんのは頭を出したり引っ込めたりしている。えらく小粒なのが動いていると思って良く見たら犬だった。おまけに、どういう仕掛けになっているのか、家の屋根伝いをコトコト動いているのがいて、その後から剣を振り上げた軍人らしいのが追いかけている。……どうやらコイツは泥棒らしい。
 動きそのものは単純だし、仕掛けが古くてかなりぎくしゃくしているが、人形の動き一つ一つが違うというのは大したモンだと思う。眺めているとイロイロ想像できて面白い。
 それにしても。
 これが全て銀でできているとなれば、この大きさといい細工といい、おっそろしく高価なシロモノだ。家が買えるどころじゃない。
 とてもじゃないが子供の玩具にゃならないし、貴族の持ち物としてもこれほどのものはそうそう存在しないだろう。

 ……こんなとんでもないモンが、物置…いやいや、宝物庫の奥深くでホコリを被ってほったらかされてたなんてね。

 まあとにかく。何でそんなところで宝物探しをなさっていたかは知らないが、コイツは埃を払われ、外っ面だけは綺麗に磨かれて、改めて陛下への御前に引き出された。
 どうやら仕事を任された磨師も、修理を依頼された細工師も、自分達ではどうにもならないと泣きを入れてきたらしい。
 磨かれたのは外側だけで、家の中はどう綺麗にしようもない。建物を開いて中を露にする方法がさっぱり分らないらしいんだ。おまけに、音楽や人形の動きの仕掛けが施されているはずの底の部分も、どうやら専用の鍵か何か、特別な仕掛けがあるらしく、開くことができなかった。もし出来たとしても、これほどまでに精巧な仕掛けは目にしたこともなく、万に一つ間違えば、貴重な品を台無しにしてしまいかねない。さらには、これに使われている銀がかなり良いものらしく、これを完璧に修理するほどの質の高い銀を大量に用意するのは難しい。
 自分達程度の職人にできることはないと、泣きながら謝罪してきたって話だが、陛下達にしたって、下手に手を出され、壊されたんじゃあ元も子もない。ってことで、潔く諦めた細工師には、むしろ良い判断をしたとお褒めのお言葉が掛けられたらしい。
 うわさによると、その後、どうやら某赤い天災……天才女史が「ならばこの私にお任せなさい!」と、ずいずい迫ってきたという。国家的財宝を無惨な姿に変えて堪るかと、宰相閣下と王佐閣下が我が身を犠牲にして守り抜いたってコトだ。どういう犠牲かは誰も口にしないが。
 とにかくまあすったもんだの末、結局大した修理も補修もできないままに終わってしまったわけだ。とは言っても、、モノの金銭的価値に拘らない坊っちゃんは、そんなことはあまり気になさらず、とにかくでっかい宝物を発掘したことを単純に…えーと、素直にお喜びになっておられた。

 陛下と猊下は、先ほどからしきりと感心して、精巧な街の細工に見惚れておいでだった。
 でっかい目をさらにでっかく瞠った陛下は可愛らしいことこの上ないが、陛下と同じ様にぽこっと口を開け、目を瞠り、瞠った目をきらきらと輝かせ、細工の隅々を覗いてまわる大賢者猊下も、その珍しく年齢相応の幼い仕種がたまらなく可愛かった。……なんて言ったら何が返ってくるか怖いから、言葉にも態度にも出さないが。

「こんな贅沢なジオラマ、あり得ねーよ」
「かなりの年代物だが」陛下の隣で書類を手にしたまま、宰相閣下が頷きながら言った。「ここまで贅を凝らした見事な細工は、確かにあり得んな」
「いつ頃のものでしょうね。時の魔王陛下に捧げられたものに間違いはないでしょうが……」

 記録に見た覚えがありません、とギュンター閣下が首を捻っている。

 銀細工と言えばロシュフォールだな、と曰ったのはフォンビーレフェルト卿だった。

「知っているか? ユーリ。ロシュフォールには鉱山がある。それで鉱石を使っての貴金属工芸が発達したんだ」
「おれ、貴金属って言ったら、てっきり首飾りとか髪飾りとか、ああいうのだと思ってた」

 まったくお前はものを知らんな。ヴォルフラム閣下が、いかにも呆れたという顔でため息をついた。何だよーと言い返す、陛下との掛け合いはいつも通りだ。

「もちろんそういうものもある。だが身につける宝飾品の細工であれば、ロシュフォールよりも、むしろ我がビーレフェルトの方が洗練されているな。ロシュフォールはあくまで金属工芸だが、ビーレフェルトは様々な宝石類を使い、華麗にして品の良い、最上質の宝飾品を作っている。そうだユーリ、お前はあまり宝飾品を身につけないが、この際良い品をきちんと揃えておかないか? 品選びは僕に任せろ。お前を知り尽くした婚約者であるこの僕が、お前に合う真に良い品を……」
「あー、はいはい、結構です。遠慮します。って、この際って何だよ、っつーか、いつおれがお前に知り尽くされたんだよ」

 今度はヴォルフラム閣下が「何だ、その態度は!」と怒っているが、陛下はさっくり関心をなくしてしまうと、あらためて銀細工の街に目を向けられた。

「ロシュフォールの銀細工は、このような工芸品から食器類、そしてもちろん装飾品に到るまで、多様な品がありますよ、陛下」

 陛下の背後に立って、名づけ子と弟ののどかな言い合いをにこにこ笑って眺めていたコンラッドが、滑り込むように言葉を発した。

「そうなのか? コンラッド」
「はい。長い歴史がありますので、銀製品の種類の多さと精緻な細工については定評があります。フォンロシュフォール家が全面的にバックアップしておりますし、陛下の御世になってからの人間の国との交易拡大によって、さらに販路も広がり、ロシュフォール最大の外貨獲得産業になっていますね」
「そっか。今もこういうのを作ってるのかな?」
「これほどのものは……どうでしょう」

 そう言って首を傾げ、コンラッドがフォンクライスト卿に視線を向けた。ギュンター閣下がそれを受けて軽く頷き、陛下に顔を向ける。

「この作品が魔王陛下に献上された記録を私は記憶いたしておりません。また似たような作品を、私はこれまで目にしたことがございません。ロシュフォールの工芸品は私もよく存じておりますが、これほどの品は見たことも、話に聞いたこともございません」
「ギュンターでもそうなのか?」
「はい。ちょっとした仕掛けを施した置物などもないではありませんが、ロシュフォールの銀細工は仕掛けよりも、むしろ精緻な装飾にこそ特徴がありまして、その美しさと使い勝手の良さが売り物なのです」
「使い勝手?」
「銀の食器や燭台といった生活用品ですね」
「セレブ専用のね」

 コンラッドと猊下から囁かれ、「あ、なるほどね」と陛下が頷かれた。
 陛下の様子を観て、王佐閣下が話を続けるため口を開く。

「発見された時の状態からみましても、これはかなりの古物であろうと考えます。今、こうしてわずかなりと動くことは奇跡と呼んでもよろしいかと。それはつまり、これが並外れた職人の手に拠る、造りの確かな逸品であり、紛れもない芸術品であるということでございます。私が思いますに、天才的な芸術家の技と申すものは、そうそう誰かに伝えられるものではないのではないかと……。また、このように時間的財政的余裕を必要とする技が伝えられていたとしましても、折々に激しい戦もございましたし、途中で伝承が途切れている可能性も高いかと存じます」

 そっかあ。坊っちゃんがちょっと残念そうに呟かれた。その隣ではヴォルフラム閣下が、「その通りだ。芸術家とはそういうものなのだ」と、いかにも我が事のようにうんうん頷いている。

「うーん、職人の技って、途切れたらそれっきりだもんなあ。今度フォンロシュフォール卿に聞いてみようかな。……ところでさ、おれ、今ちょっと思ったんだけど」
「陛下?」

 俺も含めて、全員の視線が陛下に集中した。……昔は注目されるとどぎまぎしていた坊っちゃんだけど、近頃はすっかり慣れたのか、平然と、ただ何か物思わし気な表情で「うん」と頷かれた。

「おれ、国のいろんな地域にいろんな特産品があるって話は聞いているし、その時その時、これがそうだって教えてもらったりしてるけど、実際にどこにどんな特産品があるとか……良く分ってないんだよな」

 これって、王様としてどうなんだろ。
 そう仰りながら、坊っちゃんはクンッと小首を傾げられた。……この仕種がかわいーんだよなー。……って、睨むなよ、そこの心の狭いヤツ。

「ではあの、陛下」穏やかに微笑みながら、フォンクライスト卿が案を出した。「現在分っておりますものを、一覧に致しましてはいかがでしょう? ご命じ頂ければ、私がお作り致しますが」
「一覧表かあ……。でもそれじゃ具体的にさっぱり分らないし……」
「では各地の領主達に、特産の品を説明に来るよう命じるか?」

 末っ子閣下が言った。腕組みして、ちょっとめんどくさそうに眉を顰めている。
 説明に来る? 呟きながら、坊っちゃんが腕を組まれた。それから突然、「あ!」と明るい声を上げられた。何か思いつかれたらしい。……ちょっとだけ不安が胸を過ぎる。

「そうだよ! 特産品を王都に持ってきてもらえば良いんだ!」
「何だとぉ!?」ヴォルフラム閣下が目を剥いて素っ頓狂な声を上げた。「血盟城に国中の特産品を集めるというのか!?」
「血盟城にじゃねーよ」
「じゃあ、どこにだ?」
「どこでも良いんだよね。広い場所ならさ。ただ、王都の民が自由に気楽に出入りできるっていう条件がつくかな」

 と、いきなり仰せになったのは猊下だった。
 はあ? ヴォルフラム閣下、宰相閣下、王佐閣下、それから多分、俺、は、意味が分らずちょっと妙な顔になったと思う。
 だってほら、国の特産品が何だかよく分らない、知りたいと仰せになったのは坊っちゃんだろ?
 だがふと見ると、コンラッドだけは「俺はもちろん、お前達とは違ってよく理解できているとも! えっへん!」というバリバリの優越感を、皮膚1枚の下に隠してにこにこと笑っていた。俺にはくっきり透けて見えるその優越感だが……陛下のご希望と、猊下の仰る言葉の意味が分かっているのは確からしい。

「そうそう! そういうこと!」

 弾んだ陛下のお言葉に反応したのは末っ子閣下で、「何がそういうことだ!?」と怒鳴りだした。婚約者である陛下のお考えを自分が理解できないのに、他の誰かが理解した、という状況がどうにも我慢ならないんだな。

「物産展、もしくは博覧会を開催されたいのですね?」

 ……コンラッドが火に油を注いだ。

「………だぁから。それは一体何なんだ……!?」

 さすがコンラッド! とさらに明るく声を弾ませる陛下を睨みつけ、ヴォルフラム閣下の声と機嫌が地を這うほど低くなる。
 だが、坊っちゃんは平然としたご様子で、可愛い笑顔も全開に、側近のお歴々を見回された。

「つまり!」

 つまりこういうことだった。
 王都のどこかに広い場所を用意する。そしてそこに屋台(陛下と猊下は『すぺえす』だの『ぶうす』だのと呼んでおられたが)を並べ、集めた眞魔国各地の名産品を展示し、王都の民を相手に商売させようってわけだ。

「そうすれば、民も王都に居ながら全国の名産を目にできるわけだろ? 皆の購買意欲も刺激されるだろうし、ほら、名産の本場を目にしたいって考えて、国内旅行が増えることだって期待できるんじゃないかな。出店側だって、新しい顧客が生まれる可能性大だし、それに他所がどんな名産品を作っているのかを知ることもできて、視野を広げることもできる。そこから自分達の製品をさらに良くしていくためのヒント、ええっと、新しい発想の切っ掛けとか刺激を得ることだってできるよな! 皆がそうやって良いものをさらに良くしていこうと努力すれば、我が国の製品の品質だって今以上に上がる。だろ? これが広がっていけば、結果として眞魔国の経済の発展に大きく寄与できるってわけ!」

 なるほど。
 宰相閣下や王佐閣下はもちろん、目を吊り上げていた末っ子閣下も驚いたように目を瞠った。
 確かに、こいつが実現したら大したお祭りになるだろう。金も相当落ちそうだし、真新しい品を手に入れられる客側はもちろん、売り手側にも目先の儲けだけじゃない利益がありそうだ。
 ……俺もちょっと驚いた。なんて言ったら不敬の極みだな。

「それは確かにお前の…陛下の仰せの通りだな」

 皮肉ではなく、主張を認めたからこその「陛下」呼びだと、宰相閣下の微笑が伝えている。それが分るのだろう、坊っちゃんの笑顔がますます明るく、同時にちょっと照れくさげになった。

「だが国の経済に影響するほどの規模にするには、内容を充実させていくことはもちろん、何より長く続けていかなくてはなるまい」
「フォンヴォルテール卿の言う通りだね」

 猊下が莞爾と頷かれた。

「例えば、名産品と一口に言っても、この銀細工のような工芸品もあれば食料品もある。出典のための工芸品を完成させようとすれば、それなりに時間が掛かるだろうし、食料品は実りの時期や、最も食べ頃の旬の時期というものもある。それを考えたら、1度きりの開催では全国物産展には到底ならないね。生産側が物産展を1つの目標にして生産に励めるよう、そして、出店が結果的に自分達の利益に繋がると実感できるよう、開催するなら定期的に、長く続けることが大切だ」

 全員が、思わず俺も一緒に、大きく頷いた。

「それからもう1つ。物産展開催が決定したら、我が国と友好関係にある人間の国や、各交易商に招待状を出そう」
「そうか!」末っ子閣下が張り切って声を上げた。「我が国の名産品を一堂に集め、更なる交易の拡大を図るのだな!」

 そう、その通り。猊下と陛下が頷けば、理解できて当然だとばかりにヴォルフラム閣下がふんぞり返った。……本当に素直で転がしやすいお方だ。

「地方によっては、諸外国との交易に打って出たいと願っていても、なかなかそれができないところもあると聞いている。国が、つまり我々が間に立って商談の機会を作ってやれれば、これまで人間の国との貿易をしたくてもできなかった地方はもちろん、新たな交易相手や製品を求める商人達にとっても助けになるだろう。物産展が定着すれば、これまで独自の交易をしてきた地方もじっとはしていられないだろうし、続けば続くほど商談は活気溢れるものになっていくんじゃないかな? そして国が商談を取り持っていくとなれば……」

 不自然なところで言葉を区切り、猊下が俺にちらっと目を向け、軽く口角を上げられた。
 ……あ。そうか。

 我が眞魔国は広大な国土を、魔王直轄領と十貴族領とで大体の線引きがされている。
 魔王直轄領は別にして、十貴族の領地はさらにその中に、十貴族から四千年の間に枝分かれした各貴族達の領地がある。その中に、さらに格下の貴族の小領地や荘園があって、と、どんどん裾野が広がっていくんだが、キリがないので止めておく。
 その各々の領地や荘園での上がりは、基本的にその土地を治める家のものだ。だがそのかなりの部分を、さらにその上で自分達を支配する家に吸い取られ、それはまたさらに格上の家に吸い取られる。多くの領地や荘園を支配している家ほど吸い取る果実は多くなり、当然のことながら、最終的に最も肥え太るのが十貴族当主となるわけだ。
 当代陛下が即位なされ、様々な改革が断行されて以来、眞魔国経済は飛躍的に発展した。
 ユーリ陛下即位以前では、そして現在も人間のほとんどの国では当たり前の、貧しさに喘ぐ民というものが消え、かつて最も底辺に生きていた農民の生活も一気に向上した。
 これには、何より国全体の生産力が上がっていることが大きい。そしてこの生産力の増大に、人間の国との貿易の増大が大きく関っていることは誰もが頷くところだろう。
 そしてこの貿易というやつは、その旨味が実に大きい。
 モノが集まれば人も集まり、金も落ちる。
 港湾と主要な街道は国のものだが、管理は十貴族とその地域の領主達が行っている。港の整備には金が掛かる。だが、交易を管理して得る旨味は、掛けた金をはるかに上回る。だから彼らが上手く流通を押えてしまうと、富はその地域の貴族達、特に十貴族の懐に流れていってしまう。結論として、貿易が盛んになればなるほど十貴族はさらに豊かになる。
 加えて言うなら、貿易は正当なものだけじゃない。密貿易ってモノがある。これは旨味を独占できるから、特に中小貴族や荘園主には輝く珠のように魅力的に映るはずだ。
 なにせ、上手くできれば巨万の富を手に入れることも可能なわけで、実際手を染めてるヤツも1人や2人じゃない。
 てなトコロで、猊下の笑みの意味だが。
 国家としては、貿易が盛んになり、経済が発展し、国が繁栄するのは実に喜ばしいことだ。十貴族の経済力が上がり、領内の民の生活がさらに向上するのも素晴らしいことだ。
 だがしかし、魔王陛下に忠誠を誓っているとはいえ、無視できない力を持った十貴族が今以上に力をつけるのは、正直あまりありがたいことではない。もちろん、密貿易で財宝を溜め込む輩なんぞが蔓延るのは絶対に許せない。
 国庫が潤い、民も潤うのは実に良い。だが十貴族が経済力を背景に、魔王陛下に対して発言力を高めるのはよろしくない。十貴族の経済力は出来うる限り民に再分配させ、各当主の頭は魔王陛下がしっかり押えておかなくてはならない。これが猊下のご意見だ。
 と、いうわけで、諸外国との貿易を、なるべく国が、名目じゃなく、実質的に魔王陛下の名において管理する方向へ移行させていこうというのが、猊下と、近年整備充実が図られた、血盟城外交貿易担当および国内商務担当の役所の意向なわけだ。
 物産展で、王都に各地の名産品を集め、血盟城主催で貿易商談会を開くとなれば、それはこのご意向を実現させていくための大事な1歩になるだろう。
 これは、国家的視点に立って考えれば、必要不可欠ことなんだろうと思う。この件について、コンラッドと飲みながら話したこともあるが、十貴族出身ではないユーリ陛下のお立場を常に安定強化させていくためにも、十貴族をきっちり抑えることは大きな意味があり、この点で猊下の仰せは至極尤もだという結論に到った。
 到ったんだが……。
 これらのことは、フォンヴォルテール卿とフォンクライスト卿にはもちろん伝えられている。どこでどういう伝え方がなされたかは聞いていないが、貿易を国が管理することの必要性を猊下がお言葉になさったということで、宰相と王佐であるお2人は、そのお立場から賛意を示されたという。だが、十貴族当主としてのご意見は伝わってこない。
 とにかく、これらのことは国家の長期的政策の1つとして確定した。そしてそのことは、俺達にも直接関ってきた。つまり、国内での諜報活動が一挙に増えてきたわけだ。
 多くは密貿易の摘発だが、十貴族が独自に行っている諸外国との交易の実体を探ることも大きな役目となっている。
 ……まあ、正直なところを言えば。
 俺は、もちろん眞魔国の臣民として、そして軍人として、魔王陛下に心からの忠誠を捧げている。魔王陛下のご下命とあらば、命を懸けてでも使命を果たす覚悟はつけているつもりだ。
 だが、立場的には本来フォンヴォルテール卿の直属の部下で、戦時中、中央からヴォルテールの兵となったあの時以来、フォンヴォルテール卿には掛値なしの、魔王陛下に対するものとはまた別の意味の、そして同じくらい強い忠誠心を抱いている。ぶっちゃけて言えば、俺は出会ったあの瞬間から、グウェンダル閣下が大好きになったわけだ。だから、十貴族を探る、すなわち親分であるフォンヴォルテール卿をも探るということに、迷いがなかったとは言えない。言えないが、それでも……。

『……1つ、伺ってもよろしいですか?』
『構わないよ?』
『猊下は、フォンヴォルテール卿グウェンダル閣下を信頼なさってますか?』
『もちろん。僕は彼を心から信頼してているし、渋谷の、魔王陛下の宰相として、最高の人材だと確信している。渋谷有利が魔王として起ったこの時代に、彼がいてくれたことを運命に、僕は運命なんて大して信じちゃいないけど、それでも感謝しているよ』
『運命って……眞王陛下のこと……』
『アレはどうでもいい』
『……えーとぉ』

『僕の命令に従うことで、フォンヴォルテール卿を裏切ることにはならない。なるとすれば1度きりだし、迷うならその時にすれば良い』

 猊下の口から発せられたお言葉に、俺は虚を突かれた思いでそのお顔を見返してしまった。
 猊下が笑みを、あまりじっと見ていたくないどこか怖い微笑を浮かべられた。

『……1度…?』

 そう。猊下が頷かれる。

『君が迷うべき時はただ1度きり。フォンヴォルテール卿が渋谷に、当代魔王陛下に叛意を抱いたその時だ。その時には、僕は彼を、必要なら十貴族制度そのものをこの国から葬る。もし君が迷うとすれば、事が起こった時、魔王陛下の忠臣として生きるか、上司の後追い自殺をするか、その1度きりだよ』
『……グウェンダル閣下はユーリ陛下に叛意など抱きませんよ? 背く理由が皆無だし、そもそも玉座を見たら涎が垂れるってお人じゃない。そして、そんなことを思いついて実行するほどおっちょこちょいじゃない』
『うん。僕もそう思うよ』猊下は今度はにっこり笑って頷かれた。『だから君は、迷う必要なんか最初からないのさ』

……なんつーか、話の焦点を実に軽やかにはぐらかされた気がする。でもまあ、俺のそんな思いは最初っから分っておいでなんだろう。猊下は無意識に頭を掻く俺を微笑みながら見ておられた。
 つまるところ……大局を観ろってことなんだろうな。

 猊下は陛下を支え、この国を良き方向へ向けて導こうとなさっておられる。
 だから、魔王陛下に仕え、国に仕え、民に仕えて生きると腹を決めたのなら、そのためにすべきことをしろ。立場がどうの、上司がどうの、目先のことに囚われるな。
 ……て、ことなんだろう。
 そして殊更それを俺に説かないのは、俺がそれを理解できる男だと信じてくださっている。……と自惚れても良いんだろうか、な。

 ふと、思った。
 坊っちゃんなら。あの魔王陛下なら。
 その相手を無条件に信頼しているから、殊更相手の人柄を確認しようとか、内情を調べようとか、そんなことは必要ないと、あのでっかい瞳をまっすぐ向けて、きっぱり仰るだろう。
 だけど、猊下は違う。
 相手を信頼することと、相手の人となり、長所と欠点、それから弱点、ついでに周辺事情に到るまできっちり調べて把握することとは全く別のことなんだ。
 そしてどっちかというと……俺の考え方もやり方も、猊下の方に近い。

 俺はユーリ陛下の、危ういを通り越した、潔いまでに無防備な、信じた相手をとことん信じきるご性格が大好きだ。危険だと思うが大好きだ。だから、命を懸けてお護りしようと思う。
 猊下は陛下とは違う。
 これは良い悪いじゃない。好き嫌いでもない。
 俺は猊下を理解できる。猊下の発想も、頭の回転も、とてもじゃないが追いつくことなんかできないが、でもそこに至る心理は後追いでも理解できる。
 おそらく、いや間違いなく、俺の幼馴染も同じだろう。
 猊下と、あいつと、それから俺と、イロイロ違っているが、どこかが同じなんだ。しばしばうんざりするほどに。
 だから俺達は皆、陛下が大好きだ。
 だから、猊下も、あいつも、俺も、ユーリ陛下のためならば、何を犠牲にしても、何を泣かせても、誰の血をどれだけ流しても、眉ひとつ動かさずにいられる。

 そんなこんなをつらつらと考えていたら、猊下が仰せになった。

『君は今のままで構わない。だが、君は僕の命令に従う』

 「従わなくてはならない」とか、もっと端的に「従え」とか、そんな言葉じゃなかった。
 だけど、スッと背筋を伸ばして俺の前に立った大賢者猊下がそう仰って俺の目を見上げ、俺が猊下の漆黒の瞳を覗いて見た瞬間、俺は……。

 俺は、眞魔国と魔王陛下に命を捧げる。そしてこのお方に………。

『……猊下』
『うん』

 俺は真っ直ぐ猊下と視線を合わせ、そのまま膝を折った。

『何なりとご命令ください。俺は、必ず猊下の……いえ、陛下と猊下のご信頼に応えてみせます』

 猊下は数呼吸の間、俺をじっと見つめ、それからふっと口元を軽く綻ばせた。

『それを疑ったことなどないよ、グリエ・ヨザック』

「ロシュフォールからはやっぱり銀細工かな」

 陛下ののびやかな声がふいに耳に響いて、俺はハッと顔を上げた。
 陛下は再び銀の街を見下ろしておられる。

「ロシュフォールの職人なら、この中も直せるかな?」

 誰にともなくそう仰って、それから陛下が顔を俺に向けられた。

「呼びつけといて、ごめんな、ヨザック。お茶にしよう? 土産話を聞かせてくれ」

 ニコッとお陽様そのものの笑顔を向けられる。これって、考えたらものすごく幸せなことだな。

「畏まりましたー、坊っちゃん。おっと、陛下。ご無礼を」

 良いよー、気にしない気にしない。軽やかに仰せの陛下に向かって、俺は恭しく頭を下げた。


□□□□□


 眞魔国に利益を齎す情報や、国家転覆を図る輩の尻尾を追いかけて国内外を走り、ついでにお城を脱走した坊っちゃんを追いかけて街を走る平和でのどかな毎日。
 ちょっとした情報収集を終え、王都に戻る道すがら、街道沿いの村の酒場で一杯やっていたら、男共が物産展開催の話をしているのを小耳に挟んだ。

「すげぇなあ、眞魔国中の名産品が集まるんだってよ」
「王都なら、馬車を使えば近いもんだし、俺も行ってみるかな」
「ウチの嬶ぁとガキなんざ、どんな美味ぇモンが食えるかって今から楽しみにしてやがるぜ」
「俺んちもだよ。女房ときたら、近所の女どもと誘い合って王都まで行くんだってさ。まだ先の話だってぇのに気の早ぇ女だ」
「食いモンだけじゃねぇんだろ? 家具だの、美術工芸品だの、首飾りや耳飾や、とにかく何でも揃ってるらしいぜ?」
「んなモン、俺達に関係ねーだろ? 食いモンと酒がありゃあ御の字さ。……酒、あるんだよな?」
「もらった案内書きに、各地の地酒ってのがちゃんとあったぜ。試し呑みもできるんだってよ!」
「そいつぁ良いや。魔王陛下も良いコト考えてくれるぜ!」
「バカヤロ。陛下はいつだって俺達のことを考えて下さってるだろうが!」

 年が明け、物産展の準備は着々と進んでいた。仕事から血盟城に戻るたび、担当官が増員され、仕事が増えていることが傍から見ても分った。
 物産展が開催されるのは、血盟城からぼーるぱーくに向かう草っ原に決まった。ただ今、土地の整備と巨大天幕の増設に建築関連の役所と組合が大忙しだ。
 こんな「いべんと」は初めてということで、問題もイロイロ起きているらしい。
 坊っちゃんが最初に仰っていたように、地元の産物や名産品、特産品を全国に広めたい、できれば外国にも売り出したいと願っている街や村、そして小領主や荘園主は大勢いた。そして、伝手がなく、売り出す方法も才もなく、何とかしたいができないまま、他の連中が上手くやっているのを指を銜えて見ているだけってのも、これまた大勢いた。そこに今回の、全国物産展と商談会の開催だ。参加、出店したいという問い合わせや申し込みは、当初担当官達が予想した以上に多かった。
 同時に苦情も多かった。
 出店希望者が多すぎて、期日間際に申し込んできた希望者は断らなきゃならなくなったり、申し込み締め切りを過ぎてるってのに、有力貴族だの何だのがお知り合いを捩じ込もうとしてきたり、開催予定の春じゃあ実りの時期と合わないと荘園主や領主が怒鳴り込んできたり、だ。
 それから、決められた屋台の大きさでは自分達の品を置ききれないので、自分達だけに2台分、3台分の屋台を割り当てろと要求してくるのもいる。
 こいつは特に十貴族の各家が直接後援しているものに多かった。
 今回は、出店を十貴族に纏めさせるのではなく、それこそ個人であろうと希望出店して構わないということになっている。十貴族としちゃあ、そんな有象無象と自分達は違う。特別扱いされても特別じゃないと言いたかったんだろう。だがこれは、魔王陛下直々の「そういう不公平はダメだ」とのお言葉で却下された。
 お貴族様としちゃあ言いたいこともあっただろうが、魔王陛下のお言葉だし、ついでに猊下が選んだ精鋭官僚であり、反骨精神豊かな平民出身者が揃った外務貿易担当官と商務商盛担当官達が、十貴族の主張なんぞ鼻で笑って蹴っ放したために、その話はそれで終わった。

 十貴族。で、思い出した。

 ちょっと前、血盟城で坊っちゃんの護衛をコンラッドと一緒に行っていた時。
 坊っちゃんを訪ねて客が来た。

 最初にその2人と鉢合わせしたのは俺だった。
 坊っちゃんの下に向かうため、血盟城の回廊を歩いていた時、反対側からやって来た2人組。
 誰かはすぐ分った。血盟城に仕える者なら、誰でも見知った顔だ。
 ロシュフォール家当代当主、フォンロシュフォール卿デル・フランツ。そしてその隣を歩いているのは……。

   距離が近づいて、すぐ目の前の角を曲がって行けば魔王陛下がいらっしゃるお部屋に辿り着く、という地点までやってきた時、フォンロシュフォール卿の隣を歩いていた若い男、少年、が、俺に気づいた。
 あ、と目を瞠り、口元をふと緩ませ、それから立ち止まり、スッと右手を上げて敬礼してきた。
 フォンロシュフォール卿アーウィン。次代のロシュフォール当主、フランツの長男だ。

 昨年、士官学校の入学要件が変わり、それまで兵学校しか入れなかった平民の子弟の士官学校入学ができるようになった。その第1期生として4名の平民士官候補生が誕生したわけだが、アーウィンはその同期ということになる。
 坊っちゃんがいつもの偽名を使ってお忍びの士官学校視察をしたのが去年のことだ。その時知り合った、この純血バリバリの超高貴なお坊ちゃまは、その血筋と身分と立場に相応しく、天まで届きそうな選民意識の塊だった。だけどその性格も、この1年足らずでかなり変わってきたようだ。
 血盟城の中で、十貴族の跡取り息子が、混血の、たとえ軍内の地位が士官(俺自身がそれをしょっちゅう忘れるが)とはいえ、軍服も纏っていないこの俺に向かって、親しみのある微笑を浮かべて敬礼をしてくるのがその証拠だ。
 ……時代も変わったもんだ。十貴族の若様が、俺に向かって礼儀正しく敬礼してるんだから。
 もっとも、彼の父親はそんなことは知らない。
 いきなり足を止めた息子を、おや? と振り返り、彼の視線を追って初めて俺に気づいた顔をして、何だ、こいつはと、記憶を探るように眉を顰めて俺を睨む。……自分の息子に敬礼させるヤツには、それ相応の身分がなければならないとでも信じているんだろう。息子が軍内では駆け出しの候補生に過ぎないって事は、この際全く関係ないらしい。

 フォンロシュフォール卿は、十貴族の中でも守旧派に属している。
 つまり、魔王陛下は由緒正しい十貴族出身であるべきで、その魔王陛下を自分達十貴族が仲良くお守りし、共に眞魔国の頂点に立ち、民を支配し、民には己の分を弁えること、税をせっせと納めることこそが生きる目的であると教え込み、そして自分達は集めた金で、高貴な身分に相応しい絢爛豪華な生活を送ることこそ正しい世界だと信じてるってことだ。
 だから当然、ユーリ陛下の登極には露骨に難色を示したし(眞王陛下のご託宣だから、さすがに声にはしなかったが)、陛下の改革宣言には冷笑を浮かべ、慇懃無礼の手本みたいな「ご忠告」なんぞを言上したりもした。
 だが、シュトッフェルの野郎が三兄弟に権力の座から叩き出され、フォンヴォルテール卿が宰相となり、陛下のご改革を全面的に支持し、そしてそのご改革が着実な成果を生み始めてからは、さすがに斜に構えて冷笑を浮かべていられる訳にもいかなくなった。むしろ「陛下の改革の成功を信じておりましたとも」という顔で、今やありがたく成果を受け取っている。
 こういう連中を厚顔無恥って呼ぶんだと俺は思ってるし、フォンロシュフォール卿もその1人だという思いを消すことはできない。シュトッフェルよりよっぽど利口なのは確かだが、だからこそ性質が悪いとも言えるわけだし?

「父上、グリエ・ヨザック殿でいらっしゃいます。士官学校で、ウェラー卿と共に剣の師範をして頂いております」

 グリエ・ヨザック? フォンロシュフォール卿の眉が上品に顰められ、誰だそれはという表情になり、改めて俺の全身にざっと視線を走らせると、どうやら自分ほどの者が気にとめる必要はないと判断したらしく、すっと表情を消した。そして、一応見知りおいてやると言わんばかりの人を見下ろす目つきで(俺より背が低いのに器用なこった)軽く頷き掛け、それから息子を促してさっさと角を曲がって去っていった。俺の前を通り過ぎようとするアーウィンが、「お先に失礼します」と告げていく。

 ……うん。時代も変わったよな。フォンロシュフォールのご当主様なんざ、昔は俺らはもちろん、隊長すらそこにいないものとして完全無視をキメていたのに、少なくとも今は、俺が存在していることは認めて下さったワケだ。
 ま、これ以上の期待は、この次に掛けることにしよう。希望はありそうだし。


□□□□□


「アーちゃん、久し振り……ととっ、アーウィンって呼ばなきゃ、だな」」

 細く開けた客間の扉から中に滑り込んだ時、ちょうど坊っちゃんがアーウィンに声を掛けたところだった。
 広々とした部屋の中央、精緻な彫刻を施した巨大な卓を挟んで、ユーリ陛下と大賢者猊下、王佐閣下、その向かいにロシュフォールの親子が向き合って座っている。
 部屋には警護の兵士達、女官達が邪魔にならないように壁際に並んでいて、俺が1人、滑り込んでも誰も気にしない。
 陛下の斜め後方に立つコンラッドだけが、俺に気づいて軽く頷いてみせた。それに応えてから、俺は笑顔で会話する陛下と猊下、そして十貴族の親子に目を向けた。


「陛下、どうぞお気になさらず」

 鷹揚に笑い、ゆったり手を振ってみせたのは父親の方だ。
 その手つきひとつ、軽く傾けた首の角度ひとつにしても、実に優雅で、俺からすれば鬱陶しいくらいもったいぶってる。こういうのが貴族的なのかもな。
 もしかしたら、どうすればより美しく、雅に、貴族的に映るか、毎日鏡の前で練習してるのかもしれない。

「陛下におかれましては、我が息子への格別な思し召し、光栄に存じます」

 阿るでもなく、もちろん卑屈でもなく、己が高貴な氏育ちであることを充分自覚した余裕の態度だ。その悠揚迫らざる様子は、俺みたいな捻くれ者の目には、ユーリ陛下に対して己の優位を示そうとしているようにも映る。
 だが、即位間もない時期でこそ、こういう貴族的人物に苦手意識を露にしていた坊っちゃんだが、今じゃあ全然負けてない。本人は案外無意識じゃないかと思うんだが、余裕のフォンロシュフォール親父に向かって、にっこりと振るいつきたくなるような可愛い笑みを浮かべた姿は、200歳を越えた相手をはるかに上回る余裕と威厳すら感じさせる。これは絶対贔屓目じゃねえと思うぞ?

「伺いましたところ」

 フォンロシュフォール親が続けて言った。

「陛下は先日、グランツのご訪問なされたそうですが……」
「行ったよ? 公式訪問じゃないけどね。『グランツの勇者』を決める武道大会が復活したって聞いて、ぜひ観たいって思ったんだ。フォンロシュフォール卿も、グランツのご隠居様のことは知ってるんだろう?」
「7人の英雄達でございますな。もちろんその御名も偉業も存じております。……フォンカーベルニコフ卿の薬で若返り、武道大会に参加なされた由。まことにございましたか?」
「うん。じゃあ、決勝戦がコンラッド、ウェラー卿とヒルダ様の戦いだったことも聞いてるのかな?」
「そうらしゅうございますな。なかなか見応えのある試合であったとか」

 ことさら興味なさそうな声で言う。しかし坊っちゃんは気にした風もなく、子供らしく目を輝かせると、身を乗り出した。

「ものすごい迫力だったよ。俺は剣は全然ダメだけど、それでも夢中になって、ちょっとないくらい興奮した」
「ぜひ拝見したかったと思います!」

 坊っちゃんに合わせて、勢い良く口を挟んできたのは息子、アーウィンだ。顔を上げ、コンラッドを見ているが、声の調子からして、表情は笑顔なんだろう。

「エドアルドから話を聞かされて、僕はもちろん、同期の皆も悔しくて、思わずエドアルドを小突き回してしまいました」
「……アーウィン。友人を小突くなど、野蛮な真似はするでない」

 父、ちょっと機嫌が悪くなったか?

「…も、申し訳ありません、父上」
「友人といえば」そこで猊下が言葉を発せられた。「フォンロシュフォール卿は、フォングランツ卿ハンス殿と親しいらしいね?」
「はい、猊下。長年の親友でございます」

 アーダルベルトの出奔によって始まったグランツの苦難に、このロシュフォールの当主も加担している。つまり、それまで友人だったフォングランツ卿ハンスとの付き合いを一切断ち、娘とハンスの息子との間に交わされていた婚約も、すっぱり破談にした。さらには、その後30年に渡って、声高にグランツを反逆者呼ばわりしてきた。
 ところがユーリ陛下が帰参したアーダルベルトを許し、グランツに反逆の意思なしとして名誉が回復されると、あっさり掌を返して、ほっぽり捨てた友情を再び拾うことにしたらしい。この辺りは、ハンス殿の息子、エドアルドからイロイロ聞いている。
 ハンス殿は、十貴族当主として、デル・フランツの判断は致し方なかった、彼も苦しかったのだと、それはそれは心の広い解釈をして、変心にいきり立つエドアルドを嗜めたらしい。
 確かに、フォンロシュフォール卿といえど人の子だ。苦しむことも後悔することもあるだろう。優しさだって兼ね備えているだろう。
 だが俺が思うところ、このお人の優しさや友情は、自分と同じ世界、同じ階級に属し、同じ価値観を共有すると看做した相手にだけ発動するんだと思う。コレも別に良い悪いじゃない。そういう世界に生まれて育った、それが上流貴族ってモノの考え方だし生き方なんだ。
 ……と、考えると。
 同じ十貴族でも、グランツの御当主とその一族は、つくづく気の良い連中が揃ってるよなあ。
 もとからそういう性情の一族なのか、それとも苦労が人を変えたのか。
 ……気が良すぎて、できりゃあもう2度と関りあいたくないお人もいないじゃないというか何というか……。

「……物産展というのは、実に興味深い催しを思いつかれましたな、陛下」

 フォンロシュフォール卿の話が続いている。

「だろ? ロシュフォールも名産品の多い地域だって聞いてるよ。何が出展されるか楽しみだな」
「ぜひご期待くださいませ。全て我がロシュフォールの自慢の品ばかり。必ずや陛下にお喜び頂けると確信しております」
「おれだけじゃなく、民が喜んでくれれば……そうだ、銀製品はもちろんあるよな?」
「銀、でございますか? はい、それはもちろん。銀の加工装飾に係る技で、我がロシュフォールの職人に敵うものはありません」
「うん、そう聞いてるよ。実は、フォンロシュフォール卿に見てもらいたいものがあるんだ」


□□□□□


「……! こっ、これは…!」

 余裕も貴族的優雅さもかなぐり捨て、フォンロシュフォール卿はその場に棒立ちになった。
 隣では、息子が顎を落とし、目を瞠れるだけ瞠って、目の前にあるものを呆然と凝視している。

 陛下御自らに案内された部屋で、二人の前に披露されたのは、もちろんあの卓一杯に広がる巨大な銀の「街」だ。

「これは……これは……なん、と……!」

 無意識だろうか、前に差し出した手が震えている。そして固まった身体を無理矢理動かすようにして、フォンロシュフォールの当主はその「街」の前に立った。

「宝物庫の1番奥に扉を見つけたんだ。その前に色んな物が置かれてて、そこに扉があることを皆忘れてしまってたらしい。このあいだ開けてみたら、中にも色々入ってて、そこにあったんだよ。これ、ロシュフォール製だよな?」
「…は、はい……確かに……これは……」

 呻くような喘ぐような、半ば放心状態のロシュフォール当主の声が震えている。息子の方は呆気に取られたまま、微動だにしない。

「これ、ただの置物じゃなくてね」

 そう仰ったのは猊下で、スタスタと「街」に近づき、底の部分に手を伸ばすと、キリキリとネジを巻かれた。すぐに、たどたどしい音が響き始め、人形が動き出す。

「す……すばらしい……」

 興奮に、ロシュフォール父の頬が紅潮している。こういうのも珍しいだろう。
 アーウィンが頬を引き攣らせたまま、そうっと、壊れ物か何かのように慎重に手を伸ばし、塔の天辺に一瞬だけ手を触れさせると、ビクリとその手を引っ込めた。
 ほう……っ、と深くて長いため息が、親子のどちらからか漏れる。
 フォンロシュフォール卿はそこでもう一度、改めて深呼吸し、それから一旦閉じた目を開いた。
 表情が冷静なものに、少なくとも表面的には、なる。

「はい、陛下」水色の瞳が坊っちゃんに向いた。「仰せの通り、これは紛れもなく我がロシュフォールの職人の手によるものと存じます。しかし、よもやこれほどの品が作られていたとは私も存じませんでした。……一体いつ、誰の手によって製作されたものなのか……。陛下、これの記録はいかがなっておりますでしょうか?」
「それを聞きたいって思ってたんだ。どうやらかなり古いらしくて、これ、物置の、じゃなかった、宝物庫の奥の小部屋で、埃だらけで真っ黒になってたんだよ。何とかここまで磨いたんだけど……。結局記録はなかったんだよな? ギュンター?」

 陛下のお言葉に、ギュンター閣下が「仰せの通りでございます」と頷く。

「これが発見されてから、私もさらに詳しく調査をいたしたのでございますが、残念ながら記録が散逸してしまったらしく、これがいつ頃のものであるのか、歴代のどのフォンロシュフォール卿が何代目の魔王陛下に献上したのか、その辺りの記録を見つけることは叶いませんでした」
「さようでございますか……」

 「街」をじっと眺めて、ロシュフォールの当主は再び大きく息を吐き出した。
 今の彼からは、十貴族の当主として、若い魔王陛下に対して己の優位を誇示しようという、あのもったいぶった慇懃な態度が消えている。先祖の偉大な遺産に、心底驚き、心を奪われてるってトコだろうか。
 気がつけば、息子アーウィンもようやく好奇心が驚きを上回ったらしく、卓の端に手を置き、身を乗り出し、今にも食らいつきそうな形相で銀の街の家々や、街の住人達を見つめている。

「フォンロシュフォール卿」

 言葉もなく、ひたすら「街」を見つめるフォンロシュフォール卿に、陛下が声を掛けた。
 上流貴族の嗜みと礼儀から、少々外れた間を置いて、フォンロシュフォール卿が「はい」と顔を陛下に向ける。

「こういうものを、ロシュフォールは今も作っているのか?」
「それは……」ギュッと眉を顰め、それからロシュフォールの当主はため息をついた。「無理でしょう。このようなものは、2度と作ることはできますまい」
「技術的に難しいとか? 伝承の技は途切れてるのか?」
「いいえ、陛下。そうではありません。技術的には何ら問題はありません。仕掛け細工にしましても、これ以上のものを造ることも可能でございましょう。ただ……」

 技術的な問題ではないのです。


□□□□□


 お茶のカップに口をつけ、フォンロシュフォール卿がそれからほうっと息をついた。
 ロシュフォールの親子に「街」が披露され、その美しさ、細工の見事さをひとしきり堪能したご一同は、その場から離れがたく思われたんだろう、結局元の客間には戻らなかった。そして「街」の傍らに用意された席につき、そこで改めてお茶が供されることになった。
 アーウィンだけは陛下と父親の許しを得て、ひたすら惚れ惚れと「街」に見入っていた。賑やかな広場の佇まい、石畳の道の1本1本、運河や土手、1軒1軒全て異なる造りの家々、木々や窓辺を飾る花々、鐘楼の鐘、そして窓から垣間見える住人達の生活……。観ていると、時間を忘れる心地になるのは俺にも分かる。

「猊下の御前でこのように申し上げるのも不遜と存じますが」

 ロシュフォール父が前置きして言った。

「歴史的に観て、支配者というものは須らく……浪費する者であったと私は考えております」
「浪費するもの?」

 はい、と頷いて、フォンロシュフォール卿が陛下と猊下に視線を向ける。

「はるか昔。魔王陛下はもちろん、十貴族も同じであったろうと思います。すなわち、支配下にある土地も実りも、そして領民も含めて全ての命あるものを己の持ち物、私物と捉え、それが生み出すあらゆる富を存分に、望むまま、思うがままに浪費し尽くすものです」
「……………」
「その浪費の中には、もちろん命そのものも含まれております。かつての支配者は、あらゆる命を使い捨てることに頓着いたしませんでした。己の欲するままに命を与え、また奪い、それを惜しむこともありません。それが最も顕著になるのが戦でございましょう。使う命がなくなれば、どこからか奪えば良い。奪えばまた使えば良い。そして彼らは、己の支配下にある命に、そもそも命と呼ぶものがあること、意思があること、夢があれば希望もあるなどということを、端から考えもしませんでした。いいえ……そのようなものがあると言われても、決して認めることは致しませんでした」

 これは、そのような時代の産物と考えます。

 いっそ厳かに宣言するフォンロシュフール卿を、陛下はもちろん、猊下も驚いたような表情で見返していた。
 驚いていたのは、もちろんお2人だけじゃない。ギュンター閣下も、そしてコンラッドも、それから他でもないこの俺も、正直ビックリしていた。
 この眞魔国の頂点に位置する最上級の大貴族、フォンロシュフォール卿。守旧派であり、貴族が貴族的であることを何より尊ぶはずのこの男から、こういう言葉が出てくるとは思わなかった。
 それは息子にとっても同じだったのか、「街」に夢中になっていたアーウィンがビックリした顔を上げ、今度は父親を凝視している。

「この『街』は」

 銀の「街」を見つめるフォンロシュフォール卿の顔には苦笑が浮かんでいる。我ながら、らしくないと感じているのかもしれない。

「我がロシュフォールの豊かな産物と職人を、往時の当主が満足を得たいがためだけに、存分に遣いきって作り上げられたものです。己の威勢、財力、技術の全てが他を凌駕していると、他国や他領の支配者達に見せ付けたかったのかもしれません。また魔王陛下にこれだけ贅を凝らした品を献上することで、財力だけでなく、己の度量の広さを示したかったのかもしれません。想像できることはいくらもありますが、ですがこれは……」

 所詮、それだけのものでしかありません。

 ほんのわずか、沈黙が部屋を覆った。……俺は、もしかすると、この男を見誤っていたかもしれない、と思っていた。

「……それだけのもの、というと?」

 猊下のご質問に、わずかに目を伏せ、何か考え込んでいたフォンロシュフォール卿が顔を上げた。

「失礼致しました。それはつまり……金も技術も時間も無限大に注ぎ込んでおきながら、すごいすごいと褒められる、ただそれだけの価値しかない、それ以上何も生み出すものがないということです」
「へえ」

 猊下がちょっと感心したように声をあげ、陛下はびっくり眼でまじまじと相手を見つめている。

「誤解しないで頂きたいのですが」フォンロシュフォール卿の苦笑が深まった。「私はこの『街』を、無価値だの無駄な代物だのと申しているわけではありません。これは、我がロシュフォールのいわば華、何代にも渡って育んできた技術がどれほど優れたものかを示す芸術品です。ロシュフォールの誇りというだけではなく、眞魔国にとっても至宝と呼ぶに値すると、恐れながら考えております。私の言いたいことは、すなわちこれは……まさしく時代の遺物であるということなのです」
「遺物……」

 はい、とフォンロシュフォール卿が頷いた。

「支配者が、贅を尽くしたいが故に贅を尽くすことができた時代、己の欲や趣味の赴くままに、持てる富も命も使い潰して、だが誰も文句の言えぬ、言わさぬ時代の遺物です。ですがもう、そのような時代ではございません」

 今度は、陛下と猊下、ギュンター閣下が揃って頷く。

「私はアーウィンにも常々申しております。我等のこの生活は、領民あってのことであると。我々は、もう領民の命を羊何頭、小麦何袋と同等などとは考えません。その命を使い捨てにするようなことは決してありません。我ら領主には、領地と領民を護り慈しむ高貴な義務があります。その義務と責任を果たすからこそ、豊かな生活が許され、領主として仰ぎ見られるのだと考えます。そして、畏れながら陛下のご改革が進むことによって、民は自由な意思と意見を持ち、新聞も、我等の失政には容赦なく噛み付いてまいります。このような時代において、いくら芸術品とはいえ、財を投げ捨てるように注ぎ込んでこのようなものを造ったとて、誰の敬意も得ることはできますまい。こんなものを造る余裕があるなら、民のために道の1本、病院の一棟も建てよと責められるのが関の山ではないかと」

 笑みを向けられて、陛下がくすくすと笑い始めた。

「それ、おれが1番先に言いそうだね」

 恐れ入ります。フォンロシュフォール卿が軽く頭を下げる。

「すなわちこれが陛下のご質問への答えでございますが……掛ける富と時間に勝る意義がない限り、もう2度とこのような品が造られることはないし、造ってはならぬものであろうと考えまする」

 なるほど、納得した。陛下と猊下が、笑みを浮かべて大きく頷いた。

 ……俺はやっぱり、フォンロシュフォール卿という人を少々見誤っていたかもしれない。もしくは、狷介固陋な性格も、ユーリ陛下に触れてきたこの年月で、さすがに矯められたというところなのか……。
 正直、これだけまともなことを口にする男だとは思ってなかった。これはちょっと反省したほうが良いかもしれない。
 と、思ったので、再度「街」に目を向けたフォンロシュフォール卿の瞳に、絢爛たる貴族の時代への憧憬の光が瞬いたとしても、気づかなかったフリをすることにした。少なくとも今だけは。

「でもフォンロシュフォール卿」
「はい、陛下」
「それでもやっぱり、こうして出来上がったこの『街』は素晴らしいね。どれだけ観ても飽きないよ。ロシュフォールの技術、見事だと思います」
「ありがとうございます、陛下。新たに造ることはできませんが、この作品自体は民にとっても誇るべきものと考えます」
「うん。おれもそう思う。それで相談なんだけど」
「…は?」
「これだけのものだから、おれ達ばっかりが眺めていちゃもったいないと思うんだ。だから春の物産展で、これを特別に展示したいと思うんだけど、どうかな? もちろん売り物にはしないよ。もうずっと昔に、おれ達の国ではこんな素晴らしいものが造られたんだって、皆に観てもらいたいと思ってさ。あなたの言う通り、これを目にしたら魔族の民も誇りに思うだろうし、他の国の人たちにも、魔族の技術と芸術の素晴らしさを実感してもらえると思う」
「それは! ……光栄に存じます、陛下」
「うん、ありがとう、フォンロシュフォール卿」

 それでね、と続く陛下のお言葉に、フォンロシュフォール卿がわずかに首を傾けた。

「物産展には、銀細工の職人さんも来るのかな?」
「は……、貴金属の装飾品や工芸品も出展予定ですので、職人も王都に参ると存じますが……?」
「うん、その時で良いんだけど、この『街』をね、もっと磨いて、できればオルゴールの、ええっと、じめい? きん、だったっけ? そちらの修理もしてもらえないかなと思って。無駄遣いをするつもりはないけど、眞魔国の芸術を代表する逸品だと思うし、できるだけきちんと修復したいって思ってるんだ。でもこちらの職人さんに聞いたら、やっぱりロシュフォール独自の細工だろうから、ロシュフォールの専門の職人に依頼した方が良いって言われたんだ」
「そのお言葉、心より光栄に存知奉ります。陛下、ロシュフォールの民と、長い年月に渡りまして技を磨いてまいりました全ての職人に成り代わり、御礼申し上げます」

 フォンロシュフォール卿デル・フランツと、立ったままのアーウィンが、陛下に向かって頭を下げた。

「修復に関しましては、確かにその職人の申した通りと存じます。畏まりました、陛下。必ずや陛下のご期待に添える、確かな力量を備えた職人を派遣いたすようにいたしましょう」
「楽しみにしてます、フォンロシュフォール卿」


 そして俺は今、ロシュフォールについてちょっとした情報を手に、血盟城に向かっている。


□□□□□


「ロシュフォールで? 物産展に出品するための選抜大会!?」

 陛下の執務室で、俺の報告を聞いた陛下が大きな声を上げられた。

「そうなんですよ。貴金属、特に代表的な銀細工についてだけなんですけどねー。ホントは、どの職人の、どの作品を出品するか、内々に決まってたらしいんです。いわゆる伝統的な老舗なんですがね。ところがフォンロシュフォールのご当主殿が、今現在最高の技を持つ職人と、その作品を物産展に出品しなくてはならないっていきなり宣って、内定を白紙に戻したとかで。老舗の職人はビックリ仰天、これまで陽の当らなかった中小の工房は好機到来って大喜びしてます。老舗だって体面ってモンがありますし、水面下の攻防も激しいらしくて、ロシュフォールはその選抜大会とやらに向けてなかなか盛り上がってますよ」
「……もしかしてー……おれのせい?」

 俺をじーっと見つめて報告を聞いておられた坊っちゃんが、自分を指差して周囲を見回した。

「陛下の責任というわけではないでしょうが……」

 コンラッドが苦笑して応える。確かに責任ってんじゃないだろうが、あの時の会談が切っ掛けになったのは間違いないだろうな。

「……お前のせいって……何かやったのか!? ユーリ!?」

 陛下のことなら何でも知ってないと治まらないヴォルフラム閣下が、またまた声を荒げて坊っちゃんに迫りだした。

「何かやったとか、そういうんじゃなくて! ただ……」
「ただ、何だ!?」
「ただ……」

 そう仰ってから、坊っちゃんは急に腕組みして、「ただ今思案中」の姿勢を取られた。……何だかなー、妙な胸騒ぎがするなー。
 と思ったのは俺だけじゃないらしい。
 コンラッドや、坊っちゃんと一緒に書類決済中だったウチの閣下や王佐閣下が、もの問いた気な表情で坊っちゃんのお顔を覗きこんでいる。

「………あのさ、ギュンター」
「は、はいっ、陛下」
「おれさ、ここしばらくすっごく仕事したよな?」
「……え?」
「ギュンター、言ってたじゃんか。この頃すごく根を詰めて仕事してるって。一段落してきたし、ちょっと休みを取ったらどうかって。言ってたよな?」
「…え、あ……あー、そう、言われてみますれば、申し上げたような申し上げてないようなー……」
「言ったって! な? コンラッド! 覚えてるだろ? グウェンも、そうだ、ヴォルフもいたよな? 聞いてたよな? そろそろ一休みしても良い頃合だって。おれもさ、今回すごく頑張ったって思うんだ。だから。な?」

 ……なにが、だから、な、なんだ……?
 ヴォルフラム閣下がひくーい声で呟いている。
 それから。
 宰相閣下、王佐閣下、コンラッド、そしてヴォフラム閣下が、ゆっくりゆっくり顔を俺に向けた。

 余計な情報もってきやがって。
 ああ、そんな声が聞こえてしまう。どうしてだろう。俺、魔力ないのに。

 俺が悪いのか?

 坊っちゃんは、にこにこにこにこ、それはもう可愛らしい笑顔で、ちょっと小首を傾げ、上目遣いで側近達を見ておいでになる。
 ……ああ、そろそろ必殺技が炸裂する予感……。

 やっぱり俺が悪いのか!? 何で!?

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はい、2000000HITキリリク、桜箕様から頂戴いたしました、「グリエちゃん視点のストーリー」第1話でございます。
今回はちょっと早かったですよね! 我ながら頑張ったぞー、と(笑)。

このお話は、「グランツの勇者」のすぐ後になります。ここしばらくと同じく、「恋」の前半と時間軸が重なります。
陛下の身体のことはまだ発覚しておらず、ヴォルフとの婚約もそのまま、陛下はまだ片思い驀進中ですね。ですからクラリスもまだいません。
実は私自身も混乱しつつあって、本当は早く時間軸表を整理しないとならないんですよね。
すみません、そちらもなるべく早くきちんとしますので、お許しくださいませ。

お許しくださいといえば、銀のこともそうです。
銀について、色々調べてみたのですが、耐久年数や、古い銀製品の輝きをどうすればどれだけ復活させられるかなど、詳しいことがなかなか分らなくて。
どうなんでしょうね。どんなに古い銀製品でも、磨けば輝くものなのでしょうか。
黄金なら永遠の輝きって呼べるんですが……。
でも、銀の星といえばやっぱりコンラッドの瞳の虹彩ということで、ここは何としても銀にしたかったんですよね。
この先も、こちらの世界の「銀」ではあり得ない特性について語るかもしれませんが、どうかするっと見逃してやって下さいませ。

2話目も、なるべく早く更新したいと思ってます。
次はもう、母の状態次第なんですが……。頑張ります。
ご感想、お待ち申しております。