その場に、空白のようなぽかりとした間が空いた。 「魔族と人間が、平等に、対等に向き合って、本物の友情を育むことのできる世界を作りたい。この世界に生きる者同士、助け合い、支え合って、平和な世界で共に幸せに生きていけるように。……君達は陛下のその願いをとうに知っているはずだね?」 伺っておりますとラースが答える。 「かつて」カーラも続けて発言する。「陛下が新生共和軍の砦においでになられた時も、その願いを口になさっておられました。尊い願いであり、希望であると感じ入りました」 「それを分かっていて」 ムラタ猊下が厳しい目を彼等に向ける。 「なぜ陛下のご希望に添うよう、努力をしない? 誠意を見せようとしないんだ!?」 「……誠意、とは……?」 本当に分かっていないのか。 ムラタ猊下はうんざりしたように深く息を吐き出すと、椅子の背にどさりともたれ掛かった。 「陛下は本物の友情、そして友好を欲しておられるんだよ? だったらそうなるように環境を整えるのが当然の誠意じゃないか」 「……環境を…整える……」 そうだよ、とムラタ猊下が答える。 「いいかい? もしもこれが宝物だの美女だの領土だのを渡せって話なら簡単さ。逆らうことができないなら渡してしまうしかない。悔しがるのも、相手を憎むのも、奪還を決意して実行するのも君達の自由だ。でもね、陛下がお求めになったものは違う。本物の、嘘偽りのない友情なんだよ? 口先だけで魔族との友好を口にし、心の中で舌を出し、利用できるだけ利用して、必要なくなったら放り捨てる。そんなことは許されないんだ。……さっき、言っただろう? 君達は…」 陛下のお言葉の怖さを、ちっとも分かっていない、と。 「君達は我ら魔族の助力を願っている。ああ、助けてやろうとも。たとえ敵国人であった人間だろうとね。魔族と人間が対等に、平等に、平和と繁栄を共にして生きていくために必要であるなら、僕達は必ず力を尽くすだろう。だとするならば、当然、僕達の援助を受ける君達が、僕達を、魔族を、魔物と嫌ったり蔑んだり怖れたりしていいはずがないじゃないか。君達全員が、言葉だけでも振りだけでもなく、本物の友情を魔族に対して抱き、諸手を挙げて僕たちを迎える。それが当たり前の誠意であり、礼儀じゃないか。国民全員が無理なら、せめて国家を指導する立場にある者だけでも、1人残らず、魔王陛下への尊敬と感謝を、魔族への友情を、そして二つの国家の真の友好を、心の底から願うべきだろう。顔で笑って見せながら、心で呪詛を吐き出すような、そんな者は存在してはならない。そうだろう? 魔王陛下の願いを知った上で、真剣に魔族の助力を願うなら、二心なく友好を求めるものを完璧に揃えてその時を迎えることこそ、君達が最低限示すべき誠意じゃないのか!」 厳しく言い放ってから、ムラタ猊下はくすりと笑った。 「どうだい? そう考えれば、領土をよこせと言われた方がよっぽど気が楽だろう? 陛下のお言葉を突き詰めていけば、それは君達にとって本当に怖い意味を持つはずなんだよ? それを君達はちっとも分かっていない」 「……お……お待ち、あれ……」 呻くようにクォードが言葉を挟む。 「…た、確かに、確かに貴殿が仰せの意味は分かる。分かるが……姫はそのようなことをお望みであろうか。その……貴殿達、魔族の援助により国土が復活することが分かれば、民心も自ずから魔族への偏見を捨て去るのではなかろうか。そ、そうだ……ここはまず友好条約を結び、ゆっくり交流を深めることで、自然と理解を深めていくことが肝要ではあるまいか。魔族の助力を得るため、我が国の指導部を無理矢理変更せよとは、その……」 「独立国への内政干渉でありましょう」 クォードの言葉に被さるように声を上げたのはラースだった。魔族の少年聖職者に厳しい瞳を向け、胸を張って言葉を続ける。 「我々は未だ建国を宣言していないとはいえ……」 「独立国? 君達が? 冗談言ってるんじゃないよ!」 ラースの行政官としての言葉は、ムラタ猊下に一笑された。 「独立国っていうのはね、自分の国の問題は、自分で全部解決できる国のことを言うのさ。打倒大シマロンを決めたその時から、君達が1度でも自分達で事を解決したことがあったのか? ウェラー卿がいなければ、一体どうなっていたと思う? そしてこれからも、自分達の国を、民を、自分達の力で救うことができるのか? そこの君。君は自分のその口で、はっきり陛下に言ってたじゃないか」 ムラタ猊下の目がまっすぐラースへ向けられている。 「新たな国家を建設するためには、魔族の助力がなくては立ち行かないと。他国に助けてもらわなくては国が立ち行かない、それのどこが独立国だ?」 ラースが、そして人間達全員が唇を噛み、拳を、肩を、悔しさと怒りに震わせた。 「君達が曲がりなりにも独立国を名乗れるのは」 まるで教師が出来の悪い生徒に言い聞かせるようにムラタ猊下が言う。 「ひとえに我らが陛下のお優しさ故だ。人間と対等に生きることをのみ望まれ、支配することを決して望まれない陛下のお志の高さ、お心根の純粋さが、今君たちを救っているんだ。分かっていたんじゃないのか?」 だから、言わせて貰おう。 ムラタ猊下がこれまで以上に厳しい眼差しを人間達に向けた。 「いつまでも、甘ったれてるんじゃない!!」 びくんっ、と、人間達の体がソファの上で跳ねる。 「時間をくれ? 自然と理解を深める? バカ言ってんじゃないよ。すると、何か? シマロンの、新連邦の民が自然と魔族への偏見をなくし、友情を感じて頂けるまで、我々は君達に無償の奉仕を続けなくてはならないのか? 君達にお仕えして、こんなに力を尽くしているのだから、どうかお友達になって下さいとお願いしなくちゃならないのか? ……君達は、かの地の自然の崩壊が、一体どれだけの速度で進行しているか、本当に分かっているのか? 悠長に構えている暇はないんだよ? 一刻も早く魔王陛下のお力を注がなくては、早晩あの広大な大地は快復不能なところまで崩壊する。わずかの猶予もないというのに、援助ばかりを急がせて、魔族に対する理解はゆっくりでいいと、本当にそう考えているのか!? 僕達には、君達を助ける義務などこれっぽっちもないんだよ? 助力を乞い願うのは君達の方だろう!? 一刻も早い助力が必要なら、一刻も早く君達の、最低指導部の、魔族に対する態勢を整えるのが当然の誠意じゃないのか!? 君達は、陛下の思いを一体何だと考えているんだ!?」 「真剣に考えている!」 たまらず、カーラが叫んだ。 「私達は、少なくともここにいる者達は、真剣に魔族との友情を望んでいる、願って、います! おばあ様、祖母もそうです! 時間をくれと言いましたが、決して悠長に構えているわけではありません! 説得に説得を重ね、皆が魔族への偏見をなくすよう努力しているのです!」 「だが効を奏していない。野球の試合じゃないんだよ? 結果を伴わない努力など、意味はない」 容赦のない言葉に、カーラもぐっと詰まった。 「僕は、君達が気に入らない」 唐突な言葉に、カーラ達は思わず目を瞬いて少年を凝視した。 「ウェラー卿の最初のシマロン行きは、まあ仕方がない。彼が己に課した任務を果たしただけだ。しかしその間の陛下のお苦しみは、傍で見ていても辛かった。本当に、どれほど苦しんでおられたか……」 猊下、と、コンラートが小さく呟く。 「だがそれも、ウェラー卿の帰還で終わったと思った。これで何もかも元通りだと。それなのに……」 クロゥとバスケスが来た。 言って、ムラタ猊下が2人に目を向ける。クロゥとバスケスが、ごくりと喉を鳴らして、顔を緊張にこわばらせる。 「勝手な思い込みで、この国に乗り込んできた。ウェラー卿が魔王陛下に命を狙われていると勘違いして、救い出しに来たというんだからお笑いだ。ヒスクライフ殿から話を聞いた時は、ウェラー卿自身が呆れ果てていたくらいさ。またウェラー卿が自分の下から去ってしまうのではないかと、陛下がどれほど怖れられたか、君達はよく知っているよね?」 問い掛けられて、クロゥとバスケスが「は」と小さく答える。 「ウェラー卿は、再びシマロンへ向かおうとは全く考えていなかった。クロゥ達の懇願にも、耳を貸さなかった。もう二度と陛下のお側を離れない。陛下を哀しませることはしないと、心に決めていたからだ」 え? と、カーラ達は顔を上げ、コンラートを見た。……そんな話は聞いていない。 コンラートはシマロンの民のため、自分達のため、自ら決意して帰ってきてくれた。そう考えていた……。 見つめるカーラ達の視線の先で、コンラートは無表情に佇んでいる。 「自分達ではウェラー卿を動かせない。そう理解したクロゥは、僕たちにとって最悪の選択をした。魔王陛下ご自身に直訴して、陛下のご命令でウェラー卿をシマロンに派遣してもらおうと考えたんだ」 2人が、苦しげに項垂れる。 そう言えば、クロゥはユーリに「ウェラー卿を派遣してくださった」と礼を述べていた。てっきりシマロンに向かうというコンラートの望みに、許しを与えたものだとばかり思っていたのに……。 「無辜の民が苦しんでいると聞いて、陛下がその願いを突き放せるはずがない。陛下は、ウェラー卿と離れ離れにならなくてはならない、自らの命令で大切な存在を戦場に送らなくてはならない、しかし苦しむ人々を救いたい、その思いの間で悩んで悩んで苦しんで、血を吐くほど苦しんで、その果てに、王として決意をなされた。大切な人を、自分が命を下して戦場の最前線に送るという決断だ。……決意する前も、決意して後も、本当に……側にいるのが辛くなるほど陛下は苦しんでおられた。僕は……心底後悔したよ」 クロゥとバスケスの2人を、どうしてさっさと始末しておかなかったんだろうって。 誰かの喉が音を立てる。 「そして君達だ。……陛下のご命令を完遂するためにシマロンに赴いたウェラー卿にとことん甘えて、なかなか帰そうとしない。とっくに分かっているはずなのに、ウェラー卿と共に生きるのは自分達だとでも主張するかのように彼を引き止めて、それどころか眞魔国と魔王陛下への感謝も敬意もろくに表明しようとしない。いい加減にしろと言いたかったよ」 感謝、申し上げて、おる……。クォードがどこか力なく呟く。だがそれは少年にあっさり無視された。 「君」ムラタの目が再びラースに向かう。「さっき陛下に言ってたね。感謝の念を形に出来ないのが申し訳ないって。……職務怠慢もいいところだな」 言われたラースが目を瞠る。 「法で君達の力は強化されているんだろう? だったら働きたまえよ。新連邦建国、そして存続のためには、眞魔国の、魔王陛下の助力が絶対必要である。であるならば、自分達もまた、魔族が快く援助を与えてくれる国家体制を確立しなくてはならない。優秀な官僚なら、当然考え付くべき結論だろう? 反魔族の考えを持つ者を一掃して、援助してくれる国家に対しての誠意を見せたまえ。……もし、反魔族派が大人しく納得しないようなら……」 「……納得しないようなら……?」 ラースが言って、少年の目を覗き込む。 「その後は、君達が考えるべきことだな」 「まさか……」 クォードが唸る。 「粛清、せよ、と……?」 少年が軽く肩を竦めた。 「言っただろ? 君達が考えて行動することさ。僕は何も言わないよ?」 「ユーリは!」 カーラがまたも声を張り上げた。ムラタ猊下がじろりと彼女を睨みつける。 「……陛下は。……そのような事を望まれますでしょうか!? ご自分の夢のために血が流されるようなことを……!」 「血が流れるかどうかは、君達次第さ。我が国には関係ないね」 あっさりと少年が嘯く。 「それにね、もうちょっと考えてみたらどうかな? 君達は君達の今の体制が磐石のものだと本当に信じているのかい?」 「…それは……?」 例えば。 ムラタ猊下がゆっくりと言う。 「さっきも言っただろう? 統治者が土地の所有を求めて反乱を起こす可能性があるって。それに、魔族と友好を結ぶことを急ぐ指導部に、反魔族派の一党が危機感を高め、密かに武力を集めて一気に反乱を起こす可能性だって充分ある。本当に分かっていなかったのかい?」 全員が緊張に顔をこわばらせて少年を見つめた。 「もし新連邦の象徴であるエレノア・パーシモンズが暗殺されて」 ひ、とアリーがかすかな悲鳴を上げる。 「議会指導部が反乱を起こした者の支配下に落ちたらどうなる? 魔族と友好を結んだりしないと宣言するだけなら別に構わないよ。勝手に滅んでいくだけさ。その力もないくせに、戦いを仕掛けてくるならそれもいい。滅亡が早まるだけだ。ただ……もしもその連中が眞魔国の援助の必要性を知り、本音を隠して魔王陛下に阿った場合」 言ったよね? ムラタ猊下の目がしっかりと人間達に向けられる。 「嘘偽りだらけの、口先だけの友好で、魔族の力を利用しようとする、そんな真似は絶対に許さない。でも……」 陛下はお許しになるんだろうな。 ふいに、しんみりとした口調でムラタ猊下が呟いた。 「それが苦しむかの地の民を救うことになるなら、たとえ利用されていることが分かっていても、あえて騙される振りをされるのだろう。友情を騙っていると知った上で、そのためにどれほど傷つこうと、陛下は笑顔で手を差し伸べるのだろう。それが、それこそが我らの陛下だ。しかし僕達は、眞魔国の民は、そんな形で陛下が傷つけられることを見逃すことはできない。いいかい?」 ムラタ猊下がゆっくりと全員を見回す。 「君達は陛下さえご納得ならそれで良いだろうと考えている。だが、実際の現場で君達を援助するのは、陛下ご自身ではない。勘違いをするな。友好条約も、君達への援助も、魔王陛下と君達の、個人的な問題じゃない。新連邦と眞魔国という二つの国の間でなされることなんだ。どれだけ陛下が納得されようと、我らの民が納得しなければ、決して事は成らないんだよ? 眞魔国の民が納得する態勢を取りたまえ。魔王陛下だけではなく、我々眞魔国の民への誠意を見せたまえ」 いつまでも、魔王陛下の個人的な好意に甘えているんじゃない。 その言葉に、人間達全員が押し黙り、項垂れた。 「……もし」クォードが擦れた声を押し出した。「……反魔族派の一掃がならなかったら……どうなさるおつもりだ……?」 「何もしないよ?」 あっけらかんと答えるムラタ猊下に、クォードが息を詰める。 「かの地に対して、一切何もしない。干渉もしない。援助もしない。こう言っちゃ何だけど、僕にもそれなりの影響力があるんでね。まあ、君達も、魔族が本気で何もしなかったら一体どういうことになるか、1度骨身に沁みてみるのもいい勉強じゃない?」 それでも分からなかったら。 ムラタ猊下がにっこりと、無垢な少年そのものの笑顔を人間達に向けた。 「滅びろ」 さ、そろそろ行こうかな。 言いながらムラタ猊下が立ち上がる。コンラートがそれに従うように身体を動かす。 「コンラート!」 何も言わないまま、ムラタ猊下に付き従うコンラートを目にした瞬間、カーラは思わず声を上げていた。 コンラートの顔がカーラに向く。 「……なぜ黙っているのだ、コンラート。何か……何か、言ってくれ!」 共に戦ってきたではないか。大シマロンを倒し、民を解放するため、かの地を救うため、命を懸けて戦ってきたではないか。 その世界に滅びろと、これほど簡単に口にする男に、何故何も言ってくれないのだ!? 「あなたにとっても、シマロンはかけがえのない……!」 「俺にとってかけがえがない存在は、ユーリだけだ」 「それでも……!」 「もう止めるんだ、カーラ!」 ハッと振り返った目の前に、クロゥがいた。自分の二の腕を掴む男の手を振り払い、カーラは再びコンラートを見上げた。 「あなたの立場は分かる。魔王陛下の側近として、口に出来ないこともあるだろう。だが、今ここで、この、聖職者を名乗りながら呪詛を平然と口にする、この男の前で! 聞かせて欲しい。あなたのシマロンへの思いを! …あなたの、ユーリへの愛情は分かっている。だが! あの地で私達は紛れもなく共に戦う同志だった。ユーリに負けないぐらい、大切な、かけがえのない仲間だった! 私達が共有したあの熱い思いを、あなたは決して捨てたりなどしない。私達を見捨てたりしない。そうだろう!?」 「止めるんだ、カーラ!」 コンラートが向きを変え、カーラと真正面に相対する。 「カーラ」 「止めろ、コンラート!」クロゥが叫んだ。「それ以上言うな! カーラには俺から……」 「どうして止めるっ、クロゥ! コンラート、言ってくれ!」 「君達が、陛下と同じ天秤に乗れると思っているのか?」 陛下と比べるほどの価値があるとでも? 「……………え……?」 ぽかんと口を開けて、カーラが、そしてクロゥとバスケスを除く全員が、コンラートを凝視していた。 「君達には頑張ってもらいたいと思ってる。新たな国家の建設を立派に果たして欲しい。そして魔族との友好を、今、猊下が仰せになった通りの、真の友好を結んで欲しい。そのためなら俺達魔族は協力を惜しまない。それこそが魔王陛下のお望みであり、陛下のお望みを完璧に実現することこそ俺達の望みだからな。だが……もしも君達の存在が陛下を苦しめるものとなるなら、俺も猊下と同じく、決して容赦はしない。猊下が仰せになった様に、かの地が滅びるのを座して待つつもりもない。もし新連邦が魔族との友好を騙り、陛下のお力を利用し、魔族を利用することしか考えず、そして陛下を傷つけ、陛下にとって害になる存在であると判断したその時には」 俺自らが軍を指揮し、新連邦を大陸から、そして大陸の歴史から、完全に葬り去ってやる。 「ユーリ陛下は、俺が護ると決めた世界そのものだ。ユーリ陛下以外、大切な、かけがえのない存在などない。シマロンで俺は、俺の仕事を果たしただけだ。君がどう思おうと勝手だが、熱い思いとやらを君達と共有した覚えはない。……俺にとって、シマロンの地も、あの民も、そしてもちろん君達も、陛下の笑顔と比べるほどの価値は持たない」 もうとっくに知っているとばかり思っていたんだがな。 言って、コンラートはくるりと踵を返した。 呆然と立ち尽くす人間達の前で、扉が閉められた。 「……君まで一緒になって悪役になることはなかったのに」 「悪役になったつもりはありません。思っていることをそのまま口にしただけです。それに……それを仰るなら猊下こそ」 回廊を2人で─先を行く村田の1歩後ろにコンラートがつき従い─歩きながら、村田とコンラートは会話を交わしていた。 「僕は良いんだよ。もともと彼等のことは気に入らないし。それより大変なのは君さ。可愛さ余って憎さ百倍ってね。信頼が深かった分だけ、恨みは深いよ? 明日は野球観戦に同行するんだろう? いやぁ、明日になったら彼等がどんな目で君を見るのかと思うと……想像するだけで怖いなー」 「わくわくするな、の間違いでしょう? 別に構いませんよ。いつまでも、いざとなったら俺がいると思われるのも迷惑ですから。……これで自分達が、本当に新しい国家を建設できるかどうかの崖っぷちにいることを、少しは自覚してくれれば良いんですが」 全くだねえ、と村田が頷く。 「エレノアって人もそうだけど、眞魔国の援助と国家の存続を確定事項として安穏と構えてる、その甘っちょろい認識が僕にはとても信じられないよ。大小シマロンだけが国家の敵だなんて、どうして簡単に思えるのかな。それに、渋谷との個人的なお友達関係にいつまでも依存してもらっていては困るんだよね。友情は友情として、どうしてもっと国家と国家のドライな視点で関係を見極めることができないかなあ? ……最高議会の議員が国民の直接選挙で選ばれないってのも、問題を大きくしているよね」 「お言葉ですが、国民による直接選挙という制度は、この世界のどこを探しても存在しません。最も進歩的な新興都市国家においても、最高議決機関はその国の有力者の間から互選されております」 「そうなんだよね。なまじっか地球の制度を知っているだけに、もどかしいことこの上ないな」 「とにかく」 小さく微笑んで、コンラートは村田の背を見つめた。 「彼等はこれまで、陛下の存在と、そのご意志だけを頼りにしてきました。しかし、陛下との友情があれば無条件に自分達を助けてくれるはずだと信じていた魔族の中に、自分達を滅ぼすかもしれない恐ろしい『敵』の存在があることを、彼等も認識しましたからね。下らない勢力争いをしている暇などないことにも気付いてくれたのではないでしょうか」 コンラートの言葉に、村田がプッと吹き出す。 「その勢力争いを利用して、新連邦から軍事力を削ぎ落とそうと画策したのは誰だい?」 俺ですよ? けろりとした顔でコンラートが答える。 「後に禍根を残さないよう、利用できるものは利用しなくては」 くっくと村田が笑う。 「それで? 新連邦内部の、反魔族派の動きはどうなんだい?」 「確実に動いてますね。国家樹立の宣言がなされ、法が実効力を持つ前に基盤を固めておこうと、密かに兵力を集めています。今のところ、新連邦指導部は気付いていないようですが……やっぱり彼等に教えてやる気はないのですね?」 「それこそ内政干渉というものだよ、ウェラー卿。そんな連中の存在も察知できず、押さえ込むことも出来ないなら、新国家樹立を宣言する資格などないさ。それにあの甘ったれぶりじゃあ、いざ内紛が起きた時には、きっとあっさり僕達に援軍を頼んでくるよ。そして僕達がどれだけ犠牲者を出したとしても、彼等は『援助の見返りもなく申し訳ない』と、しゃあしゃあと口にするんだろうね。あの時のクロゥとバスケスのように。……あ、想像したらますます腹が立ってきた」 「よっぽど彼等が気に入らないんですね」 コンラートがくすくすと笑う。 「でもこれで、悲鳴を上げればいつでも助けてもらえる訳ではないと分かったはずですしね。猊下が与えたヒントを読み解くことができれば、危険分子の存在と、その動きも掴めるはずです。……そう考えると、結構親切だったのではありませんか?」 「君がそう感じるとしたらー……そうか、もうちょっと冷たくしても良かったか」 それはそうと。 村田がひょいと振り返る。 「新連邦の内部情報、渋谷に伝える時にはくれぐれもタイミングを間違えないようにね。彼のことだから、きっと自分のことみたいに心配して、色々助けてやろうとするだろうし。事の最初から至れり尽くせりお世話してしまうと、結果的に人間達のためにもならないしね。僕達にしても、これ以上依存症を進行させてもらっちゃ大迷惑だ。もし本当に内紛が起きたら民は大変だろうけどね。ま、それは運が悪かったと諦めてもらうことにして。……ったく、これほどまで僕たちに依存していながら、独立国に内政干渉するなとはね。その意識が甘ったれだってんだよ。それに、どうせ魔族なんだからとことん利用してやれという、拭いがたい差別意識も残っている。無意識だろうとは思うけどね」 「魔族への差別意識は、DNAに刷り込まれていると言っても過言ではありませんしね」 「ところで、新連邦のその辺りの情報を他に知っているのは?」 「グウェンとギュンターが。陛下にお知らせする時期を見計らわなくてはならないという点では、彼等も同意見です。新連邦樹立と国家運営については、陛下はもう他国の問題と突き放すことはできないでしょうし」 「それが彼の美点さ。欠点でもあるけど。それはそうと、ねえ、ウェラー卿」 村田の雰囲気が微妙に変化した。口調がそこはかとなく楽しそうだ。 「はい?」 「僕はね、君達側近一同を見ていてしみじみ思うことがあるよ。特に君に関してね」 「お伺いするのが怖い気もしますが……。どういうことでしょう?」 「今の一幕でも再認識したんだけどさ。渋谷の側近の中で、僕の共犯者になれるのは君だけだろうなあ、と」 「……共犯者、ですか」 そう、と村田が頷く。 「仲間とかお友達とか、信頼してるとか、好きとか、そういうのとはまたちょっと別の方向で……」 「共犯、なんですね」 「そういうこと」 「嬉しく思うべきなのか、嘆くべきなのか、かなり判断に迷うところですね」 「素直に喜びたまえ。君の価値を正しく判断しているのだから」 「………ますます複雑です」 だろうね。言って村田がくすくすと笑う。 「猊下」 「何だい?」 「共犯という言葉で、ふと思い出したのですが」 「うん?」 「先ほどお話になっておられたサスペンスドラマのことなのですが」 「へえ……一体何?」 「はい。……どうなのでしょう。探偵こそが実は連続殺人の犯人だった、という展開はあり得るのでしょうか?」 村田が足を止め、くるりと振り返った。そして面白そうにコンラートの顔を覗きこむ。そして。 「あり得るとも。もちろん」 にこっと笑って答えた。 「そういうどんでん返し的な展開、結構僕の好みだよ。付け加えるなら、真犯人である探偵の『推理』で、上手く別の犯人を仕立て上げられたらいいね。ついでにその可哀想な犠牲者が、自分が真犯人だと思い込んでくれるようにリードできれば完璧かな」 「なるほど。ではせめてその犠牲者にならないように精進しなくてはなりませんね」 「何言ってんのさ。君は僕の犠牲者なんかにならないよ。言っただろ? 君は共犯者さ」 「……やっぱり複雑ですねえ」 しみじみとコンラートが言い、村田がくすくす笑い、そうして二人が回廊を進んで行った時だった。 軽やかな足音と親わしい気配が近づいてくることに、まずコンラートが気付いた。 「コンラッド!」 回廊の角から、ユーリが飛び出してきた。そのすぐ後からヴォルフラムとヨザックとクラリスが姿を現す。 走ってきたのか、息が弾み、ユーリのふっくらとした頬がほんのり赤くなっている。 「探したんだぞ、コンラッド! 全然戻ってきてくれないから……どこ行ってたんだよー」 言いながら飛びつくようにコンラートの傍に寄ると、ユーリはコンラートの袖をきゅっと掴んでその顔を見上げた。 「………コンラッド、久しぶりの礼服だよね。…………かっこ良いよ」 最後の一言はそっと囁く様に告げると、ユーリの頬がさらに火照ったように赤く染まる。 あー、恋する女子高生がいるよー。どこからか茶々が入るが、ユーリには聞こえていない。代わりに「じょしこーせーとは何だ!?」と問い詰めている誰かがいる。 「陛下こそ、とても素敵ですよ? お召しになっておられるこの礼服、新しいデザインですね」 ユーリは今、夜会用の礼服を身に纏っていた。黒が基調なのは当然だが、今着用しているのは普段の服装よりずっと柔らかな布地で、感触も光沢も地球の絹にそっくりだ。その上着はほっそりとしたユーリの体の線に添うように、だが緩やかに、ふくらはぎまで流れるように伸びている。襟元やわずかに広がった袖口、そして裾には金と銀のつる草が絡み合うような文様がラインとなって縁取り、胸元の合わせを閉じる二つの鮮やかな紅色の宝玉と共に、優雅なアクセントとなっている。 「陛下って言うな、名付け親! …だけじゃないんだし……。だろ…? ……えっと、これ、ヴォルフのデザインなんだ。知ってた? 意外な特技だよね。絵はアレだけど、服のデザインはかなりまともというかー……」 「そうですね、ユーリ。……本当にとてもお似合いです」 外野の存在を忘れた二人が見つめあう。が。 「僕の才能に限界などない!」 いきなりヴォルフラムが割り込んできた。 「ユーリの美しさや愛らしさを最大限に引き立たせることができるのは、この僕だけだ!」 「……美しいとか愛らしいとか、もともとないモン引き立たせられないだろー」 んなコトより。 ユーリが改めてコンラートを見上げる。 「ホントにどこ行ってたんだよ?」 「新連邦の事前訪問団の控え室に行ってました。明日の野球観戦について、話をしてきましたよ」 「そっか! アリー達どうだって!?」 「もちろん陛下とご一緒するそうです」 「ほんと!?」 よっしゃー! と歓声を上げ、ユーリが拳を握る。 「だったら明日の計画練らなきゃな! アリー達にうんと楽しんでもらいたいし!」 「それなんですが」コンラートが少々言い難そうに言葉を続ける。「アリーやレイル達だけじゃなく、もうちょっと増えそうな予感がするのですが……」 「構わないよ、全然! 減るより増える方が大歓迎! 野球のこと、1人でも多くの人に知ってもらいたいしね!」 そうですね、と、コンラートが愛しげに微笑む。 「それにさ」ユーリの口調がわずかに変化した。「アリー達……何だかいつもと違って肩身が狭そうっていうか、居心地悪そうっていうか……見てて可哀想な感じがして。せっかく初めておれ達の国に来てくれたんだから、思いっきり楽しんでいってもらいたいんだ。……そりゃ、条約のこととか、色々あるのは分かってるけど」 ユーリが回廊から庭園へと歩を進める。 「ホントはさ」 ほんの少し照れくさそうに微笑んで、ユーリが言った。 「もっとたくさんの人が、それも眞魔国を知らない人や、未だに誤解してる人が、もっとたくさん来てくれたら良かったな、って気持ちもあるんだ。…あ、もちろん友達が来てくれたのは嬉しいよ! すっごく嬉しい! でも……少しでも早く、1人でも多く、魔族の本当の姿を知ってくれる人に増えて欲しいなって、思ったりするんだ。1人、魔族への理解を改めて、これまで信じてきたことが間違いだったって理解してくれる人が増えれば、1歩、平和に近づいていく。そんな気がするっていうか……」 ゆっくりと語るユーリを見つめ、コンラート達が静かに佇む。 「時間が掛かると思う。魔族と人間が本当に分かり合って、そして対等にお互いの存在を認め合って、そして友情を育んでいくには、きっと気が遠くなるような時間が掛かると思う。それまで、きっとたくさんの問題が起こったり、それで悩んだり苦しんだりするかもしれない。それでも……諦めたくない。諦めたりなんかしない。おれは自他共に認める小心者だけど、でも、このことに関してだけは、自分の弱さに負けたくないんだ!」 ユーリが自分を囲む臣下達の顔をぐるっと見回した。 「きっと新連邦にも色んな問題があるんだろうね。コンラッドが言ってた、武人と官僚の争いとか。おれ達と友好条約を結ぶことを嫌がる人たちもいるだろう。それに何より、大地の崩壊が全く止まっていないんだし。……理想通りに進むなんて思ってないけど、おれ、あの人達に協力して、世界平和の足がかりをきっちり作りたいって思うんだ。大変な仕事だと分かっている、つもりだけど……皆、これからも協力を頼みます!」 「ユーリ……」 「……陛下…!」 ユーリの信頼する仲間達が、心からの思いを込めて主を呼ぶ。 その姿を視界に映しながら、村田は柔らかな笑みを顔に浮かべた。 君こそが王。 自分の口にした言葉に自分で照れて、ほんのり頬を染め、それでも王の決意は揺るがない。 そう。君こそが僕の王。僕達の、唯一無二の王。 君はその思いを、理想を、夢を、迷わず追い続けていけばいい。 まっすぐ伸びた道を、前だけを見据え、胸を張り、堂々歩んで行けばいい。 君という光に照らされて、それ故に生み出される闇は、全て僕が引き受けよう。 君の輝く笑顔のためなら、どれほどの返り血を浴びようと悔いはない。 「偉大なる魔王陛下に、永遠の忠誠を」 「むっ、村田っ!?」 どうしたんだよ、お前っ!? 何かヘンなモンでも食ったのか!? 素っ頓狂な声を上げるユーリに構わず、村田が胸に手をあて、ゆっくりと腰を折る。 大賢者に従い、その場にいた全員が同じように主への忠誠を誓った。 「皆してからかうなよー! 村田! お前、まじで人が悪いぞ! コンラッド! ほらっ、ヴォルフも!」 慌てるユーリにコンラートもまた笑みを深めた。 ヴォルフラムも、そしてヨザックとクラリスも。 あなたが。 あなたこそが。 我らの王。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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