フィールド・オブ・ドリームゲーム・4



 部屋の中に、何ともいえない沈黙が広がった。

「まったくもう、何しにきたんだよ、村田ってば」
「ある意味、実に猊下らしい登場ではありませんか?」

 無言の人々を他所に、魔王陛下と、フォンクライスト卿を間に挟んだコンラートが会話している。
 カーラが視線を動かすと、宰相フォンヴォルテール卿が目を閉じ眉を顰め、両のこめかみを指でくりくりと揉み解していた。

「……あ、あの……」
 クォードの隣のラースが彼にしては珍しく、おずおずと声を上げた。
「今の、その…ムラタ、猊下は、あの……」
 何をどう尋ねていいのか分からないというその様子は、この官僚にしては本当に珍しい。カーラは思った。

「……気にしなくていい」

 どこか疲れた様な声で応えたのは宰相閣下だった。

「今の猊下の言葉を理解できたのは、陛下とコンラートの2人だけだ」

 それはどういう意味なのだろう。
 ……確かに、今の聖職者殿が仰せのことは、はっきりいってカーラには何がなんだかさっぱり理解できなかった。だが、共に魔王陛下のお側に仕える者同士のはずなのに、どうしてあの猊下と陛下とコンラートのみが理解できる話題が発生するのだろう……?

「あれ? 専門用語もそれほど多くなかったし、分かりやすい話だったと思うけどなあ……」
「どこがだ!」
「じこくひょーとかとらっくとか、訳の分からない言葉だらけだったじゃないか! 僕も何を言ってるのかさっぱりだったぞ!」
「トラックじゃなくてトリック!」
「殺人などと恐ろしい言葉をお口になさっておいででしたが、よもや何かおぞましい企てがなされていることを猊下が察知なされたとか……!」
「違うって、ギュンター!」
「猊下は、そんな事でも起きない限り、自分の手を煩わせるなと仰せだっただけだよ」

 魔王陛下と3兄弟、そしてフォンクライスト卿の間で会話が飛び交う。
 カーラの視界に、軽く首を傾け、ほんの少し人の悪そうな笑みを浮かべながら話をしているコンラートの姿が映る。
 ……これほどのんびりと、緊張の欠片もない口調のコンラートと会話したことが、これまでどれだけあっただろうか……?。
 コンラートとの会話といえば、常にどこかぴんと張った緊張感が漲り、その声も豊かに深いながら、奥には凛とした厳しさがある。そんな印象を自分はずっと抱いてきたように思う。
 だが今耳にするコンラートの声音からは、硬い芯がすっと抜けた、柔らかく穏やかなものしか感じられない。気の置けない人々と、肩肘張ることなく会話を交わしているのだということが、説明されなくても分かってしまう。
 若い聖職者殿の、カーラ達にはさっぱり理解できない言葉を解するコンラート。そして、生まれ育った国で、家族や友人、そして主と気楽な会話を楽しむコンラート。

 私達はかつて、私達こそがコンラートの唯一の理解者なのだと信じていた。
 彼が心許すのは、私達だけなのだと信じていた。
 彼が共に生きることを望んでいるのも、私達だけなのだと……。

 それは違うのだと知って。知ったつもりで。でも本当は全然分かっていなかった。
 コンラートの事を私達は、本当は何も分かっていなかった。いや、今も何も分かっていない。

 この国でコンラートに再会してまだ数時間も経っていないというのに。
 見慣れたはずのその姿がどんどん自分から離れていく。それを実感せずにはいられないことが、カーラはただただ切なかった。

「………失礼した」
 ハッと目を上げると、宰相閣下が自分達に顔を向けていた。
「話を元に……何が元だったかよく覚えておらんのだが、とにかく戻そう。……コンラート」
「今日はこの後、カヴァルゲート代表団の歓迎式典が予定されている。特に希望がなければ、君達にはとりあえずそれに出席してもらえばいい。問題は明日からのことだが……。何か具体的な要望などがあれば、今聞いておくが?」
 コンラートに話を振られて、「さて、それは……」とクォードが言い淀み、ちらりとカーラを見る。
 そう言えば、これからの行動について、自分達の総意をまとめておかなかった。分かっていることは、とにかくこの国を知りたいというただそれだけだ。
 カーラが「任せる」という意味を込めた目配せをすると、クォードが小さく頷く。
「われわれ……」
「申し上げます」
 話を遮られたクォードが「むぅ」と妙な声を上げる。
 発言したのはラースだった。
「眞魔国に到着して以来、貴国の経済力、技術力、そして行政の水準が、大陸諸国とは比べ物にならないほど高いものであることを知り、我等一同驚愕いたしております。恥ずかしい話でございますが、これまで我等が聞かされてきた魔族の世界とはあまりにもかけ離れておりまして……」
「ラース・オーボエと言いましたね? あなたはコンラートから実際の話を聞いていたのではないのですか?」
 王佐閣下の訝しげな言葉に、ラース達官僚が一斉に頷いた。
「はい、確かに色々とお話を伺っておりました。ですが、正直申しまして、貴国の状況は我等の想像を遥かに超えていたのです。……ご存知の通り」
 ラースの声に力が籠もる。
「我等新連邦は、大シマロンの遺産のほぼ全てを破壊した上に成り立つ国家です。何より大シマロンの軍事優先、領土拡大主義を放棄することを基本に、国土の再建と民心の安定を何よりの課題と致しております。大シマロンの政策に疲弊していく民の姿を目の当たりにし、彼等を救うこともままならぬまま、圧政の担い手の1人とならざるを得なかった我等文官一同、この課題に全力を傾ける所存でおります。幸い、ただ今新たな国家の中枢には、実際の現場にて国を動かすことのできる経験豊富な文官、大シマロンにおいてはその圧政に反対して迫害を受けた多くの学者達が集い、日一日とその数を増やしております。我らを含め、かの地に集いし者達は、平和な国家の建設を目指し、皆希望を胸に頑張っております。それはコンラート様もよくご存知でいらっしゃると……」
 ラースの視線を受けて、コンラートが大きく頷く。
「おれも」魔王陛下が言葉を挟んだ。「コンラッドから聞いてます。あなた方が平和な国を造るため、毎日とても努力していると」
 ありがとうございますと、ラースが頭を下げた。
「……ですが、国土の荒廃は激しく、民心は不安定なまま、また周辺諸国の状況も悪化しており、我々が現在持つ技術と知識だけでは、国土の復興と安定した国家建設は成り立ちません」
 何とぞ、とラースが魔王陛下に顔を向ける。
「眞魔国、魔族の皆様方のご協力をお願い申し上げます。そして今回のこの訪問におきましては、貴国の進んだ技術、経済、そしてまた何より行政の有り様などにつきまして、ぜひぜひ我等にご教授下さいますよう、伏してお願い申し上げます!」
 文官達が一斉に頭を下げた。間で取り残されたカーラとクォードも、一拍遅れて頭を下げる。
「……僭越ではないのか?」
 頭を下げたまま、クォードが呟くように言った。抑えた声に紛れもない怒りが籠もっている。
「まず申し上げるべき重要な事柄です。分かっておられないようでしたので、私が言わせて頂きました」
 クォードの向こうで、ラースが冷静に答えている。
「自分達ばかりを売り込みおって……!我等とて……」

 コホン、と、咳払いの音がする。カーラも含めて、頭を下げていた者が慌てて身体を起こした。

「あなた方は」王佐閣下が麗しい顔をカーラ達に向けている。「友好条約を締結するための事前調査にこちらへおいでになったのですからね。我が国の発展ぶりをその目になされば、学びたいと思われるのも当然のことでしょう。我等としましても、あなた方にはぜひ我等魔族の真の姿について知って頂きたいと願っています。何もかも、とは申せませんが、できうる限りの協力は惜しみませんよ?」

 ありがとうございます、とまた全員が頭を下げた。

「………皆、本当に頑張ってるんだね」
 ユーリが感じ入った様に、しみじみとその言葉を口にした。
「しかし何にせよ」宰相閣下が続けて発言する。「大地が蘇らねば話になるまい。シマロンの自然は破滅の1歩手前にあるといっても過言ではないのだからな。どんな政策も、崩壊した大地においては意味をなさん」
「だからおれ達が手助けするんじゃないか!」
 魔王陛下が力強い声を上げ、それから明るい笑みを人間達に投げ掛けた。
「シマロンの大地が蘇るよう、おれ達にできることは何でもするよ! 民が今もそんなに苦しんでいると聞いて、放っておくことなんてできないし。それに、このままじゃ長年のコンラッドの努力だって無駄になってしまう。ね? コンラッド。シマロンの民のためにおれ達ができること、たくさんあるよね?」
「陛下……」
 己の主を見つめるコンラートが、胸に手を当て、それから静かに頭を下げた。
「姫……!」
 クォードが感に堪えない声を上げると、やはり深々と頭を下げる。
「あ、ありがとう、ございます……」
 ラースがわずかに呆けたような声で礼を述べた。
「そこまで仰って頂けるとは……! 陛下のお慈悲、深きご温情、我ら一同心より感謝申し上げます」
 ただ……。
 ラースが苦しげに、だが視線はしっかりと魔王陛下を見据えて続けた。
「まことに……申し訳なく存じます。陛下始め、眞魔国の皆様方にどれほどお慈悲を賜りましても、我らにはこの感謝の念を形にする力がなく……」
 眞魔国の協力に対して、何も見返りを提示できないことを謝罪するラースに、魔王陛下がきょとんと首を傾けた。
「どういうことかな? だって、友好条約を結んでくれるだろう?」
「それは、しかし……」
 現状では条約を結ぶことの益は新連邦に多く、眞魔国にはほとんどないと言ってもいい。

「大シマロンがあった頃」

 魔王陛下が人間達を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。

「シマロンの人間達はほとんどが魔族を魔物と呼び、忌み嫌っていた。そうだよね? そして、戦争を起こしてでも魔族を滅ぼそうとしてたんだ。でももう違う。あなた達は魔族を怖れる気持ちを振り払い、それどころか友好条約を結び、友情を育もうとしてくれてる。おれは本当に嬉しいと思ってるよ。……新連邦は大陸最大の国家だ。その国と眞魔国が友好を結び、交流と理解を深めることができれば、それはきっと他の人間の国にも影響を与えるはずだ。おれはそれを期待してるんだ! 人間が誤解や迷信を捨てて、魔族の本当の姿を知って、魔族は魔物じゃない、平和を求める人間と少しも違わない種族なんだって分かってもらえたら、その理解が広がれば、世界は今よりもっともっと平和になる。おれはそう思う。そう信じてる! あなた達との友好が、魔族と人間が平等に、共に手を携えて幸せに生きていくための、世界全体が平和になるための、大事な大事な1歩なんだ。そのためにできることなら、おれは何でもするよ!」

 感謝を形になんて望まない。ただ。

 魔王陛下が最後にゆっくりと言った。

「魔族と人間が本物の友人同士になれるように、どうか努力してください」

 部屋に、先ほどとは全く違う沈黙が広がった。
 魔王陛下の側近達は、これぞ我らが王と誇らかに主を見つめ、人間達、特にこの日初めて魔族の王を知った者達は、愕然と目の前の少年の姿を凝視していた。

「……恐れ入りまして、ございます……」

 どこか呆然とした声でラースが応え、ギクシャクと頭を下げた。

 そう。これがユーリだ。カーラは心の中でラースに呼びかけた。
 愛らしく、美しく、心優しく、そして強く雄々しい王。
 ラース。そしてロサリオ、サンシア、タシー。官僚として、官僚になろうとして、もしくは金儲けの商売に励んで、それぞれ生きてきた。そんな彼等は考えもしなかっただろう。
 魔族の王が、何の見返りも要求せず、人間の民を救おうとするなどと。そのためにどんなことでもすると宣言するなどと。
 ラースは恐縮して見せながら、有能な行政官僚の目で見極めようとしていたはずだ。
 つい最近まで敵国であったシマロンの民を救うと宣言する、魔王の心底にあるものを。その狙いを。

 そうして今彼等は、初めて眞魔国第27代魔王ユーリの度量の一端に触れたのだ。

 カーラはそっと視線を斜め後方に座るクロゥに向けた。友人は視線に気付いたのだろう、ふと顔を上げ、カーラに顔を向けた。そして微笑を浮かべると、小さく頷いた。カーラも頷き返す。

 隣で、呼吸することを忘れていたらしいサンシアが深く深く息を吐き出した。

「さすがは姫でござる!」
 クォードがいきなり大声を発した。顔が興奮で真っ赤に染まっている。……感動しているらしい。カーラは思わず額を押さえた。
「その高きご見識! 遥か未来を見据えたその眼差しの何と高貴なことか! 姫のお志の尊さは、凡人には到底理解でき申さぬ。まして目先のことに汲々とするばかりか、己の狭量な物差しでしか人を計れぬ愚かな小役人共にはとてもとても! 姫の神聖にして高貴なるその御心、このクォード・エドゥセル・ラダ、しっかと胸に焼き付け申した! この上は、姫のお望みになる世界を現実のものとすべく、それがし、命を賭して働く所存でござる!」

「…………えーとぉ」
 顔に笑みを貼り付けて、どう答えていいのか分からないらしい魔王陛下が困ったように首を傾けた。
 拳を握り締めて力説したクォードは、何だか瞳をきらきらさせている。

 ゴホン、と、1つ咳払いの音がした。
「とにかく」
 宰相フォンヴォルテール卿が、半ば無理矢理、重々しい声を上げた。
「我々魔族に対する理解を深めてもらうのが先決だ。そのために必要な協力は惜しまぬことを約束しよう。……とりあえずは王都の民の暮らしを見てまわるのが良いと思うが」
「ありがとうございます!」
 カーラが頭を下げると、同僚達が一斉にそれに倣った。



「カーラ」
 鏡に向かい、香水を振り掛けていたサンシアに呼ばれ、カーラは振り返った。姿見の中から化粧を凝らしたサンシアがカーラを見ている。

 魔王陛下の下を辞し、部屋に戻った彼等は、夜の歓迎会に向けての準備をするためそれぞれの部屋に入っていた。カーラとアリー、そしてサンシアは3人で1室を使うことになっている。
 ベッドを3台並べてもまだ余裕たっぷりの部屋には、今、香水と化粧品の匂いが満ちていた。

 サンシアがくるりと振り返る。それからひょいと肩を竦めると笑みを顔に浮かべた。
「あなた、本当にそんな格好で夜会に出るつもりなの? せっかくの美人が台無しじゃない。ダンスもできないわよ?」
 カーラは苦笑を浮かべて、大きく手を広げて見せた。カーラが今身に纏っているのは、男性の武人の礼装に似せた衣装だ。もちろんズボンにブーツ履きで、これではさすがにダンスに誘う男性はいないだろう。
「長年この調子でやってきたからな。私はこういう姿が一番しっくりするんだ」
「お姉さま」
 洗面所からアリーが出てきた。
 クリーム色と若草色を組み合わせた少女らしいドレス姿で、くるくると巻いた髪にたくさんの小さな花飾りを散らしている。最初、姉と同様男装すると言い張った妹だったが、「せめてあなただけでも」と懇願する祖母の言葉で、ドレス着用に頷いてくれた。

『あのまま平和であれば、カーラ、あなたも今頃は……』
 仕立てあがったアリーのドレスを手にした祖母が、突如、日頃の気丈さを忘れたかのように呟いた夜の出来事が、カーラの脳裏に蘇る。
 何を仰せに、と笑ってその顔を覗きこんだカーラの目に、涙を浮かべる祖母の老いた顔が飛び込んできた。愕然としたあの一瞬。
 ……おばあ様は年をとられた……。
 その時のことを、カーラは誰にも話していない。

「唇に上手に紅を塗れないの」
 ぷくっと頬を膨らませるアリー。気を取り直して、カーラは苦笑を妹に向けた。妹の顔は首に比べて妙に白く、頬だけが不自然に膨らんだように赤くなっている。目の周りも縁取りが真っ黒で何だか変だ。
「私に頼むのか? 紅などここ何年も使っていないのだぞ?」
 国が滅んだあの時から、化粧などまともにしたこともない。
「私がやってあげるわ」
 横からサンシアが声を掛けてくる。
「あら、眉も不揃いなままじゃないの。こちらに座りなさいな、アリー。お化粧も直してあげるわ」
「結構よ! あなたに……」
「アリー」
 ムッとした顔のままの妹の、白粉が斑になった頬にそっと掌を添える。
「私には到底無理だ。サンシアに綺麗にしてもらいなさい」

「……ねえ、カーラ」
 アリーの化粧をほとんど最初からやり直すサンシアが、何気なく声を上げる。
「何だ?」
「私ね……」
 ふと手を止めたサンシアの口元に苦笑が浮かぶ。
「確かに判断が安直だったと思うわ。……この国について意見するのは、もう少し、あの魔王陛下を知ってからにしようと思う」
「サンシア……」
「アリー、そんなにびっくりした顔で口を開けないで。紅が塗れないわ。……私だって反省すべき時はちゃんと反省するのよ?」
 ぱくんと口を閉じたアリーの唇に紅を塗るサンシアに、カーラは微笑を浮かべて頷き掛けた。

 さあ、できた! サンシアにそう言われて鏡を覗いたアリーが、無意識だろう、嬉しそうに頬を緩めている。確かに最前の化粧とは雲泥の出来だ。
 女らしい装いや化粧を捨てて生きてきたことを後悔などしない。だが、やはりこんな時、ほんのわずか胸を過ぎるものがある。

「……あ、あの……」
 ひたすら鏡を見つめていたアリーが、おずおずと身体をサンシアに向けた。
「……ありがとう、サンシア」
「どういたしまして」
 サンシアが微笑み、ぎくしゃくとだがアリーが微笑み返した時、部屋の外から訪いを告げる金具が鳴った。
 失礼します、と顔を見せたのはレイルだ。

「カーラ姉さん、よろしいですか? あの、コンラートが……」

 打ち合わせの間。夜会の準備をほぼ終えた全員の前にコンラートがいた。
「……コンラート、素敵……」
「本当……」
 ほう、と息をついて頬をほんのり赤らめるアリー、そしてサンシア。だがそれも無理はないとカーラも思う。
 コンラートは、彼等が初めて目にする真っ白な礼装を身につけていた。

 戦場の最前線で指揮をとるコンラートは、常に歴戦の戦士に相応しい姿でいたし、戦いが収束してからも、一見「流浪の剣士」といった風情の格好を止めたことはなかった。
 正規の軍人としての姿はもちろん、このように高貴な生まれを前面に出した姿を目にしたことはただの1度もない。
 だがこうして見れば。
 カーラもまた、その姿に見惚れる自分に気付いて内心ため息をついた。
 コンラートの全身から、生まれの良さ、育ちの良さ、気品が滲み出ている。
 新生共和軍の砦で戦っていたコンラートと、魔王の側近であるコンラート。そのどちらが偽者とか、嘘とか、そんなことでは全然なく。
 自分達が全く知らない、この元王子にして一国の王の側近としての姿も、紛れもなくコンラートその人の真実なのだ。

「別に礼装を披露しに来たわけじゃない」
 皆の眼差しが可笑しかったのか、苦笑を浮かべてコンラートが言う。
「早めに紹介だけでもしておこうと思ったんだ。彼等が……」
 言いながら、コンラートの顔が隣に立つ人物達に向く。
 それは、この城に来て初めて見る顔、見た目だけはカーラやサンシアと同年代の男女だった。
「我が国の行政における専門機関、行政諮問委員会の委員を務める、サディンとグラディアだ。明日からこの2人が、君達と常に行動を共にすることとなる。質問や要望があれば、これからこの2人に相談してくれ」
「サディンと申します。魔族と人間の友好のため、力を尽くさせた頂きます。どうぞよろしく」
「グラディアですわ。よろしくお願いいたします」

「それがしが!」誰かに先んじられてなるものかと、クォードが前に飛び出てくる。「訪問団の代表を勤めるクォード・エドゥセル・ラダと申す! 魔族の方々との真の友情を深めるべくまかり越し申した。ご面倒をお掛けするが、何とぞよしなに願いたい!」

 王家の礼を取るクォードに、「こちらこそ」と2人の官僚が礼を返す。ようやく代表らしく振る舞えたクォードが、満足そうに胸を張った。

 サディンとグラディアを交え、王都視察についておおよそのことを決め、魔族の2人の官僚が去った後も、部屋にはコンラートが残っていた。
 部屋の隅にある紐を引き、使用人にお茶を持ってくるよう命じると、かつての仲間達の元に歩み寄ってくる。
 ようやく積もる話ができるのだろうか、と、カーラはホッと息をついた。この城に到着して以来、コンラートは魔王の側近の顔しか見せようとせず、友人同士の会話をする機会もなかった。それが余計に彼を遠くに感じる理由にもなっていて……。
「実は」
 歩きながら、コンラートが話し出す。
「明日の王都視察なんだが、今決めたものの他に、もう1つ用意してあるんだ」
「もう1つ?」
 クォードの訝しげな問い掛けに、コンラートがにこりと笑う。
「ああ。眞魔国の行政を学んでもらうのが1つ。そしてもう1つが、魔族の文化を学んでもらうためのものだ」
「文化、というと……?」
「眞魔国の民の多くが愛する『野球』の練習と試合を見学し、実地体験をしてもらおうと思う。こちらの方は畏れながらながら魔王陛下が直々に希望者を案内し、解説及び指導を行うことになっている。つまり…」
 コンラートの目が悪戯っぽく輝き、アリーとレイル、そして2人の側に控えるアドヌイとゴトフリーに向けられた。
「明日、早速野球をしに出かけないかとの陛下のご提案だ」
「ほっ、ホント!?」
 アリーの顔がぱあっと輝く。
「ユーリが!? 一緒に!?」
「ああ。構わないだろう?」
「もちろん!」
「コ、コンラートっ」
 突如ひっくり返ったような声が割り込んできた。クォードだ。
「その……文化視察は、姫が直々に案内して下さるとはまことの事か!?」
「……嘘など言ってどうする?」
 眉を顰めて答えるコンラートに、「うぬぬ」とクォードが一気に顔を赤らめ苦悶し始める。その姿からすいと視線を外して、コンラートはカーラに顔を向けた。
「カーラ、君はどうする?」
「どう、とは……」
「行政視察は、ラースたち4名が主体だ。だから君やクロゥ達は、どちらでも興味がある方を選べばいい。野球観戦、いや、文化視察でも、充分王都の民の生活を知ることはできるのだし。それに……」
 コンラートの目がちらっと苦悶を続けるクォードに向けられた。
「………同行してくれるとありがたい、ことになりそうな気がする」
「な、なるほど……」
 ユーリとのんびり遊びに、いや、文化視察をしに出かけることができるとなれば、鬱憤を溜めたクォードがそちらを選ぶ可能性はかなり高い、かもしれない。とすると、彼をしっかり抑える役目を果たす者が必要だ。
「カーラ」
 サンシアに呼ばれて顔を向ける。
「構わないわよ? むしろその方が助かるかも。妙な事をされて恥を掻くのはもうゴメンだものね」
「……分かった。その時にはそのように」
 微妙な言い回しで答えると、サンシアとコンラートが頷いた。


「さて、と」
「……コンラート?」
 いきなり、すいと踵を返したコンラートが、何故か部屋の奥、外のテラスに通じるガラスの扉に向かって歩き始めた。
 全員が見守る中、引かれた薄いカーテンを手で払い、取っ手を握ったかと思うと、コンラートは徐に扉を開いた。

「どうぞお入り下さい」

 扉の外、すぐ傍らに配置された樹木や花に向かってコンラートが声を掛ける。

「……外に、誰かおるのか……?」
 クォードもまた眉を顰めて言う。
 コンラートが敬語で話す、誰か。
 樹木の陰から、人影が、コンラートより大分身長の低い、子供の影が現れた。
「あ!」
 アリーが声を弾ませて言った。
「もしかして、ユー……!」

「………っ!」

 コンラートに招き入れられたその人物は。

「陛下じゃなくて悪かったね」

 魔族の国の聖職者。大賢者という名称を持つという少年。
 ムラタ猊下、だった。


「確認しておきたいことがあってね」
 当然の様に最も上座のソファに腰を下ろすと、少年聖職者は何の前置きもなくそう口にした。
 ユーリやフォンビーレフェルト卿と同年代でありながら、抜きん出て大人びているというか……やたら偉そうというか。
 考えながら、カーラは内心で身構えた。
「ひめ…陛下がご一緒の時に仰せであればよかったのでは?」
 わざわざ時を移してどうして、と、クォードが探るように尋ねる。
 だがそれには軽く肩を竦めるだけで、ムラタ猊下はひょいと自分の斜め後方に向かって顔を上げた。
 そこには、まるで少年を護るようにコンラートが立っている。
「コンラート」カーラが呼び掛ける。「あなたもここに座って……」
「ウェラー卿」
 ムラタ猊下がカーラの呼び掛けを遮るように声を上げた。
「はい、猊下」
「お茶ちょうだい」
「畏まりました」

 部屋の隅には、つい今しがた城の使用人が運んできた、茶器と茶菓子を載せた台車がある。それを運んできた使用人は、「大事な話があるから」と言われ、そのまま去っていた。

 コンラートが台車に向かい、そして茶器の用意をし出したのを目にした瞬間、カーラは矢も盾もたまらず立ち上がった。
「私がやる! コンラート! あなたがそんな召使いの様な……!」

「差し出がましい真似はしない」

 きっぱりとした声に、カーラの動きがびくっと止まった。

 ムラタ猊下が立ち上がったカーラを見上げている。

「ウェラー卿が陛下や僕にお茶を用意するなど日常のことだよ。他所の国のお客さんにどうこういわれることじゃないな。……君、いつまで勘違いしてるつもり? 迷惑なんだけどね」

 握り締めた拳と唇が震える。いけないとは思いつつ、カーラは少年を睨まずにはいられなかった。

「……コンラートは」
 口から滑り出た声は、我ながらひどく硬いと思う。
「私達新連邦の人間にとって偉大な恩人です。我らの王にもと願った程の大切な人です。そんな彼が蔑ろにされているのを目の当たりにして、平常心でいるのは難しいとお察し頂きたい」

 睨み付けるカーラを、少年猊下がどこかつまらなそうに見上げている。と、いきなりため息をつき、心底うんざりしたように「やれやれ」と肩を竦めた。そして人差し指を立てかと思うと、カーラの前に翳した。

「まず1つ。フォンヴォルテール卿も言っていたが、公私の区別をつけたまえ。分かっているだろうが、僕の身分は高い。この僕がこうしてここにわざわざ訪れたからには、ここは今、公に準ずる場だ。この場で、この僕の前で、魔王陛下の側近中の側近であり、我が国において指折りの重鎮の1人であるウェラー卿を軽々しく呼び捨てにするのは許さない。君のその態度は、すなわち魔王陛下、そしてこの眞魔国自体をも軽んじるものだ。私の場で友人であろうが何だろうが関係ない。分を弁えたまえ。公の場においては『ウェラー卿』と呼ぶこと。いいね?」
 カーラの喉が、ぐ、と音を立てる。
「カーラ」
 クォードが呼びかけてきた。
「座るのだ、カーラ。聖職者として最高位にあるというお人を、いつまでも見下ろしていてはなるまい」
 感情を押し殺した声に、カーラはぎくしゃくと従った。
 華やかな衣装を身にまとった同僚達の顔が、緊張、もしくは怒り、のために、一様に強張っている。

「そして二つ目」ムラタ猊下が2本目の指を立てる。「君達が偉大な恩人と呼ぶべきは魔王陛下だ。ウェラー卿じゃない。ウェラー卿が命懸けでシマロンでの任務を果たしたのは、魔王陛下、そしてこの眞魔国あらばこそだ。君達はもうとっくにそれを知ってるはずだよ?」
「それは……っ!」
 再びいきり立つカーラの耳に、かちゃりと陶器の触れ合う音がした。
 コンラートがムラタ猊下の前にお茶のカップとケーキを置いている。
「どうぞ、猊下」
「ありがと。…ねえ、ウェラー卿。僕は君を蔑ろに扱ったことがあったかな? 僕の言うこと、間違っていると思うかい?」
 いいえ、とコンラートが即答する。
「猊下の仰せの通りです。それに蔑ろも何も、俺は俺の役目を果たしているだけですから」
 だよねえ、とムラタ猊下が頷く。
「それにしても、ウェラー卿」
「はい、猊下」
「この面子の、バランスの悪さは一体何なんだろうね」

 ばらんす? 分からない言葉に、カーラの怒りが瞬間削がれた。

「彼等は本当に分かっているのかな? 今僕達は、まさしく歴史的な瞬間を迎えようとしてるんだよ? かつての敵同士が、種族の違いによる偏見を乗り越えて友好を結ぼうという、まさにその時をね。そのいわば準備のためにやって来たのがこれ? 専門家は行政と経済が4人きり。外交、文化は……この代表のお兄さんや元王女様が担当するのかな? じゃあ、他のメンバーは一体何しに来たんだろう? ……新連邦側が本気で魔族との友好を願っているのか、僕としては疑わざるを得ないね」
「私達は……!」
「遊びに来たいんなら来ればいいのさ。野球でも何でもしにね。陛下もお喜びになる。でもその場合、国家的な背景は存在しないのだから、役人だの何だのがくっ付いてくる必要はない。友好条約は国家と国家の問題だ。そのための事前訪問なら、それにふさわしい専門家がくるべきだ。もっと大量にね。いくら新連邦最高指導者の孫だろうと、ただの『お友達』が国家の代表の顔で同行する余地などない。君達は……そう、中途半端なんだよ」

 クォードが「ぬぬ」と唸り声を上げ、アリーが身体を強張らせる。
 カーラの、その場に集った人間達全員の顔が、歪み、半ば項垂れる。

「エレノアは眞魔国との友好と自明のこととしていました」
 徐に声を上げたのはコンラートだった。カーラがハッと顔を上げる。
「事前調査で納得する必要を、彼女は全く認めていなかったはずです。この訪問団は彼女にとって、魔族との条約締結に拒絶反応を起こしている者に対してのパフォーマンスに過ぎません。具体的な調査というか、眞魔国の実情を知るのは条約締結が成ってからじっくりやれば良いと考えているのでしょう。ですから国家的事業の代表に陛下の野球友達までが参加している。おそらく孫達を仲良しの陛下と久しぶりに会わせてやろうという程度の、気楽な感覚だったのでしょうね」

 ぱふぉー何とかというのがどういう意味かは分からないが、コンラートの言葉に言い返したくて、でも言い返せないもどかしさにカーラは唇を噛んだ。
 何が悔しいといって、コンラートがまるで部外者のように祖母のことを語るのがたまらない……。

「僕が問題にしたいのは、まさしくその部分だよ、ウェラー卿」
 ムラタが言った。
「どうして新連邦の最高議決機関に、眞魔国との友好に反対する者がいるんだい? 確か連邦では統治者とかいうのが中央から各州に派遣されるんだったよね? 統治者の多くは、その土地の元国王だったり領主だったりすると聞いている。その中にも、友好条約反対派がいるのか?」
「それは……」
 問われてクォードが口ごもった。
 いる。
 確かに、連邦各州の統治者の中には数名だが魔族との友好に反対する者がいる。
 クォードやカーラ、そして全員の顔をざっと眺めたムラタが、「全くもう」と苛立たしげな声を発した。

「どうしてそんなのに州を任せるんだよ! 何でさっさと指導部から外さないのさ!?」

「そのようなこと……できる訳がないではないか!?」
「何故?」
「何故と言うて……もともとかの地はそういう土地柄なのだ! 大シマロンに限らず、人間が魔族を嫌悪するのは蛇蝎を嫌うがごとく当然のことであった。もし姫があの時砦においでにならなければ、今頃統治者となる予定のほとんど全員が魔族との友好に二の足を踏んでおったであろう。それがしにしても同じ。姫にお会いすることがなければ、コンラートやダードの申し上に賛同することはなかった。そう考えれば、むしろ現在は遥かに改善された状態なのだと評価してしかるべきではないのか!?」
 あなた、たまには良いこと言うじゃない! 珍しくサンシアに褒められ、クォードが胸を張る。
「確かに一理ある」
 少年猊下があっさりと頷く。だが。
「でも大切なのは現在さ。起きなかった過去を引き合いに出して、だから今のままで良いんだなんて、これから民を導こうという者が口にして良いことじゃないね。それは卑怯者の論理だ」
 なっ、何と! 一声叫んでクォードが飛び上がろうとする。が、いつの間にか背後に来ていたクロゥとバスケスに「落ち着け!」と押さえ込まれ、荒い息を弾ませながら席についた。
「今の理屈で言うならば。ウェラー卿がシマロンにいたからこそ、魔王陛下は君達の砦を訪れたんだ。そうだろ? もしウェラー卿のシマロン再訪がなければ、陛下はもちろんかの地へ旅立つことはなかったし、そうなれば……新連邦建国などあり得なかったよ。権力争いの末に、君達の組織などとっくに壊滅していた。今頃は小シマロンの干渉も加わって、混沌の真っ只中かそれとも……。ま、どっちにしろ、統治者がどうこうなんて議論は、端から成り立たないね」
 ……それは確かにその通りだ。コンラートがいたからこそ、自分達のあの出会いがあったのだ。だが……。
 人間達が唇を噛む。
「君達はとうに分かっているはずだよ。今君たちが新たな国造りに邁進できるのは、一体どこの国の誰のおかげなのか。組織の中心となる者が全員それを認識していながら、真の恩人に対して当然あるべき態勢が取られていない。僕はそこが大問題だと言っているんだよ」
 いいかい? ムラタ猊下が続ける。
「統治者として赴任すれば、やがてこの土地は自分のものだと言い出す人はきっと出るよ。そういった連中が連邦に対して反旗を翻す可能性も限りなく高い。それが反魔族派だったら最悪だ。その場合を想定しての、何らかの対応策は取ってるの? ウェラー卿?」
「全兵士を連邦軍として一括組織し、出身地に一切関りなくランダムに各地に派遣することにしてあります。また統治者の私兵となることを防ぐため、2年毎に全兵士の任地を変更することも法で決まっています。統治者は私兵を養うことを一切禁じられ、違反した場合は即刻その資格を失うことにもなっています」
「なるほど。兵士をシャッフルしてばら撒くか。まあ当面はそれでもいいかもね。1つの土地に根付いてしまうと、視野が狭くなってしまうし。それに様々な土地を回れば、兵士にも連邦という国そのものを護るんだという自覚が生まれてくる可能性もあるしね」
 はい、とコンラートが頷いた。
「でもね、ウェラー卿、どれほど用心しようと、連邦が我が国と友好条約を結べば、反魔族派の不満は高まる。彼等が高い地位にあることは非常に危険だ。どうして君がいた間に、そんな連中を外せなかったんだい?」
「統治者の9割方は、元新生共和軍の出身者が占めております。彼等は全員陛下を存じ上げており、魔族に対する偏見を早くから放棄した者ばかりです。しかし残り1割、新生共和軍の勝利がほぼ確定した時点で参入してきた新たな勢力が問題となりました。もともと大シマロンへの反乱は、奪われた自分達の国を取り戻そうとする元王族などが中心です。彼等を元の土地の統治者として任命することが決まっている以上、魔族への理解が薄いからという理由で、後から入ってきた者を外すことはできないとされてしまったのです。彼等の元の身分やその土地への支配力、戦力、財力などを無視することができないというのがその理由でした。魔族との友好に反対する者を統治者に任命することが、将来的に必ず問題になることは、エレノアも理解していましたが……」
「その時点であれば、魔族への理解が薄いというのは充分な理由だと思うけどね。で? エレノアって人は何て?」
「必ず理解してくれる時が来るから、時間をくれと」
 何、それ? バカにした様に言うと、いきなりムラタがくっくと笑い始めた。
「ウェラー卿」
「はい」
「君は以前、エレノア・パーシモンズという元女王を、カリスマ性のある絶対君主ではなく、人間関係の調整が上手い議長タイプの王だと評していたことがあったね」
「仰せの通りです」
「つまり……それが限界か」
「そういうことかと」

「お待ち頂きたい!」

 黙っていることができず、カーラは声を張り上げた。

「仰っている言葉の意味はよく分からないが、私の祖母を貶めるような物言いは止めて頂きたい! コンラート、あなたもだ! あなたとおばあ様は同志として親友として長く共に戦ってきたのではないか。それをどうして……」
「そうよ……そうよ! コンラート、酷いわ! どうしてそんな人の言うなりに……」

「感情的になってもらっちゃ困るな。僕達は君達のおばあさんをバカにしてる訳じゃない。ただ冷静に分析してるだけだよ。どうも君達のおばあさんという人は、それに君達全員も同じだけど、僕達の陛下のお言葉の怖さをちっとも分かっていないみたいだね」

 ………怖さ……?


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………くはーっ。
何でまたどうしてこんなコトに。
村田様の語り、展開が長い、しつこい、おまけに堂々巡り。これをきれいに整理できないのが力不足の表れですねえ……(涙)。

4−2の予定が、次は5話。……でも話は進んでないんです。うう。
と言いつつ。
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