しゃるういだんす?・5.5 |
「……アグネス殿、見事にやってくださいましたね」 にっこりと。 ウェラー卿がこの上ない爽やかな笑顔を私にお向けになられた。 ………でもなぜだろう。閣下の背後に黒い雲のようなものが、どろどろと湧いている気がするのだけど。 ユーリ様たち御一行を離宮へとお見送りした翌日。 私達がいつもと同じようにライラ様のお部屋にお伺いした時だった。 いつもと同じように私達をお迎え下さったウェラー卿の様子だけがいつもと違う。いや、そんなウェラー卿を見つめるライラ様とアントワーヌ様のちょっと引きつった表情もいつもと違っている。 「昨日、あなたに保管庫と言われ、城中の保管庫を調べました」 ………調べたんですか……。 「城の保管庫の中で、タオルや敷布を保管してある部屋は7箇所。俺は魔力がない、全く無力の男です。心を静かにして、祈るような思いで、全てのタオルや敷布の気配を調べました」 ………全部、ですか………。 「しかし、気配を感じ取ることができませんでした」 ………そうでしょうねー。 「それでおかしいと思いました。もしかしたら、俺は上手く踊らされてしまったのではないかと」 ………やっと分かってくださいましたか。と申しますか、閣下って意外と素直な方でしたのですね。 「そこであなた方付きの小間使いに問い質しました。最初は色々と辻褄の合わないことを言っていましたが、最後に認めました。タオルをあなた方の部屋に運んだのは彼女だと。そして、あなた方の部屋に見慣れない小間使いが3人と、やはり見慣れない衛士が1人いた、と。……てっきり小間使いが4人かと思いましたが」 ………それはグリエ殿の趣味のお話でしょうか。 「教えて頂けますか、アグネス殿。エヴァ様も乳母殿もラン殿も、御存知なら教えて下さい」 彼は、今どこにいますか? さてどうしよう。 私は笑顔を崩さないまま、悩んでいた。 『いっぱいお世話になりました。ありがとう! また来るねー』 小間使い姿のまま、大きく手を振って馬車にお乗りになったユーリ様、フォンビーレフェルト卿、ムラタ様、そしてグリエ殿。 突然出会い、わずかの間一緒に過ごした魔族。 ウェラー卿と同様、私達の魔族に対する認識を、見事に覆してくれた人達。 愛すべき、あの明るい笑顔。 ウェラー卿はユーリ様の保護者でいらっしゃるらしいから、別にお教えしても問題ないはずなのだけれど。 でも……。 「あ、あの…っ、コンラート様!」 迷う私を見かねてか、姫様がお言葉を発せられた。 「はい、エヴァ様」 ウェラー卿が待っていたと言いたげに、姫様にお顔を向けられた。姫様の喉がこくんと動く。 ……ああ、ごめんなさい、ユーリ様。 私は胸の中であの元気な少年に謝った。 こんな風にウェラー卿に見つめられて、姫様に嘘がつけるはずがない。 ところが。 「コ、コンラート様は、な…何か勘違いをなさっておられますわ!」 「……エヴァ様…!?」 ウェラー卿だけではない、私達も、ライラ様やアントワーヌ様も、驚いた顔を一斉に姫様に向けた。 「勘違い、とは、どういうことでしょうか?」 ウェラー卿の、落ち着いた声が何故か胸に刺さるように聞こえる。 「…そ、それは」 姫様が大きく深呼吸をなされた。 「わっ、私の部屋におりました3人の小間使いと申しますのはっ、私のっ、国元からっ、呼び寄せました者達ですわっ。なっ、名前はっ、えっと、ファナローズローランとハリエットリーバイールとジュリエッタララロッタと申します!」 ……………違います、姫様……。 と言いますか、前に伺ったのとまた全然違ってます。 「なるほど」ウェラー卿が微笑んで頷かれる。「では、そのファナローズローランさんとハリエットリーバイールさんとジュリエッタララロッタさんを俺に御紹介願えますか?」 すごい! どうして覚えてられるんだ! ……ラン様が私の耳元でそっと、でも驚きを込めて仰った。 本当にすごい。 「あ、あああのっ……3人は、その、今私のおつかいで外にでておりますのっ。まだしばらく戻ってまいりませんですわっ!」 姫様、お上手です! 「なるほど」 ウェラー卿が同じ言葉を繰り返す。 それから、どうなることかというお顔のライラ様とアントワーヌ様の方を向かれると、ゆっくりと口を開かれた。 「彼の気配を求めて、城の中をひたすら歩き回りました。俺のカンでは……こちらの方向から彼の香りというか、気配が流れてくる気がするのですが……」 ウェラー卿の指差した方向を確かめて、ライラ様がひくっとお顔を引きつらせた。……正しく離宮の方角だったようだ。 ………本当に魔力をお持ちではないのだろうか、この方。 というか、まさか鼻が異常に利くだけとか……? ウェラー卿が手を下ろし、それから、ふう、と息をつかれた。 「……どうして俺から逃げるんだ……? いくら黙ってここまで来てしまったのだとしても、俺が、この俺が、どんなお仕置きをすると思っているんだ……? 代わりにヤキを入れるなら、ちょうど良いのがちゃんといるのに……」 切なそうに呟くウェラー卿。少々分からない部分もあったけれど、自分から逃げ隠れていられるのが辛くて仕方がないというお顔をなさっておられる。 それから改めてエヴァ様に向かわれると、ほんのわずか寂しそうにお笑いになられた。 「エヴァ様はお優しい方ですね。ありがとうございます」 そう仰せになられると、スッと手を伸ばされて姫様のお手を取られた。そして、恭しく腰を屈められると、姫様の手の甲に唇を寄せられた……。 「……彼らは……お世話をお掛けしたのではありませんか?」 ウェラー卿がお話になっておられる相手は母だ。 姫様は部屋の真ん中で、お顔を真っ赤に染めたまま、夢見心地で突っ立ったままでおられる。 「いいえ。とてもお可愛らしくて、素直な良い名づけ子さんでいらっしゃいます。さぞご自慢でいらっしゃいましょう?」 「ええ、仰る通りです」 愛しくて堪らないというお顔。これまでこの方の笑顔は何度も拝見したけれど、その中でも格段にお優しくて、愛情の想いのこもった輝くような笑顔だと思った。 「俺の自慢の、素晴らしい名づけ子なんです」 コンラート、あのね、とライラ様が仰せになられる。 「少しだけ、我慢してくれるかしら? 天下一舞踏会まで、探さないで欲しいの」 「何か企んでおられますか、ライラ?」 ウェラー卿の笑顔が、どこか悪戯っぽいものに変わった。 「大したことじゃないわ。まあ、貴方も楽しみにしててちょうだいな」 それでは今日はこれで、と、ウェラー卿は部屋を出て行かれようとした。 「コンラート様!」 姫様の呼びかけに、ウェラー卿が顔をお向けになる。 「あ、あの……アナロータローズとハーレンリーブイータとジュリエッタベルローズには、戻りましたらご挨拶させますわ!」 ………姫様、すでに微妙な違いを通り越してます……。 それを指摘することなく、ウェラー卿は優しい笑みをそっと浮かべられた。 「では、アナロータローズさんとハーレンリーブイータさんとジュリエッタベルローズさんに、どうぞよろしくお伝え下さい」 閣下のその笑みがとても寂しそうで、ユーリ様が自分の前から逃げ隠れされる現実(ほとんどムラタ様の采配のような気もするけれど…)が切なくて仕方がないと仰っているようで、その時初めて私の胸がツキンと痛んだ。 ……それにしても、どうして1度聞いただけで、あんな名前を覚えられるのだろう……? いよいよ天下一舞踏会が近づいてきた。 お城の中を行き交う上流階級の方々は、いや、貴族の方々から小間使い、下働きに到るまで、天下一舞踏会に参加する方かどうかを問わず、皆、興奮に沸き立っている。 特に皆の話題となっているのが、ウェラー卿のお相手だ。 一体どなたを舞踏会のお相手として選ばれるのか。その日が近づくにつれ、お相手候補のお名前も具体的になってきた。 その筆頭が二人。レドリン家のヴァイオラ様。そして我らがアシュラム大公家の公女エヴァ様だ。 派手で権高く、何人もの取り巻きに囲まれ、常に女王然としたヴァイオラ様と、歴とした公女でありながら、清楚で慎ましく、淑やか……だったはず、いえ! 淑やかなこと間違いない姫様。 この全く正反対のお二人の、一体どちらを選ばれるのか。それとも全然別の方なのか。 今、フランシアの宮廷では、寄ると触るとこの話題で持ちきりだ。 姫様は、現在舞踏の練習はもちろん、アシュラムから運ばせた数着のドレスを取っ換え引っ換え着替えては、髪型やお化粧や首飾り髪飾りの研究に暇がない。 ヴァイオラ様も黙ってその日を待つ気はないようだ。 昨日、姫様に御一緒してライラ様の客間にお邪魔したところ、ライラ様とウェラー卿、そしてヴァイオラ様とお父上のレドリン卿がおいでになった。 先日の山賊退治と、ヴァイオラ様救出についてのお礼を仰せになりにきたのだという話だったが。 『いや、さすがは英雄と名高いウェラー卿、実にお見事でした!』 『ありがとうございます。しかし、あれは俺の手柄ではありません』 『御謙遜ですわ、閣下。閣下がおいでにならなければ、私、あの恐ろしい男達にどのような目にあっていたか……。今思い出しても……涙が……』 ああ、とか細い声を上げ、ヴァイオラ様は顔を覆い、ソファの上で眩暈を起こされたようにしなしなと崩れた。 『おお、ヴァイオラ、娘や、可哀想に……。もうすぐ天下一舞踏会だ。今は華やかな舞踏会のことを考えて、元気を取り戻しておくれ。ウェラー卿、そうは思われませんか?』 『お父上の仰るとおりですよ、ヴァイオラ様。賊はもう二度と現れません。どうかお元気になって下さい』 『ありがとうございます、閣下。でも私……恥ずかしいですわ、こんなにか弱くて』 自分で自分のことを「か弱い」と表現するのは間違っています。と、心の中で呟いた時。 『あらぁ?』 姫様がのんびりとした声をお上げになった。 その声にふと見れば、姫様がフォークを刺したクリームたっぷりのケーキが卓の上に落ち、ころころと転がってぽとんと。 ソファに上半身を突っ伏しているヴァイオラ様の頭の上に転がり落ちてそのまま……乗っかった。まるで狙ったように。 『まあ、ヴァイオラ様の頭って結構広くていらっしゃるのね。ケーキが落ちずに乗っているわ』 ころころと、あまりにのんびりと楽しそうにお笑いになるので、誰も嗜めることすらできず、ただぽかんとその様を見つめている。 『……………ちょっと』 地を這うように低い、陰に籠もった声がソファに突っ伏した方から漏れてきた。 『あなた……っ!』 『あ、お待ちになって』 勢い良く起き上がろうとなさったヴァイオラ様を、姫様がお止めになる。中途半端なところで止まった(案外この方も素直な人だ)ヴァイオラ様の頭には、クリームがどっさりついていたお陰だろうか、まだケーキが留まったままだった。 『このまま起き上がられては、ケーキが床に落ちてしまうわ』 そう仰ったかと思うと、姫様はフォークをがしっと握り直し、ヴァイオラ様の頭に向かって……! 『ひいっ!』 目の前に迫るフォーク。ヴァイオラ様が首を絞められた蛙のような声を上げられる。 ……フォークは、過たずケーキにぐっさりと刺さった。 『落ちたらもったいないですものね。この時世、食料は大切にせねば』 そのままケーキを皿に戻すと、姫様は一口分を上品に割り取り、お口に運ばれた。 複雑に結い上げた髪と派手な髪飾りをクリーム塗れにしたヴァイオラ様が、わなわなと唇を震わせておいでだったのは、実に恐ろしいというか滑稽というか胸がすくというか……土産話のねたとしては、実に面白い眺めだった。 実際、ウェラー卿はどうなさるおつもりなのだろうか。 そんなことを考えながら、私は厨房に向かってゆっくりと回廊を進んで行った。 侍女として恥ずかしい話だが、お茶の葉が切れ掛かっていることにうっかり気づかずにいたのだ。 ………何だか、前にも同じようなことがあった気がする……。 まあいいか。ついでに、お茶請けのお菓子も頂いてこよう。 そんなことをとりとめもなく考えながら、中庭の花を眺め、ゆっくりと歩を進めていたとき。 「アグネス」 聞き慣れた言葉に振り返れば、思ったとおりラン様がおいでになった。 「ラン様」 お名を呼ぶと、ラン様が苦笑を浮かべて近づいてこられる。 「二人きりでいる時くらい、昔のように兄様って呼んでくれないかな。……母さんもいないんだし」 私はすっと踵を返し、足を踏み出しながら言った。 「私はアシュリー家の御嫡男を兄に持った覚えはありませんわ。それに、私の母はラン様の母ではございません」 「……アグネス……」 困ったように仰せになりながら、それでも私の後を追ってこられる。そしてすぐに私の隣に並ばれた。 「………姫は……変わった、と言ったら、きっと間違っているんだろうな」 急に始まった話に、私は思わず足を止めてラン様の顔を見上げた。 「大輪の華麗な花じゃない、野に人知れず咲く小さな花、ミンシャの花のような方だと思っていたんだが……」 「れっきとした公家の姫君を野の花に例えるのは、少々礼を失しておられますわ。それに……長年兄妹同様に暮らしてきて、姫様が護られなければ立つこともできないか弱い方だと、本当に思われておいでだったのですか?」 だとしたら、人を見る目のとことんない人だ。情けない。 そんな思いが視線に乗って届いてしまったのかもしれない。ラン様は慌てたように否定した。 「そうじゃない! ミンシャは可憐だが、決して弱い花じゃないぞ! か弱く見えるけれど、芯は強い。つまり姫には、その内面にこそ真骨頂とも言うべき強さがある、そう言いたかったんだ!」 僕はミンシャの花が好きなんだ。ラン様が呟いた。 「淑やかで大人しく、物静か。しかし、その内面には、どんな苦境であろうと立ち向かう強さを備えておられる。そういう意味だ。ただ……その強さ、というか、逞しさが……」 「近頃は、思い切り表に現れている、と?」 そうだ。ラン様が、ため息と共に頷かれた。 「レドリン家の姫君との攻防……攻防、と表現するしかないような気がするんだが……あのような攻撃的な姫の姿、アシュラムでは全く目にしたことがなかったぞ。そうだろう?」 そうだけど、と私は言い返した。 「攻防は違っていると思うわ。だって、一方的に姫様が勝利しているのだもの。……あの、ケーキを頭にのせたヴァイオラ様のお姿ったら……!」 思わず吹き出した私に、「そこが問題なんだ!」と言い返された。 「……母さんもお前も、それに姫も、すっかり忘れているようなんだが」 「え?」 「僕は、姫をお護りすると同時に、天下一舞踏会で姫のお相手を務めるために同行したんだ」 あ、と私は思わず声を上げた。 「そう言われれば……そうだったわね」 あのなあ、とラン様ががっくり頭を落とす。 「……ウェラー卿はどうなさるおつもりかな。まさか本当に姫を選んだりなさったら……」 「別に良いじゃないの。舞踏会のお相手というだけで、別に結婚相手を選ぶわけではないわ」 「姫はそう思わないぞ!」 確かに。何といっても、姫様はウェラー卿との出会いを、運命だとお信じになっておられるのだから……。 「アグネス」 「はい?」 「僕は……この舞踏会が終わり、アシュラムに帰国する際、ウェラー卿に御同行をお願いしようと考えている」 「ラン様!?」 「アシュラムは、眞魔国と友好条約を結ぶべきだ。僕達は長らく魔族に対しての認識を誤ってきた。一刻も早くその修正を行わなければならない。我が国の大地を復活させるためにも」 「ラン様、それは……」 「もちろん、大地を復活させてもらうために友好条約を結ぶという考え方は間違っている。その間違いも、僕達だけじゃない、大公様を始め、国の重鎮方全員に認識を改めてもらわなければならない。そのためにも、前魔王の息子であり、当代魔王の側近であるウェラー卿と直に会うことが何より重要だと思う。何といっても大公様や父達は、魔族というものを正真正銘の化け物だと信じているのだからな。実際にウェラー卿と会い、直接会話を交わせば、きっと皆の意識も変わる。その速度を速めることが大切なんだ。できれば一気呵成にそれをしてのけたいと考えている」 「……ラン様」 「アシュラムの将来が掛かっているんだ。……だが、姫は今、それをちゃんと理解しておいでだろうか……」 「それは大丈夫よ!」 自信を持って請け負う。 「姫様は確かに浮かれておいでだけれど……でも! アシュラムのために何をなすべきかということを、決してお忘れになったりはしないわ!」 「それは良いのだが」ラン様は疑わしげだ。「もしも姫が舞踏会でウェラー卿のお相手を務め、その後、共にアシュラムに向かうことになれば……一体どのようなことになると思う?」 ………もしかしたら姫様は、お父上に結婚相手として閣下をご紹介なされるかも……しれない。 ラン様がため息をついた。私もつられてため息を零す。 姫様がどれほど恋焦がれられようとも、魔族の、前魔王の子息などという人物と、結婚などできるはずがない。というか、ウェラー卿は姫様をそのような目では全く見ておられない。 姫様の失恋は、とっくに決定事項なのだ。 ため息がさらに深くなる。……あら? 「ラン様」 「何だ?」 「……あれ、ほら……」 二人して立ち止まり、同じ方向に目を向ける。 「あれは……!」 回廊に面した城の中庭。夜目にも鮮やかな花々が咲き乱れる中に。 「……ウェラー卿」 閣下が佇んでおられた。 お声を掛けることもできずに見つめていたのだが、2人分の視線はすぐに閣下に気づかれてしまった。 ふいに私達のいる方向に目を向けられると、ゆっくりと歩み寄って来られる。 そのお顔には、苦笑に似た笑みが浮かんでいた。 「お二人で散歩ですか?」 問われて、私達は何となく頷いた。 「あの……閣下は……」 ウェラー卿の苦笑が、深くなった気がした。 「色々と…気に掛かることがあって……」 「ご心配なのですか?」 ユーリ様達のことが。 ウェラー卿が髪に手を差し入れた。その仕草が、どこか照れくさげに感じられる。 「国にいるのだと思えば、離れていてもこんな思いはしなかったと思います。ですが……俺を追ってきて、すぐ近くにいるのだと思うと……」 ふと、不可解な気持ちになった。 ご自分の名づけ子で、大切になさっておられるのは分かる。それにしても……。 「魔族の方がどのようにお感じになるかは存じませんが、人間であれば、16歳なら自分で考え、自分の力で行動することができます。あの……失礼かもしれませんが、少々ご心配の度が過ぎるのでは……?」 アグネス! と、ラン様の嗜める声がしたけれど、私はそのまま閣下の表情を見ていた。 ウェラー卿は私が思ったとおり、お怒りにはならず、「アグネス殿の仰せの通りです」と仰った。 「過保護が過ぎると……幼馴染にもよく笑われるのです」 でも、どうにもならなくて。と、ウェラー卿がさらに苦笑を重ねられる。 なるほど。グリエ殿なら笑うだろう。 「閣下」 声を改めて呼びかけたのはラン様だ。 「お伺いしたいことがあるのですが」 「何でしょう、ラン殿」 ウェラー卿の声も、わずかに色を変える。 「間もなく開催される、天下一舞踏会のことなのですが……」 「それが、何か?」 「ウェラー卿は、その……どなたをお相手になされるか、もうお決めになられましたでしょうか」 閣下がわずかに目を瞠られ、それからふと微笑まれた。 「そのことですか。それでしたら……」 俺は、誰も選ぶつもりはありません。 ウェラー卿は、はっきりとそう仰られた。 「あの……それは一体……!?」 「以前の優勝者として御招待を受けましたが、俺は舞踏会で踊る気はありません。当日参加される皆さんにご挨拶させて頂いたら、それで下がるつもりです」 「あの……でも……っ!」 「最初からそう決めていたのです。俺は……」 閣下がご自分の手を目の前に掲げ、その掌をまじまじと見つめて仰せになった。 「……この手で、他の誰の手も取るつもりはありません」 では、どなたの手を取りたいとお考えなのでしょうか……。 私のその質問は、言葉にならないまま胸に残った。 そうして、私達は天下一舞踏会開催の朝を迎えた。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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