しゃるういだんす?・5



「驚きましたわ」
 そう言って前に進み出てこられたのは……美女だった。
 この方は知っている。確か、フランシアでも1、2を争う名門の一の姫、だったと思う。名前は…ええと……。
「……ヴァイオラ様!」
 そう、ヴァイオラ様。レドリン家のヴァイオラ嬢、だ。
 周囲の女性達が一斉に脇に引き、彼女を通した。……まるで女王の様に。

 ヴァイオラ様は、姫様の美しさとはまた別種の、自分がお美しいことを、その美しさをさらに引き立たせるには何が必要かを充分理解なされている女性だ。紫色の艶っぽいドレスを身に纏い、磨きに磨いた白い肌と金色の髪を、選びに選び抜いた紅と宝石と羽飾りとで完全武装、いやいや、飾り立てておいでになる。
 真昼間からのこの派手なお衣装と、ありったけの気合を込めたお化粧はかなり目に痛いものがあるが、それでも嫣然と笑っておられるこの自信は大したものだと思う。

 ヴァイオラ様は閉じた扇の端を軽く口元に当てて、私の姫様をじろじろと見遣った。そして姫様の、淡いピンク色の清楚なドレスと、上品だが慎ましやかな装飾品をじっくり観察してから、くすっと、あからさまに鼻で笑った。
 ムッと怒りがこみ上げる。

「つい先日のことではございませんでしたかしら? 魔族に舞踏ができるのか、などと仰っておられたのは。ねえ? エヴァ様」
 懸命に胸を張っておられた姫様が、さすがにウッと詰まった。
「確か、魔族を魔物だとも仰せでしたわよね?」
「そういえば、角や尻尾があるなどとも仰っておられましたわ」
 ヴァイオラ様を取り巻くお嬢様方が一斉に扇や手を口元に当て、ころころといかにも上品に笑い出した。が、その笑いには紛れもなく毒がこんもり盛ってある。
「それが掌返したように、コンラート様、ですって!」
 何て図々しい!
 お嬢様方、いや、綺麗に着飾った小憎たらしい女達(……せめて心の中でくらい正直でありたい。母が知ったらきっと怒るだろうけれど……)の針のような視線が姫様に集中する。
「確かに私、誤解しておりましたわ!」
 それでも姫様は負けずに言い返した。
「間違っていたことに気づいて、考えを改めたのです。その以前のことを論うのはお止め下さいませ!」
「お国の方はどうなのかしら?」
 今は違うと仰せになった姫様に、すかさずヴァイオラ嬢が噛み付いた。
「エヴァ様のお父上はもちろん、あちらの方々は皆さん、いまだに魔族のことを魔物だの化け物だのと言い募っているのでしょう?」
「そ、それは……」
「私の父が申しておりましたの」
「…お父上が……?」
 何と? と律儀にお尋ねの姫様に、ヴァイオラ嬢がくすりと嘲笑った。
「文明的な先進国であるか、それとも……そうでないかは、魔族に対する認識がどうであるかで分かる、と」
 ぐっと、姫様のお顔が歪んだ。私の視界も一瞬狭まったから、きっと私の顔も一緒に歪んだのだろう。隣に立つラン様も不愉快そうに唇を噛み締めている。しかし私達はここで口を挟むことができない。女性同士の語らい(これを語らいと呼ぶのはかなり抵抗があるが)に、招かれてもいない男性がしゃしゃりでるのは無粋の極みとして更に嘲笑を誘うだろうし、侍女の私は論外だ。
 姫様はお1人で戦わなくてはならない。
「私の家の者も申しておりましたわ」女の1人が得意げに声を上げた。「かつて王や神官達は、自分達の悪政や悪行を隠すため、魔族を魔物だの悪鬼だのと偽って、自分達の罪を擦り付けていたのだと。そして、無知蒙昧で野蛮な民ほど、その言葉にあっさり騙されて、ずっと信じ続けてしまったのですわ」
「アシュラムの民は無知蒙昧でも野蛮でもありません!」
 そして私の祖父も、悪行など為さなかったし、己の罪を魔族に擦り付けて隠そうなどと考えもしなかった。
 しかし姫様の叫びは、女達に一笑に付された。
「あらあら、私達、アシュラムの民のことなど何も申しておりませんわ」
 ねえ? 皆様。ヴァイオラ嬢の呼びかけに、女達が一斉に頷き、そしてまた笑い出す。

「だったら、あなた達もついこの前まで野蛮人だったんだ」

 突然。本当に唐突に、その声はまっすぐ私達の耳に飛び込んできた。

 ハッと振り返る。全員が揃ってその声の主を探す。いや、探すまでもない。その声は……。

 山のようなタオルを抱えたユーリ様が、髪で隠れた瞳を真っ直ぐ私達に向けておられる。

「なっ、何なの、あなたっ!? 侍女風情が何て無礼な!」
「どこの家の者なの!? 名を名乗りなさい!」
 すぐに宮廷から追い出してやるわ!
 口々に噛み付く女達に、だがユーリ様は平然となさっている。……当然だけど。

「だってさー、あなた達だって何年か前まで魔族が魔物だって信じてたんだろ? ちょっと前まで、人間の国はほとんど全部そうだったんだから」
「む、昔の話ですわ!」
「昔ったって……」
 ユーリ様が不思議そうに首を傾けた。
「眞魔国とフランシアが友好条約を結んだのは、そんな大昔のことじゃないよ。ほんの何年か前のことだ。あなた達もその時のことをちゃんと覚えてるはずだよ。100年とか、せめて50年とか、そんな昔から魔族を理解してたっていうならまだ分かるけどさ、たまたま何年か早かったってだけで、自分達は文明国で他は違うなんて、ちょっとおかしいと思うぞ」
 だよねー、と頷いたのはムラタ様だ。
「魔族と人間が諍いを始めたのは4000年前だしね。それだけ長い歴史の中で、ほんの5年や10年なんて、歩数にしたら1歩にも満たない差だね。それで偉そうにふんぞり返られてもねえ。もしかしたら、その頃の自分達が魔族にどういう態度をとってきたか、すっかり忘れちゃってるのかな? ところでお姉さんたち、皆さん揃ってエラく派手なドレス姿だね。お化粧も濃くてドギツイし。お陽様の下だと視覚の暴力って感じだなあ。あのさ、まだ昼間で夜会には早いよ? まさかと思うけど」
 ムラタ様がくすっと笑った。
「ほんの数年前の自分を思い出すどころか、昼と夜の区別もつかなくなるほどボケちゃってるとか?」
「……なっ、ななな……っ!」
 凄まじい言葉に、女達……ヴァイオラ嬢始めお嬢様方(ちょっと同情が入ってしまった)が、わなわなと震えだした。
「…ぶっ、ぶっ、ぶれいな……っ!」
 怒りのあまり、それ以上言葉が続かないらしい。お嬢様方の背後に控えるお付きの人々(やはり手に手にタオルや飲み物などを抱えさせられている)も、一様に顔を引き攣らせている。これはおそらく、主が侮辱された怒りというより、主の怒りが自分達に降りかかることを怖れているのだろう。
「あー」
 コホン。
 咳払いの音。
「お姫様方」
 声はグリエ殿だった。
 すっと前に進み出ると、女性達に向かってにこやかに言った。
「このような場所で、これ以上時間を潰されるのは如何なものでしょう? そろそろ目的の場所に急がれた方がよろしいのでは?」
 その言葉に、ヴァイオラ様方がハッと目を見開いた。
「…そっ、そうでしたわ!」
「急ぎませんと、ウェラー卿の勇姿を見逃してしまいますわ!」
「そうですわね、皆さん。このような方々、相手にするだけ時間の無駄でしたわ」
 さ! 参りましょう! ヴァイオラ嬢の一声で、お嬢様方がざっと踵を返した。が、そこでヴァイオラ嬢だけがお顔をキッと私達に向けた。
「……覚えておいでなさい。特にそこの2人。下賤の身でこの私にあのような口をきいたこと、必ず後悔致しますわよ」


「……後悔致しますわよ、かあ。捨て台詞の似合うお姫様っていうのもすごいねー」
 あはは、とムラタ様が笑う。
 その姿に、フォンビーレフェルト卿がげっそりとため息をついた。
「高貴な女性にあのような暴言……。紳士にあるまじき態度だぞ」
「…た、確かにー……ラストはちょっとキツかったよな……?」
 おずおずとユーリ様も頷いた。
「男だろうが女だろうが身分がどうだろうが、僕はああいうのは嫌いだね。それに、あんなのが社交界ででっかい顔をしているとしたら、ライラさんの苦労は並大抵じゃないと思うよ。彼女はそもそも貴族出身じゃないんだし。その苦労を全く顔に出さないのは大したものだけれど……。ま、言い過ぎは修行不足ってことでさ。ほら、80過ぎのフォンビーレフェルト卿に比べたら、僕なんてまだ16歳のあどけない子供だし!」
 うんうん、と自ら頷くムラタ様。
 全く、魔族の見かけと実年齢の差には驚いてしまう。その度に、魔族が人間とは違う種族なのだということを再認識させられる。……と言うか、フォンビーレフェルト卿がムラタ様より70歳も年上というのがとても信じられない。逆というなら分かるけれど……。まあ、とにかく。
 自分で自分をあどけないと表現するのは何だけれど、確かに私より年下の少年なんだし……と思っていたら、フォンビーレフェルト卿とグリエ殿が、なんだか冷や汗を流しているような複雑な表情であらぬ方向を向いていた。ユーリ様は「あは、あはは」と空ろに笑っている。どうかしたのだろうか?

「あ、あの……」
 姫様だった。
 胸元で手を組み、おずおずとユーリ様達を見つめておいでになる。
「あ、お姫様、大丈夫?」
 ユーリ様の問い掛けに、姫様がホッとした様に口元を綻ばされた。
「ユーリ様、ムラタ様、あの……ありがとうございました」
 小さく頭をお下げになる姫様に、ユーリ様がぶんぶんと手を振る。
「変だって思ったから口を挟んだだけだし。お礼なんて言わないでよ」
「いいえ。私……アシュラムのことをあのように言われて、咄嗟に言い返そうと思ったのですけど、言葉が出ませんでした。あのままでは私だけではない、アシュラムの民が馬鹿にされたままで終わっておりましたわ。お2人のおかげでその……胸がスッといたしました」
 本当に、ありがとうございます。照れくさそうな笑顔で頭をお下げになる姫様。私も一緒に頭を下げた。
「それにしても」フォンビーレフェルト卿が何かを思い出すように言い出された。「見事なまでに着飾っていたな、あの女性達。まさかと思うが……コンラートの目に留まろうと考えての装いだろうか?」
「だろうねー」
 ムラタ様が頷く。ユーリ様がムッとしたように唇をひん曲げた。それに気づかぬように、フォンビーレフェルト卿が首を捻った。
「あのように派手に身を飾り立てて……。コンラートの好みからはかけ離れていると思うが……」
「そうなんですの!?」
 飛びついたのはもちろん姫様だ。
 瞳をきらきらと輝かせて、フォンビーレフェルト卿に迫っておいでになる。
「私もあれはおかしいと思いましたの! あのようにごてごてと品のないお姿、コンラート様には似合いませんわ! やっぱり私の方が……」
「い、いや、そういう訳では……」
「ああ、分かりました!」
 姫様がくるっとドレスを翻したかと思うと、次の瞬間にはユーリ様とムラタ様の手をがっちり握り締めておられた。
「私を庇って下さったのも、私の方がコンラート様にふさわしいとお考えになって下さったからですのね! それなのに私ったら意地悪なことを申し上げたりして。お許し下さいませね? ユーリ様!」
「いや、違うから。そんなこと全然考えてな……」
「ご期待に添えるように、私、頑張りますわ!」
「だから違うって……」
「さ! 参りましょう! あのような方々に、私、絶対負けませんわっ!」
「おーい!」
 ドレスをたくし上げるように持ち上げると、ダッと地面を蹴り、姫様が走り出した。「ちょっと待てー! 話を聞けー!」と声を上げながら、ユーリ様達が後を追う。

「……アグネス」
「……はい、ラン様」
「姫が足首をむき出しにして走って行かれたぞ」
「そうですね」
「姫のご性格がどんどん変わっていくというか、人格が崩壊していくというか……」
「それはあまりなお言葉ですわ。ご成長なされている、とお考えになっては如何でしょう」
 言い方が母さんにそっくりだぞ。ラン様が呟いて小さく笑われた。
「………魔族に誑かされて、と……」
「ラン様!」
「言えれば楽なのだがな」
「ラン様……」
「楽になるからといって、間違ったことを信じる振りはもうできないな、アグネス……」
 ふう、と小さく息を吐き出し、ラン様は歩き出した。

 練兵場は鈴なりの人で囲まれていた。
 殺風景な兵舎の中に、華やかな、文字通り花のように鮮やかな、様々な色が競うように並んでいる。もちろんほとんどが女性達、着飾ったドレスの色だ。
 練兵場に集まった兵士達の表情は、遠目にも分かるほど緊張していた。
 見学者が異常に多いというだけではない。練兵場の一画に椅子が設えられ、アントワーヌ様とライラ様がお座りになっておられるのだ。どうやらウェラー卿の剣術指南が、国王夫妻の閲兵にまで発展してしまったらしい。
 と。
 人の輪からほんのわずか離れた木の陰に、ユーリ様達がおいでになることに気付いた。
 一生懸命背を伸ばし、人垣の向こうを覗き込もうと頑張っておられるのはもちろんユーリ様だ。
「そのタオルをさー、下に引いて乗れば見えるんじゃない?」
「コンラッドに渡すタオルだぞ! 踏み台になんかできるかっ! それにキレイなタオルを靴で踏んだりしたらバチが当るぞ!」
「本をお尻に敷いたり踏み台にするのは確かに罰当たりだけどねー」
「バチって何だ!? 男か!?」
「……この木、登れるかな?」
「こら! 僕を無視するな!」
「ぼ、坊ちゃんっ、止めてください! そのお姿で木登りなんかしないで下さい! 俺のおんぶじゃダメですか!? 何だったら肩車とか……」
「それじゃ目立つしすぐに見つかるよ。それにシブヤを肩車してる姿をウェラー卿に見られたらどうなると思う?」
「………ソッコーあの世行きです」
「つーか! 体格的に無理だろっ! 人をちっちゃい子供扱いすんなよ!」
「え? 全然無理じゃないですよ?」
 ………何だか色々言い合っておられる。

「皆様」
 近づいて声を掛けると、驚かれたのか、ユーリ様がビクンと飛び上がるようにこちらをお向きになった。
「……あー、お姉さんかー。びっくりした」
「アグネスで結構ですわ。ところであの…姫様は……」
 あっちだよ、と教えて下さったのはムラタ様。
「国王陛下達がおいでだからね。ご挨拶してくるって走って行っちゃったんだ」
「姫がお1人なのか!?」
 驚いたように声を上げ、すぐにラン様がその場を離れた。私は……本来なら私もラン様の後を追うべきだったのだけれど、何となくその場に残ってしまった。
 見れば、ユーリ様がまたも木の陰から懸命に背伸びをなさっておられる。
「……もう少し前でご覧になってもよろしいのではないのですか? これだけ大勢の方がお見えなのですし、姿を見られない限り大丈夫なのでは……」
「だよね? だよねっ!? よし、じゃあ……」
「甘いよ、シブヤ。君、どれだけウェラー卿とつきあってるのさ。前に出たって構わないけど、もし見つかっちゃったら、お仕置きは君1人で全部引っ被ってもらうからね」
 ……本当に何ていうのか……親友に対してもとことん容赦のない……。
 ユーリ様はムラタ様のお言葉に「うっ!」と詰まってしまわれている。
 その次の瞬間だった。
 きゃあという女性達の嬌声が一斉に練兵場を満たしたのだ。
 ウェラー卿のお名があちこちから上がっているから、閣下が登場されたことは間違いない。
「……さて、と。シブヤはダメだけど、僕達はたぶん大丈夫だろうしね。フォンビーレフェルト卿、もうちょっと前で見物してこようか」
「そうだな」
 ムラタ様とフォンビーレフェルト卿は頷き合うと、ユーリ様を置いてけぼりにして、さっさと人垣に向かって歩き始めてしまわれた。
「おっ、お前ら! ズルいぞ! おいっ、ムラタ! ヴォルフ! おれを置いてく気かー!?」
「はい、坊ちゃんはここから先に出ちゃダメですよー」
 見れば、今にも走り出しそうなユーリ様の肩を、グリエ殿ががっちり押さえている。
「だってヨザック! おれも……わわっ!?」
「ちょっとだけ、これで我慢して下さいねー」
 あっという間に、ユーリ様はグリエ殿に抱え上げられていた。お尻の下に両腕を回され、軽々と持ち上げられたユーリ様は、本当に少女にしか見えない。腕の中に大切そうにタオルを抱えておられる様子も、何とも可憐な感じがする。
 ……実際、どうなのだろう……?

「あんまり露骨に姿を見せるわけにはいきませんから、木の陰からお顔を覗かせて……。ね? これでも結構見えるでしょ?」
 グリエ殿に言われて、ユーリ様が素直に頷いている。と、グリエ殿が私の方を向いた。
「アグネスさんも見てきたらどうです? ここは俺がいるから大丈夫」
 グリエ殿に言われて、私もちょっとその気になってしまった。
 姫様はライラ様とご一緒だし、ラン様もおいでになるし……ちょっとだけなら…構わない、わね? それにウェラー卿の剣の冴えをまたぜひ間近で見てみたいし……。
 お言葉に甘え、私も人垣の中に混ざることにした。

「………まあ、すごい……!」
 思わず声が出た。

 周囲をぎっしりと見物客に埋め尽くされた練兵場の広場には、今、動きやすいお衣装に着替えられたウェラー卿が、アントワーヌ様とライラ様にご挨拶をなされているところだった。
 いかにも高貴な香りが漂う礼装も素敵でいらっしゃるけれど、初めてお会いした時のような、まさしく「旅の剣士」といった装いもとても様になっておられる。やっぱり世界中を旅しておいでになられただけのことはあるというか……。
 動きやすいよう、わざと着崩した襟元には、この方とは思えないほど危険な香りが漂っていて、それも堪らない魅力になっていると思う。そこへあの笑み、あのお声、そしてあの瞳……。
 ウェラー卿に心を奪われない女性など、この世にいるのだろうか……?
 優雅に陛下にお辞儀をなされるウェラー卿。広場は女性達のため息で溢れた。思わず漏れてしまった私のため息も、その中に溶けていく。
「お姉さん…アグネスもウェラー卿に見惚れちゃったのかな?」
 ハッと見ると、いつの間にか傍らにムラタ様がおいでになっていた。そのお隣にはフォンビーレフェルト卿。
「……申し上げましたでしょう? 私だって一応年頃の女ですもの。魅力的な殿方を目にすれば、胸がときめく。当然の反応でございましょう」
 冷静に分析するなあ、と、ムラタ様が吹き出す。
「ところで、ウェラー卿の後ろに並んでる人達が、指南してもらう兵士達ってことなのかな?」
 広場の中央には、5人の兵士達が直立不動で立っている。
「だろうな」フォンビーレフェルト卿が答えた。「思ったより少ないが、おそらくは精鋭中の精鋭、というところなのだろうな。……アントワーヌ殿はあまり深く考えていないようだが、いくら剣豪と噂されてはいても、他国の者に剣術を指南されるなど軍の上層部にとってはあまり嬉しい話ではあるまい。フランシア国軍の名誉に掛けて、名だたる剣士を選んだと見ていいだろう」
 ……リボンを結んだ可愛い三つ編みに、可憐なドレス姿でそういう話をされると……何だかあちこちがむずむずしてくる。
 それはさておき。
 ご挨拶が済んだ後は、早速剣の手合わせが行われることとなったようだ。

 並んでいた兵士達が、1人を除いて広場の隅に下がる。
 そしてウェラー卿と兵士が相対し、目礼してから剣を抜く。広場に静寂が満ちた。

 裂帛の気合と共に地を蹴ったのは、フランシアの国軍兵士の方だった。フォンビーレフェルト卿の言葉通り、動きは流れるように無駄がなく、突き進む足取りは鋭い。私は剣は素人だが、兵士が動いた瞬間に感じた気の流れのようなものに、その男の強さを見た思いがした。
 だが、鋭く向かってきた剣を、ウェラー卿は軽く受け流した。兵士の気合が、一瞬行き場をなくす。
 たたらを踏んだ兵士が踏ん張り、すぐに向きを変え、改めてウェラー卿に向かっていく。
 それから剣の打ち合いが始まった。同時に、溢れ始めた人々の声援が、どんどんその音量を上げていく。
「………ふん」
 鼻で笑ったのはフォンビーレフェルト卿だ。
「様子見の1番手としても力量不足だな。試合ではなく、剣術指南だからこそ剣の打ち合いになっているが、本来なら一撃で終わる相手だ。見ろ、剣を合わせながら、コンラートはちゃんと指導してやっているぞ」
 本当だった。
 剣を交わしながら、ウェラー卿が相手に対して何か仰っておいでなのがはっきり見える。兵士が顔を引きつらせ、死に物狂いで向かってくるのに、ウェラー卿が全くいつも通りの穏やかなお顔という図も、実力の違いを際立たせている。
 やがてウェラー卿の振った剣が、兵士の剣を地に落とした。一瞬棒立ちになった兵士が、がくりと膝を付く。
 最初の手合わせが終わった。
 礼を交わす2人の姿に、女性達の感嘆のため息と歓声が途切れない。同時に、殿方、特にアントワーヌ陛下のお側に控える軍服を纏った方々が、苦々しい顔をなさっていることに気付いた。
「……軍のお歴々が悔しそうでいらっしゃいますわ」
「当然だろうね」ムラタ様が頷かれた。「選び抜いた精鋭をああも軽くあしらわれちゃね。……アントワーヌさんも、もうちょっと考えた方がいいな。自分が魔王陛下と仲良しだからといって、フランシアの民が揃って魔族贔屓だと考えるのは浅慮というものだよ」
「それは……」
「たとえ王様だろうと、人の心を意のままには出来ないってことさ。まあ気にしないで。ほら、2人目だよ」
 2人目の兵士も気合充分で飛び出してきたが、結局、たっぷり指南を受けた挙げ句に地面に尻餅をついて終わった。
 兵士はその姿のまま、拳を地面に叩きつけている。
「あの程度の腕で、何を悔しそうに」
 コンラートに勝てるとでも思ったのか。
 フォンビーレフェルト卿がバカにしたように呟いた。色々と複雑なご兄弟だと思うけれど、この弟君が兄上を誇りに思っておられることは間違いない。……でも、それはあまり口に出して言わない方が良さそうだ。
「まあまあ」
 ムラタ様も、これは明るく笑いながら仰った。
「国王夫妻と側近一同、おまけにこれだけの見物人だよ。上手くすれば一気に名を上げることができるんだから、うっかり夢だってみてしまうさ。相手は名高いウェラー卿だ。勝てなくても、せめてそこそこいい勝負をしてみせれば、上官から褒めてもらえるかもしれないし」
「……これは試合ではないのでしょう?」
 そりゃそうだけど。私の質問に、ムラタ様が答えてくださる。
「指南して頂こうなんて殊勝なことを、彼等が考えてるとは思えないよ。名を上げる千載一遇の好機。そんなところだね。戦争も起きそうにないし、こういう機会でもなければいつまでも出世できないとか、そんなところじゃないかな」
 なるほど。そう言われてみれば確かに。

 そうして残り3名の兵士達が次々にウェラー卿の「指南」を受け、結局1人残らず実力の違いを証明して終わった。
 アントワーヌ様とライラ様はご友人の強さに笑顔で手を叩いておいでになる。そんなお2人からは、自国の兵の力不足を嘆いておられる様子は伺えない。
 それがおそらく軍の関係者を苛立たせたのかもしれなかった。

「ウェラー卿!」
 白髪の、生え抜きの軍人というご様子の男性が、前に進み出てウェラー卿に呼びかけた。
 ウェラー卿が─汗を掻いたご様子も、息を切らせたご様子も、全く見えない─穏やかなお顔のまま、その方に目を向ける。

「よろしければ、もう少々我が軍の兵士達を鍛えて頂けるであろうか。おそらくまだ、我こそはと心に思う者もいると思われるゆえ」

 いると思われるというか、いてもらわないと困るというか、どうかいて欲しいというか。
 実力の違いを、バカにされたように感じたのかもしれない。このままでは終われない、そういうことだろうか。
 でも。
「精鋭がこれなのだから、残った者の力など推して知るべしというものだろうに」
 フォンビーレフェルト卿の仰せの通りだと思う。
 だけどその時。
 とんでもない声が上がった。

「よろしければ!」

 瞬間、それが聞きなれた声だとは全く分からなかった。

「一手ご指南頂けましょうや!」

 …………ラン様、だった。

「…! ら、ラン、様……っ!?」

 思わず叫んでしまう。
 広場では、ウェラー卿も驚いた顔でラン様をご覧になっておられる。吃驚なさっておられるのはウェラー卿だけではない。アントワーヌ様も、ライラ様も、そして、白髪の軍人閣下も。

「貴公は……?」
「アシュラム公領より参りました、ラン・ウェスランド・アシュリーと申します。フランシアの民ではございませんが、ぜひとも名高いウェラー卿のご指南を賜りたく、何とぞお願い申し上げます!」

 そう仰ると、返事も待たずにラン様が広場中央に進まれた。

「……アグネス、彼の剣の腕は………」
「全然全くからきしですわ! 構え方だってご存知かどうか……!」
「……………」
「……………」

 一体、何を血迷ってラン様ったら……!

「ランったら、一体どうしちゃったの?」

 ハッと振り返ると、そこには姫様がおいでだった。……手にタオルを抱えておいでになる。

「もう終わると思ったから、タオルを受け取りにきたのよ。ユーリ様かアグネスが持ってきてくれると思っていたのに、いつまで待っても来てくれないのですもの、間に合わないかと焦ってしまったわ。でもランが出て行ったから……。ねえ、アグネス? ランは一体何を考えているの?」

 姫様の肩越しに向こうを見遣れば、今は空手になったユーリ様が木の側に立ち、私達を見ておられる。

「……分かりません。本当にどうなされたのか……」
 ふと思った。
 もしかしたら……姫様に良いところを見せたいと思った、とか……?
 まさか。それでは全く逆効果だ。

「始まるよ」
 ムラタ様の声。思わず姫様をそのままにして、広場に目を向けた。

 そして。

「………まあ……!」
「へえ。これは意外」
「ほう……なんだ、剣の構え方も知らないどころか……」

 結構な遣い手ではないか!

 フォンビーレフェルト卿のお言葉が、嬉しく胸を打つ。

 本当に信じられない。
 ウェラー卿と相対したラン様は、一礼した後おもむろに剣を抜いた。そして、どうなることかとハラハラする私達の前で、目を瞠るほどの鋭さでウェラー卿に向かっていったのだ。
 瞬く間に終わるかと思った打ち合いは意外なほど続き、その様も紛うことなく剣士と剣士の闘いだった。
 最初驚きに目を瞠っておられたウェラー卿が、次第にラン様との手合わせを楽しむようになっていかれたことが、私の目にもはっきりと分かった。
 ……あんな鋭い眼差しのラン様、初めて見たような気がする……。

「まあ、ランったら剣が使えたの? 私達に内緒にして練習していたのかしら? 人が悪いわね。でも……少し見直したわ」

 もし姫様に良いトコロを見せたかったのなら、大成功かもしれない。ただ。

「人間にしてはなかなか良く遣うが……まあ、コンラートの敵手となるにはまだまだだな」

 そう。
 筋は意外にも良かったようだが、結局は……それ以上ではなかった。
 ラン様は必死に打ち込んでいくが、ウェラー卿は思いのほか腕の立つ相手に剣の指南をすることを、ただ楽しんでおられるだけなのが見ていて良く分かる。お顔もにこやかなままで、ラン様に指南をなされるご様子も余裕綽々だ。
 そうこうする内に、持久力が尽きてきたのか、ラン様が明らかに肩で息をするようになってきた。

「先ずは体力をつけることが先だね」
 ムラタ様が笑って結論付けた。
「……やっぱり見直すのは後にするわ。あの程度では反ってコンラート様に失礼よ。本当にランったら何をやっても中途半端なんだから」
 ………結局逆効果でしたわ、ラン様。

 急がなくっちゃ! そう仰せの姫様が、タオルを抱えて踵を返された。

 その時。
 だった。

 うおお、という地鳴りのような怒号と、同時に広場を囲む一角が不自然な勢いで揺れ始めた。

「……な、何だ……!?」

 ウェラー卿とラン様も、動きを止めてその方向を見つめている。
 途端。
 その場に集まった紳士淑女をなぎ倒し、引きずるようにして、荒々しい一団が飛び込んできた。

「動くんじゃねえっ!!」

 その一団は、全員がフランシア国軍兵士の姿をしていた。だけど…。

 きゃああっ! という鋭い悲鳴。止めてくれ! という哀願の叫び。
 見れば、なだれ込んできた兵士達─20人もいるだろうか─の何人かが、見物に来ていた女性や老人達をその腕に捕え、剣を突きつけていたのだ。
 兵士の腕の中で身悶える女性のドレスに、見覚えのある色を見た。
「……ヴァイオラ様……!?」

「狼藉者!」
「貴様ら、一体何をしている!?」
「反乱か!?」
「人質を取るとは何事っ!」

「お前達! 我が軍の兵ではないな! 何者だ、名乗れ!」

 凛としたお声が広場に響き渡った。
 人々の視線が一気にそのお声の主に集中する。

 アントワーヌ陛下が広場に立ち、厳しいお顔を兵士、いや、男共に向けておいでになられた。そのすぐ傍らには、油断なく身構えるライラ様……。

「ふん!」
 首謀者らしき男が、一団の奥から姿を現した。かなりの大男だ。
 男が被っていた軍の兜を脱ぎ捨てた。
 中から現れたのは、とても兵とは思えない、荒くれた拗ね者の顔。

「のんきな国だぜ。まともな警備もできてやしねぇ。こうも簡単に入り込むことができるんだからな。遠慮して山に住み着いたりせず、街中を存分に荒らしてやりゃあ良かったと後悔しちまったぜ」
「……な、何だと……!?」
「おう、王様!」
 男がアントワーヌ様に向かってだみ声を上げた。
「俺様の大事な仲間が、こないだてめぇの兵に捕えられちまったのよ。面倒を掛けちゃ悪いから、引取りに来たぜ。この」
 男が手下に捕まえさせているヴァイオラ様始め、人質達を顎で示した。
「娘や爺共と交換だ。山で待ってるから全員連れて来い。俺の仲間が無事に帰ってきて、安全な場所まで行き着いたら、こいつらも放してやる。言っとくが、俺たちを捕えようなんぞと考えるんじゃねえぞ。もしも妙な真似をしやがったら、すぐにこいつ等の首を刎ねてやるからな」
「お前の仲間を返したら、彼らを無事に戻すという保証がどこにある!?」
「そりゃああんた、俺達の紳士的な申し出を信じてもらうしかねえよな」
 男達が下品に笑った。

「あの山賊だわ!」
 姫様の悲鳴のようなお声に、「覚えがあるの?」とムラタ様が質問してこられた。
「姫様と母と3人で馬を走らせておりました時、あの者の仲間に襲われたのです。その時通り掛って助けてくださったのがウェラー卿ですわ。あの男が申しておりますのは、その時ウェラー卿に捕えられた山賊でございましょう」
「なんだ、そういう出会いがあったのか。へえー、なるほどね。それで良く分かったよ」
「何のんびりしてんだよ!」
「あ、シブヤ」
 人の壁の間に、ぐいっと身体を割り込ませてこられたのは、ユーリ様だった。
 厳しいお顔を広場に向けられると、「助けなくちゃ!」と叫んで今にも飛び出そうとなされる。
「おっとっと! ダメですよー、坊ちゃん」
「離せよ、ヨザック! だって……」
「お前が飛び出してどうするんだ! 全く、少しは考えるということをしろ!」
「でも…っ!」
「そうだよ、シブヤ。ここは君の出る幕じゃない。何でもかんでも顔を突っ込めば良いというものじゃないよ。もっと広く視野をもって、状況を把握するんだ。君もいい加減、行き当たりばったりで現場を引っ掻き回した挙げ句に後始末は人任せ、最後は結果オーライに期待する、という悪い癖は直すべきだね」
「……………ここでお説教かよ……」
「まーまー、その羊突猛進っぷりが坊ちゃんのいいトコロなんですから。ウチの親分も隊長も汁閣下も、そんな坊ちゃんの後始末をするのを、あれで結構楽しんでるんですよー」
「グリエちゃ〜ん……」
 泣きまねをするユーリ様の頭を、「よしよし」と撫でるグリエ殿。
 肩を竦めて呆れたため息をつくフォンビーレフェルト卿。
 そしてムラタ様は……。
 もう今の会話など忘れたように、広場に厳しい目を注いでおいでになる。
 ………すごいわ、この方。
 大人びているとか、頭が良いとか、そんな次元の人ではない気がする。

「動くなよ、動くんじゃねえぞ、てめぇら!」
 山賊の頭らしい男が怒鳴った。
 男達はひと塊になり、集まってきたフランシアの兵達と対峙している。
「助けて! 誰か、私を助けてっ!」
 ヴァイオラ様だ。男に羽交い絞めにされ、剣を喉元に突きつけられながら、無我夢中で叫んでおられる。
「おお、娘が! ヴァイオラが!」
 ヴァイオラ様のお父上と思しき男性が、息を切らしながら転がる様に男達の前に飛び出してきた。それから一声叫ぶと、アントワーヌ様の下に走りより、身を投げ出した。
「陛下! 陛下、お願いでございます! どうか、娘を、せめて我が娘だけでもお助け下さい!」
 ……この親にしてこの子あり。あの娘にしてこの父あり。
 アントワーヌ様は何も仰せにならないまま、厳しい眼差しで男達と睨み合っておられる。

 誰も動けない。人質の悲鳴は途切れない。
 だけど。ふと気づいてよく見ると、男達に一番近いところに立っておられたウェラー卿が、ゆっくりと、じりじりと、立ち位置を変えようとなされているのが分かった。

「……どうやら攻撃ポイントを見つけたようだね」

 ムラタ様が呟いた。
 意味が分からず、思わずその横顔を見つめると、ムラタ様が視線を広場に留めたまま口を開かれた。

「グリエ」
「は」

 グリエ殿がユーリ様から離れ、ムラタ様の傍らに立つ。

「……ムラタ……?」
 心配そうに呟くユーリ様。
 ユーリ様とフォンビーレフェルト卿には何も申されないまま、ムラタ様はグリエ殿に何か短く囁かれた。それからすっと指を広場の数箇所に向ける。

「いいね?」
「畏まりました」
 では。
 小さく頭を下げると、グリエ殿は被っていた衛士の兜を顔を隠すように目深に被り直し、しなやかに人垣の中に紛れて行った。

「後はタイミング」

「……大丈夫か? ムラタ」
 何をしたのかとお聞きにならないところが、ユーリ様のムラタ様へのご信頼、だろうか?
「ウェラー卿が攻撃ポイントを定めたら、後は切っ掛けだけだ。だったらそれを作ってやればいい。ヨザックがタイミングを外すとは思えないしね。大丈夫。後はここで見ていよう」

「この場にお前達の仲間を連れてこよう!」
 アントワーヌ様のお言葉が練兵場に響いた。
「ここでその者達と人質とを交換する! お前達に手は出さない!」

「馬鹿を言ってんじゃねえ!」
 山賊が怒鳴った。
「俺達を逃がしてくれるだと!? そんなことを信じるとでも思うか! 人を馬鹿にするのも大概にしやがれ! 人質は連れて行く! 追うなよ! 追えば殺すぞ! 後から場所を伝える。そこに仲間を連れて来い! こいつらの解放はそれからだ!」
 行くぞ!
 頭が手下に向けて声を上げた。おう! と男共が応え、そして人質を捕えたまま、後ずさるように動き始めた。
 その時だった。

 ドン! ドン! と、爆発音と共に、男達の背後、数箇所に土煙が上がった。

「…っ! な、何だ…!?」

 思わず乱れる男達の集団。飛び上がる者。焦ったように頭を振る者。闇雲に剣を振り出す者。
 さらに男達のすぐ近くで、ドン! ドン! と爆発音と土煙が上がった。

「ちっ、畜生!」
「ヤバいぞ」
「うわっ」
「ぎゃあっ!」

 戸惑いの叫びに続いて、男達の悲鳴が上がる。

 ぎゅうぎゅうと囲む人垣と、もうもうと上がる土煙に邪魔されて見えない広場に、それでも懸命に顔を出し、目を凝らせば、そこはすでにウェラー卿が剣を奮っておられる真っ最中だった。
「コンラッド!」
 弾むユーリ様の声。
「……まあ! いつの間に……!」

 どんどん男達が倒されていく。見ればウェラー卿の足元には、助けられたらしいヴァイオラ様や他の人質の方々が、身を寄せ合うように地に伏せておられた。ウェラー卿はその場で、人質になった方々を護るように山賊たちを斬り伏せていく。
「危ないっ!」
 ユーリ様が叫ぶ。山賊の1人を倒したウェラー卿の背後から、別の男が斬り掛かろうとしている。が、その男はまるで見えない敵に斬られた様に、「ぎゃっ」と一声上げると倒れてしまった。
 倒れる男の肩に、何か細い短剣に似た物が刺さっているように見えたが……。
「眞魔国国軍忍びの術指導教官カスミさんとフォンカーベルニコフ卿の合作武器、役に立ったじゃないか」
「それは良いのだが……」
 ウェラー卿の剣と、おそらくは男達を狙って飛んでくる武器によって、山賊たちが次々に倒れていく。それを見つめながら、フォンビーレフェルト卿がため息をついた。
「コンラートにバレてしまうのではないか?」
「うん、でもまあ……非常事態ということで」
 あはは、とムラタ様が笑う。

 小爆発による土煙が治まる頃には、ほとんどの山賊たちが倒れていた。そこに到ってようやく、フランシアの兵士達が雪崩れ込むように広場に殺到し、山賊たちを捕えていく。どうやらラン様もそこに混じってお働きのご様子だ。

「………見つかったらお仕置きかなあ……」

 必死の様子で広場を見つめておられたユーリ様も、もうすっかり大丈夫と安心されたのか、次に出たお言葉はご自分の身の心配だった。

「ウェラー卿!」
「お見事でした、閣下!」
「おお、ヴァイオラ!」
「旦那様、ご無事で!」

 山賊共が一網打尽にされ、引っ立てられて行った途端、アントワーヌ様とライラ様を先頭に、人々が広場に殺到した。
 広場を囲む人々からも、安堵の息と同時に嵐のような歓声、そして拍手が沸き起こる。

「おれもあそこに、コンラッドの側に行きたいっ!」
 たった今、お仕置きされると心配しておられたはずなのに、ユーリ様は悔しそうに拳を振っている。
「下がるんだ、シブヤ! ほら、ウェラー卿が君を探しているぞ」
 ……そうなのだろうか? ウェラー卿を見れば、興奮する人々に囲まれながら、確かに何かを探すように人垣に顔を巡らせておいでになるが……。
 この騒ぎの間にすっかりウェラー卿と私達の距離が短くなったこともあり、ユーリ様達は人垣の後ろに隠れるように下がった。

「素晴らしかったわ、コンラート。さすがね!」
 皆様のお声がはっきり聞こえる。ライラ様のお声はいつもに増して明るく弾んでおられる。
「いいえ、これは俺の手柄では……それよりも、ライラ…」
「ヴァイオラ! どうしたのだ!?」
 突然、誰より大きな声がした。
 人垣の隙間から見れば、伏せていた身体を起こし、人質にされたそれまでの恐怖と、解放された歓びに泣き咽ぶ人々の中にあって、なぜか紫色のドレスだけが動かない。
「ヴァイオラ! しっかりしろ!」
「医者を呼べ!」
 焦るお父上と人々。そこへ、ウェラー卿が歩み寄られ、ヴァイオラ様の傍らに膝を付かれた。
「大丈夫ですか? 俺の声が聞こえますか?」
 顔を覗きこまれるウェラー卿。
 と。
 ヴァイオラ様がぴくりと動き、その腕が、まるで彷徨う様に震えながら伸ばされた。ウェラー卿に向かって。
 閣下のお手が咄嗟にヴァイオラ様の繊手を取られる。
「起き上がれますか?」
 苦しげに首を振るヴァイオラ様。ウェラー卿がそっとヴァイオラ様の腕と肩に手を当て、身体を起こさせる。と思ったら。
 ああっ、と絶え入るようなお声を上げ、ヴァイオラ様が倒れこむようにウェラー卿の胸に縋られた。

「「あーっ!!」」

 叫んだのは姫様とユーリ様。

「あれ、わざとだ!」
「絶対わざとですわ!」

 2人並んで地団駄踏むご様子は、何だか姉弟みたいで微笑ましい。と言ったら叱られるだろうか。
 それにしてもまあ、ヴァイオラ様もなかなかどうして転んでもただでは起きないお方だ。

「もうちょっと上手くすれば、私が人質になれたのにっ!」
 ………姫様……。
「コンラート様のお優しさにつけ込んで…! あの性悪っ。許せませんわ!」
 ………性悪なんて言葉、一体どこで覚えてこられたのでしょう……。
「ダメだ、おれ! もう我慢できないっ!」
 唸る様に仰ったかと思うと、ユーリ様が飛び出して……。
「はーい、ダメですよー。坊ちゃんはこのままー」
「ぐぐぐぐりえちゃん〜〜っ」
「俺はググググリエじゃありませんー」
 ぎっしりと集まるこの人垣を縫い、いつの間に戻ってこられたのか、グリエ殿がしっかりとユーリ様のお身体を押さえ込んでいる。

「ヨザック、ご苦労様」
「見事だったな、ヨザック。さすがだ」
 ムラタ様とフォンビーレフェルト卿にお言葉を掛けられて、暴れるユーリ様を押さえたまま、グリエ殿がにっこり笑った。
「ありがとうございますー。でも隊長にはすっかりバレちまったと思いますよ。あの武器を使いましたし、最中にしっかり俺を確認してましたからね。兜は被ってましたが、たぶん意味はないかと」
「それは仕方がない。覚悟の上さ」ムラタ様が仰った。「でも、どこにどういう形で僕たちがいるかまでは分からないんだしね。まだまだ隠れんぼは続けられるよ」
 どうやらムラタ様にとって、現在の状況はお遊びのようなもの、らしい。

 そうしている間も、ヴァイオラ様はしっかり役得を享受なさっておられた。
「おお、気がついたか、ヴァイオラ!」
 親馬鹿なお父上は、ヴァイオラ様が本当に気絶なさっておられたと信じておいでなのだろう。1度会っただけでも、そんなしおらしさとは無縁の女性だと分かるのに。
「立てますか? どこか痛みますか?」
 ウェラー卿に問い掛けられて、そっと力なく首を振るヴァイオラ様だが、その腕は実に力強く、離してなるものかとばかりに閣下の背に回されている。

「うううーっ」
 ユーリ様が悔しげに唸る。そこへ。
「お任せ下さい、ユーリ様!」
 姫様が胸を張った。
「私が参りますわ! あの性悪女、許しませんっ!」
 仰ったかと思うと、姫様は腕にタオルを抱えたまま、前に溢れる人々を身体で押しのけ、一直線に突っ走って行かれた。

「あっ、しまった! タオル!」

 突然ムラタ様が叫んだ。

「ムラタ?」
「ムラタ様?」
 怪訝に尋ねる私達を他所に、ムラタ様は手を額に当て、「僕としたことが……」としきりに悔やんでおられる。私達の後ろからも、グリエ殿とフォンビーレフェルト卿の「確かにこれはまずいぞ」という会話が聞こえてくる。

「コンラート様!」
 姫様が足取りも軽やかに、皆様方がお集まりの場所に駆け寄っていかれた。途中、ラン様がお声を掛けられたが、お気の毒に、無視されてしまった。
「エヴァ様」
 ウェラー卿がにこりと笑みを浮かべられた。それからヴァイオラ様の身体を支えるようになされると、「さ、とにかく立ちましょう」と身体を起こされた。ヴァイオラ様もさすがにそろそろと思ったのか、ウェラー卿の動きに合わせて起き上がろうと……。
「ぎゃんっ!」
「……あれ?」
 いきなり。
 立ち上がろうとなさったヴァイオラ様が、何かに引っ掛かったように、べしゃっと顔から地面に倒れこんでしまった。
「…………」
「…………」
「…………エヴァ殿……あの……」
「あらまあ、ごめんあそばせ!」
 姫様が掌を口元に寄せ、おほほと高らかにお笑いになった。

 ヴァイオラ様のドレスの裾を、姫様が両足で思いきり踏んづけておられる……。

「……姫様……」
「やるなあ、お姫様」
「ああ、ライラ殿が吹き出してるぞ。アントワーヌ殿も顔を覆って隠しているが、肩が震えている」
「見え見えでしたしねー。オヤジさんは慌ててますけど」
「でもあのほら、何だっけ、バイ、バイ、バイアグラさん? 動かないぞ?」
「どうしてそういう間違い方ができるかな、シブヤってばさ」

「コンラート様! ご無事でよろしゅうございましたわ!」
 姫様は慌てず騒がず、地面に広がったヴァイオラ様のドレスの上をずかずかと歩くと、ウェラー卿の前にお立ちになった。
「あ、ありがとうございます」
 ウェラー卿が苦笑を浮かべてお答えになる。思うに、ヴァイオラ様の下心などとっくにお分かりになっておられたのだろう。
 その時。
「何をするのよ、あなたっ!!」
 飛び上がるような勢いで身を起こすと、ヴァイオラ様がすっくと姫様の前に立った。
「まあ、ヴァイオラ様。お怪我もなく、お元気そうで何よりですわ」
 にこやかに仰せの姫様に、ヴァイオラ様のお顔が怒りの形相にぐわりと歪んだ。元がお美しいだけに、ほとんど妖怪変化もかくやとばかりの恐ろしさだ。ただし、額と鼻の頭に泥がべっとりくっ付いていなければ、だが。
「ヴァイオラ、ヴァイオラ、娘よ、大丈夫か?」
 ヴァイオラ様の後ろから、お父上が心配そうに顔を出された。ヴァイオラ様の表情がころりと変わる。
「お父様! ヴァイオラは恐ろしゅうございました!」
「おお、可哀想に! ……そなた、顔やら胸やら泥だらけではないか……。ああ、そこの娘御。その布をこちらに貰えんかな」
 穏やかではあるが、その口調からして、どうも姫様がアシュラム公領の公女殿下であることは知らないようだ。……ヴァイオラ様もそうだが、小国とはいえ一国の姫君に、王でもない者が無礼なことこの上ない。
 姫様もムッとされたらしく、タオルを手に抱えたまま、ぷいと横を向かれた。しかし。
「エヴァ様。タオルをこちらに貸して差し上げて頂けませんか?」
 ウェラー卿が穏やかに姫様にそう申し出られた。
「これは……コンラート様にお使い頂こうと思って運んでまいりましたの」
「それはありがとうございます。ですが、俺は1枚あれば充分ですので。……お願いします」
 優しく笑い掛けられて、姫様のお心は瞬く間に蕩けてしまったらしい。「分かりましたわ」と仰せになると、タオルの山をヴァイオラ様に向けてずいっと差し出された。
 そのご様子に苦笑なされたウェラー卿が、タオルを1枚手に取られると、ヴァイオラ様に……。

 ウェラー卿の動きが、突如そこでぴたりと止まり、まるで人形の様に動かなくなった。

「コンラート様?」
「ウェラー卿? いかがなさいましたの?」

 姫様とヴァイオラ様が口々にお声を掛け、アントワーヌ様とライラ様もまた不思議そうにウェラー卿を見つめておられる。

 でも、ウェラー卿は何もお答えにならないまま、手にされていたタオルをそっと、その香りを嗅ぐように口元に持ってこられた。

「エヴァ様」
「は、はいっ、コンラート様!」
「このタオル……」

 誰に運ばせましたか?

「ダメだ! バレた!」
 ムラタ様が叫んだ。
「逃げるぞ!」
「ど、どうなさったのですか!?」
 思わず尋ねる私に、ムラタ様が厳しい目を向けられた。

「分かっちゃったんだよ、ウェラー卿は! あのタオルはシブヤが抱えて運んでた。だからシブヤの気配が移ってるんだ。それを嗅ぎ取ったんだよ!」

「そんなっ、犬じゃあるまいし!」
「犬も顔負けの嗅覚なの! ったく、ホントだったら直前で噴水か池にでもぶち込んで、濡れタオルで汗を拭いて下さい〜なんてやらせようと思ってたのに!」
「池の水で濡らしたタオルを渡すつもりだったのか!? そ、それは幾らなんでもあんまりだぞ!」
「そうだぞ、ムラタ! ひどいぞ!」
「じゃないと、隠れんぼは強制終了じゃないか。楽しみは長く伸ばしてこそだろ? ああもうそれどころじゃないんだから! 行くよ! アグネス、後はお願い! お姫様は当てにならないから、君が何とか誤魔化して!」

 じゃねっ!

「…………じゃね、って……」

 私は呆然と、走り去って行かれるユーリ様達の後姿を見送っていた。

「…と、こうしてはいられないのだわ」

 そうだ、ウェラー卿に問い質されたら、姫様はあっさり白状してしまいかねない。ここまでお付き合いしたのだから、何とか助けて差し上げなくては。……ムラタ様にとってはお遊びのようだが、ユーリ様は何と言うか……あの一生懸命さが可愛いというか、力になって差し上げたいというか……。

 姫様の下に向かってみると、意外にもウェラー卿が迫っている相手はライラ様だった。姫様はタオルを胸に抱えたまま、おろおろとその場に立ち尽くしておいでになる。

「……ライラ、本当に何も知らないと……?」
「え、ええ、本当よ。ね? 陛下?」
「ああ、そう、そうだとも、僕達は何も知らない、知らないよ、ねえ?」
 さすがのライラ様もちょっとたじたじとなさっておられるし、アントワーヌ様は元々嘘のつける方ではない。
 これはまずいと思った瞬間、私は大きな声を出していた。

「如何なさいました? 姫様?」

「アグネス!」
 姫様がホッとされたようなお顔を私に向けられた。同時に、ウェラー卿やライラ様達も一斉にこちらをご覧になられる。
「どうかなさいましたか? 姫様」
「あ、あの、アグネス、あのね、このタオルが……」
「このタオルでございますか? これは私が保管室から持ってまいったものでございますが、これが何か?」
 姫様が一瞬きょとんと目を瞠られた。
「アグネス殿」
 思った通り、ウェラー卿が私にお声を掛けてこられた。
「はい、閣下、何でございましょう?」
「このタオルは、あなたが運んでこられたのですか?」
「さようでございます。今申しました通り、保管室にございましたものを私がここまで運んでまいりました。……お洗濯したてと下の者が申しておりましたが、何か問題でもございましたでしょうか?」
 ウェラー卿は私の質問にはお答えにはならず、「…保管室」と呟かれると、きゅっと眉を寄せて考え込んでしまわれた。
 上手くいったかと思った瞬間、ウェラー卿の瞳が、あの銀の星を鏤めた美しい瞳が、私に真っ直ぐ向けられた。ドキリと胸が高鳴る。
「………そう、でしたか。分かりました。……失礼しました」



「ウェラー卿には魔力がないとのお話でしたけれどもね」
「そうなのよ、母様。でも分かるんですって。私はもう、胸がどうにかなりそうだったわ」
 こぽこぽとポットからお茶をカップに注ぎいれる。お盆の上には美味しそうな焼き菓子。
 そして母と2人、お茶とお菓子を運んで居間に入れば。

 ソファには姫様とラン様。それから、ユーリ様とムラタ様、フォンビーレフェルト卿、そしてもうお1人、が、体を投げ出すようにぐったりと座っておいでになられた。
 結局あれから皆様、この部屋に戻ってこられたのだ。ちなみにグリエ殿はユーリ様とムラタ様が座るソファの後ろに立っておられる。

「……それにしても驚いたわ。まさかタオルの気配で分かってしまうなんて」

 おいでになっておられたもうお1人。
 ライラ様がしみじみと息を吐いて仰せになった。

「我が兄ながら……。ユーリに関しては、ないはずの魔力がいきなり発動するかのようだ」
 フォンビーレフェルト卿もぐったりと仰せになる。
「タオルを用意した小間使いに対しての口止めはされたのかしら?」
「はい。私の方から致しておきましたが」お茶を配りながら母がお答えする。「ウェラー卿に問い詰められましたら、嘘をつき通せるかは疑問でございますね」
「だろうなあ。とすると………あまりここに長居をする訳にはいかないか」
 お茶のカップを持ち上げて、ムラタ様が仰る。
「……天下一舞踏会まで後もうちょっとなのに〜。それまで何とか粘りたいぞ!」
「あのー」
 そこへグリエ殿が、おずおずと会話に参加してこられた。
「もうここまできたらバラしちまっても良いんじゃないんですか? へい、いえ、坊ちゃんがあの必殺技をかませば、隊長も怒ったり、帰れと言ったりはできませんよ?」
 必殺技って何だろう?
「それはそうだけど。……だったら、シブヤをちゃんと留めておけって命令を遂行できなかった報いは、君1人が被ってくれるということなのかな? ヨザック?」
「すみません、ご遠慮いたしますー」
「私も、できれば舞踏会まで皆さんのことは隠しておきたいわ」
 ライラ様が仰せの言葉に、全員の視線が集中する。
 しかしライラ様はそれが何故かは仰せにならず、ただにっこり笑ってこう提案なされた。
「ここから馬車で1時間ほどの場所に離宮があるの。どうかしら? 舞踏会までそこに滞在なさったら?」
「……ライラ……さま」
 取ってつけたように「様」を付け足すと、ユーリ様はカップをテーブルに置き、ライラ様に向かって姿勢を正された。
「ごめんなさい。おれの我がままのために、面倒を掛けてしまって」
「面倒を掛けられているなんて、少しも考えてませんわ。それどころかドキドキ感も加わって、とっても楽しいくらいよ」
 くすくすと、本当に楽しそうにライラ様が笑みを浮かべられた。
「でも、もしも私に感謝して下さると仰るのなら」
 ライラ様が軽く片目を瞑って、いたずらっ子のような口調で仰せになられた。

「1つだけ。私のお願いを聞いて頂けるかしら?」


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行きたいシーンにはなかなか行けないわ、切り所は見つからないわで、これまでで一番長いお話をなりました。
最後までお読み下さいまして、ありがとうございます〜。

捕まるためだけに登場した山賊さん一同(笑)。
どうしてこの人達がいきなり現れたのか、書きながら首を捻り続けた私でした。
おかげで話が予定からズレにズレてしまった……。うーん。

バレましたけど、接触はないままでした。これは後程ということで。
そろそろ終りが見えてきたかな、というところです。

ご感想、お待ち致しております。