しゃるういだんす?・3 |
ぱくぱくぱくぱくと。 テーブルについた2人の子供が、厨房から頂いてきたひき肉のパイをすごい勢いで口に運んでいる。 ほとんどもう、一口大に切る時間も惜しいという様子で、でっかい口を開けては大きなパイの塊を放り込んでいる。 ………もうちょっと遠慮とか、慎みってものがあっても良いんじゃないかしらね? 大体この子達、一体何者なんだろう。 街中じゃあるまいし、ここは正真正銘フランシアの王宮よ。そこにお腹を空かせた迷子がうろうろしてるなんて……? 私はそっと目で母に合図を送った。場合によっては、人を呼んでこの二人を捕えてもらわなくてはならない。 この子達からきちんと話を聞かないと。 母が私に小さく頷き返す。 「あなた方!」 母の、厳しい声が飛んだ。 2人の子供が揃ってびくっと動きを止める。 母がじろりと2人を睨んだ。 「そのようにパイばかり食べていてはいけません。こちらの野菜もお食べなさい」 …………母様……。 僕達、決して怪しいものではありません! あの時、金髪少年が、私を拝みながらそう言った。 「ただちょっと見つかりたくない人がいて、隠れる場所を探してるうちにすっかり迷子になって、お腹が空いちゃっただけのいたいけな少年えーとびーです!」 ……充分怪しい。 他国の宮殿に侵入して、隠れ処探してうろつく「いたいけな少年」がどこにいる? というか、自分を「いたいけ」って表現したってことは、つまり「いたいけ」じゃないって宣言してるようなものだし。 でもって、えーとびーって何? 「あなた達ね……」 大人しい女官と見て甘く見るなと、私は思い切り怖い顔を作って二人を睨み据えた。 ら。 きゅるる〜……と、なんとも情けない音がその場に響いた。 「……………」 赤毛の「男の子」が、顔の下半分も真っ赤にしてお腹を押さえている。 少なくとも、お腹が空いていることだけは本当のことらしい。 「さ、お食べなさい」 母が出したのは食後の果物。 「…っ、か、母さん! それは……!」 「これ何? 水色の……ぶどう?」 赤毛少年が果物の皿を覗くように、首を捻った。 「チャチャの実の甘煮です。生だと酸っぱくて食べられないのですが、熱を加えるとぐっと甘味が増すのですよ。それを氷室でよーく冷やして、こうしてクリームをかけて食べるととても美味しいのです。このフランシアでも採れないことはないですが、これはより険しい山ほど多く生る実ですからね。私達アシュラムの数少ない特産品です」 へえ、と少年達が顔を輝かせ、さっそくスプーンを手にした。 「甘〜いっ」 「へー、香りは柑橘系の爽やかさで、味は蕩ける甘さかあ。……とっても美味しいですね!」 2人の反応にこくりと頷いた母が、私に顔を向け「お茶を淹れてあげなさい」と言った。 思わず。返事をすることも忘れて、私と姫様とラン様は顔を見合わせた。 ラン様はイライラとした不愉快そうな顔で、姫様は興味津々のご様子で私を見ておられる。 と思ったら、ラン様に袖を引っ張られた。 「……一体母さんは何を考えてるんだ!? あの実はアントワーヌ陛下に献上するために運んできたものだぞ! チャチャの実だって、どんどん採れなくなっているんだ。あれは数少ない収穫の中から選びに選んだ希少なもので……!」 「私にだって分かっているわ、そんなこと!」 部屋の隅で、ラン様に怒りも露に詰め寄られ、私は思わず言い返した。ラン様がさらにキッと眦を釣り上げて私を睨む。 「そもそも何なんだ、あの子供は! どうして衛兵を呼ばすにこの部屋に連れてきたりした!?」 「どうしてって言われても……」 何となくそうしなくちゃならないと思ったというか……。 そっと視線を向けてみると、テーブルでは並んで座る二人の少年たちがいかにも美味しそうにチャチャの実を頬張り、その2人を隣のソファから姫様が好奇心たっぷりの眼差しで見つめている。母はそのすぐ側に立って……。 すっと母が顔を私に向けた。 「そんな所で何をしているのです。アグネス、早くお茶を」 「……は〜、美味しかった〜」 「僕もお腹いっぱい…!」 ……そりゃそうでしょうよ。あれだけ食べればね。 お茶を飲んで、心底満足そうに息をつく2人に、私は別の意味でため息を漏らした。 「あのっ」 ようやく落ち着いたのか、赤毛少年がカップを置いて背筋を伸ばした。 「突然押し掛けたのにこんなにご馳走してもらって……。 パイもサラダもデザートも、すっごく美味しかったですっ。あ、それからこのお茶も美味しいです! 本当に」 ありがとうございましたっ! 声を合わせて言うと、二人が揃って頭を下げた。 ……まあ、そこそこ礼儀は弁えてる子達ね。朗らかだし、感じは悪くない。 どういたしまして、と姫様が楽しそうに応え、母も満足そうに頷いた。姫様の隣に改めて腰を下ろしたラン様だけが苛立ちを隠さずにいる。 「では、そろそろ聞かせて頂きましょう」 母の言葉に、2人がハッと顔を上げる。 そんな2人を見遣って、母は姫様に「よろしゅうございますか?」と断りを入れた。姫様が笑顔で頷き返す。話は母に任せる、ということだ。 「あなた方、お名前は?」 「あ、おれ、ユーリ……」 「シブヤ!」 金髪少年の焦った声。一呼吸置いて、赤毛少年がハッと口を手で押さえた。 ………これは……? 「ユーリ。シブヤ。……これは、どちらかが姓で、どちらかが名前ということですか? それとも……」 2人の反応の奇妙さに、母が2人を交互に見つめる。 そして少年達も、そっと視線を動かして私達の反応を探っているようだ。……「ユーリ」という名に、何か問題でもあるのだろうか? 「………あの」 赤毛少年が意を決したように口を開いた。 「シブヤ・ユーリ、です。あの、シブヤが姓で、ユーリが名前です」 「……僕はムラタ・ケンです。同じく、ムラタが姓でケンが名前になります」 名乗ってからも、何となく私達の表情を伺ってる気がするのだけれど。……それにしても、名乗りが変わっている。 「姓を先に名乗る国もあるのですね。そのような風習は初めて知りました。あなた方、もちろんフランシアの民ではないのでしょうが……どちらから?」 「あの、おれたち」 またも赤毛が口を開いた。そしてにっこり笑ってきっぱりと言った。 「眞魔国から来ました!」 くっと、呼吸が詰まるような沈黙が下りた。 あれ? と赤毛少年、シブヤ・ユーリが小首を傾ける。 「お……お前達……」 ラン様の声だ。まるで呻くような。と思ったら、いきなりテーブルに掌を叩きつけ、ラン様が立ち上がった。 「お前達っ、魔族か!?」 苛立ちが一気に怒りに変わったのか。詰問する声が胸に突き刺さるほど刺々しい。 滅多に声を荒げることのない従兄弟の様子に、姫様が頬を引きつらせる。 「おのれ、魔族が……!」 「ランっ!」 「ラン様!」 「母さんは黙っててくれ! こいつら、見た目は子供でも中味は全く違うんだぞ! それに、ああもいけ図々しく貴重なチャチャの実を貪って……!」 ラン様、食べ物の恨み!? 「いい加減になさいませ、ラン様!」 「そうよ! ラン! あなた……!」 「あのっ」 割り込んできた声に、ハッとなる。 一斉に視線が向いた先に、赤毛少年が、シブヤ・ユーリがいた。 私達の沈黙の視線を受けて、シブヤ・ユーリが小さく息をついた。そして。 「……ムラタ、行こう」 隣の金髪少年、ムラタ・ケンに声を掛け、立ち上がった。 「あの……ごめんなさい」 シブヤ・ユーリが、私達に向かってぺこっと頭を下げた。 「フランシアに滞在してる人だし、たぶん……天下一舞踏会に参加する国の人だと思ったからてっきり……。魔族だって、先にちゃんと言っておかなくて、ごめんなさい。不愉快な思いをさせました。おれ達これで失礼します。持て成してもらえてとっても嬉しかったです。もし受け入れてもらえるなら、後でお礼させてもらいたいと思います。それじゃ……」 つい今しがたまでの朗らかさが掻き消えたシブヤ・ユーリの姿に、何故かと胸を衝かれる思いがする。 「シブヤ……」 「行こう」 シブヤ・ユーリがムラタ・ケンを促して、席を離れる。 「お待ちなさい」 呼び止めたのは母だった。 「どうして何も言わないのですか? 魔族は人間が考えているような忌まわしい存在ではないと、なぜ言い返さないのです?」 母の質問が意外だったのか、二人の足がぴたりと止まる。 母をまじまじと見つめるシブヤ・ユーリが、きゅっと唇を噛んだ。 「……言い返したい、です」 ぼそっとそう返したシブヤ・ユーリが、一呼吸の後、キッとラン様に顔を向けた。 「言い返したいです、今この場で! 魔族がどんな種族か、眞魔国がどんな国なのか、民がどんな暮らしをしてるのか、自分の目で確かめようともしないで、バッカじゃねー? みたいな言い伝えを信じてさ! 勝手な思い込みで魔族を怖がったり蔑んだりバカにしたりするヒマがあったら、眞魔国に来て見ろっての! そしたら自分がどんだけマヌケか良く分かるから! ……って、言いたい気持ちは山々なんですけど、でも言いません」 ………言ってるけど。 「あなた達人間は、もう4000年以上も魔族のことを、悪魔で化け物だって思い込んできた。それに、魔族もずっと人間を敵視して、その誤解を解こうとしてこなかった。だからその誤解や魔族への偏見が、今ではすっかり真実っていうか、人間世界の常識として定着してしまってる。そういう誤解とか勘違いって、簡単になくなるもんじゃないですよね。ただ違うって叫ぶだけじゃダメっていうか。お互い分かり合おうって気持ちになって、ちゃんと向き合わないと始まらないっていうか……。今度の天下一舞踏会は、眞魔国と友好的な国が中心になって集まるって聞いてたから、うっかりしてたおれ達が悪かったです。最初におれ達が魔族だってちゃんとお知らせしてから招いてもらうようにするべきでした。散々ご馳走させて、最後に不愉快な思いをさせてごめんなさい。こういう状態で言い返しても、ちゃんと理解してもらえるとは思えません。だから、今は失礼します。でも……」 シブヤ・ユーリがくるりと私達を見回す。 「今回の天下一舞踏会で、あなた達が魔族と友好的な国の人から眞魔国について話を聞いて、もしも魔族のことを魔族の口から知りたいって思ったら、また改めて話をさせて下さい。おれは……人間と分かりあいたいって思ってるし、分かり合えると信じてるし、そのためならどんな努力でもしようって決めてるから。あなた達もいつかそんな気持ちになってくれることを祈ってます」 失礼しました、と、シブヤ・ユーリがまたぺこりと頭を下げ、「行くぞ、ムラタ」と友人を促した。ムラタ・ケンは一足早く踵を返した友人の背中を見つめ、それから私達がどう反応するか見極めるかのように、視線を私達に流した。 「………待って!」 叫んだのは姫様だった。 タッと床を蹴ると、足早にシブヤ・ユーリに近づいていかれる。 姫様とシブヤ・ユーリが、真正面から向き合った。 「私達の方こそ、貴方達に不愉快な思いをさせてしまったわ。本当に、ごめんなさい」 姫様が、2人の魔族に向かって、深く頭を下げられた。 「……姫!?」 ラン様が声を上げるが、頭を上げた姫様の目は2人の少年から動かない。 「あのね。実は私達、眞魔国について学ぶためにこの国に来たのよ」 「………え?」 「私達の国は今色々と大変で……。それでね、私達も眞魔国と友好条約を結ぶべきじゃないかって話が出ているの。でも、もう分かったと思うけれど、私達の国、アシュラム公領では魔族への偏見が強くて、友好を結びたい気持ちはあってもなかなか前に進めずにいたのよ。まして直接眞魔国を訪れる勇気が湧かなくて。そうしたら、こちらのアントワーヌ陛下が、天下一舞踏会に魔族の方がおいでになるから、お話を伺ってみてはどうかってご助言をして下さったという訳なの」 「…そ、それ……」 「だから…あ、ちょっと待ってね?」 そう仰ると、姫様はくるっと向きを変えられ、私達の元、いえ、ラン様の前まで戻ってこられた。 「ひ、姫、あの、私は……」 「ラン。ちょっと屈んでくれる?」 「え? あ……はい……」 スパーンっ! 「………………」 「………………」 「………………」 「………………」 張りのある肌が小気味良く鳴る、その余韻が耳の中から消えるまで、私達は2人の姿を呆然と見ていた。 姫様がラン様の頬を、平手で思いっきり張り飛ばし……叩いたのだと理解するまで、数を10数える程の時間が掛かってしまった。 「ラン、あなた、昨日ウェラー卿に申し上げたことは嘘だったの!? 誤解して申し訳ないって、心から恥ずかしく思うって、あれは出任せ? あなた、そんな人だったの!? 子供の頃から弱虫で泣き虫でアグネスに助けてもらわなくちゃ喧嘩もできないくせに意地っ張りで、おまけに見栄っ張りで、そのくせ性懲りもなく同じ失敗ばかり繰り返して、でも性格は顔と同じくらいにまあまあ許容範囲内だし、少なくとも自分の星の数ほどある欠点を認める潔さはちゃんと備えていると信じていたのに! 見損なったわ!」 ………初めて知った、姫様の本音……。 よろめいてソファに掴まった姿で、呆然と固まっているラン様(…たぶん姫様に引っ叩かれた衝撃だけじゃないだろう……)をそのままに、姫様は再びくるっと踵を返された。そしてまたシブヤ・ユーリとムラタ・ケンの傍らに駆け寄る。 「本当にごめんなさいね。恥ずかしいわ」 ぽかんと口を開けて突っ立っていた2人の少年が、慌てて両手を振りたくる。……怖かったのかもしれない。 「だからね? お席に戻って、あなた方のお国の話をしてくれないかしら。今お茶を淹れなおして……」 「あのっ」 姫様を遮って、シブヤ・ユーリが声を上げた。 姫様が小首を傾け、前髪でよく見えない顔を覗きこむ。 「今……ウェラー卿って……」 「ええ。ほら、アントワーヌ陛下からお話してみたらどうかって勧めて頂いた魔族の方よ? 昨日初めてお会いしてご挨拶させて頂いたの。……あなた方、もしかしたらウェラー卿を存じ上げているの?」 「はい、あのー……」 「実は」 ここでようやくムラタ・ケンが口を挟んだ。 「ウェラー卿はこのシブヤの名付け親なんです!」 「「え、ええっ!?」」 「まあ……! じゃああなた、ウェラー卿のご家族も同じなのね!?」 姫様のお声がわくわくと弾んでいる。 改めてソファに戻り、新しいお茶とお菓子を用意して、私達はシブヤ・ユーリという魔族の少年がウェラー卿コンラート閣下の名づけ子で、ある事情からウェラー卿とそのご家族が引き取って共に暮らしているのだということを知らされた。 意外な展開にお気持ちが高揚されたのか、姫様はもう頬をほんのりと染めておいでになる。と、傍らに立つ私をチラッと見上げ、そっと唇を動かされた。 『やっぱり運命よ!』 にっこりと笑みを浮かべられた姫様は、本当に幸せそうだ。 ちなみにラン様は、部屋の隅の文机に添えられた小さな椅子に腰を下ろしておられた。……まるで山奥の、陽の射さないじめじめした森の木の根元で膝を抱えて泣いている子供のような、といったら表現が可愛らしすぎるだろうか。とにかく、ラン様の周囲だけ、薄暗くいじいじとした雰囲気に満ちている。 「それで……どうしてこちらに? ウェラー卿にお会いになるためですか?」 母の質問に、シブヤ・ユーリは答えにくそうにもじもじとしている。 「もうしばらくしたら、ウェラー卿とお茶をご一緒しながらお話させて頂くことになっているのよ? 何だったら、あなた方も一緒に……」 「それはダメです!」 ハッと顔を上げて、シブヤ・ユーリが言った。 「……え? でも……」 またシブヤ・ユーリがもじもじと始める。 「ウェラー卿に見つかるのはマズいんです」 応えたのはムラタ・ケンだ。 「どうして?」 「……約束を……」 シブヤ・ユーリがぼそっと答えた。 「破ったから……」 「約束?」 「では、こういうことなのですね。あなたはウェラー卿がフランシアにお出掛けの間、お家でお勉強をしながら大人しくお帰りを待つ約束をなさっていた。でもあなたはその約束を破って、それどころかお家の方に断りもなく、ウェラー卿の後を追ってきてしまった」 「……はい、そーです、先生、じゃなくって乳母さん」 「その理由は……」 「天下一舞踏会がどんなものか見てみたかったし、優勝したことがあるっていうコンラッドのダンスを見てみたかったし、それからー……」 コンラッドが、どんな女の人をぱーとなーにするのか知りたかったし……。 最後の理由は、ぶつぶつと消え入りそうに小さな呟きだった。 「ぱあとなー? って?」 「ダンスの、いえ、舞踏のお相手のことですよ」 ムラタ・ケンが説明してくれる。……眞魔国独特の言葉らしい。それにしても。 ウェラー卿のお相手が誰になるか知りたかったというのは……。 この様子から見ても、やっぱりこの子……。 「あなたはお友達なのね?」 姫様に問い掛けられて、ムラタ・ケンが「はい」と頷いた。 「シブヤは最初1人で行くって言ってたんですけど、心配だから付いて来ちゃいました」 「あなた達を追ってきた人がいるとアグネスから聞いたのだけど?」 「僕達を連れ戻しにきた家の人です。結局追いつけませんでしたけど」 「あなた方がいないことに気づくのが遅かったのね?」 「いいえー。彼等の追跡技術が、僕の逃亡技術に及ばなかったってだけですよー」 ………今のは自慢だったのかしら…? 「それで、伺いますが」 母が続けた。 「ウェラー卿に見つかりたくないと仰っても、それは無理というものでしょう。そもそも、あなた方はこちらにおいでになられて、それからどうなさるおつもりだったのです?」 ウェラー卿のご家族同様と分かって、母の口調はそれにふさわしいものになっている。そんな母の当然の質問に、シブヤ・ユーリとムラタ・ケン(…もしかして様をつけたほうがいいのかしら?)は顔を見合わせた。 「途中で鳩を飛ばしたんです。あの、ライラ宛に……」 「ライラ? ライラってまさか…」 「あの、アントワーヌの奥さんの……」 ……って、この子、陛下とライラ様を呼び捨てにした!? 「あなた方、陛下と妃殿下をそのようにお呼びできるほど、親しくなさっておいでなのですか?」 驚きの中にわずかの非難を含ませて、母が言った。その声に、シブヤ・ユーリが「う」と口ごもる。 「そういえば」私はふと思い出して声を上げた。「魔族は人間と成長の仕方が違っていて、見かけは子供でも人間よりずっと長生きしていると聞いたことがあります。もしかしたらあなた達も……」 「………おれ達……16歳、です……」 長く生きているから、ライラ様達を呼び捨てに出来るほど深く長いお付き合いがあるのではないか。という私の好意的な解釈に、シブヤ・ユーリがどこか申し訳なさそうに言った。 「…え?」 「僕達」ムラタ・ケンが説明を引き受ける。「2人とも混血なんです。どっちも父親が魔族で、母親が人間です。混血は10代中頃まで成長が人間と変わらないんですよ。だから……」 「でしたら。言葉遣いに気をお遣いなさい!」 2人の魔族少年がびくっと背筋を伸ばした。 「ウェラー卿が前魔王陛下のご子息であられることは存じております。そのウェラー卿でさえ、アントワーヌ陛下とライラ妃殿下に対する敬意を、お言葉にも態度にもきちんと表されておいででした。私はあなた方のご身分は存じません。ですが、例えどれほど高いご身分であったとしても、いえ、身分が高くていらっしゃるのなら尚のこと、他国の国王に対して、その以前に年長者に対しての敬意を疎かにしてはなりません! 己の身分を鼻に掛けず、常に辞を低くすることは、決して恥ずかしいことではありません。それどころか、それが引いてはあなた方の徳を高め、品性の高さを証明することになるのです。魔族はウェラー卿しか存じ上げませんが、立ち居振る舞いや礼儀作法、それから言葉遣いについての考え方は、人間と全く変わらないように推察致しております。あなた方もそれなりのご身分でいらっしゃるのなら、己の態度や言葉遣いがどのような影響を周囲に与えるものか、よくよくお考えになられませ!」 ごくっと喉の鳴る音がした。 シブヤ・ユーリが、文字通り叱られた子供らしく体を強張らせ、ムラタ・ケンはなぜか楽しそうに口元を綻ばせている。 「……乳母や……ウェラー卿のご家族にそのような……」 「過ちを犯す子供を目にしたら、その場で注意指導するのが大人の役目でございます。それが結局、子のためになるのだと乳母は愚考いたしまする」 取り成そうとなされる姫様に、母がきっぱりと言い返す。……母は礼儀作法に厳しい人だ。それが見も知らない相手であろうと、この手の注意を遠慮したことがない。 ウェラー卿の名づけ子で、家族同様に暮らしている子に気をお遣いなのか、珍しく姫様が「でもね、乳母や」と逆に言い返された。 「乳母が間違っておりましょうか?」 「いえ、あの、そうではなくて……」 「……あのっ」 間に入ったのはシブヤ・ユーリだ。 「ご、ごめんなさい! おれ……その、考えなしで……すぐ友達気分になっちゃって……。えっと、あの、これから気をつけます。それと、注意してくれて、ありがとうございました!」 ありがとうございました、と、ムラタ・ケンも続けると、二人がまた揃って頭を下げた。 ……何だかとっても素直な子達だ。特に……シブヤ・ユーリ。 「分かって頂ければそれでよろしいのです」 母が満足そうに大きく頷く。そして「それで」と言葉を続けた。 「ライラ様にお手紙が届いているのですね? 妃殿下を頼るおつもりだったのですか?」 「はい、そーです。それで、あの……ライラ、様、殿下、に、おれ達がここにいることを報せたいって思うんですけど……」 「そうですね……。妃殿下がどのように思し召しになるかは存じませんが、とにかくお報せ致しましょう。この時刻なら、妃殿下はお部屋においでになるはず。よろしゅうございますか? 姫様」 「ええ、もちろんよ、乳母や。……アグネス、あなたが行ってくれる? 他の者には任せられないわ。そうね、とにかくシブヤ・ユーリさんとムラタ・ケンさんをお招きしている旨の書付をお届けして、お返事を頂いてきてちょうだい。ええと……」 「あのっ、コンラッドには……!」 「ウェラー卿には知られないように、ね? 頼むわね、アグネス」 「畏まりました、姫様」 母と軽く視線を交わし、私は深く膝を折った。 そして。 どどどどっ、という荒々しい足音は、決して私のものではない。 同じ足早になるとしても、私も淑女の端くれらしく淑やかに、かつ優雅に、そして素早く動くコツくらい身につけている。私自身の名誉のために、それから私の傍らを行くライラ様の名誉のためにはっきり表明しておく。 私の前でバーンと乱暴に扉が押し開かれた。ああ、また母様の怒りが……。 「ユーリっ!!」 「だーっ、ヴォルフっ!?」 「お前という奴はお前という奴はお前という奴はっ!」 「ぎゃーっ、首っ、しまるっしまるっ、死ぬっ」 「よくも僕を置き去りにしたなよくも僕の前から逃げ出したなよくも僕の追跡を躱したなーっ!!」 「振るなっ振るなっ、脳みそシェイクすんなーっ!」 「…………アグネス………」 「はい、姫様」 「あの……方は……?」 「2人を追いかけてきたお家の方のようです。私が参りました時に、ちょうどライラ様とご一緒においでになられまして……」 あの2人と同じように、ウェラー卿の目を避けてライラ様と接触していたのだ。 ゴホンっ、と母が大きく咳払いした。 それから母が1歩踏み出すと同時に、シブヤ・ユーリと、彼の襟首を締め上げて怒りとぶつけている同年代の少年(まだ名前も分からない)の間にもう1人の人物─何とも派手な髪の色の─が割り込んだ。 「はーい、閣下! ほら、皆さんが呆れて見ておいでになりますよー。坊ちゃん方はもう逃げないんですし、まずはご挨拶いたしましょ。ね?」 「何を……!」 言い返そうとしてから、フォンビーレフェルト卿と呼ばれた金髪の少年が、ハッとしたようにこちらを向いた。 途端に。 姫様がひゅっと吸った息を、ごくっと飲み込んだ。 お気持ち分かります、姫様。 私も、ライラ様のお部屋でそのお顔を見てしばらく、息をすることも忘れてしまったくらいなのだから。 これほど美しい少年、初めて見た。 金髪碧眼のまるで……聖堂画に描かれた天使のようだ……。 魔族は化け物だと聞かされていたのに、人間と変わりないどころか人間よりも遥かに美しい。 人間ではあり得ない美しさ。……魔族は人間と違う。これがその証明なのだろうか……? 「じゃあそろそろ、私から紹介させて頂くわね」 「……! ライラ様!」 呆気にとられてライラ様の存在に気づかなかった姫様とラン様、それから母が慌てて頭を下げる。 「ライラ! …っとお、様、殿下、えっと王妃様!」 立ち上がって満面の笑顔でライラ様を呼んだシブヤ・ユーリが、ハッと気付いた様にわたわたと手を振った。 一瞬きょとんとされてから、ライラ様はいかにも楽しそうに、にこっとお笑いになられた。 「こちらは」 ライラ様が金髪超美少年を招いて仰せになった。 「フォンビーレフェルト卿ヴォルフラム閣下でいらっしゃいます。前魔王陛下のご三男、つまりウェラー卿の弟君です」 まあ! と揃って声を上げてしまう。 端正な兄君、美貌の弟君。……すごいご兄弟だ。だったらご長男も期待が持て……いえいえ、きっと立派な方なのだろう。 「それからこちらはグリエ・ヨザック殿。ウェラー卿とは幼馴染で親友でいらっしゃるのよね?」 「腐れ縁ですよー」 赤、というより朱。まるで夕焼の様な髪の色の立派な体格の男性が、けらっと笑って応える。粗野になる寸前というか、なかなか野生的な魅力のある人物だ、と思う。おそらく貴族ではないだろうけれど、そうか、こういう人物とあのウェラー卿が友情を育めるのか……。 ウェラー卿コンラート閣下という方の、奥の深い人間性(……違うだろうか?)を実感する話だ。 「フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムと申します。つい興奮し、見苦しい様をお見せして申し訳なく存じます。アシュラム公領の公女殿下におかれては、我が国の……あー……」 何故か言い淀んで、フォンビーレフェルト卿がちらっとシブヤ・ユーリに視線を向ける。 「シブヤはー」ムラタ・ケンが、これも何故かここで口を挟んだ。「ウェラー卿の名づけ子で、いわば一家の末っ子みたいなものなんだよねー。で、僕はその親友」 それはもう聞いたけれど……? コホンっ、とフォンビーレフェルト卿が咳払いをした。 「我が家の。末っ子を保護して頂きましたこと、家族を代表して、心から御礼申し上げます。ありがとうございました」 フォンビーレフェルト卿とグリエ・ヨザックという男性が、揃って頭を下げた。 先ほどまでの荒々しさとは打って変わって、フォンビーレフェルト卿の所作は実に優雅で気品がある。さすが。 「とんでもありませんわ。お聞き及びかもしれませんが、私どもは貴方様の兄上様から眞魔国についてご教授願うためにこのフランシアに参ったのです。お役に立てましたこと、むしろ光栄に存じます」 姫様の挨拶も、惚れ惚れするほど優雅だ。 「そういうことで」 ライラ様がにこやかに仰せになられた。 「ごめんなさい、エヴァ様。少しだけ席を外していただけるかしら? この方々と、内々でお話したいことがあるの」 部屋を出て、そのまま回廊を渡って庭園に出る。 私達の前をお歩きになる姫様の足取りは、今日もやっぱり軽やかに弾んでいた。 「何て幸運なのかしら! この広い宮殿で、ウェラー卿のご家族とご一緒することになるなんて!」 乳母や! 満面の笑顔で、姫様がくるっと私達と向き合われた。 「アグネスも! よくあの方達をお連れしてくれたわっ。2人とも分かったのでしょう? あの方達が私にとって大事な人だって! さすがにフィータの直系ね。素晴らしい直観力だわ!」 それは、とお答えしようとして、でも姫様は私の答えを待たず、またくるっと向きを変えられると、庭園を踊るように進んで行かれた。 隣でラン様が落胆の吐息を漏らされている。 「アグネス」 呼ばれて顔を向ければ、母が難しい顔で前を見つめていた。 「あなた、どう思いますか? あの子供…シブヤ・ユーリという子なのですけれど……」 「……とても素直な、性格の良い子、だと思いますが……」 「それだけ?」 「母様……」 母がわずかに首を傾けた。 「………あの子、男の子だと思いますか?」 ラン様が驚いたように顔を向ける。 「アグネス?」 「……分からないわ。私もあの子の手に触れたとき、ふと妙だと感じたのは確かだけど……。でも、女の子が男装している、というのとも少し……違うような気が……」 「あなたもそうでしたか。私も妙に引っ掛かるのです。……まるで、男の子でもなく女の子でもないような、逆にどちらでもあるような……。それに、どうもただの子供とは……」 「魔族だからだな! 見た目は人間と同じでもやっぱり中味が……」 「ラン様!」 勢い込んで口を挟んできたラン様を、母が叱り飛ばした。 「いい加減になされませ。そのようなことばかり申されますと、今度こそ本当に姫様に愛想を尽かされますぞ」 「…うっ」 鼻白んだ様子で、ラン様が数歩後ずさった。 部屋に戻ると、「追い出してごめんなさいね」とライラ様に招き入れられた。 だが部屋の中には、なぜかライラ様ともう1人、グリエ・ヨザックという男性しかいない。 「彼等には今ちょっと着替えてもらっているの。あ、隣のお部屋を借りましたよ」 「はあ……」 「それでね、あなた方にお願いがあるのだけれど……」 そしてそして。 私達の前に3人の……小間使いが立っていた。 「……何でいつもこんな目に……」 「うわー、自分の新たな才能に目覚めそう」 「どうして僕までっ!!」 三者三様。 3人は脛までの、動きやすい小間使いのドレスを纏い(…3人とも、覗く足が男の子とは思えないほどほっそりしている。……ちょっと悔しい)、それだけではなく、ご丁寧に鬘まで被っていた。それも全て前髪が長くて、顔立ちの良く分からないものばかり。シブヤ・ユーリは波打つ赤毛が肩までのびたおかっぱ。ムラタ・ケンは背の中頃まで真っ直ぐ伸びた金髪、フォンビーレフェルト卿は薄茶で、頭の両脇から三つ編のお下げがぶら下がっている。リボンは薄桃色。 フリルの襟と袖口だけが真っ白で、全体は淡い萌黄色のドレスは何とも清純で清潔な感じがする。お揃いのドレスは3人に良く似合っていた。 ……それにしてもライラ様、一体いつの間に鬘までご用意なされていたのだろう…? 「ウェラー卿に見つかりたくないのでしょう? ユーリ様はウェラー卿との約束を破ってしまったし、フォンビーレフェルト卿とグリエ殿は、ユーリ様が無茶をなさらないよう良く見張っておくようにというウェラー卿の言いつけを守れずに、ついにここまで来てしまった。ね?」 「………うう」 「あなた方は、エヴァ様付きの小間使いということにします。その姿なら城の中を歩き回っても人の目を惹くこともないし。お部屋は用意しますけれど、なるべくエヴァ様達と一緒に過ごして、眞魔国のことを教えて差し上げて下さい。ウェラー卿とはまた違ったお話ができるでしょうし。ただ、エヴァ様達がウェラー卿と過ごされる時は……いくら変装していても、ウェラー卿相手では無駄でしょうね」 「ちょっとくらい距離が離れていても、あいつなら坊ちゃんの気配をすぐに感じ取ってしまいますよ。……ところで王妃様、俺は……」 「ああ、貴方には衛士の制服を用意します。やはりエヴァ様ご一行付きということで……」 「グリエはぁ」 「え?」 いきなり、グリエ・ヨザック、殿の雰囲気が変わった。逞しい野生的な男性が、ふっと首を傾げた途端に全く別物に変身したというか……。 「坊ちゃん達とおそろいのドレスが良いなー」 「……………」 「……………」 「……………」 「あ、気にしないで下さい。今のはグリエちゃんの」 冗談なのよね。 「趣味ですから」 「……………」 「……………」 「……………」 「…………とにかく」 ほんのわずか額を押さえておられたライラ様が、顔を上げて仰せになった。 「エヴァ様、よろしくお願いいたします。ね?」 「……あ、は、はいっ。ええと……お任せ下さいっ! 皆様方の御身は、確かに私共がお預かり致します。皆様、よろしくお願い致します!」 「はい、ご挨拶」 「「「「よろしくお願いしますー」」」」 ライラ様が満足そうににっこりと頷かれた。……気のせいだろうか、何か企んでおられるような気がするのだけれど……。 「あの、それででございますけれど!」 姫様が弾んだ声を上げられる。 「皆様をどうお呼びすればよろしいのでしょう? 普段は……」 「あ、おれ、ユーリでいいです」 「僕はムラタでお願いします」 「僕はフォンビーレフェルト卿と」 「俺はグリエでもヨザックでもどちらでもどうぞー」 「はい、分かりました! でもそのお名前は人前では使えませんわ。小間使いとしての名が必要だと思うのですけど……」 「ああ、それはそうね。何か適当な名を……」 「私、考えたのですが!」 姫様は本当に楽しくて仕方がないようだ。 「ヴィヴィロッタヴィクローエンとハリエッタルーバロールローシエとシュトランジータヴァルエッダでは如何でしょう!」 「……………」 「……………」 「……………」 「………すみません、1度聞いたら2度と覚えられないんですけどー」 3人の表情に姫様がっかり。 「あの」 私もふと思いついて言ってみた。 「もっと簡単で可愛らしく、こういうのはどうでしょう。リンリン、ランラ……」 「パンダかいっ!?」 ……シブヤ・ユーリに速攻で突っ込まれた。でも何だろう、ぱんだって。私が昔家で飼っていた小熊猫の名前なのだけれど。可愛かったのに……。 隣で母がため息をつく。 「分かりやすく、マリー、エリー、ローラ辺りでよろしいのでは」 結局そうなった。 「姫様、そろそろ陛下ご夫妻とウェラー卿とのお茶の時間でございます」 扉の向こうから聞こえた母の声に、鏡台に向かっておられた姫様が立ち上がった。 もう間もなくお茶の時間だ。 あの眞魔国から来た4人は、今荷物などを片付けに用意された部屋に下がっている。 「用意は万端よ。それにしても……」 姫様と揃って寝室を出て、居間に入る。装いを改めた母が軽く頭を下げた。 ドレスはもちろんだけれど、髪の結い方もお化粧も、かなり気合の入った姫様は、母に答えるとうっとりと窓の外に目を向けられた。 「人生って不思議な縁で成り立っているのねえ……」 「姫様?」 「あのお方にお会いして、運命を感じた途端にあのお方のご家族とこうもお近づきになれるなんて……」 ほう、と姫様が息をつく。 「姫様、そのようなお顔をなさっておられては、ウェラー卿に気付かれてしまいますよ?」 「大丈夫よ! 私、しっかり何も知らないという顔をするわ。だって、ウェラー卿に知られてしまったら、あの方々は私達と一緒にいる理由がなくなってしまうのだもの。……あの方々は何がなんでも私の元に留めておくわ。長く一緒に過ごせば過ごすだけ、ウェラー卿だけでなく、ご家族とも親密になれるわけですものね。それに、ご家族が私の庇護の下にあって、それはもう大事に大切に持て成されていると分かれば、ウェラー卿の私への好感度はぐっと上がるでしょう? 天下一舞踏会でのウェラー卿のお相手として、その座を狙う他の方々より1歩も2歩も先んじて、有利な状況に身を置くことができるわけよ。……あの方々は、私の大事な大事なお客様」 他の誰の手にも渡さないわ。 姫様が不敵に笑う。……この国に来てから、いいえ、ウェラー卿にお会いしてから、姫様がどんどん変わっていくような気がするのは気のせいだろうか…? いえ、もしかしたら変わったんじゃなくて、これが……本性……!? 「姫様」 コホン、と小さく咳払いして、母が冷静に言った。 「それはお客様というより、ほとんど人質という気が致しますのですが…?」 あらやだ、乳母やったら冗談ばっかり。 姫様がころころと軽やかにお笑いになった……。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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