友ヲ想フ…?・4.5
 〜幕間・雪村君の幸せだったかもしれない三時間・後編〜


 有利が飲み干したココアのカップの底を、じっと見つめている。……カップに残った液体の形で何かを占う、というのがあったよな。雪村はぼんやりと思った。確か、コーヒー占いだっただろうか。
「………そういうのって、聞きたいもんなの?」
「う…ん、まあ。………恋敵がどんなヤツか知りたい……って、いうか…?」
 微妙な気持ちが疑問形。
「男が男好きな話なんて、聞いてて気持ち悪くならない?」
「…それ、僕に言うワケ?」
 苦笑して雪村が言うと、「あ」と声を上げた有利が、気まずそうにまたもや眉を八の字にした。
「…ご、ごめん……」
 苦笑したまま頷くと、有利がふう、と息をついた。
 しばらく沈黙が続く。前後左右も無気味に静かだ。

「………すっごくさ……優しいんだ……」
「そうなんだ…」
「うん……」
 周囲で一斉に上がり始めた、ペンを走らせる音、キーボードを叩く音に眉を顰めながら、雪村は微笑んだ。腹の中はわずかづつ煮えてきたが。
「めちゃくちゃカッコよくてさ! 背も高くって、んー、お前よか高いかな。足も……お前よかずっと長くてー」
「……僕と比べて欲しくないんだけど……」
「あ…ごめん。……分かりやすいかと思って」
「足の長さなんてどうでもいいし。(どうでもよくないわっ、という呟きが聞こえたが無視)……逞しい人なの? 運動してるとか」
「んー…。逞しい、って感じはしないなー。あ、や、でも、弱っちいとか、痩せてるとか言うんじゃないぞ? すっごく鍛えてるんだけど、引き締まってて、ごつい感じが全然ないっていうか。見た目は、すらっとしてるんだ」
 最初、戸惑っていたわりには、喋り出すと有利の舌は滑らかだった。目があきらかに、ここにいない誰かを見つめている。
「顔もさ、もう、すっごくいいんだ! 美形っていうのとは…ちょっと違って…。美人っていうなら、あいつの弟の方がずっと綺麗なんだけど。そういうんじゃなくて。んー、何てのかな……、ああ、うん、そう、『端正』っていうの? そういう感じ。綺麗じゃなくて、端正なかっこよさ! んと、凛々しいっていうか!」
「………………ふーん………」
 だんだんムカついてきた。ぽっと頬を染めて、笑顔満開で話す有利にも。ものすごい勢いで、情報を書き留める女子一同にも。
「目が綺麗でさー。茶色い瞳の中に、銀色の星がきらきらしてて。印象的っていうの? 一度見たら、もう絶対忘れられないんだぜ!」
「…茶色? そいつ…日本人じゃないの?」
 周りの動きがぴたっと止まった。これは重要事項だ。ユーリがちょっと迷った後、小さく頷いた。
「うん、まあ……日本人、じゃ、ない……」
 なぜか視線を微妙に泳がせながら、有利が言った。ほう、とあちこちからため息がもれる。
「…………ほんっとにカッコいいんだ……。いつもにこにこしててさ…。爽やかで、人当たりも良くて、礼儀正しくて、穏やかで、冷静で、頭もすっごく良くって…………」
 そんな完璧な男が、この世にいてたまるモンか!
 絶対何か欠点を隠し持ってるに決まってる。大体そんないいトコばかり有利に見せているということ自体、そいつの性根の悪さを証明しているじゃないか!
 そんな風に心の中で毒づいていたから、雪村は有利の声がトーンが、どんどん低くなっているのに、最初気づかなかった。
「………渋谷君……?」
 有利の視線は、やはりどこか遠くを見ている。けれどそれは先ほどまでとは違い、ひどく切なげで、見ている雪村の胸を刺した。
「……いつもすっごく優しくて。俺のコト、家族より大事にしてくれて。ホントに…いつも笑顔見せてくれてて……側にいると、嬉しくて、楽しくて、幸せで………哀しくなるんだ……」
「……渋谷くん……」
「そんなコトないんだけど、あるはずないんだけど……! でも……笑顔が、いつも、いつでも優しいのが……時々、壁に思える時があって……」
「壁?」
「うん…。壁でもバリアーでもシールドでもいいんだけど……。なんかさ、そこから先へ来ちゃダメって、ここから奥は見せられない、って……線を引かれてるみたいに思う時があって………。そりゃ、そんな風にされてもしかたないんだけど…」
「……どうして?」
「だって俺、ガキだもん! もっ、全然、救いようがないくらい、俺ってば子供だし!? でもあいつ、すっごく大人で! だから……対等になんてなれないし……だから、だから……」
 しょぼっと、ユーリの身体が小さく萎む。
「本音も……ホントのあいつも……教えてもらえないのかな…って」
 さすがに女子達も手を止めて、有利を見つめている。有利は全く気づいていないが。
「………その人、さ。知ってるの? 渋谷君の気持ち」
 ふるふる、と小さく有利が首を振った。
「……言っても……困らせるだけ、だし……」
「どうして!?」
「…すっげー女の人にモテるんだぜ? 俺みたいな、こんなガキにそんなコト…。それに、知られたら、あいつ、きっと困って、そして……俺から離れてしまうかもしんないし……。だったら、言わないで……今のまんま、名付け親で親友で保護者で護衛で野球仲間のまんまでいた方がいいのかなって……」
「名付け親? 君の?」
 何やら色々肩書きがついてきたが、最初の単語の印象が強くて、後のは軽く聞き流してしまった。
 うん。とやっと笑顔を浮かべて、有利が頷いた。
「ユーリって。俺につけたの、あいつなんだ。…漢字を当てたのは親だけど」
 ペンの走る音と、キ−ボードを叩く音が再開される。
「……ホントに、好きなんだ。その人の事……」
「うん。すげー好き。……ホントは、全部見せて欲しい。どんなものが隠れてても、受け止める自信あるから。それがどんなに、汚くても、醜くても、全部受け止めて、そして……知る前よりもっともっと好きになる自信、ちゃんとあるから…!」
 強い眼差しが、真正面から雪村を射る。それを眩しい思いで受け止めて、そして雪村は苦笑とため息を洩らした。
「それさあ、渋谷君。僕に言ったってダメだよ。ちゃんと本人に言わなきゃ」
「え? あ……」
 ぱあぁっと、有利の顔が真っ赤に染まる。
 何だかなあ。雪村は苦笑を深めた。状況は絶望的になってるはずなのに、どうしてこんなに……愛しいという想いだけが強くなってしまうんだろう。彼の願いを叶えて、心を救って、護ってあげたい、そんな祈りのような願いを胸に抱いてしまうほどに。
「渋谷君、あのさ」
 雪村は、意識せず、自然な流れでテーブルに置かれていた有利の手を取った。
「…お、い…?」
「僕が言う事じゃないんだけど。…実際、こんなコト言いたくないんだけど。でもさ……」
 男前な渋谷君に惚れたんだよね、僕。
 にこっと笑う雪村に、有利がぱくぱくと、喘ぐ様に口を開いては閉じた。
「本気で好きならさ、その気持ちに疑いも疾しさもないんだったらさ、ぶつけてみなよ。…その人、シールド張ってるにしても、優しい人なんだろ? まさか、それも嘘っぽい?」
「そんなコトない! ホントにまじで優しいんだ!」
「だったらきっと、真面目に受け止めてくれると思うんだ。困るかどうかは……分からないけど。でも、たぶん…大丈夫じゃないかなあ」
「…どうして分かんだよ、そんなコト…」
「んー…。将来有望なバスケ選手のカン…?」
「…あり? そんなの」
 くすくすと有利が笑う。「ありなんです」と、気取った口調で返した雪村も、一拍遅れて明るく笑う。
 何だかなあ。今日一体何度目か分からない同じセリフを、雪村は胸の中で唱えた。
 フラレるのが確実になったのに。
 渋谷有利に恋したことを自覚して以来、今初めて、幸福感だけが身体いっぱいに溢れている。
 有利から、笑顔を貰えた。今、この時、自分だけに。
 もしかしたら、ねえ、渋谷君。僕達、「恋人」にはなれなくても、それでも……。
 雪村が、幸福感のまま、周囲の目も忘れ、それを告げようとしたその時。

 ダンッ!!

「うわっ!」
「どはっ!」
「キャアッ!」

 雪村達はもちろん、固唾をのみ、二人の会話と手元に意識を集中していた女子高生達、委員長までもが、一斉に悲鳴を上げて椅子から飛び上がった。

 雪村と有利の間の小さなテーブルに、ずぶ濡れの傘が突き立てられていた。

 折り畳み傘じゃない、でかくてゴツい、男物の傘だ。その尖った金属の先端が、数本のポテトを貫いてテーブルに突き刺さる勢いで叩き付けられたのだ。
 傘から落ちる雫が、テーブルを濡らしていく。
 空になった二つのカップが、コロコロと転がって、ぽとんと床に落ちる。
 それを何となく目で追って、そしてそれから、雪村はゆっくりと目を転じた。

 傘がテーブルに突き刺さり、まっすぐに立っている。…はずがない。視線をテーブルから上にあげる。
 カーブする握りを持つ手が見える。そしてその上に……。

 大学生、20歳くらいだろうか、メタルフレームのメガネを掛けた、怜悧に整った顔立ちの男が、冷え冷えとした─だがどこか凶暴な目つきで、雪村を見下ろしていた。

 ……何で。こんな目で。見られなきゃ。ならな……。

「……勝、利…」
 喘ぐような声で呟いたのは、有利だ。雪村は、びっくり眼で男を見つめる有利に顔を向けた。
「渋谷君……あの……この、ひと……」
「こんな時間に、こんな所で、一体何をやってるんだ?」
 男はもう雪村を見ようともせず、というか、存在をきっぱりと無視して、有利に話しかけた。雪村の視界の隅で、女子達が色めき立っているのが見える。
「…あ、別に…。えと。おふくろにさ、買い物頼まれて、帰りにこいつに、あっと、ちょっとその知り合いなんだけど、困ってたから、その……」
「もう9時過ぎだ。こんな時間にふらふら遊び歩くような弟を持った覚えはないぞ」

 ……………弟!! ……ってコトは、こいつは渋谷君の兄貴、いやっ。
「お兄さん!?」
 男、有利の兄が、じろりと雪村を睨み付けた。
「お前なんぞにお兄さん呼ばわりされる謂れはない」
 そう冷たく言い渡すと、渋谷兄は傘をテーブルに立て掛け、持っていたバックに手を突っ込み、徐にウェットティッシュを取り出した。そして2枚ほど抜くと、弟にそれをずい、と差し出した。
「手が汚れてる。拭け」
 え? と、有利が自分の両手の平をじっと見る。
「いいから、さっさと拭け!」
 無理矢理ティッシュを持たされて、首を傾げながらも有利は両手を拭き始めた。
 両手。
 はた、と雪村は気づいた。その手は、ついさっきまで、自分がこの手で包み込む様に……。
 思わず視線を向けると、やはり。渋谷兄が、横目で自分を睨んでいる。
 ついでに言うなら、有利の肩ごしに見える委員長も、興味津々ところか、まるで獲物を前に舌舐めずりする牝豹の様に目を輝かせ、こちらをじっと見つめている。おそらく周囲を固める一同も、似たようなものなのだろう。
「帰るぞ」
「え、あ、うん。……でも、勝利、あの……」
 困った様に、有利がちらちらと雪村を見ている。瞳がどこか、申し訳なさそうな光を宿している。
 ………ここは僕が引くべきだよな。しつこくしない方が、絶対好感度上がると思うし……。
 失恋を覚悟していた割には未練がましい計算を立て、雪村は心の中で頷いた。
「渋谷君、今日はホントにありがとうな? おかげで助かったよ」
「…え? あ、そか…?」
「うん。だから、あの……」
 またね。そう軽く言おう。今なら、きっと有利も「またな」と返してくれそうな気がする。
 しかし。

 偶然とか必然とか運命とか。こいつらは本当に人の足を引っ掛けて、ころころ転がすのが大好きなのだ。

「しっぶや〜! 待たせてゴメーン!」
 いきなりの、どこか脳天気な声が、その異様な雰囲気に塗り固められた空間に割り込んできた。
「………ム、ムラ……?」

 渋谷有利の「親友」村田健が、満面の笑顔でそこに立っていた。

「むっ、村田ぁ?」
「ムラケン?」
「村田健、くん…?」
「「「村田健!?」」」

 渋谷と渋谷兄と雪村と、そしてなぜかそれ以外のかん高い声が、一斉にその場に湧き上がった。
 渋谷兄が、「え?」と眉を顰めて周囲に顔を巡らせる。そそくさと顔を背ける某集団。
「村田、どうし……」
「何言ってンだよ。ゴメン、待たせて。やっと用事が終わってさ。さ? 行こうか?」

「「ちょっと待った!」」

 そんなハズはない。有利と村田が、ここで待ち合わせてるはずがない。
 子猫の引き取り手が決まって、よかったよかったと通りに出て、お祝しようと有利が言い出して、最初にたまたま見つけて入ったのがこの店なのだ。
 まるで有利を横からひったくろうとするかの様に現れた村田健に、さすがの雪村も目を釣り上げた。隣では渋谷兄も、怒気を露にして闖入者を睨み付けている。
「やあ、お兄さん。今お帰りですか?」
「お前にお兄さんとよ……」
「大学生はおヒマで遊ぶ時間がたっぷりあっていいですねー。早く僕もそういう暇を享受してみたいもんですよ。今日はコンパですか? あ、合コン? じゃなくて、ギャルゲー野郎のオフ会かな?」
「おま…っ」
「お兄さんは将来町内会長就任を狙っているとか聞きましたけど」
「俺は東京都知……」
「身辺はきれいにしとかなきゃいけませんね。選挙当選当日に『こんなすばらしいサイトを運営していた貴方が当選できて、私はとっても嬉しいです』ってサイト内容を公開された日には、そりゃもう楽しい事がいっぱい起こりますもんねー。というワケで渋谷?」
 ううっと仰け反る渋谷兄を置き去りに、村田はにっこりと有利に視線を戻した。有利は呆気に取られた顔で、親友を見つめている。
「今日あたり。ね?」
 ただその一言と、妙に器用なウィンクで、有利は大きな瞳を更に大きく見開いた。
 一瞬で。本当にもう、ただの一瞬で。
 人の顔が、こうも歓喜に輝くのを、雪村は初めて見た、と思った。
「そか。そうか。うん! そうだったなっ!!」
 高揚した声で叫ぶと、有利は傍らに置いてあったビニール袋をつかみ取り、兄の胸に押し付けた。
「俺、村田と約束してたから! 今日、泊るから! これ、おふくろに渡しといてっ!」
 行くぞ、村田!!
 もう何も見えないという様子で、有利が駆け出した。
「有利!」
「しっ、渋谷くん…っ!?」
「そういうコトですから」
 ただ1人、冷静に微笑む村田が、彼らに向かって軽く手を振った。
「お兄さんも、バスケ部の君も、それから……」顔を禁煙コーナー全体に巡らせて。「委員長さんや君たちも、こんな時間までどうもお疲れさま。じゃ、お先に失礼」
 そしてくるりと彼らに背を向けて、何事もなかったかの様にすたすたと歩き始めた……。

 雪村、渋谷兄、加えて女子一同が、呆然とその場に残された。
「……一体……」
 何なんだ、と渋谷兄が憮然と呟いた。雪村はあまりの展開に、ただ大きくため息をついた。その時。

 ハンバーガー屋の自動ドアが開き、外から凄い勢いで誰かが駆け込んできた。そして、カウンターを無視して、まっすぐ彼らの元にやってくる。……有利だった。今出ていったばかりなのに、戻ってきたのだ。
「ごっ、ごめん! 俺、何も言わずに行っちゃって……」
 はあ、と大きく息をつくと、有利は他の誰でもない、雪村を見て口を開いた。
「今日、ホントにお疲れ様! 無事に解決して俺もすっごく嬉しかった。いい土産話ができたって思ってさ! それと、えーと、まあとにかく……またなっ、サナダ!」
 それだけ早口に言うと、有利はにこっと笑顔を浮かべ、そしてまた勢い良く振り返ると、そのまま走って店を出ていった。
「…ったく! 待て、こら、有利!」
 渋谷兄が、後を追って駆け出していく。


「村田健の存在は、まあ無視するとして」
委員長が、分析を開始する。
「本当にすばらしい夜でしたね。驚くべき情報が、これほど一気に集まるとは」
「まさか外国人だったなんて。それも相当期待できる人物像でしたね? 司令官!」
「ええ、本当に。でもそれだけじゃありません。渋谷君の、あの切実な悩みといい、何より!」
 委員長が拳を握って天を仰ぐ。
「美形の兄! それも、かなりのブラコン! 弟大事の余り、世の常識に背を向けて、寄り付く虫をことごとく排除しようとするあの態度! あの殺気! あの迫力!」
「村田健には負けてましたけど」
「………は、置いといて! 実に理想的なファクターです! 注視すべき存在がこうも増えるとは、全くもって喜ばしい事態です。……皆さんっ!」
 感動に顔を輝かせる委員長が、同士をぐるりと見回す。
「私たちの神は、常に私たちの味方です!!」
 おおっ! と、女子一同が唱和する。団結心と同士ならではの一体感が、彼女達の精神を一気に盛り上げていた。

 ………この女達を喜ばせる神って、一体どんなんだ……?
「その日がきた暁には、皆で合同誌の発行を……!」と、何やら不穏な将来計画をぶち上げる女子を背に、雪村は出口に向かって歩き始めた。
 店の中では、「何だ、あれ?」「あんまり見るな、アブないから」「宗教の人……?」といった囁きがあちこちで交わされている。
「ありがとう、ございましたー」という、妙に弱々しい声に送られて、雪村は外に出た。
 雨が。止んでいる。
 店の前で空を見上げ。雪村は、ほうっと息を吐き出した。雲が厚いのか、真っ暗な天空には一つの星も見えない。

「あのさあ、渋谷君……」
 天を仰いだまま、雪村は呟いた。

 ………君から貰えた言葉は、ものすごく嬉しかったんだけど。

「僕はサナダじゃないんだよ……?」

 正面を向いた途端、くしゅっ、と一つ、くしゃみが出た。
 



プラウザよりお戻り下さい。


猫づいてます……。

長編病のリハビリで、軽く書くはずが、なにゆえ前後編に。
今回の雪村君、とってもまともです。壊れてません。
いつもの「友」シリーズにしては、ちょこっと違ってます。
だから、「幕間」
ホントの続きはまたいずれ。

ここまで読んで下さって、ありがとうございました。