「……………笑いたきゃ、笑えよっ!!」 呆然と立ち尽くすクラスメート一同に向かって、顔を真っ赤ッかに染めた渋谷有利が吠えた。 「……笑えるか……?」 「…なわきゃねーだろ……」 「想像はしてたつもりだったけど………想定の範囲外、だった……」 「私、絶対渋谷君とつき合ったりしないわ」 「……あたしも」 「渋谷君の彼女になんかなったりしたら……自分が可哀想過ぎるモンね……」 魂を半ば飛ばしたような声が聞こえてくる中で、ただ委員長だけがほくそ笑んでいた。 「……思っていた通りでした…。見事な芸です、渋谷君」 委員長にとっては、可愛いのも芸の内、らしい。 『新しい世界に向けてレッツゴー集会』。 聞けば聞く程恥ずかしいネーミングの予餞会当日。 教室には、早くも着替えとメイクを終えた、渋谷有利扮する白雪姫が姿を現していた。 目に痛いショッキングピンクのドレス。レースやフリルをふんだんにちりばめ、裾を長く引いたそのシルエットは、とても野球で鍛えた少年のものとは思えない、ほっそりと華奢なラインを際立たせている。 鬘は漆黒のロングヘア。それが、大きなリボンやアクセサリーを使って結い上げられ、艶々しく腰まで伸びている。そして。 舞台用に少しだけ濃いめにメイクされたその顔は、生来の純真無垢な愛らしさをさらに強調して、そんじょそこらのアイドルなんぞ、裸足で逃げ出すどころか、素っ裸で投身自殺(?)しそうなほど、麗々しさに光り輝いていた。 隣ではメイク担当の女子が、いい仕事をしたとばかりに、流れてもいない額の汗を拭っている。 その、例えようもないほど愛らしく、美しく、可憐な姿の少年は、恥ずかしさと情けなさに顔を真っ赤に染め、うーうー唸りながら友人達を睨み付けていた。……その拗ねたような目つきがまた、可愛らしさに拍車を掛けているとは、当の本人だけが全く気がついていない。 「さ、少し早いですが、出演者控え室に移動しましょう」 「えー!? もうかよ? だってまだ校長の挨拶だって始まってねーだろ!?」 その証拠に、これから体育館に向かおうという生徒達で、教室の外が騒がしい。 「やだぞ。こんなこっ恥ずかしーかっこ、じろじろ見られたらみっともねーじゃん!?」 もちろんそれが狙いだ。 でなければ、こんな早くから着替えだのメイクだのさせるはずがない。どうやら有利は、王子や小人役の女子が、まだ制服姿でいる事の意味に全く気がついていないらしい。 こんなに鈍くちゃ、いつかきっと悪いヤツに騙されてしまう。 友を思い、男子一同は物陰でそっと(女子に見つからないように)深いため息をついた。 うお。うあ。きゃあ。なんとー。 様々な形に口を開いた生徒達が、それまでの動きの途中、歩いたり、お喋りをしたりという形のままで固まって、瞬きもせずに一ケ所を見つめていた。 廊下を、銀縁メガネの、妙に偉そうに胸を張った女子を先頭に、1年生の集団が歩いている。 その集団の真ん中に、護られるように、「お姫様」がいた。 「……誰? あれ……?」 彼らが過ぎてから、目が覚めたように囁きが交わされる。 「渋谷君よ、ほら、あの……」 「うそー、男子なのーっ!?」 「………何で女じゃねーんだよー…」 「…俺……あんな可愛いなら、男でもいいかも……」 「………………………俺も」 「何だ、お前達、こんな早く……うっ」 真正面から歩いて来たのは、彼らのクラスの担任教師だ。 にこやかにやってきたものの、有利を一目見た瞬間、衝撃を受けたように仰け反ってしまった。と、なぜか口元を覆うと、バッと勢いよく顔を背け、廊下の窓枠に縋り付いた。…身体が震えている。 ぶすくれた有利が、教師の背後から、がう、と噛み付いた。 「…我慢すんじゃねーよっ。笑いたきゃ笑っていーつってんの! 別に教育委員会に人権侵害とかって訴えたりしねーから!」 違う。 今、担任教師、27歳独身恋人なし、担当は化学、は、教師としての自覚と誇り、生徒を思う情熱と責任感、そして独身男の孤独と欲望と欲情、とが内部でぶつかりあい、せめぎあい、それぞれが激しく自己主張し……つまりは、自分を一気に襲ってきた内心の葛藤に悶え苦しんでいるのだ。 「放っときましょう」 頭を抱え、声にならない絶叫を放っている教師を捨てて、彼らは「社交界デビューのお披露目」、もしくは「花魁のお練り」を再開した。 話を聞きつけた生徒達、そして教師達が、続々と廊下に集まって来ていた。 ほとんどアイドル芸能人に送るような熱い眼差しを、全員がその目に浮かべている。だが、その視線を一身に集めている有利は、恥ずかしいのか目を伏せて、皆がどんな目で自分を見ているのか全く分かっていない有り様だ。 ほんのり頬を染めて目を伏せた姿は、儚さを感じさせる程に愛らしく、震い付きたい衝動を抑えるのに必死な者も、1人や2人ではなかった。 「…思った以上の出来です。後はクライマックスに向けて一直線ですね」 くっくっく。 悪の秘密結社の女幹部改め、女司令官がほくそ笑んだ。 出演者控え室という名の特別教室で、彼らはその時を待っていた。 「………なー、委員長。これ、裾切っちゃダメかあ? もお、転びそうなんだよな。さっきも何度も踏んづけてさー」 「……………気合いと根性ですよ、渋谷君。想像してみるんです。今ここに、あなたの恋人がいたとしたら!」 「……なっ、なにーっ!?…」 「ドレスの裾を踏んづけて、みっともなく転んだ姿なんて見せたくないでしょう? だからここはしっかりお腹に力を……」 「そっ、そんなっ」ユーリが顔を、これまで以上に真っ赤に染めて叫んだ。「こんな恥ずかしーかっこ! コココ、コンラッドにっ、見られたりっ、したらっ。あっあっあのっ、目でっ、見つめられたりしたらっ、おっ、俺もう死んじまうかもしんない……っ。いやっ! でもまだ恋人じゃないしっ! てかっ」 何口走ってンだっ、俺ーっ! 有利が頭を抱えてぶんぶん首を振る。ストレートのロングヘアが、必殺の武器となって空間を鋭く薙ぎ払う。側にいた男子一同が、身体を仰け反らせつつ避難した。 友よ。お前は何ておバカなんだ。こっちが何にもしないのに、自分からぽろぽろバラしてどーする? ああ、女子達の、この猟犬の様な眼差し。舌舐めずりしそうな、満足げな笑み。 取り乱す友人を横目に、男子は思わず哀れみの涙を目に浮かべていた。 興奮してさんざん暴れた有利は、ぜーぜーと、しばらく肩で息をしていたが、やがて涙目で周囲を見回した。 「……おれ……今、ヘンなコト、口走っちまったけど、わ…忘れてくれな……」 両手でドレスを握りしめて、上目遣いでみつめてくるその姿。 可愛い過ぎるゾ、渋谷ーっ! 「さっきから、何やってるんです、渋谷君? 急に叫びだしたりして。何を言おうとしてたのか、全然分かりませんでしたが」 末は詐欺師か政治家か、しれっとした委員長の言葉に、有利がホッと息を付いた。安堵したように肩がかくん、と落ちる。 「…い、いやあ、何でもないんだ、委員長。…だよな、そーだよなっ。あはは、ごめん、ワケ分かないコト叫んじゃって」 あははー、と頭を掻く有利に、女子数人が、乱れた髪を直そうとやってくる。気が抜けたらしく、されるがままになっている有利から離れたところで、委員長を始めとした数人がガッツポーズを決めていた。 「……コンラッドさん、だそうですよ、皆さん!」 「私たちは着々と目的に近づいていますねっ。努力が報われつつあります!」 「他校の同志の皆さんは」 「すでに配置についていらっしゃいます。それらしい男性が現れたら、すぐに連絡が」 「よろしい。では……」 その時。何故か教室の扉がノックされた。 皆の視線が集まる中で、どこかおずおずとそれが開かれる。 「……あのー、すみません……、っ! 渋谷君……!」 「…………あれ?」 声を掛けられた有利が、きょとんと首を傾げた。 「……お前、サナダじゃん!」 「…………雪村君」 すっかり存在を忘れられていたバスケ選手が、両手に真っ赤なバラの花束を持って、教室に入るやいなや有利に向かって突進して行った。 「しっ、渋谷君っ………なんて……綺麗なんだ………!」 最後の言葉は、ほとんどため息と一緒に口から漏れた。 「何で他校のヤツがここにいんだよ!? てか、何だその花はっ?」 そう問われた雪村は、両手いっぱいの花束をずいっと有利に差し出した。 「今日のヒロインに!」 「へ?」 勢いに負けて思わず受け取ってしまってから、有利はきょとんと首を傾げた。 あどけないと言っていい程の愛らしさをしっかりと目に焼きつけて、雪村は身体を引き剥がすように踵を返した。そしてこれまた突進する勢いで、委員長の下に走る。呆気に取られて見送る有利と男子一同。 「……ありがとうございます! 今日、こんなすごい舞台を俺に用意してくれて……!」 「え? えー、あ、ああ、まあ……」 そう言えばと、委員長は傍らの書記官とそっと視線を合わせた。有利の余りの出来栄のよさに、すっかり補欠の存在を忘れていた。 「あの、俺、どうしてればいいですか?」 「……え?」 「いや、王子として舞台に上がるんでしょう? 衣装とか着替えたりしなきゃいけないんじゃ…」 「あ、ああ、そうね……」 ……衣装はある。この日のために仕立てた、王子様の自慢の衣装だ。だが、それに袖を通して欲しいのは、雪村ではない。 「………えーと。体育館のライトが落とされて暗くなったら、そっと舞台下に隠れててくれるかしら。いざとなったら合図するから」 「はい、分かりました!」 実に聞き分けがいい。よほど気分が浮き立っているのだろう。 「……少々気が咎めますね。ああも信じていられると」 「大いなる目的のためには、小さな犠牲を惜しんではいけません」 神妙に頷きあう女子一同。………どの辺りが「大いなる」なのか、男子には永遠の謎だ。まあ、古今東西未だかつて、女心を理解できる男なぞ、1人として地上に現れたことはないのだけれど。 「……1年代表、準備お願いします」 進行係の生徒が、扉を開いて顔を覗かせた。 はい、という返事と共に、有利達は一斉に立ち上がった。そして、ドレスの裾を気に掛けながら、ゆっくりと彼らは教室を出て行った。 バラの花束と共にただ1人残されて、雪村はほうっと息をついた。 「……綺麗だったなあ……渋谷君……」 あの有利と手を握りあい、見つめあい、そして……。 生きててよかったっ!! 雪村は天に向かい、胸の中で感動の雄叫びを上げた。 誰もいない広い特別教室に、燦々と光が射す。 その時。 感動のままに立ち尽くす雪村の背を、つんつんと誰かが突ついた。 「………え? ……あ」 「やあ」 にこやかに手を上げて挨拶するのは、紛れもない村田健だ。 「これ、どうぞ」 受け取ったのは布の束。何やら目がちかちかする原色がちりばめられている。 「王子の衣装だよ」 「…これがっ?」 「そう。……ま、夢を見る権利は誰にでもあるしね。着替えなよ。それから舞台袖で待機ね」 出番があるかどうかは分からないけど。 「しっ、親切にありがとう! ……あれ? 舞台下に隠れるんじゃなかったっけ?」 「計画の変更なんて、よくあることさ。気にしないで」 にっこり笑って、じゃあねと手を振ると、村田はさっさと教室を出た。ちらりと振り返った先では、雪村がさっそく着替えている。 「……いいヤツなんだけどねー。まあ、恋した相手がまずかったというコトで、不運は諦めてもらおうか……。何といっても、あの女子に取り込まれたのが何よりの不運だよね。ホントに、いつから日本女性の性格がああも悪くなっちゃったのか……」 それにしても。村田は独りごちた。 あの衣装はひどいよねー。何だよ、あの原色カボチャパンツ。あんな悪趣味丸出しのシロモノを「彼」に着せて、渋谷の前に出したりしたら……。思わず、ぶぶっと吹き出す村田。 上様発動しちゃうかも。 ピンクのドレス姿の上様と、カボチャパンツ姿の某氏をついつい想像してしまった村田は、湧き上がる笑いを止める事ができず、しばらく廊下で苦しげに身を捩っていた。 ……可哀想なバスケ選手に衣装を押し付けたのは、ちょっと早まったかもしれない……。 おお、と声とも音ともつかない、感嘆の呻きが体育館を支配した。 暗い観客席とは別世界の舞台の上に、スポットライトを浴びた白雪姫が立っている。 ステージのすぐ下で、フラッシュがこれでもかと焚かれ、そこかしこでピッピッと電子音が響いた。 ……まるで墓場から蘇ろうとしてるゾンビみたいだ……。 有利は、フラッシュの眩しさに目を眇めながら、思わず呟いた。 薄暗がりの中、無数の腕が上に伸ばされた光景は、まさしくホラー映画の一場面。ただし、ゾンビは携帯だのデジカメだのを構えたりはしないだろう。 『……ああ、なんて深い森なのかしらー。足も痛いし、お腹も空いたわー』 「……………あの棒読みだけは、どうにもなりませんでした。渋谷君はアイドルにはなれても、女優にはなれませんね」 舞台袖に立つ委員長が断言する。いや、男だし。女優にはなりたくてもなれません。という突っ込みは、不思議な程にどこからも入らなかった。ただ頷く女子一同。 「セリフを全部覚えただけでもよしとしましょう。…ま、誰も劇なんか見ちゃいないでしょうし」 観客が見ているのは渋谷有利の艶姿だ。「白雪姫」ではない。 『……まー、あんなところに小さなお家がー。えっとー。わんえるでーけーくらいかしらー』 軽いお約束ギャグの反応を見ようと、有利がちらっと観客席に視線を送る。……不発。 心なし、がっかりと肩を落とす有利。 「そんなコト気にしないで、渋谷君、劇を進めて。…男子、セットを小人の家の内部に……」 「すごいっ! 今の渋谷君のギャグ! 『わんえるでーけー』だって! 白雪姫が『わんえるでーけー』!!」 わはは、という朗らかな笑いと共に、パチパチと拍手が舞台袖に響いた。 「…………あっ、あなた……雪村君っ!?」 いつの間に現れたのか、委員長の隣に雪村が立っていた。王子の衣装を身につけて! 「あ、似合います? これ。……ちょっと大きめなんですけど」 「ど、どうして、それ……っ!?」 「え? 村田君が持って来てくれたんですけど? 着替えて舞台袖に待機だって。ここでいいんですよね?」 「……む……村田健っ!!」 台本を取り落とし、仰け反り、固まる女子一同。男子もまた、呆然と、こちらは衣装のあまりのインパクトの強さと、それを笑みすら浮かべて着込んでいるバスケ選手の姿に衝撃を受けて、立ち尽くしていた。 雪村。お前って男は……。 騙されているとも知らないで。渋谷とラブシーンを演じられるなら、お前は笑っていられるのか。 笑って、そんな悪趣味丸出しの衣装だって着ることができるのか。 雪村、お前って。 渋谷に負けず劣らず、可哀想なやつ…っ。 同じ男として、憐憫の涙を禁じ得ない男子一同だった……。 『……あんなっ、ところにっ、ちーさなっ、おうちがーっ!』 ハッと気付くと、有利が必死で手を振りながら、こちらの注意を引いている。 「あ、しまった…!」 あのセリフと同時に、セットを一気に小人の家の内部に変える手はずだったのだ。 雪村ショックに全員が頭を真っ白にさせてしまい、すっかり劇の進行を忘れていた。 おそらくもう何度も同じセリフを口にしたのだろう、舞台を意味もなくぐるぐる周りながら、焦った有利が舞台袖に向かって、手をぶんぶんと振りたくっている。もうすでに芝居になっていない。 だが観客席からは、「渋谷君、がんばって−!」「かーわーいーいー」「こらーっ、姫を放っとくなーッ!」等々のエール(?)がひっきりなしに掛けられている。 「み、みんな、…えっと、とにかくセットを……!」 さすがに焦る委員長。 『…………あんなっ。ぜーぜー…。ところにーっ。……ちーさ………』って、うひゃあっ!!」 「「「……あっ」」」 闇雲に舞台上を歩き回っていたせいか、目測を誤ったためか、いきなり有利ががくん、とつんのめった。 長く後ろに引いたドレスの裾が、フットライトの角に引っ掛かっている。 それを外そうと、身体を捻りながら勢いよく裾をからげ……ようとして、思いきり踏んづけ、なのに身体の回転は止まらず、よって必然的に。 「うわっ、わっ、わっ!?」 「…危ないっ!!」 「落ちるっ」 「渋谷君!!」 有利の身体が、自ら作った遠心力に負けて、舞台の外に飛び出した。 悲鳴が上がる。 有利が舞台から落ちる。 「大丈夫ですか? ユーリ?」 最初に。 有利の脳裏に浮かんだ言葉は「ラッキー!」だった。 自分がどうなろうとしてたのか、よく分かっている。 ドレスの裾を、ものの見事に踏んづけて、ステージから転げ落ちたのだ。 でも助かった。 誰かが、受け止めてくれた。 誰か。が。 あれ。 有利は思った。いや、感じた。かもしれない。 今、自分を受け止めて、微塵も揺るがない力強い腕。その感触。 抱きとめられて、押し付ける頬が感じる胸の感触。そして香り。 そして。……あれ…? 「どこか捻りましたか? ユーリ? 聞こえてます?」 この。声。 ほとんど、反射的にスポットライトが動き、彼らを照らし出した。 不思議な沈黙が支配する体育館。 それすらも気付かないまま、有利はのろのろと頭を上げた。そして、自分をお姫さま抱っこしている人物の顔を。……見上げた。 「……………コン……ラッ、ド……?」 「はい、ユーリ。お久し振りです」 にっこりと。ここにいるはずのない人物が。笑った。 ウェラー卿コンラート。が。 「………俺。………いつの間にスタツア、してたの……?」 「ユーリはしてませんよ。スタツアしたのは俺です」 「………コンラッド…が……?」 あ、と、ユーリが自分を抱く男の姿にようやく気がついた。 見なれた軍服でもなく、城下をお忍びで歩く時の私服でもなく、彼が身に纏っているのは紛れもない地球の服装。……スーツ姿、だった。 それもお固いビジネススーツじゃない。ストライプの入ったハイネックのシャツに、厚手の布地の、カジュアルな香のするスーツ。ファッションには相当疎い有利にも、それがかなり仕立てのいい一品である事が見てて取れた。……滅茶苦茶、似合っている。まるでメンズ誌のトップグラビアを飾りそうな、超ド級のイケメンモデルか、事業に大成功した億万長者の若き実業家、といった感じだ。 「………コンラッド……すっげーかっこいーよ……」 「ありがとうございます。……ユーリも、信じられないくらい綺麗ですよ? 思わず見とれてしまいました」 「………………俺……?」 にこりと微笑んで、コンラートが頷く。 「……俺」 ふと、腕を上げてみる。膨らんだピンクの袖からのびる腕。視線を下ろす。どこもかしこもピンクピンクのフリルとレースと………。 「う」 有利の身体が、ぱきぱきぱきと固まる。 「うっぎゃあぁぁぁぁっ!!」 どうして地球にいるのかとか、何で学校にいるのかとか、イロイロ聞くべき事は山のようにあるはずなのに、その瞬間有利の頭は、ドレス姿をコンラートに見られたショックだけでいっぱいになっていた。 そして体育館では。 声にならないため息が、一斉に吐き出されていた。 スポットライトを浴びて、美貌の姫君を抱くおそらくは外国籍の男性。それも、ハリウッド俳優張りのいい男。 「………なあ……。男同士で気持ちわりーとか……思うか? アレ、見てて、さあ……」 「思わねー……。てか、すげー似合ってる……。なんかもう、いいのか、あんな絵に描いたような美男美女で……」 「いや、美女じゃねーから……」 魂が抜けたような顔で、男子が言葉を交わしている。 そして女子は。 すでに全員が舞台に飛び出していた。 ステージ下でも、父兄席から3年生を押し退けて飛び出して来た一般人(?)も数多い。 ステージ上も観客席も、詰め掛けたほとんどの人々が立ち上がり、2人を見つめている。 「立てますか? ユーリ。……下ろしますよ?」 ぱっきぱきに固まったままのユーリを、コンラートはそっと下ろして立たせた。そしてぽんぽんと捩れたドレスを整え、髪をきれいに撫で付けた。……その間、有利は「うぎゃあ」の顔のまま、棒立ちになっている。 「はい、綺麗になりました。素敵ですよ、ユーリ。……こんな可愛い姿を、眞魔国人では俺だけが見る事を許されたなんて、光栄に思います。………改めまして、ユーリ。お久し振りです。こちらでこうしてお会いできて……嬉しいです」 これでもかと言う程爽やかな笑みを浮かべたまま、コンラートは自然な動作で有利の手を取った。そして優雅に一礼すると、高貴な姫君に対する完璧な作法で有利の指先に口づけた。 おおぉ……っ。 どよめきが体育館を揺るがす。 できない。 どんないい男が、どうがんばってみたとしても、日本人にこれはできない! 淑女に対する欧州貴族男性のこの礼法は、日本人のDNAに元から組み込まれてはいないのだ。 やってみせたって、失笑を買うのが精々だ。ご愛嬌と思ってもらえれば儲けもの。 だから。 これほどまでに完璧に美しくも麗しい挨拶を、よもや高校の体育館で直に目にする事になろうとは、誰1人として想像すらしていなかったのだ。 それは女子一同も同様だった。 もはや目の保養を越えている。 彼らの興奮度数は、すでにマックスを振り切っていた。 清々しい程に端正な顔立ち。深すぎず、濃すぎない、日本人(腐)女子の理想そのものの相貌。 そして何より、この笑顔っ! 「…………何てすてきなお方……っ!」 普段口数のやたらと多い女子一同が、ただうっとりと、感動に潤んだ瞳で映画よりも麗しいシーンを見つめていた。 一部幸福感に酔いしれている体育館で、有利は1人石化していた。 コンラートの笑顔が、目の前にある。 指先にキスされて、何がどうしたか理解する前に、本能が思考を放棄してしまった。 「……ユーリ……?」 さすがにおかしいと思ったコンラートが、有利の目の前で手をひらひらと閃かせた。 変化なし。 「美子さん」コンラートが、傍らの人物に視線を向けた。「ユーリが固まっちゃいましたが」 「あらまあ、ゆーちゃんったら」 いつからそこにいたのか、にこにこと実に楽しげに、美子が息子に歩み寄って行く。 「照れてるんですわ。もう、恥ずかしがりなんだから、ゆーちゃんてば。どうぞお気になさらないで下さいね」何故かここで言葉を切って、息を大きく吸う。「サー・ウェラー・コンラート」 「…サー…っ!?」 反応したのはコンラートではなく、舞台上にいた別の人物だった。 ステージをすさまじい勢いで移動すると、舞台の縁をがっしりと掴んで身を乗り出す。 「……あのっ、失礼致しますがっ、ああっ、私、渋谷君のクラスの委員長、あのっ、クラスリーダーを勤めておりますっ。あのっあのっ、あなた、様は、そのっ、ナイトの称号をお持ちの方でいらっしゃいますかっ!?」 「…………え、えーと……」 「サー・ウェラー、ウェラー卿は、正真正銘貴族の若君でいらっしゃいますのよ!」 美子が高らかに宣言した。地球の、とは言わないが。 「き、貴族!!」 ほおーっという、賛嘆と憧れが入り交じったため息が人々から漏れた。……貴族。日本で暮らす限り、手で触ってみる事も、舌で味わってみる事もできないシロモノだ。 「…コンラッド………コンラート……あの……?」 「コンラートが本名なんです。…呼びやすいと言う理由で、アメリカの友人達はコンラッドと呼びますが」 「そ、そうなんですか! ……あのっ、コンラート様 、の方が、貴族的で気品があるお名前のように感じますわ。あの…閣下…!」 「ありがとう」 ちょっとだけ照れくさげな、だが爽やかな笑みを返されて、委員長は衝撃を受けたように仰け反った。が、必死の力を振り絞って顔を正面に戻す。 人々の衝撃を受けた様子に深く頷いた美子は、何やらえらく鼻高々だった。 「宅の主人がアメリカに赴任しておりました時に、お知り合いになりましたの」 どこに向かって説明しているのかと言えば、なぜかPTAで顔見知りの奥様方の一団だ。いつの間にやら、美子とコンラートににじり寄っていたらしい。 エラいお方と知り合いになれば、その人までエラく見えてしまうのが日本人の哀しい性。おっほっほと口に手を当てて笑う美子を、奥様方の一団は羨望の眼差しで見つめている。 「……渋谷君、あなたの芸は完璧ですっ」 これほどの美形というだけですばらしいのに、まさか英国貴族と恋仲とはっ! ………誰もイギリス人だとは言っていない。 だが、乙女にとって、貴族といえばイギリスなのだ、いや違う、英国、なのだ。「貴族」といえば、「英国」。これが日本人少女の、夢と理想の方程式なのだ。 「…美子さん……ユーリが動いてくれませんが……」 「もうホントに気が小さいんだから、ゆーちゃんったらあ。しっかりしなさい。まだ劇は終わってないわよ。というか、これからでしょー? ……ホントにごめんなさいね」 有利の母親に謝られて、委員長はぶんぶんと頭を振った。 「いいえっ! どうぞ気になさらないで下さい! あっ、よろしければそのままお持ち帰りになっても……っ!」 「………でも、劇は?」 「大丈夫ですっ。全く完璧にノープロブレムっ!」 白雪姫がリタイアしても成り立つらしい「白雪姫」。 美子とコンラートは、叩けば音が出そうな程カチンコチンに固まった有利の様子を確かめ、それからしばしひそひそと相談を始めた。やがて揃って大きく頷く2人。 「では、遠慮なく」 すっと間を詰めたかと思うと、コンラートが軽々と有利を抱き上げた。再びのご披露、正真正銘のお姫さま抱っこ。 なぜか湧き上がる満場の拍手。そして喝采。 「…さて」 ずっとスポットライトがあたっていて、周囲は明るいが他は余計に暗く見える。どう足を踏み出そうかと一瞬迷ったコンラートの前に、初老の男が飛び出して来た。 「……あ、あああ、あのっ、こちらへどうぞ! ささ、ずいっとこちらへっ、私めがご案内致しますです!」 「……………校長先生……」 何がどうしてこうなったのかはよく分からない。だが! 校長は胸の奥で考えを巡らしていた。 分からないが、しかし! 貴族だというから、この外国人はとっても偉いのだ。だったら日本の偉い人ともお知り合いかもしれない。教育長とか。県知事とか。もしかしたら大臣とか。もしかしたらもしかしたら、もっともっと上の……。 ここで私の顔と名前を覚えて頂いて損はない! ………この気配りが後々の出世に繋がるのだ。 出遅れて地団駄踏む教頭を横目で見つつ、校長はほくそ笑んだ。 目指すは校長室。上等の紅茶とケーキを用意せねばなるまい……。 生徒達、そして教師や父兄が人垣をなして見送る間を、小腰を屈めて先導する校長と有利を抱くコンラート、そして満面の笑顔を振りまく美子が続いてゆっくりと歩いて行く。スポットライトが彼らを追う。 フラッシュが焚かれ、携帯がずいずいと前に掲げられた。そしてひっきりなしに拍手と、「きゃあ、コンラート様ぁ」「こっち向いて下さーい」「お似合いですー」「お幸せにー!」といった声が掛けられている。……一部、バージンロードと勘違いしている向きがうかがえる。 「うーん、ペンライトを用意しておかなかったのは不覚だったねー」 舞台の上で腕を組み、友人一同を見送った村田健が重々しい口調でそう言った。彼の足元には、涙目で呆然とした顔の原色カボチャパンツ王子様がへたり込んでいる。 「あなたには感謝してます、村田君」 掛けられた声に横を向くと、ほんの少し離れた場所に、委員長がすっくと胸を張って立っていた。 一時の忘我の状態からは抜け出したらしいが、瞳は異様に煌めいている。 「皆さん!!」 今だざわめく体育館に、女子生徒の声が響いた。皆の視線が一斉にステージ上に走る。 舞台の上には、委員長が腰に手を当て、いかにも堂々と仁王立ちしていた。 「皆さん! 今、私たちは実にすばらしい方にお会いできました。そしてすばらしい光景を目にする事ができました! ここで私、皆さんにお知らせしたい事があります! 私は本日ただ今っ」 委員長が、ぐるりと体育館を見渡し、力強く握った拳を振り上げた。 「ウェラー卿コンラート様ファンクラブ、別名『コンラート様と渋谷有利君の秘めた恋を応援しようじゃない会』を結成することを決意いたしましたっ!!」 おおっ、と体育館にこの日何度目かのどよめきが巻き起こった。 「会の主旨はっ。もちろんウェラー卿コンラート様をお慕い申し上げる事ではありますがっ、それだけではなく! コンラート様と、たまたま同性に生まれてしまったが故に! 道ならぬ恋となってしまった渋谷君の想い、誰に知られることもなく、胸に秘められた恋心と、哀しみと苦しみを理解しっ」 誰もが知ってる「誰にも知られていない恋心」は、矛盾しないらしい。 「……禁断の恋人同志と後ろ指さす事なく、暖かな眼差しで、愛を育む2人の様子を見物…もといっ、観察、じゃなくっ、見守りっ、そして影に日向に応援することですっ! なおっ」 委員長の振り上げた腕が、ビシッと村田に向けられた。 「当会名誉顧問には、全国模試連続第1位、日本一頭のいい高校生にして渋谷君の親友、村田健君が就任致します!」 「…………………………………あ、どもー。名誉顧問の村田でーす。よろしくー」 「ではっ。ご賛同頂けます方の挙手を求めますっ!!」 勢いに負けたのか、それともすっかりその気になってしまったのか、観客達が一斉に手を上げた。制服の袖がほとんどだが、一部女子でないのも混じっている。もちろん、私服も数多い。 よろしい。委員長はにっこりと笑った。 「では」 目で合図すると、舞台袖から「司令の書記官」がバインダー片手にすいと姿を現した。 「参加希望者はこの後彼女に申し出て下さい。会費は月額千円。これは年最低2回発行する予定の会誌、及び年2回から4回のイベント参加費用、そしてサイトの設立管理運営及びオフ会の経費等に当てられます。メールマガジンは登録無料。希望者はメールアドレスの記入をお忘れなく。会誌はコンラート様と渋谷君に関するエッセイ、小説、イラスト、マンガ等、会員皆様の投稿によって作られますので、ご協力をお願い致します。印刷はオフセット。データ入稿も可とします。ただし締め切り厳守。なお、イベントで売り子ができる方はその旨事前にお申し出下さい。金銭感覚のきちんとした方を希望致します。また……」 ファンクラブなんて、久し振りだわ。 その女性はせっせとメモをとりながら、十数年ぶりに訪れた胸の高鳴りに頬を紅潮させていた。 ウチの学校の生徒が、あんなすてきな男性と………。 英国貴族男性と日本人高校生の秘めた恋。………ああ、萌えるっ! もう人目を忍んで変装して、アノ本を買いに行かなくてもいいんだわ!! それにしてもあのハゲ! コンラート様とお近づきになれる機会を邪魔してっ。 でもいいわ。ファンクラブに入れば、きっといつかお話できるかも……。 幸福感に酔いしれる女性教頭、だった。 「……実に充実した一日でした! では皆さん!」 スポットライトを一身に浴びて気後れ一つしない委員長が、さらに聴衆に呼び掛けた。 「今日というこの日に感謝の気持ちを込めて、一本締めでキメたいと思います!………よろしいですか? よろしいですね? では皆さん、お手を拝借!」 ざっと、全員が構える気配。 「よーおっ!」 ぱんっ!! 「ありがとうございましたーっ!!」 『新しい世界に向けてレッツゴー集会』。 これにて無事終了。 プラウザよりお戻り下さい。
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