ぬくもりを確かめさせて

 朝。
 四番目覚し鳥が啼く前に、ウェラー卿コンラートは主の部屋を訪れた。

 ウェラー卿がシマロンから帰国して、今日でちょうど一週間。

 長い任務で疲れているのだからと、主から与えられた休暇を辞退して、彼はその翌日から血盟城内での任務に復帰した。親しんだ、そして懐かしい護衛の仕事に。
 まだ夜の明け切らない部屋は薄暗く、だがウェラー卿は確かな足取りでベッドーほんのちょっと前まで、自分の身を横たえていたーに近づいた。あって当然の場所にある、人の形をしたシーツの盛り上がりをすっぱり無視して、ぐるりとベッドを回る。そして迷わず、枕のある場所とは正反対の、それも隅の方のシーツをそっと捲った。
「…ちょっと身支度に出てただけなのに、どうしてここまで動くかな?」
 小さくクス、と笑う。
 巨大なベッドの角の隅っこに、彼の最愛の主がちんまりと丸くなって眠っていた。
「陛下、朝ですよ」
 耳元で囁く。本当は声を潜める配慮も必要もないのだが(眠っている約一名は、怒鳴り付けても目を覚まさない)、主の、子供らしい体温や、ふわと登る香りを感じることが、ウェラー卿コンラートのこの上ない朝の楽しみだった。一歩間違えると変質者になるので、絶対口には出さないが。だが。

 ……これが欲しかった。狂うかと思う程。ここに帰りたかった。………………帰ってきた……。

 こうして主の存在を確認するたび、胸が温もりでいっぱいになる。
「陛下? 四番目覚し鳥が啼いてしまいますよ?」
 んー、と可愛い寝ぼけ声を出して、主の身体がもぞもぞと動く。……動いて、シーツの奥にすりすりと潜っていった。
 丸くなったまま、寝床の温もりの中に戻ろうとする姿は何か別の小動物のようで、それはもう愛らしい。とはいえ、そのまま笑って見送る訳にもいかないので、コンラートは更にシーツを捲った。
「陛下。ロードワーク、行きましょう? 今日もいい天気になりそうですよ?」
 んー。すりすり。
 夜更かしはさせてないよな? 思いつつ、コンラートは身を乗り出して更にシーツを……。
 すりす……ずずずずずずっっ。寝惚けているとは到底思えない素早さで、少年の身体がシーツの奥に消える。そして、丸くなった形のまま、ぴたっと動きを止めて。そして。そして………コンラートの次の出方を待っている。
「へ……」
 コンラートは小さく息をつき、そして微笑んだ。
「ユーリ、もう朝だよ。起きよう?」
 と。しゃわしゃわしゃわっとシーツが波打ち、そこからぴょこんと顔だけが現れた。

「おはよ。名付け親」
「おはよう。ユーリ」

 えへへ。とユーリが笑っている。いや、にやけている。
「どうしました?」
 ユーリのジャージのチャックを上げてやりながら、コンラートが尋ねた。
「やっぱ、コンラッドはそのかっこが絶対似合うな」
「そうですか?」
 コンラートの声に笑いが含まれる。彼が今着ているのは、ユーリが最初からみて馴染んでいる、カーキ色の軍服だ。
「うん! 絶対こっちのがいい」
 えへへ。またユーリの顔が崩れた。そして腕をのばすと、コンラートの肩や袖に手を滑らせる。
「コンラッドだー」
 蕩けるような声で言うと、コンラートの腕だの胸だのをぺたぺたと触っていく。顔は崩れたままだ。
 だからコンラートも、そっと手をのばして、ユーリの頬を包んだ。
 両手の平に、少し高めの温もりが伝わる。
「ユーリはいつも可愛いね」
「コンラッドはいつもかっこいーよ」
 猫の子一匹入り込めない空気が、二人を包み込んでいた。

 だから。ヴォルフラムはベッドの中で、目を覚ましてしまったうかつな自分に、呪いの言葉を吐き続けていた。
 本当なら、ここから飛び出して行って、ムリヤリでもあの二人を引き裂きたい。
 婚約者がいる場所で何をやっているのかと、この尻軽と、いつも通りに怒鳴り付けたい。しかし。
 それは今、できない、いや、絶対にしてはならないのだ。


「つまりは、そういうことだ……」
 呟いたのは、近頃ユーリにもれなく付いてくる大賢者だ。
「何だ?」
「彼のここ二、三日の行動について」
「それは…」
 午後のお茶の時間。その時、魔王の側近だけが使う談話室にいたのは、宰相フォンヴォルテール卿、王左フォンクライスト卿、ウェラー卿、フォンビーレフェルト卿、ギーゼラ、そして大賢者村田健、だった。
 魔王ユーリは眠気を訴えて、自室に戻っている。ウェラー卿は、主が寝付くのを見届けてからここに戻ってきた。必ず戻る様に言ったのは村田だ。

 最初に気づいたのは、誰だっただろう?
 コンラートが帰国したその夜、状況が状況だけに大げさな歓迎パーティーこそ開かれなかったものの、身近な人々が集まって、彼の無事を祝う小さな、そして静かな宴が開かれた。そして興奮し過ぎて疲れ果てた魔王がついに寝室に去り、やがて友人達も去った深夜、前魔王の三兄弟は、なんと生まれて初めて「兄弟揃って酒を酌み交わす」一時を過ごした。コンラートがぽつりぽつりと大シマロンでの思い出話を聞かせる内、当初あった微妙な緊張は解れ、意外と話が弾んでしまった。最後には酔ったヴォルフラムが「どれだけ心配したかっ!!」と兄の胸ぐらを掴んで泣き出したのだが、それもまあ後からほのぼのいい思い出になるだろう。約一名を除いて。そして……。
 翌朝から、コンラートにとって、胸が痛む程懐かしい日常が戻ってきた。
 ユーリを起こす。いつも通り「陛下」と呼ぶ。ユーリが訂正を求める。朝の儀式のような、楽しいやり取りが再開される。だがすぐに、コンラートの中に妙な違和感が生まれた。
 ベッドの上に起き上がったユーリが、腕を大きくあげたのだ。いわゆる「万歳」のポーズ。
「…? ユーリ?」
「着替えさせて?」
 意外な態度に、コンラートは目を瞠いた。ユーリらしくない。だがすぐに、久し振りだから甘えてみせているのだと思い直した。見ればユーリは可愛らしく小首を傾げ、にこにこと笑っている。面白がって、わざと子供っぽく振る舞っているのかと思いつき、コンラートはそれにつき合うことにした。
「ようし、じゃあ、パジャマ脱ごうね?」
「うん!」
 どこまで続けるのだろうとふと考えたものの、着替えを終えロードワークに出て走り出した途端、コンラートはそれを忘れた。
 だが、ユーリの妙な態度は終わらなかった。

「コンラッド、手!」
 ユーリが振り返り、手を延ばしてくる。
「ユーリ、皆見てるよ?」
 ここは城の通路だ。それも人の少ない奥ではない。魔王とその側近を通すため、通路脇には多くの者が頭を垂れて控えている。頭が下がっているからといって、見ていない訳ではない。
「いーじゃん! ほらっ」
 苦笑というより、困惑するコンラートの様子にぷっと頬を膨らませ、それでも延ばした手を引っ込めようとしない。

 その時だけではなかった。ユーリはコンラッドが帰ってきた翌日から、常にコンラッドに触れていようとした。一番多いのは、手を繋ぐことだ。でなければ、コンラッドの袖や服の裾を掴んで放さないこと。誰が見ていようが、ヴォルフが怒鳴ろうが、驚く程意に介さなかった。三日目からは、ロードワークの時でさえ手を繋ごうとした。
 そんなユーリの態度に、とまどったのはコンラートだけではない。

「ね、コンラッド、サンドイッチ食べたい」
 村田も含め、皆そろっての朝食時、ユーリがいきなり食パンを二枚、コンラートに突き出して言った。
「…サンドイッチ、ですか?」
「さんどいっちとは何だっ!? 分らない言葉を使うな!」
 自他共に認める嫉妬深い美少年が、低血圧とは掛け離れた声を上げる。が、愛しあっているはずの婚約者はそれをきれいさっぱり無視した。
「コンラッド、サンドイッチ作って!」
「……何を挟みますか? レタスと玉ねぎとにんじん……」
「青色にんじんはヤ。オムレツがいい。…あ、トマトもヤ。ベーコンとハム!」
「野菜を入れないといけませんよ? ベーコンとハムはどちらか一つで……、その代わりポテトを挟みましょうか。………でもちょっと厚くなっちゃいましたね」
「いい! あーん」
 え? と、少々あっけにとられてその様子を見ていた全員が、ユーリに注目する。コンラッドも即席サンドイッチを手に、驚いた様に隣のユーリを見た。
 身体ごとコンラッドの方を向いて、ユーリは大きく口を開けて待っていた。ひな鳥モードだ。
 なかなかサンドイッチが入ってこないので、イラついたのか、口を閉じたユーリがごねるように身体を揺らした。
「何してんだよ、コンラッド! ほらっ、あーん」
「……あ、ああ、すみません…」
 口元に分厚いサンドイッチを近付けてやると、ぱふんとユーリの口が閉じ、大きな欠片が齧りとられた。顔中でもっくもっくと満足げに咀嚼し始める。そしてお約束通りに喉を詰まらせた主にお茶を飲ませ、背中を撫でてやりながら、コンラートは不安げな表情で周りを見回した。
 すでに自分の食事も忘れて、同席した一同は呆然とユーリの様子を見つめていた。そしてどの顔も困惑を隠していなかった。興奮して然るべきヴォルフラムも、怒りより驚きと不安の方が大きいらしい。
 その中で村田だけが、厳しい表情を崩さなかった。


 嬉しいのだと思っていた。
 信じて信じて、何度も心身共の危機に陥りながら、それでも信じて待っていた人が帰ってきて。その不在の穴を埋めようと、思いきり甘えてみせているのだと。
 最初の一日二日は、それでも微笑ましい目で見ていられたのだ。だが、三日目、四日目、妙に舌足らずな物言いがはっきりと目立つ様になり、それにつれ、コンラートに対するユーリの行動がエスカレートするに至ってー食事は全て食べさせてくれとねだり、風呂に入れば、一緒に入ろう、身体を洗ってくれとねだり、添い寝をねだり、ベッドの中で「毒女」を読んでくれとねだり、怖いからと首に縋りついて離れずーそれは不安となって、ユーリを見守る人を脅かし始めた。
 そして五日目。


 談話室に、ギーゼラを交えて全員が揃っている。
「ギーゼラとも色々話し合ったんだけどね。まあ、大体の結論が出たよ」
 大賢者の言葉に、緊張が走る。
「……それはやはり、陛下の御心に、その、なんと申しますか、恐れ多い事ながら………」
 どう言葉を選べばいいのかと、ギュンターの視線が落ち着かない。
「いわゆる『子供返り』だね。彼の場合『幼児返り』だな」
 は? と目を見開く一同。
「何だ、それは? 分かる様に言えっ!」
「今から言おうと思ってるんだから邪魔しないで、フォンビーレフェルト卿。まず君たちが一番聞きたいだろう結論から。……大丈夫、時間と共に回復するよ。ちゃんと元通りになる。安心して」
「それは…確かに…?」
 グウェンダルが低い声で不安げに確認の声を上げた。
「間違いありません」笑みを浮かべつつ応えたのはギーゼラだ。「実はそれほど珍しいことではないのです。陛下の場合も、御心が満たされれば自然と治まって参ります」
「……満たされれば?」
「そう」村田が頷く。「症例として珍しくはないと言っても、あの年齢で起こるのはあまりない。だから皆心配したわけだしね。でも、ギーゼラの言う通り、精神の深層下、無意識の奥についた傷が癒えれば、ちゃんと戻ってくる」
 理解不可能な単語はあるものの、大丈夫だと断言されて、彼等はようやく焦眉を開く心地を味わった。だが。

「俺のせいですね?」
「うん。君のせいだよ」

 ずっと沈黙していたコンラートが発した言葉に、間髪入れず村田が答えた。


「ウェラー卿の背信行為は、彼にとって測り知れない衝撃だった。例え真実がどうあろうと、それを知らされなかった彼の心についた傷は、実はとんでもなく大きく深かったんだよ。……君たちがそれを覚悟していたかどうか、僕としてはちょっと気になるところではあるが……まあ、今はそれを言っても仕方がない。とにかく、ウェラー卿の態度も言葉も、彼の不安を煽る一方だし、帰ってきてくれと懇願しても拒絶され、話をしようとしてもはぐらかされ、あまつさえ殺されるかも知れないと思わされ、その傷は数を増やし、深くなる一方だった……」
 その必要があった。と、今でも彼等は信じていた。
 事の背後に眞魔国があると察知される訳には絶対いかなかった。大シマロン反乱の旗振り役を送り込んだのは、配下の独断だと、責任はその者にあると、最悪切り捨てる線を引いておかなくてはならなかった。さもなければ、大シマロンと反乱を画策した眞魔国は、正面きっての戦争に突入する。
 …ユーリが頷くはずもない決断だ。ユーリに知られてしまえば、彼はコンラートの生命を護るため、全面的に援助しようとしただろうし、そもそもこのような計画を許しはしなかっただろう。
 だがどうしても、大シマロンを内部から崩したかった。そして、コンラートの血筋は最高の素材だったのだ。だから決行した。
 いざとなれば、「裏切り者」ウェラー卿コンラートを切り捨てる。それは最初から覚悟していた。だが……、ユーリがどれだけ傷つき、苦しむか。自分達は本当に分かっていただろうか?
 魔王の側近達の表情が、あらためて曇った。
「彼の強さを信じていた、と君たちは言うだろうね。それは確かだ。彼は強い。驚くほど強くて、柔軟で、前向きな精神を持っている。だから、ほとんどの傷を、時間を味方にして回復させることができる。その辛さや苦しさを成長のバネにもできる。実際、あの小シマロンと聖砂国に関する事件で、彼はある意味大きく成長したよ。そうだろ? そしてウェラー卿が帰還して、彼を裏切った訳でも、見限った訳でもないと分かって……彼は今、嬉しくて嬉しくて仕方がないんだ。辛かったことも、哀しかったことも、心についた傷も、全部消え去ったと心底信じている」
 ユーリの涙が、「コンラッドが帰ってきて嬉しい」と抱き締めてくれたぬくもりが、コンラートの胸に蘇った。
「……でもね。心は一塊で出来てる訳じゃないんだ。幾つもの部屋が、たくさんの層が、重なりあい交じりあい、複雑にからみ合ってできているんだ。成長に……追いつけない部分も、心にはあるんだ。彼自身が気づかない心の奥底、無意識と呼ばれる場所に、置いてきぼりにされた心の一部分、深く傷つけられ、いまだに血を流し続けている場所が、まだ残っているんだよ」
 しん、と部屋を沈黙が支配する。

「………あの症状はね、リセットなんだ」
 誰もが理解できない単語に、コンラートだけが反応した。
「リセット?」
「そう」コンラートに目を遣って、深く頷く。「精神状態を一度はるか過去に戻して、まっさらな状態からもう一度やり直そうとしているんだ。つまり彼の場合、そうだね、心の傷など知らない五、六歳の幼児に戻って、無垢な状態になってから、君に甘えられるだけ甘えて、そして君にうんと甘やかされ構われ、愛されることで、君につけられた傷を癒そうとしてるんだよ。君に嫌われた、見限られた、捨てられたといまだに泣き続けている傷を、君の愛情を注ぎ込むことで塞いでしまおう、なかったことにしてしまおうとしてるんだ。すなわちリセットだよね? そうなれば壊れかけたその心の一部分は立て直され、自然と成長した精神に統合されていく。つまりいつもの彼に戻ると言うことさ。分かる?」
「分かりました。とてもよく」
 コンラートがきっぱりと頷いた。……他のメンバーは、ギーゼラを除き、正直話の半分も理解できていたかどうか怪しかったが、それでもとにかく頷いた。そもそもこの世界では、心理学や精神医学などほとんど研究されてはいないのだ。ましてカウンセリングなど存在しない。
「……地球で読んだ育児書にも似たような話があったような気がします。つまり猊下、俺は」
 コンラートは眼差しを強くして、村田を見た。

「ユーリを、可愛がって甘やかして抱き締めて頬ずりして撫で転がしてやればいいんですよね?」

 は? とか、へ? とか、なんですと? という言葉にならない言葉が背後で上がる。だが。

「その通りだよ、ウェラー卿!  遠慮したり、嗜めたり、拒否したりはタブーだ。 人が見てようが何て言おうが気にせずに、彼の求めるまま、いや、求める以上に可愛がって可愛がって可愛がりたおす!」

「……ちょ、ちょっと、まて、こら……」
 何だいきなりこの展開は。ヴォルフラムは、胸を襲う不安に思わず腰を浮かせた。
「ああ、君たちにも頼みたいことがある」
 村田がくるりと向きを変え、ヴォルフラム達に対峙した。顔は真剣だ。内心はどうだか分からないが。
「もう分かってくれていると思うが、彼を完治させる事ができるのはウェラー卿だけだ。ウェラー卿につけられた傷は、ウェラー卿によってのみ癒される。だから、いいかい? これからウェラー卿のやる事、いわば治療に全面協力してもらいたい!」
「……ぜんめん、きょう。りょく?」
「そう」力を込めて頷く大賢者。「そもそも、彼は自分の行動がおかしいとはこれっぽっちも自覚していないんだよ。自分は全くいつも通りに、何一つ変化もなく、以前のままの行動をとっていると思い込んでいる」
「……あんなに、ヘンなのに、でございます、か…?」
 すでにギュンターは半泣きだ。
「その通り。それが心の不思議というか、脳の不思議というか。だからいいかい? 君たちも、これから彼に対して、いつも通りに、どれだけやる事なす事赤ん坊じみてても、口出ししたり、怒ったり、無理矢理直そうなどとしてはいけない。彼は全く無自覚なんだからね? 君たちも、事情を知らない者が何と言おうと、何一つ変わったトコなどありません、いつも通りの陛下です、という態度を徹底してもらいたい。もちろん、仕事もいつも通りにね。子供返りしたからといって、頭の中味も子供になった訳じゃないんだから」
「……それは、つまり……コンラートがユーリを、その、抱き締めたり撫で転がしたりしているのを、黙って見ていろ、ということなのか……?」
「まさしく、その通りだよ、フォンビーレフェルト卿!」
「できるかっ、そんな事!!」
「…ほー、できないと?」
「当たり前だっっ!! ユーリは僕のこ……」
「つまり君の彼への愛情は、その程度のものだってことだね?」
「………何だと…?」
「だってそうだろう? 僕の言う通りにできないということは、君は彼がこのまま、心に傷を負ったままでも構わないということだ。その態度のどこに愛情があると言うのかな?」
「……ぐっ……」
「フォンクライスト卿」
 唸るヴォルフラムをさらりと無視して、村田はギュンターに視線を向けた。
「君はどうかな? 君は陛下を心から慕っていると、常日頃主張しているよね? 彼に元に戻ってもらいたいと願っているかい?」
「もっ、もちろんでございますっ!」
「じゃあ君はちゃんと協力してくれるよね?」
「……ととと、とーぜんっ、でございます!! 私の陛下への愛は、ヴォルフラムなんぞ足元にも及ばぬほど、強く深く激しく燃え盛っているのでございますからっっ!」
「何だと、ギュンターッ! 僕の愛情がお前に劣る訳がないっっ!!」
「何をバカなことを。 貴方はたった今、猊下のお言葉に従えないと言ったばかりじゃありませんか?」
 勝ち誇った顔のギュンター。うぐぐと唸るヴォルフラム。すでに勝負の行方は見えている、と一人かやの外なグウェンダルは思った。
「…ぼくだって……ぼく、だって、ちゃんとやれる、ぅ………」
「では全員、ウェラー卿に協力してくれるという事だね?」
 村田がにっこり笑う。猊下全面勝利。
「仕方があるまい」
 どこかげっそりとグウェンダルが頷き、ギーゼラもにっこりとそれに続く。
「当然のことです」
 意地でもにこやかに同意するギュンターと、必死に頷こうとするヴォルフラム。顎がギリギリと音を立てそうだ。
「ということだ、ウェラー卿。誰に遠慮もいらない。思う存分やりたまえっ!」
「任せて下さい」
 「遠慮」の二文字など、今のウェラー卿から探すだけ無駄だ。

「失礼致します!」
 衛兵の一人が、ノックもそこそこに部屋に飛び込んできた。
「へっ、陛下がお目を覚まされ、ウェラー卿をお呼びになっておられます! そのっ…、泣いておられるような……」
「ウェラー卿」
「はい。失礼致します!」
 村田に深く一礼すると、コンラートは部屋を飛び出して行った。それを確認して、村田は微笑んだ。
 何故か、その笑みは見る者によって「にこっ」だったり、「にんまり」だったり、「にやり」だったりする、異様に複雑怪奇な笑みだった。
「彼はやると決めたらとことんやってくれるし。おかげでしばらく退屈しな……あ、いや、これで一安心だ。よかったねー?」
 再び浮かぶのは、一見紛れもない純粋無垢な笑顔。
 その笑顔が向けられた先には、うんざりした顔と、背後に何やら隠し持った癒し顔と、そして胸に湧き上がる凶暴な衝動を、死に物狂いで押さえる顔が、後二つばかり並んでいた……。




 ユーリとコンラートがロードワークへ赴いた一週間目の早朝。
 手を繋いでのランニングはさすがにやりにくく、結局のんびり朝のお散歩を楽しむ事になってしまった。
「あっ、ほら、コンラッド、花咲いてる、ほら」
 ユーリが道沿いの木の枝を指差し、繋いだ手を離すとそこへ向かって小走りに駆け寄った。見れば、名も知れぬ木の一枝に薄桃色の小さな花が綻んでいる。その枝に向かって、ユーリが懸命に手を延ばす、が、今一歩届かない。爪先立ち、「んーっ、んーっ」と声を上げ、一生懸命花に向かって手を延ばすユーリの、世にも愛らしい姿を存分に堪能してから、コンラートはその背後に近づいて行った。
「はい、ユーリ」
 ユーリの頭越しに枝を折ってやり、目の前に差し出す。
「わー、ありがと、コンラッドッ」
 弾むように言うと、ユーリは枝を受け取った。そして左手に持った枝を嬉しそうに空に向かって掲げると、その表情のまま跳ねる様に道を歩き始めた。二人の間が数メートル程広がった時。
「コンラッドッ」
 ユーリがくるりと振り返った。
「はい、ユーリ」
 にこっと笑うと、ユーリがすっと右手を差し出す。
「コンラッド、きてっ」
 手を延ばしたまま、じっと待つユーリに向かって、コンラートは大きく足を踏み出した。


 ここ二、三日で気づいた事がある。
 一日に数回、まるで儀式の様に、ユーリはコンラートに向かって手を延ばす。
 いつもは自分からしがみつく様に甘えてくるのに、その時だけはコンラートが自らその手を取るのを待つのだ。今の様に、じっと動かず、瞳をわずかな不安に揺らしながら。そうしてコンラートが、自分に向かって延ばされた手をしっかりと握ってやると、満面の笑みを浮かべて抱きついてくる。

 ユーリが差し出した手に応える。手を握り返す。それが何かのキーワードになっていると、コンラートは考えていた。

 だから今も。コンラートはユーリから視線を外さず、まっすぐに歩み寄り、真正面に立つと、ぴくりとも動かずコンラートを待つ掌に、己の左手を重ねた。そしてしっかりと握り返す。
「コンラッド!!」
 ユーリが飛びつく様に抱きついてくる。
 両腕を背中に回し、力一杯抱き締めてくるユーリの身体に、コンラートもそっと腕を回した。そして、背を、髪を、撫でてやる。
「大丈夫。ここにいるよ」
 囁いてやる。

 ここにいる。帰ってきた。どこにも行かない。あなたの側にいる。
 俺のこの身体のぬくもりが分かるでしょう? だからもう泣かないで。哀しまないで。

 俺は、あなたを、あなただけを、愛しています。

 耳元で何度も何度も囁く。
 この声が、傷ついた心の奥に届くようにと祈りながら。
 まだうずくまったまま、泣きじゃくる子供の魂に聞こえるようにと祈りながら。


 ユーリの心がリセットされるまで、あともうちょっと。



プラウザよりお戻り下さい



えーと………。
異様な甘々から始まって、何事!? と思われた方が多かったのではないか、と。
そしてシリアスのトンネルを抜け、一気にギャグへと急ハンドルをきり、そしてまた甘ったるく……。
自分でもみょーなものに仕上がっちゃったなーと、気分もびみょーです。
ホントは、シリアスほのぼのを目指してたんですよ?
それが、ウェラー卿の一言で、いきなり雰囲気が……。私に何が起こったのでしょーか?(他人事?)
本来は「設定」に最初に書きました、コンラッドの行動のためについたユーリの傷の深さ、について書くつもりでした。ですからこれは短編の中にいれないとおかしいのですが、ちょっと〜、なものになり、あまりにも幕間的要素が強過ぎるので、私の中のパロディのような気持ちで突発SSとしました。
…………ここのところ、ギャグづいているのが敗因だったかな…?
となれば、ギャグを書かなきゃならんでしょう。ギャグと言えば……アレかな?