野望の叶う日

 鬼の霍乱。っていうのか!? いや、それじゃあんまり可哀想だろ? んじゃ?

 獅子の霍乱。

 で、いいか?


 その日、コンラートが熱を出して寝込んだと報告があった。
「まさかコンラートが……。何か危険な病気、とか。よもや伝染病などということはありますまいね?」
 ギュンターが、胡散臭げに眉を顰めて確かめている。視線の先にはギーゼラ。
「ただの風邪です」何を言ってるのだ、この人は、という呆れた顔でギーゼラが答える。「充分な栄養と睡眠で、すぐによくなる程度のものです。ただ、一刻も早く仕事に復帰したいとのことでしたので、私が少々お手伝いを…」
「その必要はない!」
 いきなり飛び込んだ声に、その場にいた全員ーグウェンダル、ギュンター、ヴォルフラム、そしてギーゼラーの視線が動いた。
 そこにいるのはもちろんユーリ陛下。執務用のムダにどでかい机の向こうで立ち上がり。胸元で手を組み。……瞳をキラキラと輝かせている。何やら口元も妙に緩んでないか?
「…ユ、ユーリ。お前何だか……嬉しそうだ、ぞ?」
 コンラートが熱を出して倒れて寝込んでいると聞いて、喜ぶユーリ。
 異常だ。
 無気味なものを見る様に、ヴォルフラムの顔が引きつった。
「ねえ、ギーゼラッ?」
 戸惑う側近達に構わず、ユーリはギーゼラに問いかけた。……声が弾んでいる。
「大したコトないんだよね? 命に関わるとか、後遺症が出そうとか。全然だいじょーぶなんだよね? 二、三日寝てれば、すっきり全快なんだよね?」
「…えっ、ええ、そうです。三日も掛かる事はないかと。明日か明後日にはおそらく……」
「よしっ」
 何が「よし」なんだろう?
 見れば、虚空を睨むユーリの目は既に据わっていた。と、手が大げさに動いて、何もついていない口元を拭う。
「何を……考えてるんだ? ユー……」
 ふっふっふっふっふ……。
 低く無気味な声が地の底、いや、ユーリのいる辺りから響いてくる。
「へっ、陛下に悪霊が……!?」
 魔王が悪霊に取り憑かれるわきゃねーだろ、という突っ込みはどこからもない。
「ふっふっふ…くくっ………はは、わはは…わーはははははははっ!!」
「ユ、ユーリ、だっ、大丈夫、か…?」
 言葉は心配しているが、身体はそれを裏切っている。ヴォルフラムはもちろん、グウェンダルもギュンターも、おまけにギーゼラまでもが、いつしか壁際まで追い詰められていた。

「俺はこの日がくるのを、ずっと待っていたんだぁっっっ!!!」



 ふと。コンラートは目を覚ました。
 瞬間、背筋を走る悪寒と身体の痛みに気が付く。身体を横にしているのに、頭がぐらぐらする。
「……熱、が………」
 コンラートは、ぎり、と唇を噛み締めた。
 情けない。腑甲斐ない。俺ともあろうものが、あれしきのことで発熱するとは。
 こんなことでは、いざという時ユーリを護りきれるのか。これからもっと鍛えて……。
「コンラッド? 目が覚めた?」
 優しさと労りに満ちた声。至上の主の囁きを耳にした瞬間、コンラートはシーツを撥ね除けて起き上がった。
「へ、陛下…!? どうしてっ」
「陛下って呼ぶな、名付け親。んで、まだ起きちゃダメだ、それから……」
「すぐに部屋を出て下さい! 風邪がうつったらどうするんです!? まったくギュンター達は何をやってるんだ!」
「飲んで」
「……え?」
「そんなカラカラの声で。せっかくの美声が台なしじゃん。さ。飲んで。砂糖湯作ったの」
「………砂糖、湯…?」
 視線を落とし、ユーリの手元を見る。両手の平を丸くお盆にした上には、温かそうな透明のお湯が入った吸い飲みー寝たきりの病人に水を飲ませるためのアレーが、大切そうに乗せられていた。
「あ……えっと、陛、ユーリ、俺は起きあがれるし、別にそんなものは……」
「無理しないで。コンラッドに取り付くなんてさ、それ、並のウィルスじゃないよ。さ、ホントに無理しないで、横になって」
 ユーリの微笑みは慈愛に満ちている。そっと額に触れる手も、指の先まで、名付け親であり、保護者であり、護衛である男を労る想いに溢れている。コンラートは申し訳なさと同時に、名付け子の優しさにしみじみと歓びを感じていた。
「ありがとうございます、ユーリ。本当に。でも俺は大丈夫です。明日にはもう……」
「飲んで」
 にっこり。
「いえ、ですから…」
「飲ませたげる」
 にっこり。
「そんな、とんでもな…」
「余の命令が…」
「…っ!?」

 …………………今……? 今、一瞬……上様魔王モードに、ならなかった、か?

 空気に、あの怪しいオーラが残っているような気がするのは、熱が見せる幻覚だろうか…?
 瞬間的に脳を走り抜けたパニックに、コンラートはぱふんと枕に頭を落としてしまった。
「はい、口開けてー」
 何もなかったかのように慈愛の笑みを浮かべると、ユーリは吸い口をコンラートの唇に押し当てた。観念したかのように、コンラートがそれを銜える。……が。
 …………………甘い。
「喉にいいって聞いたから、いっぱいお砂糖入れたんだよ。美味しい?」
 だからこんなに舌にざらざらと残るのか…。大体、吸い口に砂糖が詰まってまともに湯が出てこないし。
 喉には確かにいいかも知れないが……後で胸焼けするかもしれない。
「…美味しくない…?」
 どこか哀しげに呟くユーリに、コンラートはハッと意識を戻した。
「いいえっ、美味しいですよ。喉も楽になったような気がします。…ありがとう、ユーリ」
 ホッとしたようにユーリが頬を緩めた。
 可愛いユーリ。俺なんかのために、こんなに一生懸命になって…。
「お腹、空いたでしょ? 朝から何にも食べてないモンな。今な、和風おじや、作ってもらってるんだ!」
「……和風、ですか…?」
 できるのか、和風? 一抹の不安がコンラートの胸を過る。
 待ってて、と部屋を飛び出したユーリが、おそらく部屋の外に待機していたのだろう、誰かに何か話している。
 程なくして、女官の一人がワゴンを押してやってきた。そしてベッドサイドにそれを置くと、どこか気の毒そうにコンラートを見つめ、お辞儀をし、去っていった。
「できた、できた………っと……?」
 土鍋の蓋を持ち上げ、くんくんと立ち上る湯気の香りを嗅ぎ、ユーリは微妙に眉を顰めた。……ちょっと期待したモノとの間に齟齬があったらしい。
「…ちょっと和風じゃなかったみたい……ヘンだな…。でも、ま、野菜はたっぷり入ってるし、ちゃんと玉子とじになってるし、味は……、栄養たっぷりだから、薬だと思って!」
 ……それはつまり不味いということなのか…?
「はい、あーん」
「え……ええっ!?」
 はたと見ると、いつの間にか深皿に移したおじやを先割れスプーンで掬い、ユーリが満面の笑みでそれをコンラートに向けている。
「ユ、ユーリ、いくら何でもそれは…」
「あーん」
「食べますから。ちゃんと残さず食べますから。こちらに渡して…」
「コンラッド。あーん、して?」
「ですから貴方にそんなことを…」
「どうしてそんな我がまま言うのかな、コンラッドは…」
 ふわ、と。ユーリから危険なオーラが立ち上る。
 間違いない。これはまさしく上様モード! このままいったら……吹き飛ばされるっ。
 その時、慌てたコンラートの視線が異様な光景を捉えた。

 あいつら……っ!

 ユーリの頭越しに見えるドアが、わずかに開いている。その隙間から、4人の顔が半分だけ覗いていた。上からグウェンダル、ギュンター、ギーゼラ、そしてヴォルフラム、である。
 表情までは見えないが、じっとこちらを窺っているようだ。一体いつから見ていたのか。
『何やってる。とっとと邪魔しにこい!』
 目で懸命に訴える。彼等ならちゃんと通じるはずだ。いやその前に。ユーリが誰かを構っていたら、焼きもちを妬いて飛び込んでくるのがギュンターとヴォルフじゃないか。何をそんなところでのんびりと……!?
「何見てるの? コンラッド。よそ見しちゃダメ」
「す、すみません! えっと……あーん」
 瞬く間に機嫌を直して、ユーリはおじやをコンラートの口に運んだ。魔王陛下は天使の笑顔全開である。

 熱のせいだ。熱で舌がバカになってるんだ。だからこんな奇妙な味がするんだ…。
 自分に必死で言い聞かせ、コンラートは半ばヤケになって放り込まれるおじやを咀嚼していた。
 気配を感じて目をやると、4人がいたドアがちょうど、そーっと閉められるところだった。
 ……兄弟や友人に見捨てられたように感じるのは……やっぱり熱で気が弱くなっているからだろうか……。
「よかったー。全部食べられたね。やっぱり食事と睡眠が一番の薬だよね」
「あの、ユーリ」
「ん?」
「俺、ちょっとトイレに行ってきます」
 まだ気配を感じるから、ドアの向こうに誰かが残っているはずだ。一体何がどうしたのか、聞き出してやらなくては。ユーリのこの妙な態度があいつらのせいなら、ただでは………。
「ああ、うっかりしてた。一緒に行くよ。手伝うから!」
 バタバタバタンッ! ドアの向こうで、複数の何かがコケる派手な音が響く。
「てっ、てつだっ、ユユユ、ユーリ……」
「男同士じゃない、気にしないで。さっ、行こう!」
「待てッ、ユーリ! いくら何でも、それはやり過ぎだーっ!」
 いきなりドアが開いて、ヴォルフラムが飛び込んできた。コンラートの腕を掴み、歩き出そうとしていたユーリを勢いのままに羽交い締めにする。
「何邪魔してんだよっ、ヴォルフッ!!」
「いいから、早く行けっ、コンラート!」
 本当にトイレに行きたかった訳ではないが、コンラートは一目散に部屋を飛び出した。とにかく今はこの場から離れたい。

「…ああ、よっぽど行きたかったんだな、コンラッド。気が付かなくて悪いコトしちゃった…。熱があって動けないのに、可哀想に……」
「だったらあんなに素早く走れるわけがないだろうがっ。一体お前は何を……」
「ああっ」
「今度は何だ!?」
「俺ってば、大事なことをー!!」
 しまったーっと頭を振って悔しがるユーリ。その姿に、扉の蔭からグウェンダルたちがそおっと顔を覗かせた。
「汗を拭いたげるのが先じゃないかー。あーもー、ホントに悪いコトしちゃった。コンラッド、きっと寝汗をかいて気持ち悪かったはずだよね。うん、よし!」
「ど、どこへ行く?」
 横を走り抜けようとするユーリに、グウェンダルが思わず問いかけた。
「厨房! 熱いお湯をもらってこなくちゃ。トイレから帰ってきたら、コンラッドの身体、俺がぜーんぶ拭いてあげるんだっ」
 全部? 全身?

 それはもう軽やかに、楽しげに、廊下を駆けていくユーリの後ろ姿を、その忠臣達は引きつった顔で瞬きもせず、身動きもできないまま見送っていた……。





 いつも考えていた。
 俺はコンラッドに護ってもらってばっかりで。助けてもらってばっかりで。支えてもらうばっかりで。
 俺がコンラッドにしてあげられる事ってないのかなって。
 俺が、コンラッドのためだけにできること。そしてコンラッドが喜んでくれること。
 魔王としてじゃなく、渋谷有利個人が。この手で。コンラッドだけに。
 ………大好きな、たった一人のためだけに。




 翌日。
 何故か更に熱が高くなったウェラー卿が、苦しげな息で眠る枕元に、真摯な眼差しで本を読む魔王陛下の姿があった。
 ふと視線を上げ、コンラートの顔を覗き込む。
 こめかみに汗が浮いている。それをそっと布で拭うと、ユーリは心配そうに眉を顰めた。
「………ギーゼラの嘘つき。コンラッド、全然よくならないじゃん。コンラッド、俺、がんばるからね。一生懸命看病するから。安心して任せてね?」
 優しく囁くと、そっと髪を撫でる。熱と汗で少し湿った髪が指に絡み付いた。
 ……昨日はまだよく分らなかったから、ちょっと失敗しちゃったけど。今日は大丈夫。ちゃんと計画表作ってきたし。そうだ、おじやも俺が作ればいいんだ。ちゃんと味見しながら作れば、おふくろが作るのと同じ特製おじやができるはずだし。身体も今日こそ全身くまなく拭いてあげよう。
「よしっ、コンラッドが元気になるまでがんばるぞっ!」
 再び視線を本に戻し、執務とは打って変わって真剣にその内容を追い始めた。


『………お熱が出た時は、うんと甘えさせてあげましょう。心と身体が休まるように、できることは何でもしてあげましょう。貴方のその愛情が病気を治すのです。ちょっとした我がままなら、何でも聞いてあげましょう。スキンシップも大切です。人の肌程、不安や心の痛みを癒してくれるものはありません。熱が高くて寒気がひどい時は、添い寝してあげるのもよいですね。ただ、あんまり我がままが過ぎるのは、病気によくありません。そんな時は、優しく『メッ』してあげましょう。また………』
       「眞魔国王立出版局編 新米ママの育児の手引き その7 子供の病気と看病の心得」



 ウェラー卿本復のメド、いまだ立たず。




プラウザよりお戻り下さい。


えーと。
たわいない話、を目標に書いてみました。
でも本当はもっと甘々ベタベタな話になる予定だったのですが…、どうしてこんなコンラッド受難なことに。
ヴォルフ達が何も手を出せずにいるのは、上様に「メッ」されたからです。あははははー。
………さ、次、いこうっと。