罵られるのは辛い。意地悪されるのも辛い。でも、無視される事のほうがずっと心を壊すということ。
それを知っているか、知らないか。
幸せかどうかは、そんなことでも判断できる。


椅子


 目を覚ますより先に、光を感じた。
  その光に夢を蹴られて、目覚めを実感するより早く目蓋を開く。
 心穏やかな午睡が終われば、秋の陽はゆるやかに高度を下げていた。
「お目覚めでございますか?」
 眠りにつく時と同じ場所、同じ姿勢で立っていた女官が、静かに声を掛けてくる。
「お飲み物でも?」
「ええ、そうね。…カチュネがいいわ」
 ゆっくりと頭を下げ、そしてまたゆっくりと歩み去る。
  私が住まいするこの離宮では、すべてがゆるゆると動く。素早さも勢いもないが、穏やかで心騒がすものは何もない。日の移ろいや風の流れさえ、ゆったりとこの場所を包み、私が立ち止まったままこの世界に留まることを許してくれる。

 カタカタッと木が触れ合う音がして、私はカウチ─風通しのいいテラスに置かれた─の上に身を起こした。そのまま首を巡らし部屋の奥に目を凝らすと、小さな人影が見えた。
「おちびさんかしら?」
 ベッドの脇に置かれた背の高い椅子によじ登ろうとしていた人が、きゅん、と首を竦めた。
「……見つかっちゃった」
  小さく舌を出しているような、いたずらっぽい笑みを含んだ子供の声が返って来た。人影が椅子から降り、私のいるテラスに駆けてくる。
 わずかな距離なのに、ボールが弾けて転がるように、子犬が跳ねるように、人影─私の孫娘─がやって来る。
  この力強さ、小さな身体に溢れんばかりに詰まった活力、生きる力の固まり。
 目も眩まんばかりに発散されるこのエネルギーは、たゆとう様に存在するこの離宮と、ここに生きる私にとって、あまりにも輝かしくて胸が詰まる。
「おばあ様、目が覚めておいでだったの?」
「今覚めたところですよ。一人で来たの? お母様は? 今日は一体どんな御用かしら?」
「退屈だったからきたの。だって、みんなお小言ばっかりなんだもの。ねえ、おばあ様?」
「何かしら?」
「あの椅子。おばあ様のベッドの脇のあれ。私に頂けないかしら? だってあれ、子供用でしょ? 私にぴったりよね? ずっと欲しいって思ってたの。ねえ、おばあ様、いいでしょ?」
 オリーブ色の健康的な肌。くるくると巻いた赤茶色の髪。大きなリボン。見開かれた大きな瞳。8歳になる、私の孫娘。
 会うたびに既視感におそわれる。かつて鏡の中にあった顔。でもあまりにも違う瞳の光。
 無邪気な笑顔。無邪気なおねだり。
 ─あの頃の私に、そんなものはなかった。



 生まれ育った国が、父によってどんな統治がされていたのか、私は知らない。
 母は正妃ではなく、国政に影響を持たなかったし、私は母と二人、王宮の奥でほとんど世界の何も知らされずに育っていた。やがて、何がいけなかったのか、私の国は激しい内乱に襲われた。
 覚えているのは、奥にまで響く乱れた足音と怒声、胸の中を手で掻きまわされる様に湧き立つ恐怖心と、居たたまれない焦り、そして母の言葉だけだ。
「誰も信じてはいけない」
 その言葉の意味を、私は母の故郷で思い知ることになる。


 私は母の生まれ故郷に人質として送られた。
 砂漠の中の王国。
 私が生まれた国も肥沃な土地柄ではなかったが、隣国であるその地は、さらに輪を掛けて乾いていた。
 砂色の空気、砂色の家、髪に目に服の隙間に、そして心の奥に、溜まる砂。
「…国王陛下と王妃様にあらせられます。貴女様の伯父上と伯母上にあたられますが…」
 ご挨拶を、と言われ、進み出て口を開いた私を、手の一振りで遮ったのは王妃様だった。
「今は忙しい。後程」
 その一言で、私という存在は忘れ去られた。
   

 私の母は優しい女性で、国民にも慕われていたという。例え人質として送り込まれたとしても、そんな妹の娘をどうして国王夫妻があれほど疎んじたか、理由は今もわからない。
 今思えば、そして精一杯好意的に解釈するならば、その当時の彼らには、十にも満たない小さな子供を背負うことすら、重荷だったのかもしれない。
 それほど国は逼迫していた。
 雨が全く降らなかった。
 空気も大地も乾ききり、そこに根ざすべき生命は枯れ果て、人もまた日々飢えと乾きに倒れていた。
 隣国が、内乱の隙を突いて攻撃してくるのではないかと怖れ、父は私を人質として差し出したのだが、実際この国にそんな余力はなかったのだ。
 唯一、法石の鉱脈の存在だけが、国をぎりぎり破滅から救っていた。

 私に従いてきた者たちは、その日のうちに追い払われた。唯一、年若い侍女だけが残されたが、しょっちゅう食事の膳を忘れられる状況を改善させるには、力が足りなかった。彼女もやがて姿を消した。

「本日は国王陛下のお誕生日です。お祝いを申し上げに行かれませ」
 気を利かせてくれた誰かが、そう教えてくれ、私はいそいそと国王夫妻の下に急いだ。
 まだ諦めてはいなかったのだ。
 がんばれば─どうがんばるのか、さっぱり見当はつかなかったけれど─伯父達から優しい言葉を掛けてもらえるのではないかと。頭を撫でてくれるのではないかと。……愛してもらえるのではないかと。
 広間には王族や上流貴族達が集まり、祝いの宴が開かれていた。どんなに民が飢えと乾き、そして貧しさに喘いでいても、王のテーブルには豊かな食物が所狭しと並べられる。
広間の背後の庭園では、噴水が高々と水を吹上げてすらいた。あれは王を喜ばせるためだけに、国中から集められたなけなしの水だったのかもしれない。
  宴のテーブルに、私の席はなかった。

 私は人で賑わう広間を走り、国王陛下の下に近寄った。
「……あ、あの……」
 小さな声は、人々の喧騒にかき消される。 誰も私を見ない。
「あの……陛下…あ…」
「国王陛下のご長寿をお祈り申し上げます! 邪悪な魔族が滅び、我らが国土に恵みの雨が降らん事を!」
 わあっと、唱和の声が広間を満たした。盃が掲げられる。皆が皆、われ先に酒を干すと、殊更大きな声で気勢を上げ、拍手をし、笑いあった。
 今なら分かる。あの宴の華々しさが、実はどれほど空虚なものであったのかを。
 笑いも、威勢のいい言葉も、様々な寿ぎの文句も、あの華やぎの中で、本当はすべてが空回っていたのだ。広間に居た人の心はわずかも浮き立つことはなく、光と原色の彩りの中で、ただ胸の内の暗い虚ろを広げていただけだった。
 だが、彼らはそうせずにはいられなかった。
 そうでもしなければ、見たくもない現実に追いつかれ、襲い掛かられ、骨まで食い尽くされる。そんな居ても立ってもいられない焦燥感に、かれらの精神は覆い尽くされていたはずだ。しかし、それを認めたくなくて、目を背けていたくて、そしてそのためには、笑うしかなくて(少なくとも支配階級にある彼らには、まだ笑う余力が残されていた)、酒を飲み、騒ぐしかなくて、そして、どこかの何者かを悪者に仕立てて罵り憎む以外、何も方策がなかった。
 しかし、そんな彼らの思いなど、10歳になるかどうかの子供に分かろう筈もない。


 国王夫妻、その子供達、重臣や貴族達。きらびやかな光の中で、笑いさざめく人たち。楽師が奏でる音楽。ダンスに興じるカップル達。忙しそうに立ち働く女官や召使たち。
 その中で、私はぽつりと取り残されていた。
 国王陛下に話し掛けるタイミングがつかめず、口を開いては押しとどまり、かといって諦めて広間を出ることもできずに、結局その場に突っ立っていた。
 誰も私に気付いてくれなかった。どうしたと、声を掛けてくれる人は誰も居なかった。そして同時に、うろうろするなとも、邪魔だとも、言われることはなかった。
 国王の姪でありながら、隣国の人質という中途半端な立場の子供。私は、何時の間にか、彼らにとって透明な存在になっていた。

 テーブルについている人が羨ましかった。踊る人が羨ましかった。使用人たちでさえ、羨ましくてならなかった。少なくとも彼らには、するべき仕事、期待されている役目があり、それを終えれば帰る場所もある。
 しかし私にはなかった。
 愛情も期待も優しさも。何も。
 それが貰えないなら。
 私は心底思った。
 いっそ、罵って欲しかった。怒鳴りつけて欲しかった。邪険に扱って欲しかった。
「お前なんか邪魔」だと。「お前なんか大嫌い」だと。「顔も見たくない」と。
 罵倒や嘲笑の一つも貰えれば、私は彼らを嫌いになれる。
 逆に怒鳴り返し、喚き返し、「こっちこそ、あんた達なんか大っ嫌い!」と叫ぶこともできる。
 そうすればその瞬間に、私と彼らは同じ次元、同じ場所に立ち、お互いの存在を認め合うことができただろう。そこにあるのがどんな感情だったとしても。
 でも、居ないことにされてしまったならば。表情も変えずに、ただ無視されてしまったならば。

 ただその場で立ち尽くすだけ。

 私を見て。
 私を好きになって。
 嫌いにならないで。
 愛して。お願い。愛して。

 胸の中で泣き続ける。諦めも拒絶もできぬまま。


 家族が欲しかった。私に向けてくれる眼差しが。名前を読んでくれる声が。ここにおいでと手招いてくれ、頭を撫でて抱きしめてくれる腕が。そしてそんな家族の中に、私の場所が欲しかった。私が居ることが当たり前の場所。そしてその場所に。

 私のために用意された、私の椅子が。欲しかった。



「でも姫様にはちゃんと家族ができましたな」
「そーなの」
 私は頷いた。
 あれは、留学先から国へ戻る船の中。
 デッキで話し相手になってくれた船長が、パイプを口に、にこりと笑った。私が一国の王女だということで、船長始め船員一同は何かと気をつかってくれた。
「あの国でじゃなかったけど」

 優しさとか温もりとかに飢えきって、ついに私は一世一代の決心をした。
 ついに法石が出なくなった。魔族が鉱脈を潰したのだという。命の綱を奪われて、魔族への怨嗟の声は頂点に達していた。その声を背に、私は国を出た。
 母の故郷であるこの国を、破滅に追いやろうとしている憎むべき魔族。邪悪の根源にして、世界に暗黒と恐怖を振りまく彼らの王を、この手で暗殺しようと決意したのだ。そうすれば、国王陛下も王妃様も、自分を認めて、自分達の娘と呼んでくれるかもしれない、と。
 今思えば、よくもまあそんな事を思いついたものだ。
 地下牢に捕らえられていた魔族の男を脱走させ、魔族の国、眞魔国へと案内してもらい、そして─。

 出会った魔王は、真っ直ぐに見つめれば涙が溢れそうに透明で美しい瞳と、暖かい手を持った人だった。

 彼は、顔立ちも瞳も声も仕草も、全てが輝きに満ちて、優しくて、今まで見たどんな人より綺麗だった。
 黒が美しい色なのだと、私は彼に会って初めて知った。
 恐怖が渦巻く暗黒の帝国だと、人間が信じていた魔族の国は、どこより花と緑と清らかな水に恵まれ、太陽の光も、まるでかの国とは別物の様に穏やかに大地に降り注ぐ、美しい国だった。
 そして私がそこで知り合った魔族たちは、皆、胸が切なくなるほど優しい人ばかりだった。
 その地で、私は家族を得た。
 眞魔国が私の故郷になった。

「あたしが本当の子供になりたいって、お父様とお母様が欲しいんだって言ったら、『俺の娘になれ!』って」
「魔王陛下はお優しい方でいらっしゃいますからなあ」
 そう、と頷いて、私は思わず吹き出していた。

 その時は夢中で気がつかなかったけれど、私と魔王陛下とは、6つと年が離れていなかったのだ。だったら、兄妹になると考えるのが普通だと思うのだけど、彼はそんな風には思わなかった。理由は、私が「誰かの、ちゃんとした子供になりたい」と言ったから。だから真っ直ぐに、彼は私を娘にしようと思いついたのだ。そんな単純で一直線な愛すべき素直さが、かの人にはあった。
 不思議なことに、彼の側にいた誰も、その点を指摘しなかった。同じ理由で納得していたのかもしれないし、もしかすると、彼の見かけと実際の年齢の食い違いを、彼らがうっかりと失念してしまっていたからかもしれない。
 魔王陛下の側近達は、自分達の王を心底愛していたけれど、しばしば彼がまだ幼い子供であることを忘れていたからだ。

「その日からお父様が二人できたのよね」
「ヘンだなあとは…?」
「全然。お父様たちは誰よりきれいだし、優しいし。それに、お母様の代わりも、お姉さまみたいな人も、でもってお兄さまになってくれる人も、たっくさんいるもの! ただ……」
「どうなさいました?」
「お兄さまたちやお姉さまたちの中で、お父様たちが一番子供なのよねー」
 パイプを揺らしながら、船長がわっはっはと笑った。


 留学先から帰国した私を、満面の笑みで迎えてくれ、抱きしめてくれ、頭を撫でてくれ、暖かい言葉をかけてくれる二人の父、そして家族同様の人たち。
 彼らの笑みが、一つ一つの言葉が、触れる手や胸の温もりが。
 私に教えてくれた。お前は、ただの無垢で無力な子供でいていいのだと。思い煩うこともなく、悩むことも哀しむことも、生き延びるための知恵を磨く必要もない、幸せな子供でいていいのだと。

 おいでと二人の父に手を引かれ、両手を繋ぎ、跳ねるように宮殿の廊下を歩く。皆と一緒に、差し込む明るい陽射しの中を、笑いさざめきながら。
 そうしてたどりついた場所は、魔王と彼に近しい人たちが気軽に集まり、食事をし、お茶を飲み、気楽な会話を交わす、広々とした、豪華だけれどもったいぶったところのない、気持ちのいい部屋だった。

 椅子は、当たり前にそこにあった。

「そおれっ」
 息を合わせて父達が私の両手を持ち上げる。ふわりと身体が浮き上がり、ちょこんと、お尻が座面の高い子供用の椅子に納まる。笑う私。笑う皆。
 そこで私は、いつも帰国最初のお茶を飲んだ。私の好きなお菓子ばかりがいくつも並べられ、それを頬張りながら、留学の報告をする。勉強のこと、新しく出来た友達のこと、日に日に変化する魔族の評判のこと。どんなことでも、思いつくままに。
 笑う。歓声を上げる。…優しい眼差し。

 どんな子供も、言葉を覚える前に学べるものがある。側にいてくれる人の肌で、声で、言葉で、眼差しで。愛されるということを。「愛」という言葉の説明はできなくても、子供は自分が愛されていることを、いつでも証明することができる。
 全身全霊で、甘えることで。

 僅か5、6歳しか違わない父と、見かけだけは同年代のもう一人の父、そしてその母親と二人の兄。彼らが私の「家族」の中核をなし、さらにその周囲にいる近しい人々が、惜しげもなく私に愛情と様々な知識を注いでくれた。
 彼らに甘えるのに、私は全く遠慮しなかった。そんな必要、全くなかった。
 彼らにしがみついたり、我がままを言ったり、何かをねだったり。そうしたくなった時、いつでも彼らの腕は私に向って開かれた。甘えるのに、タイミングを計ることもなかった。
 愛される子供が甘えることは、息をするように簡単なことなのだ。
 それを知ることの出来た自分自身が、私は何より嬉しくて、この幸せが夢ではないかと、夜中にふと目覚めては頬をつねった。


 そんな生活も、様々な波風や出来事を経て、ゆるやかに、時には大きく変わっていった。
 何より、父と呼んでいた魔王陛下の身の上に、劇的な変化が起きた。
 それをきっかけに─いや、その兆候はずっと前からあったのだろうが─二人の父親の関係が終わった。
 双方が辛い決断をし、涙も流されたが、それでもそれは、不幸な終わりでなかったことは間違いない。
 以降、彼らは互いに、まぎれもない深い友情と信頼、そして片方は親友への、片方は主への、強い忠誠心で結ばれることとなった。そして間もなく、お互いの隣にはそれぞれの伴侶が立った。
 大きな変化は私にも起きた。
 1年の半分は眞魔国で、半分は留学先の王家で過ごし、魔族と人間の掛け橋となるべく日々を過ごしていた私の前に、もうとうになくなった祖国─私の生まれた国─の遺臣らが現れたのだ。
 私が魔族に囚われていると勘違いし、「救出」にきたのだと知らされたときには、驚くより先に脱力した。
 祖国は王家が滅亡した後、大シマロンに滅ぼされ、その大シマロンも潰れた後はひたすら荒廃の中にあったらしい。かつての王家に仕えていた人々により復興が計られたが、そこでどうしても祖国の象徴となる存在が必要になってしまった。王家の生き残りは、私、ただ一人だけ。
 地面に這いつくばり、ひたすら「帰国」を願う「遺臣」の姿─やせ衰え、艱難辛苦の全てが顔に表情に、どこより瞳に表れている、そんな彼らに私は─。



「まあ、またおばあ様の邪魔をしているのね?」
「お母様っ!」
 女官たちを従えてきたのは、息子の妃。おっとりとした穏やかな性格の、いい娘だ。
「ね、お母様、お母様もおばあ様にお願いして? あの椅子、ほら、あれ、私に頂きたいって!」
「あれ? まあ、でもあの椅子は、確か……」
「いいのよ。姫に差し上げるわ。私が持っていても座ることはできないのだし。ただね?」
「はい? おばあ様」
「あの椅子は、魔王陛下から頂戴した大切な椅子なの。大事にしてね? そして、あなたが大きくなって、結婚して、子供が生まれたら、その子に上げてちょうだい。ずっと…ずっと大事に、あなたから次の子供へ、伝えて欲しいのよ」
 私の言葉を聞いて、孫の顔がぱあっと明るく輝いた。
「魔王陛下から頂いた椅子なの!? ホントに? ああ、だったら私、絶対絶対大切にするわ! おばあ様、本当よ、約束する! 傷なんかつけない!」
「よかったわね、姫」
 私と母親、そして女官たちの笑みに囲まれて、孫もまた満面の笑みで頷いた。
「ねえ、おばあ様?」
「何かしら?」
「私も10歳になったら、魔王陛下と親子の契りを交わすのよね?」
「そうよ」
「そしたら私は、この新王国の王女であると同時に、眞魔国の王女にもなるのよね?」
「そうですとも」
 答えたのは王妃である母親だった。その表情は「家刀自の姫」を産んだ誇りに満ちている。
「眞魔国を宗主とする国はいくつもあるけれど、人間でありながら正式に眞魔国王家の一員として遇されるのは、このゾラシア=スヴェレラ新王国の姫だけです」
 おばあ様のおかげね? と孫が微笑んだ。
 私との繋がりを保つために作られたこの関係。家刀自、すなわち王家の長女として生まれた娘が10歳になった時、魔王と親子の契りを交わす儀式が執り行われ、その娘は正式に眞魔国の王女として扱われるのだ。今は他国に嫁した私の娘も「家刀自の姫」と呼ばれ、生まれた時から特別大切に育てられた。特別扱いはよくないと、口を酸っぱくして説いたのだが、こればかりはどうにも改まらなかった。
「あなたは偉大な魔王陛下の娘となるのよ。本当に、どれほど他国の者が私たちを羨んでいることか! この一事をもって、私たち王家は他国と一線を画した、格式ある高貴な家柄となるのです」
 苦笑する私に気付かないまま、義理の娘は悦に入った言葉を連ねている。もともと王家に近しい一族の出身だったこともあって、格別思い入れがあるのだろう。
「魔王陛下のお恵みで、この地もあの荒廃が夢の様に甦りましたし」
「昔は、砂漠ばっかりだったって本当?」
 いまや大陸で1,2を争う穀倉地帯となり、緑滴る豊かな大地となった国しか知らない孫娘が、不思議そうに頭を傾けた。想像がつかないという顔をしている。
 大人たちの笑みが深くなった。

「……さあ、姫はそろそろお勉強のお時間ですよ?」
「ええ? もう?」
 ふう、とため息をついて、それでも孫は立ち上がった。母と共に深々とお辞儀をして…。
「そうだ、おばあ様。私、おばあ様にお伺いしたいことがあったの」
「あら、なあに?」
「魔王陛下の娘になったら、私……陛下の事を何とお呼びすればいいのかしら? 『お父さま』? それとも『お母さま』……?」
 まあ、この子ったら、と、母親達がうろたえて見せた。孫の無邪気な問いかけは、実は誰もが疑問に思っている問題なのだ。不敬だからと、誰も口にしないけれど、私は随分前からそれを知っていた。
 王妃の手に軽く触れ、大丈夫よと笑いかけてから、私は孫姫に目を向けた。
「どちらでもいいのよ。どちらでお呼びしても、お答えしてくれるわ。陛下とお話してから、あなたの呼びたいようにお呼びしなさい。でもね。一番いい呼び方が他にあるの」
「それは何? おばあ様」
「名前で呼ぶのよ」
「陛下のお名前!? 魔王陛下のお名前を口にするなんて、無礼の極みじゃないの? 娘になったら許されるの? そんな凄いこと、娘になったら許してもらえるの? いいの? 本当に? おばあ様!」
「ええ、そうよ。それが一番陛下のお歓びになる呼び方なの。あなたが娘になったら、魔王陛下も回りの方々も、きっとあなたを心から愛してくれるわ。だから、あなたは思いっきり甘えていいのよ。うんと甘えて、抱きついて、我がままも言って、そしてあの方の名前を呼びなさい」
 きっとあの人は、太陽の光より眩しい笑顔で振り向いてくれるだろう。

「─ユーリ、と」  


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ちょっと雰囲気を変えて。

1冊の本を読んで、昔を思い出してしまったせいか…。
何となくいつも一人で、仲良しグループの入ることができなくて、遊びの輪に入れてもらいたいのに、どうすればいいのか分からなくて、声をかけるタイミングも、セリフも、どうしても分からなくて。
いつしか群れたがる人をバカにしながら、でも本当は、いつだって何かの一員でいたかった自分。
社会人になって人と付き合うことは簡単にできるようになったけど、それは単に小器用になっただけだった。


60年70年くらい未来のお話、かな?
昔、長女は「家刀自」と呼ばれていて、家を護る特別な霊力をもった存在だと信じられていたそうです。
おばあさんになると「大刀自」になるんだそうな。

ちょっと暗くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。 また次の作品でお会いいたしましょう。