ヴォルテール領の学舎で食堂のバイトを終えてから、数か月。 あの後、『ウェラー卿の大冒険』シリーズは眞魔国内で爆発的な人気となったのだが。 どうやら一部の、ウェラー卿本人の容姿や人格を知る熱狂的なファン達から出版社の方にクレームが来たらしく、(恐らくその中にはグラディアやキャス達も含まれているに違いない)というのも、もっと取材をして情報を集め、せめて本人の見た目や性格くらいはズレがないようにしてくれというものであった。 しかし既刊本の方もそれはそれで面白いと言う事で、『ウェラー卿の大冒険』シリーズはそのまま刊行を続け、別の作家に新シリーズを依頼し、現在民達の間で新たなブームとなっている。 そしてそれは今、魔王の手の中にある。 実際、二か月ほど前に作家本人らしき人物からコンラッドに手紙が届いた。 あなたの小説を書かせて頂きたいという旨と、作品を書く上で多少の事実を織り交ぜていきたいので、差し障りの無い範囲でシマロンでの出来事やその時の御本人の感想を聞かせてもらっても構わないかと言う事。 もちろん完成した作品は出版社へ送る前にお見せします。ともあり、懇切丁寧な文面に、コンラッドも面会を承諾したのだ。 それが今ユーリの手元にあると言う事は、つまりコンラッドが出版を許可したと言う事。 何故かちょっとだけ嬉しそうな名付け親の様子が気になるが、ユーリは改めて表紙を眺め、1ページ目を開いた。 『風の彼方 〜君が望むなら〜』 彼は一度、大切な人を失った。 その痛みと悲しみに打ちひしがれる彼に、新たな希望を宿してくれたもの。 唯一人、その方の為だけに、彼は単身、死地へと赴いた。 高く刃の鳴る音が鬱蒼とした森に響く。 その音は複数で、怒号や悲鳴の交じる中でも一際耳に付いた。 相手はこの近辺を牛耳っている山賊まがいの悪事を働いている連中で、ベラール四世に命じられ、討伐に向かったウェラー卿の小隊は、折りよくどこかの村を襲いに行こうとしていた彼らと遭遇したのである。 それは、彼がシマロン王宮内への潜入を果たし、徐々に自らの周囲を味方で固め、足場を作り始めていた頃の事。 部下の中にもベラールの圧政に不満を持ち、密かに支援してくれる者が現れ始めていた。 賊の首領と剣を交えながら、彼は相手を見据える。素人にしては、腕が良い。 「こんな真似をして何が楽しい?」 「何?」 相手の柄を握る手に力が入る。 「何の力も持たない村や町を襲ったところで、今の状況を変える事など出来ると思っているのか?」 「偉そうに、説教垂れんじゃねぇ、ベラールの犬が!」 一度離れた刃が、再び硬質な音と共に激しく交わった。 「確かにな・・・だが、俺は自らの品性や誇りまで売り渡したつもりは無い!!」 銀光が閃く。 空中で弧を描いて地面に突き刺さったそれは、賊の首領の手元にあった剣であった。 ウェラー卿の剣は、この時既に相手の咽喉元に突きつけられている。 一瞬の隙も赦さない、かつてルッテンベルクの獅子と呼ばれた男が、そこに立っていた。 その眼光は鋭く、会ったばかりの首領の視線を縫い止めさせずにはいられない。 男は完全に戦意を殺がれ、その場に腰を落とす。見れば手下達も皆、倒され縄をかけられていた。 そして彼は、静かに口を開いた。 「お前達の所業についての理由は、大体想像がつく。大シマロンが憎いなら、大シマロンという国を相手に戦え。弱い者を苦しめて溜飲を下げるのは、ただの下衆の仕業だ。祖国を思う資格などない。恥を知るなら、いっぱしの戦士だというなら、俺について来い」 「あんた・・・」 首領は、毒気を抜かれたように自分を叩きのめした男を見上げていた。 しかしコンラートは直ぐに視線を外し、剣を収める。 「選ぶのはお前の自由だ、厭ならこのまま罪人として連行するしかないが・・・」 「ま、待て!・・・いや、ついて行かせてくれ、ダンナ!」 「コンラートだ」 「おう、コンラート、俺はあんたに惚れたぜ。腕っぷしだけじゃねぇ、城の連中に、まだこんな骨のある奴がいたなんてよ」 その言葉に、銀の星を散らした虹彩が僅かだが緩んだ。 「大シマロンに、王族に刃を向ける度胸があるのか?」 「応とも。あんたがいりゃ何でもできそうな気がしてきたぜ。俺がこの国を変えてやらぁ。おっと、言い忘れたが俺はバスケスだ」 そのセリフに、今度こそコンラートの表情から強張りが抜ける。 端正な面差しを眞魔国の方角に向け、彼はただ一人の姿を思い描く。 ―――おれが、この国を変えてやる! 眞魔国にあの方が来たばかりの頃、自身が王になる事を選んだ時の言葉がこれだった。 単純で、考え無しのように聞こえるかもしれないが、それはとても力強く信念に満ちた響きで、この方なら必ずやり遂げられると確信できた。 例えどれだけの年月をかけても、自分はその願いを叶える為に出来る事の全てを実行する。 ただ、それによってあなたを深く悲しませてしまう事だけが、何よりも耐え難くはあるけれど。 陛下、あなたは今頃どうしているだろう。 執務に追われ、フォンクライスト卿やグウェンダルに叱られているかもしれない。 或いはヴォルフラムや愛娘と笑いながらじゃれ合っているのだろうか。 離れてみて痛いほどわかる。 眞魔国での時間が、どれほど愛しく大切で、手に入れ難いものだったのかを。 だから必ず、生きてあなたの元へ戻る事を誓う。たとえ罵られ、その場で処刑されようとも、せめて最期は貴方の傍に居させて欲しい。 こんなにも俺の心を支配し動かすものは、貴方の存在だけなのだから。 実際に取材に来た作家がどれだけの情報を持ち帰ったのかは知らないが、独白の辺りが妙にリアルだ。 自分の言ったセリフまで脚色もせずそのままの言葉で書かれていて、コンラッドなら本当にそう思ってくれていたかもしれないと納得できてしまう。 「如何です、陛下?」 「何かノンフィクションっぽい」 「ほぼノンフィクションですよ。特に独白のところなんか取材の時に言った事をまんま使ってくれて、なかなか感動的なストーリーになってますよ」 「じゃあさ、このバスケスって人も実際にいるんだ?」 「ええ、向こうで俺の副官を勤めていた男です。文面の通り元は荒くれ者でね、けど元々一本気な性格だったから、副官になってからは逆に彼の方が真っ正直な事を言うようになったかな」 「へぇ、何か男の中の男って感じだよな。憧れるよな、他にはどんな奴がいたの?」 「それを言ったら先の話がわかってしまうでしょう?新刊が出るたびに少しずつね」 「う〜、そっか。でも知りたいなぁ」 困ったように眉を寄せるユーリに微笑んで、コンラッドはそっと黒髪に自らの指を滑らせる。 「そう焦らなくても、いずれ本人達にだって会う機会があるでしょうし?」 「えっ、ホントに?」 「えぇ、あなたは魔王でしょう?彼らが今のシマロンを仕切っているんですから、今後の外交を確かなものにしていくためにも、むしろ会って頂かなくてはならない人達ですよ」 そう言われれば確かに、シマロン側からアポの申し入れがあったってギュンターが言ってたような・・・。 「コンラッドの部下だったんだから、いい人達なんだろ?」 「もちろん、でも本当に信頼できるかどうかは、最終的にはユーリ自身で判断するべきですよ」 「わかってるよ・・・でも、良かった。あんた帰って来てくれたもんな。おれ、信じてたけど、やっぱり辛くって・・・もう二度と、あんな思いしたくない」 目元を潤ませたユーリの犯罪的な可愛さに悩殺されかけたコンラッドだが、押し倒したくなる衝動を理性を総動員して抑え込み、愛しい主の背を落ち着かせるようにそっと撫でてやる。 「大丈夫、俺はここに居ます。例え再び彼らと逢うことがあったとしても、もう俺はあなたのウェラー卿コンラートでしかない」 「コンラッド・・・」 見つめ合い寄り添う二人に、哀しいかな今回ばかりは突っ込める役者が傍には居なかった。 後日、新刊を手にしたヴォルフラムが次男の部屋に怒鳴り込んでくるのはまた別の話。 プラウザよりお戻り下さい。
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