ウェラー卿の大冒険 シマロンを駆ける獅子 愛の炎に燃えて編
〜暗躍する眞魔国流行仕掛人〜


「ハッ!」
ピシリ と、鞭打つ鋭き音が響く。どこまでも青く広がる草原。その上を、向かい風に金髪を 煽られながらも白馬を駆る若き騎士の姿があった。彼の長い足が力強く馬の腹を蹴る たびに、濃緑の海原が次々と背に流れていく。
淡い橙色の光を放つ太陽は、既に地平線の向こうへと姿を隠しつつあった。夕日を一杯に浴びて温かな色味を帯びた草原という牧歌的な風景の中にあって、此の騎士を包む空気だけは、まるで肌をも切り裂くような緊迫感を帯びている。
――――――騎士の名は、ウェラー卿コンラート。吾等が英雄ウェラー卿その人である。
彼の命を救おうとして捕らえられた美しい姫君・・・愛するマリーア王女を救い出すべく、単身、愛馬脳鑑定(のうか んてい)を駆っているの だ。シマロン王家の血を引くものでありながら、ウェラー卿を愛するあまり自らの同胞を裏切ったものとして、彼女は白亜の塔に幽閉された。かの残虐にして極悪非道なる人間どもにより、高貴な身分でありながら、罪人を繋ぐ塔の上へと追いやられたのである。肉親への愛情も持たぬ悪鬼によって、どのような目に遭っていることか!あの波打つ金色の髪は色褪せ、深海魚の卵の如き赤き唇も、甘く色づいた薄紅色の頬もすっかり青ざめ、憔悴してしまっているかもしれない。蒼穹を映し込んだかのような青き瞳は、苦痛の余り日夜真珠の涙をこぼしているやも知れぬ。否、そうに違いないのである。愛する姫の美しい顔を思い出し、ウェラー卿はぎりりと唇をかんだ。
彼の隆々と盛り上がった逞しい体躯の上を、熱い汗が滑り落ちた。汗流れるその先、筋肉のせり上がる脇腹から肩にかけ、無骨な鎧をも引き裂き、ざっくりと深い傷口が開いている。嗚呼なんと卑怯なことか、マリーア王女が捕らえられたと知り、彼女の元へと急ぐ其の一瞬の隙をついて、大臣の姦計が彼を襲ったのだ。不意を狙い射掛けられる無数の矢を、片端から叩き落したものの、狡猾なる悪党の罠は無慈悲にも彼の血肉を抉り取ったのである。まだ血も乾かぬ痛みを耐え、それでも尚、彼の強き双眸は、衰えることのない青い光を湛えている。鋭い視線は屹と前方をねめつける。それはまるで、草原の遥か彼方に聳え立つ、あの白亜の塔を。そこで舌なめずりしつつ待ち受けているであろう、姫を捕らえた冷酷なる敵どもと、彼らの仕掛けた卑劣なる罠を、睨み据えているかのようであった。
「嗚呼、偉大なる魔王陛下・・・愚かな臣をお許し下さい。我が忠誠は一点の曇りも無く、 永劫に貴方様のものです・・・」
ウェラー卿の口から、我知らず常の祈りが零れ落ちる。
「只、 この時ばかりは!何卒愚かな此の臣に、お力をお貸しください・・・!」
脳裏で、慈悲深き陛下の御尊顔が、その美しき黒眸が微笑みを形作る。倒すべき国の姫君を愛してしまった愚かさ、・・・そして任務も、国を発つとき胸に誓った強固なる志も 何もかもうち置いて、ただに己が胸の内を焦がす激しい愛情のために、脳鑑定を駆る浅薄さも、彼の御方に忠誠を捧げる身として呪わしい限りである。・・・そう、それは分かっている。しかし、
「それでも私は、かの美しき姫君、マリーア王女を愛してしまったのです・・・!!」
逞しさの表れる厚い唇が月に向かって咆哮するその最後の響きは、嘆きの色までも帯びているようであった。これは罰なのであろうか。敵国の王女を愛してしまった自分への。 知らず、精悍な彼の頬を涙が伝い、引き締まり割れた顎から、風に誘われ霧散した。 髪と同じ金色の長い睫毛を悲しみに震わせ、ウェラー卿は脳鑑定の鐙(あぶみ)を力強く踏みしめた。塔は、もう目前に迫ってい


「・・・・・・あれ」
一瞬何が起こったか分からずに、ユーリは手元を―――先ほどまでそこに本があった場所を――――凝視した。読みかけで中途半端に途切れた回りくどい文章が、まだ掌に残っている錯覚に陥って、何度か握ったり開いたりしてみる。
手元よりも更に下、見慣れた軍靴からゆっくり視線を持ち上げていくと、なんとも複雑そうな表情を浮かべた鳶色とかちあった。銀色の星を散りばめたそれからして、ついさっきまで読んでいた本の‘同姓同名の’主人公とは似ても似つかない。細かく震える手にしっかり自分から取り上げたばかりの『ウェラー卿の大冒険 シマロンを駆ける獅子 愛の炎に燃えて編』の新刊が握られている、否、握りつぶされているのを確認する。
ついでに、彼の兄並みに寄った眉間の皺と、背後にしょったドドメ色の雲も。今の彼の心境を率直に書き表すとこうだろう、「それは破り捨てたはずなのに!」・・・主君を心の 底から信奉する彼は、先日さる経緯により行った‘アルバイト’先におけるユーリの 「ちょっとトイレ」という言葉の全てを鵜呑みにしていたらしい。
「・・・・・・やっほー、コンラッド」
「『やっほー』じゃありません!!何読んでるんですかッ」
あー、 やっぱり怒られたー。けど、怒りのせいか語尾がちょっと裏返ってるよコンラッド。 心の中だけでこっそり突っ込んで、ユーリは敢えて悪びれない笑顔を返した。毎度毎度この本を読んでいるのを見つかるたびに繰り返してきた(しかしここのところは全て廃棄したと思い込んでいた 名付け親側の不手際によりご無沙汰になっていた)馴染みの問答をすべく、にっこり笑って「ちょうだい」の形に手を差し出す。
「それ、返して。まだ途中なんだって」
「嫌です」
「何でだよ、ずっと楽しみにしてたのに」
「陛下の脳細胞を死滅から守るためです」
「そんなもんで死滅なんかしないって。むしろストレス発散で健康に良いって言ってんだろー?てか、陛下って呼ぶな名付け親」
「すみません、ユーリ・・・・・・そんな残念そうな顔しても駄目です。返しませんよ」
ち、手強い。最初の頃は悲しそうな顔で見上げれば一発で陥落してくれたものだが、最近は このベラボーに甘い名付け親も良い加減学習したらしく、なかなか強硬な姿勢を崩してくれない。現在も腕組みしたまま鉄壁の守りを見せている。ユーリは軽く顔をしかめると、しばし考えを巡らせた。
「・・・コンラッド」
「なんです?」
ダイレクトな頼み込みコース、望み薄。普段の爽やか笑顔もすっとばして口を一文字に引き結んだコンラッドは、直球勝負じゃ陥落してくれそうにない。仕方ない、ここは一つ変化球でいくか。
そんな不穏な思考を何となく察したのか、コンラッドも本を握りつぶしたままちょっと身構えた風を見せる。にらめっこが暫く続くかと思いきや、沈黙は意外に早く破られた。
「・・・コンラッド、・・・ごめんな」
「え・・・?」
急にしゅんと萎れた風なユーリの様子に、コンラッドは拍子抜けして目を丸くした。その眼前で、ユーリ陛下はますます慙愧に堪えないといったご風情になる。黒目がちの大きな瞳をじっと伏せて、しゅんと俯いてしまった。
「ゆ、 ユーリ?」
「ほんと、ゴメンなさい・・・コンラッドがこの本きらいだって、知ってたはずなのに。でも俺、・・・見たかったんだ。こんなふうに、英雄だって、かっこいいって皆から賞賛されてるコンラッドを、さ・・・」
嘘八百もいいところである。ユーリは頭の冷静な部分で自分にそっと突っ込みを入れた。ついこのあいだまで、バカだのアホだのギャグ小説だのさんざっぱら笑い倒していたくせに。大体、中途半端に古臭い文章にしろ、無駄に作者の感慨満載のため回りくどいことこの上ない表現にしろ、汗みずく筋肉隆々金髪碧眼のコンラッドにしろ、そんなよすがなどになるものか。少なくとも最後のは、シマロンを駆けるアーダルベルトの 間違いだろう。
ところが、人の情とは恐ろしい。可愛い名付け子の萎れた様子に、思わずたじろいでしまったものだ。
「そんな、・・・ユーリ、すみません。少し言い過ぎたようです」
「愛の前に賢者など居ない」と気障な台詞を吐いていたのは誰だったか定かでないが、この時のコンラッドはまさにその言葉通り。座ったまま俯く主君に、慌てて膝を折って顔を覗き込むようにした。しおしおと落ち込んでしまったユーリを、何とか安心させようと微笑いかける。
「ありがとうございます。そんな風に思って下さっていたとはつゆ知らず、酷い物言いをして申し訳ありません」
「・・・じゃあ、おれがこの本読むの、許してくれる?」
「構いませんよ」
実を言うと多少、いやかなり抵抗があるが、そんなものは誤差の範囲内だ。彼の全ては可愛い名付け子のためにある。少しは気を取り直してくれたかと思いきや、まだ面伏せたままのユーリの表情は、陰になって窺い知ることができない。
・・・顔が 見えたら気付いていただろう。その口元が「やりぃっ」と言わんばかりに会心の笑み を形作ったことに。
「新刊 が出るたび購入するのも、ヴォルフと一緒に読むのもグウェンやギュンターに貸すのも、許してくれる?」
「・・・っええッ、かまいません」
我慢だウェラー卿コンラート。この身の全ては陛下のためにあるのだ。コンラッドは心中で復唱し、葛藤を押し殺した。一方のユーリは、俯いたままちらりと窓の外を確認する。ちょうど向こうから、数人の衛生兵を連れた緑色の髪が直ぐ下を通りかかるのが見えた。
「ギーゼラやダカスコスに見せるのも、自由恋愛旅行から一時帰国したツェリ様にレンタルするのも」
「はい」
「彼らを通じて血盟城内や眞魔国軍内で推奨しまくって、めっちゃくちゃ流行させ‘た’の も、許してくれるよね」
「はい、もちろ・・・・・・って、ええッ!?」
「っしゃあ、言質とった!!」
ぎょっ として油断したコンラッドの一瞬の隙をつき、言うが早いかユーリは半分プレスされ た『ウェラー卿の大冒険新刊』をひったくった。止める暇もあらばこそ、とっさに出された腕をするりとくぐりぬけ、窓際に駆け寄る。
「ユー リ何をっ・・・」
「ギーゼラーっ!!おはようっ・・・んでこれ、パスっ!」
そう元気よく叫ぶと、勢いよく本を放り投げた。突然の行動であったにも関わらず、窓下で 爽やかに挨拶を返したギーゼラの手は、それを難なくキャッチする。彼女の周りで魔王陛下に最敬礼していた兵士たちが、わっと歓声をもらした。一方ユーリのすぐ後ろでは、声にならない悲鳴が上がる。
「それ新刊!前の続きだからー、読んだら皆にも回して?」
「ありがとうございます。畏まりました、陛下」
満面の笑みを向けてくれる至上の主君と、その傍らで青くなっている絶対的守護者という組み合わせに笑みを漏らしつつ会釈して、ギーゼラは歩み去ろうとする。窓の内側で、いつになく焦った様子で踵を返すウェラー卿の背中が見えた。追いかけるつもりらし い。

本日快晴、血盟城には温かな日差しが降り注ぐ。
慌しく階段を駆け下りる音が遠のいたあと、残された陛下が得たりと笑ってスペアの本を取り出したことに・・・そして魔王陛下の居室のベッド下には、大量のレンタル用『ウェラー卿の大冒険』シリーズが隠されていることに、哀れな獅子が気付く日はくるのだ ろうか。

                            ・・・終・・・



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紅里様から頂きました、「ウェラー卿の大冒険」でございます。いかがでしたか? この続きも、きっといつか読ませていただけるものと思います。 紅里様、ありがとうございました!



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