ずっと…2 |
露店の灯火は煌々と辺りを照らし、山頂を目指す人は皆その光の中で笑みを浮かべている。その笑顔の力に俺がなっているなんて信じられるほど、俺は単純でもなければ傲慢でもないと思う。 山頂はほどほどの人込みで、ほどほどに賑わっていた。 「日の出は麓からでも見えますからね。地球の様に高層ビルもありませんし。それにこれには日本の様な宗教的な意味もありませんので、山頂にいることには皆拘らないんですよ」 なるほど。新年の賑わいを楽しむことが大切で、日の出を見るのはクライマックスのオプションなわけだ。 「ねえ、お父さん、あれがそう? あれが魔王様のおいでになるお城なの?」 そろそろ空が白んでくるかな、と思った時、ふと近くからそんな声が聞こえてきた。見れば、山頂の柵にもたれ掛かるように、親子連れの一家らしい一団が佇んでいる。 「そうだぞ。あれが魔王陛下のおわす血盟城。それからあちらが眞王廟だ」 「ああ、クライスト領からはるばる出て来たかいがあったわねえ。陛下がおいでになるお城を眺めながら、朝陽が上るのを見られるなんて、なんて幸せなのかしら。ねえ、今ごろ陛下は何をなさっていらっしゃるのかしらね?」 うっとりと呟くの母親だろう。お母さん、魔王は今あなたの真後ろに立ってます。 「もしかすると、俺たちと同じように朝日をお待ちかもしれんぞ。そしてきっと魔族の一年の幸せを祈って下さるんだ」 お祈りしましたとも。舌を噛みながら、棒読みで。ああ、何かちょっと身の置き所がなくなってきたぞ。 「お美しい方なんですって。お母さん、知ってる? 学校の先生が言ってたの。魔王陛下は双黒で、歴代一番どころか、地上に存在することが奇跡な程の美貌の持ち主でいらっしゃるって! 敵である人間たちまで、陛下のあまりのお美しさに思わずひれ伏してしまったんですって!」 逆に俺はのけぞってしまいマシタ。……コンラッドがすかさず背を支えてくれる。 「陛下が歴代一番なのは、お美しさだけじゃないよ、お嬢さん?」 彼らの近くにいた男性が、思わずといった様子で彼らに声を掛けた。 「陛下は偉大なお方だ。あのお方ほど俺たち下々の民を思いやってくださる魔王陛下なんぞ初めてだ」 「そうともさ」 別の場所から、今度は年配の女性の声が上がった。 「あたしは前の戦争で、息子を三人も亡くしちまったがね。前王の御世まで、上の人たちにとっちゃ、あたしらの命なんてないも同然だったんだ。どれだけ使い捨てても平気だったんだよ。でも今の陛下は。ユーリ陛下は違うんだ! あのお方は、私ら一人一人の命を大切に思って下さっている。あたしらみたいなちっぽけな生命でも、ひとつも取りこぼさずに、大切に慈しんで下さっている…!」 そうだそうだと、あちこちから声があがった。 「民の血は一滴も流すな、戦は絶対にならんと仰っておられるそうだ」 「陛下自ら敵地に乗り込んで、人間たちと渡り合われたと聞いたぞ」 「その証拠に、昔は一つの友好国もなかったのに、今じゃあ陛下の御威徳を慕って、続々と人間たちが我が国に友好を求めてくるじゃないか」 「陛下の偉大さを認めないシマロンも、もうお終いだとさ。国王が民を捨てて、身一つで逃げ出したと聞くぞ」 当然の報いだと、そこら中の人々が一斉に笑った。俺とコンラッドを除いて。 居たたまれなくて、もうどうしようもなくて、俺は人目も憚らずコンラッドの胸に顔を押し付けていた。 コンラッドが俺の両肩を掴み、胸から俺を引き剥がす。救いを求めて見上げる俺に、コンラッドが真剣な顔で口を開いた。 「逃げないで。その目で、その耳で、そしてその胸で、しっかりと受け止めてください。民が、どれほどあなたを慕っているか。あなたに…どれほど救われているか…」 「コンラッド……」 くるりと向きを変えられて、俺はすっかり盛り上がった人々に再び顔を向けた。 「知ってるかい? シマロンあたりじゃあ、国民の半分以上が自分の名前も書けないんだとさ」 「どういうこと?」 あちこちで子供達の疑問の声が湧く。 「身分の低いものに教育はいらないんだとよ。そういった民は病気になっても医者にも掛かれないそうだぜ。学校にいけるのも医者に診てもらえるのも、貴族と金持ちだけだそうだ」 「どうして!? 教育と医療を受けるのは国民の当然の権利でしょう? 学校でちゃんと教わったわ! どうしてそんなことに、国がお金を取るの? 人間の王は、自分の国の民に、健康で、ちゃんとした知識を持ってもらいたいとは思わないの?」 信じられないという子供達の声や、それに賛同する大人たちの唸り声がそこら中から上がった。 「そうは言うけどね。この国だって、ちょっと前までは似たようなもんだったさ。戦後の混乱した時期なんぞは、学校どころじゃなかったしねえ。でも、ユーリ陛下がご即位なさってからは変わったよ」 「そうそう。えーと、何だっけ…、そう『国民の公共の福祉と医療と教育の充実』とかいうのを、陛下が宣言なさってから、学校も病院もすっかりよくなったねえ」 「『公衆衛生の拡充』も忘れちゃだめだよ、お父さん。道もきれいになってるし、国土全体に上下水道を整備する十年計画も、計画よりずっと早く進んでるし。海水の淡水化計画もちゃくちゃくと進んでるんだよ!」 おお、よく勉強してるな、ぼうず、と、父親が息子の頭をぐりぐりと撫でる。少年が自慢げに胸を反らせた。 「……人間の子供は可哀想ね…」 思いもかけないほど近くで、小さな声がした。すぐ隣に、人間の年齢にしたら五歳程度の少女が、哀しそうに佇んでいる。 「私たち、ユーリ陛下の御世に暮らせて、とっても幸せね」 まっすぐに見上げてくる、無垢な青い瞳。うす闇の中でも分かるその輝きが、俺の胸を貫く。 その時、繊細なガラスが触れ合うような、澄んで透明な音にならない音が空気を震わせた。 「太陽だ!」 一年で最初の曙光が、その腕を何本も天に伸ばす。うす暗かった空が、青と紫のグラデーションに黄金の点描を加えて輝き始めた。そして滴るようなオレンジ色の太陽が、ゆっくりとその姿を山の稜線から現した。 「お城が光ってるよっ!」 本当だ。王都全体が朝露に濡れて、それが登り始める太陽の光を照り返している。特に血盟城は、石積みの壁が黄金色に輝いて、あまりの眩さに目がつぶれそうだ。……そのせいかな、何だか涙が出てきた。 「魔王陛下万歳! ああ、ユーリ陛下の御世が永遠に続きますように!」 「眞王陛下、どうぞユーリ陛下をお護り下さい。ご健勝でお過ごしなされますように」 「ユーリ陛下が、いつも笑顔でいらっしゃいますように。毎日がお幸せでありますように」 眞魔国万歳。眞王陛下万歳。ユーリ陛下万歳。魔族に栄光あらんことを。 歓喜に満ちた声ー己の幸せではなく、国や俺を想う祈りの声が、一斉に上がリ始める。山頂が希望の光で満たされる。 ……俺だけを取り残して。 俺は何年経ってもへなちょこ魔王だ。 やることなすこといきあたりばったりで、考えるより先に言葉が出るから、しょっちゅう皆を困らせている。 確固とした信念やポリシーや勝算があったから、何度も人間の国に飛び込んだんじゃない。好奇心だとか、たまたま吹っ飛ばされたとか、思い込みの突っ走りだとか、俺の行動の初っ端は大抵がこんなもんだ。 公衆衛生も公共の福祉も、全部日本で行われてることを持ってきたに過ぎない。俺の独自のアイデアなんて、欠片もない。偉いのは俺じゃない。国内情勢も、技術レベルも、国民の意識も、何も分かっていない俺の思いつきや、受け売りの政策を押し付けられて、それでもそれを実現しようとがんばってくれる臣下の皆が偉いんだ。 ギュンターが、グウェンが、たくさんの官僚や技術者や学識のある人を集めて、何度も何度も協議を繰り返し、俺の主張との摺り合わせをしてくれた。地球で成功している事は、全部いいことに違いないと信じてた当初の俺は、考えなしに実行を願って、それがどれほど皆の負担になっているか、これっぽっちも考えたりはしなかった。そして誰も、自分たちの苦労を、俺に教えようとはしなかった。誰も。 だから、俺は……。 俺は、誰より大切な人に、誰より辛い苦労を味あわせてしまったんだ。 …背中が暖かい。俺が寄りかかっても、びくともしない頼りがいのある胸。逞しい腕、節くれだってゴツくて大きくて、そして何より優しい手指…。ぼやけて見えるその指に、俺は自分の指を絡めた。俺の胸で組まれていた手が解け、改めてそっと俺の手を包んでくれる。 「コンラッド………」 結果オーライなんだ。まさしくこれこそが。 ちょっと、ほんのちょっと間違えていたら。 俺は希代の無知な暗君として、歴史に名前を残していただろう。誰にも相手にしてもらえない政策をただ一人声高に叫び、一人ではしゃぎまわって、勝手に人間に囚われて。そうなれば、国は大か小かのシマロンに滅ぼされていたかもしれない。そしてコンラッドは…。 ギュンターと並んで、最初はたった二人だけだった俺の味方。そして、俺の全部を無条件に受け入れてくれたのはコンラッド、ただ一人。そのコンラッドは、「何が何でも戦争反対」だの「永世中立を目指す」だの「眞魔国に憲法九条を」だの、中身は空っぽの癖に、ただそれは正義だからと実現を叫ぶ俺の希望を叶えるため…命を掛けた。 理想を実現させるために何をなすべきか、具体案なんかこれっぽっちも持っていない俺を責めもせず、彼は自分のできる最大の行為でそれを叶えようとしてくれた。 でも俺はそんな事に気付かずに、コンラッドに裏切られたと彼を恨んでいたのだ。 もしもちょっと、ほんの一歩、道を踏み間違えていたならば。 コンラッドは裏切り者の汚名を纏ったまま命を亡くし、俺は永遠に彼を失っていたかもしれなかった。 何もかも、俺がバカだからだ。 「あなたの理想は正しい」 いきなり耳もとにコンラッドが囁いた。 「だから皆あなたを信じるのです。そして、それがどんなに困難な道であろうと、あなたに従っていくのです。民の想いを、負担に考えないで下さい。あなたにプレッシャーを掛けたかった訳じゃない。ただ…どれほど皆があなたを慕っているか、あなたの理想が、どんなに皆に希望を与えているか、それを知っていて欲しかったんです」 「…俺は…一人じゃ何もできない…バカなんに…」 「どうして一人でやらなきゃならないんです? あなただからこそ、あなたがいたからこそ、国は変わったんです。人も変わった。あなたの理想に近づこうと、皆が確実に変わってきた。そして、皆があなたの負担を少しでも肩代わりして、苦労を分かち合って、あなたと共に歩みたいと願っている。…どうしてか、分かりますか?」 俺はふるふると頭を振った。涙の雫が、コンラッドの手に落ちて、跳ねた。 「皆があなたを愛しているからですよ」 俺は背後を振り返った。指でそっと目元を拭われ、ようやくコンラッドの顔がはっきりと視界に映る。柔らかな微笑み。穏やかな眼差し。できることなら俺だけに見せて欲しいと、痛みと共に胸に覚えるようになったのはいつからだろうか。 「コンラッド、も?」 「もちろん」 大きく頷いて、コンラッドが顔を近づけてきた。胸がきゅっと緊張する。 コンラッドの頬が、俺の頬にそっと寄せられた。かすかに触れ合う皮膚の感触に、つま先から頭のてっぺんまで、熱いものが一気に駆け上がり、心臓の音が一段と大きくなった。 「愛していますよ、ユーリ」 一瞬だけ、頬が強く触れ合った。そしてすぐに離れると、今度は反対側の頬に、コンラッドの頬が押し当てられた。 「愛しています」 キスじゃない。頬が触れ合うだけ。それなのに、胸が甘やかな疼きに満たされる。こんなの初めてだ。胸の中が甘いって、何なんだ、それ。いや、その前に。何考えてるんだ、俺? コンラッドは、臣下として主を「愛して」いると言ったんだ。信愛とか親愛とか、そんなんだろ? 別に恋愛感情とかじゃないだろ? なに期待してんだ、って、何考えてるんだ俺っ!? 期待って何だ。おい、ちょっと待て、ヘンだぞ、俺っっ!? 「…ユーリ? どうしました?」 「やっ、なっ、何でもっ…!」 突然腕の中でじたばたしだした俺に、コンラッドが不思議そうな声で聞いてきた。しっかりしろ、俺! 「…コッ、コンラッドはっ…」 「はい?」 「……コンラッドは、じゃあ、もうどこにも行かないよな? ずっと俺の、俺だけの、側にいてくれるよな?」 俺の一番欲しい言葉をすぐにくれると思ったのに、コンラッドは表情を消して俺を見つめたまま、何も言ってはくれなかった。そして腕を俺の背に回し、俺をそっと抱き寄せた。コンラッドの胸に顔を埋めて、それでも俺は答えを待つ。 「あなたを愛していますよ、ユーリ。だから、あなたの理想を叶えたいから、あなたの幸せを願っているから、俺は俺のできる事をします。力の限りを尽くして。だから…」 「もうしてくれたじゃん! シマロンで、あんなに苦労してくれたじゃん! もういい、いやそうじゃない、もうイヤだ! コンラッドが俺の側から離れるのは、もう絶対にイヤだっ!!」 「ユーリ…」 俺を抱きしめたまま、さっきよりもずっと強く抱きしめたまま、それでもコンラッドは俺の欲しい言葉をくれない。 「……ユーリ、ほら、太陽が昇りきりましたよ」 囁かれて、俺は反射的に空を振り仰いだ。夜が明けた。新年、最初の朝がきた。新しい一日が今から始まる。 山頂の広場は、キンと冷えた大気の中、笑顔の人々が三々五々景色を楽しんでいた。「お腹が空いた」とか「もー、眠いー」とか「寒いね」とか、気楽でのんびりした声がそこらから聞こえてくる。日の出を拝み終え、感動もし終え、日常がゆっくりと戻ってくる。 「お兄ちゃんたち、恋人同士かい。いいねえ、若いねえ、羨ましいねえ」 突如、通りすがりのおじさんに声を掛けられて、俺ははたと気がついた。 「…げっ」 こともあろうに俺たちは、広場の真中、衆目のど真ん中でしっかりと抱き合っちゃったりしてたのだっ! よくよく見れば、俺たちを指差してくすくす笑うお嬢さん達や、見ちゃいけませんと、子供を目隠しするお母さんが、あちこちにいるじゃあありませんかっっ!! 大慌てで飛び退る俺の様子がよっぽどおかしかったのか、コンラッドが盛大に吹きだした。 何だよ、その態度。照れくさいとか恥ずかしいとか、あんた思ったりしないのかよ!? ああ、顔が熱い〜。 俺はどうにも居たたまれなくなって、帽子を目深に被り直し、柵まで小走りに駆け寄った。血盟城が朝日に眩しい。緑もきれいだ。街からも、活気のオーラみたいなものを感じるぞ。うんうん。だから、「あ〜ん、あの子可愛い〜」「離れちゃった、惜しいっ」「彼氏もむちゃくちゃ格好いいよぉ。目の保養だわねー」「来てよかった。眞王様ありがとうございます〜」などという意味不明の数々の声は、一切シャットアウトです! 必死で城を見つめる俺の背後に、慣れた気配が近づいてくる。俺は大きく息をついた。 「ね、コンラッド。眞魔国はきれいな国だよね」 「ええ、そうですね」 「俺はこの国を護りたい。護って、そして皆が幸せになれるように、力一杯尽くしたい」 コンラッドは、何も言わずに大きく頷いた。俺は一人じゃない、一人でがんばらなくてもいいと、その瞳が教えてくれる。ねえ、コンラッド。俺はあんたのその笑顔が、大好きで大好きで大好きで、そして何だかとっても切ないんだ。 俺はもう一度血盟城に目をやり、そして大きく深呼吸した。冷たい水気を含んだ、清涼な大気が身体の中に流れ込んでくる。 「コンラッド」 「はい」 「明けましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いします!」 深々と頭を下げる。 「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」 コンラッドも頭を下げた。そして二人同時に顔を上げ、二人同時に吹き出した。 新しい一年が始まった。 どんな年になるのか、俺たちはどこへどんな風に進んでいくのか、何も分からない。でもできることならどうか、皆が幸せになりますように。平和な一年でありますように。そして。 コンラッドと、ずっと、こうやって笑顔で過ごしていけますように。 プラウザよりお戻り下さい
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