帰 還・2

「コンラート! 待ってっ!」
 まだ人が立ち騒ぐ広間から一人出て、部屋に向かい歩き始めたコンラートの背後に、声が掛かった。
 振り返ると、金髪巻き毛の少女、そしてその後ろから同年代の少年が駆けてくる。
「アリー、…レイルも」
「…うそっ、嘘よねっ、コンラートッ、眞魔国に帰るなんてっ!」
 走りながら叫ぶから、すぐに息を切れる。コンラートの前に立った少女は、ぜいぜいと荒い息をつきながら身体を折り、両膝に手をついた。
「……コンラート、教えて下さい、どうして…?」
 問うレイルも唇を噛む。アリーとレイルは、従兄弟同士だ。アリーはカーラの妹であり、レイルは二人の父の弟の息子である。彼らの父は、どちらもシマロンとの戦いで命を落としている。
「コンラートは、魔王を裏切ったんでしょ? だったら魔王はコンラートを許さないわ。帰ったらどんな目にあわされるか分からないじゃない!? なのに、どうしてっ!!」
「アリーの言う通りだ」
 いつの間にか、カーラとクロゥ、そしてバスケスが来ていた。
「魔王は自分に逆らう者に容赦しないと聞いている。単に出奔しただけでなく、お前は人間側についた。いずれ共存を求めるとしても、今は我々は敵同士だ。そんなお前に……。死ぬ気か、コンラート!」
 クロゥの言葉に、全員が頷いている。
 コンラートは失笑を隠すのに思わず唇を歪めた。
 魔王が邪悪の帝王だという、数千年に渡る人間達の思い込み。確かに残虐王だか殺戮王だかが、古には存在していたらしいが。それにしても。
 ………自分の命を狙う者にすら、手を差し伸べずにはいられないあの人を。あの、優しい人を。
 この誤解を解くには、かなりの努力が必要だ。コンラートは胸の中でため息をついた。
 ………できればその仕事に力を尽くす事を、あの人が許してくれればいいのだが。
 信頼を失った自分に、それはもうできないかもしれない、と考えたところで、コンラートは今度こそ本当に苦笑した。
 結局、何をしても、どんな状況でも、思いはいつも「彼」に帰る。
「コンラート!」
「……ああ、すまん。そうだな…」
 心配してくれて、ありがとう。コンラートは頭を下げた。虚を突かれたように、五人が口を開きかけたところで固まった。
 ここにいる全員と、本当に長い間共に過ごし、共に戦った。同志だと、互いを呼び合った。世界のこれからについて、激しい言葉を交わしあった時もある。
 そして。ただの一度も、真実を語った事はなかった。

「コンラート」
 エレノアがいた。
「あのように大勢いる中では、腹を割った話もできません。今夜、私の部屋で話をさせて下さい」
「エレノア…」
「あなたと私は、長い日々よき友人でした。盟友であり、親友だと思っています。今も、これからも。親友として、話がしたいのです。お願いします、コンラート」
「……分かりました」
 その信頼が、友情が、自分の心を凍らせる。
『ホントにあんたはいっつも爽やかに笑ってるよなっ』
 かつてそう言ってくれた人がいる。
『いつもニコニコ好青年ビームが全開じゃん』
 そう言ったあの人の笑顔は、太陽よりも眩しく、暖かく、かつて虚ろだった心を満たしてくれた。

 ………あなたが見ていた俺の笑顔がどんなものだったのか、今の俺には思い出す事もできません。


 夜半。エレノアの部屋には、二人の他に、ダード師、カーラ、アリー、レイル、そしてクロゥとバスケスがいる。
 大きなソファセットに、身分に関わりなく座り、それぞれの前にはお茶が並べられていた。
「コンラート。眞魔国には、確か血縁の方がおいでになるのでしたね?」
「ええ。母と、兄と弟が一人づつ。血縁というだけなら、母方の親戚がそうなのでしょうね。まともに話した事もありませんが」
「ご兄弟とはお父上が違うと」
「兄弟三人とも父親が違います」
「ご身分も違うのでしたね」
「ええ。兄と弟は、大貴族の父を持っています。俺は…ご存じの通り、父親は無一文の、それも卑しい人間で、剣の腕以外何も持たない流れ者でした。ベラール王家の血筋など、魔族には何の関係もありませんし、母親が貴族階級だったから、そのお情けで貴族の末席に加えられたに過ぎません。…公式の場では、俺は母にも兄弟達にも、自分から口をきくことは許されませんでしたね」
 ほぼ事実だ。嘘は、母が単なる貴族女性ではなかった事だけ。
「眞魔国に戻れば、あなたは大変苦しい立場に立たされるのでしょう。どなたか援助して下さる方はいらっしゃるのですか?」
「…それは……」
 そうやって、彼らは誤解する。
 コンラートが、眞魔国でいわば虐げられた存在であると。家族の愛情も得られず、差別され、能力も剣の腕も何一つ評価されずに貶められた、孤独な存在であると。コンラートは曖昧な言葉と態度で、彼らがそう思い込む様にしむけてきた。そう思ってもらわなくてはならなかった。でなければ、コンラートが死を覚悟してまで国を出奔する動機が弱過ぎる。万一にも、眞魔国とコンラートが繋がっていると疑われる訳にはいかなかった。国と魔王を完全に見限る確かな理由があると思われてこそ、シマロンを倒し、本来己の血筋が支配しているはずだった土地を解放するという行為に真実味が増す。
 嘘はそう多くなくてもいい。大抵は本当の事ばかりだ。ただ、言わないでいることもまた多くある、というだけのこと。
 それがどれほど卑劣なことかも、彼らの純粋な思いをどんなに無惨に裏切っているのかも、ちゃんと分かっている。だが。

 全てのものに、誠実である事はできないから。

「私には夢がありました」
 エレノアが、お茶を一口含んで、そして言った。
「大シマロンが崩壊し、国を取り戻す事ができたら……、あなたとカーラが結婚して、そしてできた子が、後を継いでくれる、という夢です」
「おっ、お祖母様!」
 カーラが真っ赤になって叫ぶ。さすがにコンラートも、これには言葉が出ない。だが、ふと見ると、周りに驚いた顔は一つもなく、みな真剣な面持ちで自分を見ている。
 ……まさか、そんなことを期待されていたのか…?
「エレノア、俺には…魔族の血が…、それに俺が一体何歳だと……」
「そんなコト、関係ないわ!」
 叫んだのは、アリーだった。気が強くて興奮しやすいその性格は、その年頃もあって、いつも「彼」を思い出させる。
「関係ないわよっ。コンラートとお姉さまが並んだら、ホントにお似合いだって、みんな言ってるんだから! コンラート、お姉さまのこと好きでしょう? だって、いつだって一緒にいたもの。いつだって、二人で戦ってたもの! お姉さまだって……」
「アリー、やめなさい」
 激昂する妹を止め、カーラがコンラートに視線を向けた。
「…コンラート。私は……私という存在は……あなたをここへ留める力には…なれないのか?」
「…カーラ」
 初めて聞く、カーラの女性としての言葉だった。
 彼女は常に武装し、どんな血腥い戦場であろうと、絶対に「女」を見せなかった。他国の王や将軍達に遅れをとるまいと、祖母に替わり、祖国奪還を意志を背負って、必死で剣を奮っていた。
「…すまない。カーラ」
「俺たちはどうなる!?」
 それまでずっと我慢していたらしいバスケスが、とうとう大声を上げた。
「コンラート。山賊まがいの暮らしをしていた俺たちを、あんたは叩きのめして言ったよな? 『大シマロンが憎いなら、大シマロンという国を相手に戦え。弱い者を苦しめて溜飲を下げるのは、ただの下衆の仕業だ。祖国を思う資格などない。恥を知るなら、いっぱしの戦士だというなら、俺について来い』と。あの時から、俺はあんたに、生涯あんたについて行こうと決めた。これまでずっとあんたを見てきて、俺はその決心が正しかったと思っている。あんたは…すごい男だ。俺だけじゃない。部隊にいる荒くれども、皆がそう思っている。あんたになら、命を預けられるってな。そんな俺を、俺たちを、あんたは捨てていくってのか!?」
「……バスケス……」
「確認しておきたいんだが、コンラート」
 クロゥが冷静に口を挟んだ。バスケスの興奮ぶりとは反して、いつも通りの静かな口調だ。
「あんたはさっき、過去にケリをつける、と言っていたな。あれはどうなんだ? ケリをつけられたら、魔王の怒りから逃れられたら、ここに戻ってくる、と考えてもいいのか?」
 ハッと、皆の表情が変わった。
「…コンラート…?」
 何も言えない。
 もう二度と彼らに会う事はないかもしれないし、会うかも知れない。実際、大シマロンは瓦解したとはいっても潰え去った訳ではないのだ。再びこの地を踏まないとも限らない。その時、自分が流浪の剣士の仮面を被ったままなのか、眞魔国の軍服を纏っているのかも、今は何も分からない。
 そもそも、自分が生き延びていられるかどうかも……。
「我々から、魔王に親書を出す、ということはできないかね?」
 ダード師が静かに口を挟んだ。
「私は元々、魔族が邪悪な存在だとは考えていない。数千年に渡る誤解、そして20数年前のあの不幸な戦の記憶もあるが、我々の共存は決して不可能ではないと思う。いや、そうでなければ、この世界は遠くない未来に滅亡してしまうかも知れないのだ。それを防ぐためにも、魔族の力が絶対に必要になる。……大シマロンの寿命は尽きた。これからこの土地がどうなっていくかはまだ未知数だが、新しい国が魔族と手を結ぶ事は充分に可能だろう。コンラート、君という存在が、我々の魔族に対する偏見を打ち消してくれた。それを率直に魔王に伝えたい。君がこれからの、人間と魔族との共存に不可欠な人材であると。どうだろうね?」
「魔王の意志がどこにあるか分からなければ、意味がないのではないですか?」
 クロゥが首を横に振りながら反論する。
「卑しい人間など滅んでしまえと考えているなら、人間世界の破滅は願ったり叶ったりでしょう? だとすれば、コンラートは絶対に許されませんよ。八つ裂きにされるのがオチです。それに、大シマロンはほぼ滅んだとは言え、いまだ新しい政権の影すら見えません。そんな我々の言葉など、魔王にとって聞く意味はないでしょう」
「……私はそうは思わんのだよ、クロゥ」
 ダード師の静かな反論に、コンラートはふと視線を移した。
「希望が見せる錯覚かも知れん。単なる思い込みだと言われても仕方がないが……、私は魔王は人間との共存を願っていると思う」
「…なぜ、そう思われるのです?」
 思わず、コンラートは尋ねた。
「これまで、人間の国の至る所で、不思議なくらい魔王の影を見たのだよ。…もちろん魔王の姿を見た訳ではない。だが、私もこう見えて逃亡生活が長いからね。様々な場所を彷徨ってきた。その途中途中でね、時折、魔王が確かに存在していた影を見たのだ。そしてそこには……人間への憎悪も不信もなく、ただ、そうだね、言葉にするのは難しいのだが、何らかの『願い』が見えたのだよ。だから私はなおさら、当代の魔王に期待をしておるのだな。それに、魔王にその気がなければ、このところ眞魔国と友好関係を結んでいる国が次々と増えている事の理由がつかない」
「…単に、お互いの利益が一致しただけかも知れません。もしくは…魔王に誑かされたか、操られたか…」
「やれやれ」ダード師はため息をついた。「クロゥ、お前さんはコンラートの副官だろうが。魔族との共存を一番願っておるのは、混血故に苦労してきたコンラートなんだよ?」
「その点は、俺にとってどうでもいい事です。俺はコンラートを魔族だとは思ってませんし、俺が従うのはコンラートその人であって、血など関係ありませんから。それよりも老師、言動にもう少し注意を払われた方がよろしいでしょう。あなたのお人柄と持てる知識は皆の尊敬の的ですが、こと魔族に対しての見識には眉を潜める者も多いのですよ。ちなみに俺もその一人です」
「………道は遠いのう。なあ、そう思わんかね? コンラート」
 コンラートは、少なからぬ感謝の意を込めて老人に頭を下げた。
「…コンラート、眞魔国に戻って、あなたは一体何のけりをつけようというのですか?」
 私にはそれがよく分からない。と、エレノアが呟いた。
「俺が……今までやってきた事、全てについて、です」
「その是非を魔王に諮ろうとするのはなぜです? あなたが今までやってきた事は、大シマロンの圧政を覆し、民を救おうというもの。ベラール王家の嫡流であるあなたが、あなたの土地を奪還するためのもの。魔王には関わりのないことです」
「それは……」
 それはつまり、コンラートが魔族以外の何ものでもなく、魔王以外に忠誠を捧げる相手はなく、眞魔国以外に祖国と呼ぶ国はないからだ。
「……命を奪われる可能性が、高いのではないですか…?」
「…………………」
 わざと答えなかった訳ではない。答えようがなかったのだ。
 彼は。自分を処刑するだろうか? 理由はどうあれ、あれほど苦しめたのだ。
 ……いや、彼はそんなことはしない。そして。
 そんなことは問題じゃない。
 大切な事は、自分がもう彼の信頼をなくしてしまっているのかどうか。なくしてしまうのは当然としても、それをもう一度取りかえす事ができるのか。そのチャンスを、与えてもらえるのかどうか。その事だ。もし駄目なら。
 彼の護り手として、今ヨザックがいる。彼は見事にその役目を果たしている。当初の、斜に構えて彼を見ていた姿から考えられない程見事に。そして弟のヴォルフラムが、わずかな時間に驚く程成長したという。精神的に彼を支えてすらいるらしい。丸っきり子供だったのに。
 そして。思いもしなかった存在までが現れた。双黒の大賢者、が。
 彼の周りは、これ以上望むべくもないほどのメンバーで固められている。もはや、コンラートの存在など必要無いといわんばかりに。
 もしそうなら。もし、彼の口からそう告げられたら。「もう、あんたなんかいらない」と。そうしたら。
 処刑など待つまでもない。俺は、俺は……………。
「コンラート!」
 ハッと、コンラートは顔を上げた。全員の視線が集まっている。
「……あ、ああ、失礼……」
「あなたの中には、まだ眞魔国が祖国として存在しているのですね?」
「それは…」
「でなければ、死を覚悟で帰るなどとは言わないでしょう? ……あなたの言葉の端々に、あなたと眞魔国との間に強い絆があることを、私はずっと感じてきました。あなたは隠してきたつもりでしょうが……。コンラート……」
「エレノア、俺は……」
「コンラート、私達のために、眞魔国を完全に捨ててはくれませんか? その心から、魔族としての自分を消し去ってはくれませんか? 王になってくれなくともいい。カーラを妻に娶ってくれなくともいいい。私達とともにこれからも生きていってはくれませんか?」
 エレノアがじっとコンラートを見つめていた。カーラが、アリーが、レイルが、ダードがクロゥがバスケスが。縋る様に、祈る様に、唇を噛み締め、瞬きもせず、コンラートを見つめていた。
「………許してください……」
 コンラートは頭を下げた。何を、とも、それが過去に対してなのか、未来に対してなのかも口にせず。ただ。
「……許して、ください……」



 払暁。
 しんと暗く、冷たい、朝。砦を囲む草むらが、風に撫でられてさわさわと鳴る。音といえば、それと遠くの川の水音だけ。
 コンラートは、馬にわずかな荷物を括りつけると、鐙に足を乗せた。と。
「行くのか?」
 気配と共に声が掛けられた。
「クロゥ…カーラも、あ……」
 二人の後ろから、バスケス、アリー、そしてレイルもやってきた。
「たぶんこんな事だろうと思ってな。コンラート、こいつはちょっとひど過ぎやしないか?」
「…すまん。だが……」
「私たち、待ってるからっ!」
 アリーの叫ぶような言葉に、コンラートは目を瞠いた。
「もう何を言っても、コンラートが帰っちゃうのは止められないんでしょ? だったらもう止めない! でもっ、でも、待ってるから。私達のところへ帰ってきてくれるの、ずっと待ってるから!」
「アリー……。皆も……」
 そこにいる全員が、アリーと同じ目でコンラートを見つめていた。待っている、と。
「……ありがとう」
 そして。済まない。

 東の空が白んできた。同時に、黒灰色だけだった空に、地平線にオレンジと紫、そして濃紺色のグラデーションが広がっていく。
 最初はゆっくりだった馬の歩みが、少しづつ少しづつ速くなる。そしてついにコンラートは、鋭い鞭を奮い馬を一気に走らせ始めた。
 砦が遠くなる。それに従って、コンラートの中からこれまでの生活が遠くなる。
 申し訳ないと思う。我ながら、何と酷い男だろうと思う。あれほどまでに慕ってもらえて。信じてもらえて。ありがたいと思う。しみじみ嬉しいと思う。それなのに。
 コンラートの中の一番大切なものは、わずかの揺らぎもしなかった。
 これほどまでに。これほどまでに。俺にはあなた、ただひとりなのだと。それをこんな形で実感しようとは。
 だから分かる。
 もしまたこの地にやってくるとしても。二度と彼らが望む姿をした男が現れることはないだろう。

 馬は全速力で走る。
 その軽やかなリズムが、コンラートの胸の高なりと一つになっていく。
 帰る。帰れる。あの人の下に。
 あなたに会いたい。もう一度、あなたの声が聞きたい。「コンラッド」と呼んで欲しい。たとえ。
 たとえ、その次の瞬間、己の手で己の喉を掻き切り、果てることになろうとも。
 会いたい。早く……!
「ユーリ……!」
 濃紺の長衣が向い風に煽られてはためく。
 地平線から朝陽が上り、光の帯が世界を照らす。その白い光の中を、コンラートは馬を走らせ続けた。




プラウザよりお戻り下さい




………なんてヒドいやつだ……。(笑)
こんな男を信じてついていく人達が、まことにお気の毒です。はい。
まあ、根がまじめな男なので、やらなきゃならん事はとことんやる、と、結果として皆に惚れられてしまうことになるんですね、きっと。
でも、どんなラブコールをされても、陛下命に変化はないのです。
でも、ヘタレてるから、すぐ後ろ向きになっちゃう。いかんですね。
今回は、もうホントにオリジナルでしたが、たまにこんなのもお許し頂けるとありがたいです。
ホントはもうちょっと、コンラッドの苦しさというか、笑顔を忘れてしまった部分を出したかったのですが、これ以上長くしたくなかったので、今回はここまでにしておきます。
それにしても。
こんな風に時間を戻したりしてるから、なっかなか設定の先に進まないんですよね。うーん。