宴の前の嵐・エピローグ |
「ミゲ、書類は……何よ、まだこんなに残ってるじゃない。何やってるのよ」 グラディアの言葉に、ミゲルはキッと顔を上げた。 「どうして僕にばかり、こんな書類を押し付けるんだ! これは僕の担当じゃないぞ!」 「長いことお休みしてたクセに何言ってンのよっ。これはあ、あんたが休んでる間に、私達があんたに変わってやって上げてた仕事の書類じゃないの。片付けるのはあんたの仕事でしょ!」 「どうしてそうなる!? それに僕は休んでいた訳じゃないっ。陛下をお助けするために、ウェラー卿達と共に……」 「役に立ったの?」 「…………う」 行政諮問委員会の執務室で。 山なす書類を挟んで、意地悪そうにほくそ笑むグラディアと、悔しげに唇を噛むミゲルが、昔年の仇同士のように睨み合っている。 地球的に表現すれば、ハブとマングースとか、犬と猿とか、蛇と蛙と蛞蝓……はちょっと違う。 「…もういい加減にしなさいよ」 見かねたのか、部屋の別方向から女性─諮問委員会のリーダー的存在、グレイスの声が掛かった。 「ミゲルだって、立派に陛下救出の役に立ったのでしょう? だから見習いから、ここに正式採用になったんだし。あまり虐めるんじゃないわよ、グラディア」 「それはちゃんと分かってるわよ、グレイス。だから私も、ミゲの呼称に気を使っているわ」 「呼称……だと…?」 「そうよ」グラディアが頷く。「臨時雇いの見習いから、新入りのみそっかすにレベルアップしたわ」 「どこがレベルアップだっ!?」 ぎゃんぎゃんと続く言い合いに、つき合ってられないとばかりに、グレイスが両耳を塞ぐ。 「あーもう。ホントにいい加減にしなさい! ミゲ! あなたも早く終わらせないと、せっかくお母様がお出でになっているのに、お側にいられないじゃないの」 「ああっ、そうだった!」 慌ててミゲルが書類に向かい出す。 「…お母様って……?」 「ミゲのお母様が、遠く離れた息子に会いに、お国からこちらにいらっしゃってるんですって。……ほら、ミゲ、書類を少しこちらに渡しなさい。手伝うわ」 ありがたく書類のひと束をグレイスに手渡すミゲルの隣に、どすんと音を立ててグラディアが座った。 「………何だ?」 「そういうことなら早く言いなさいよ! まったくもう。ほら、それ、私がやるわ」 あり得ない親切に、ミゲルの目がうさん臭そうに眇められる。それを見て、グラディアの眉がまたも釣り上がった。 「そうそう、ねえ、ミゲ?」 絶妙のタイミングで、グレイスが口を挟む。ぷいとそっぽを向く二人。 「あなたのお母様、今回の事でお国の女王陛下におなりなの? 確か、あなたを産んで剥奪されていたとはいえ、第一位の王位継承権を持っておられたのでしょう?」 「……ええ、確かに」 グレイスの問いに、ミゲルは頷いた。 「兄も、当初は母に王位に就いてもらうつもりだったようです。母ならば、立派に国を治めていけると……。しかし、母が辞退してしまって…」 かつてはその資質を持っていたとしても、今の自分は、かつて不貞を働き、末は夫に道を誤らせ、長子を狂気に走らせ、そしてついには夫に自ら死を選ばせてしまった愚かな妻でしかない。そう言って、頑として首を縦に振らなかった。 母に責任はない。自らを不当に責めて、これからの人生を棒に振るような真似はしてくれるなと、カインは必死になって説得したらしいが……。 「……結局、兄が王位に就くことで落ち着いた様です」 「そうなの。……けれど、そのおかげで、お母様も身軽にあなたに会いに来れてよかったわね」 「…え、ええ、確かにそれはそうですね」 考え方を変えれば、確かにそういうことだ。母はもう国にも誰にも縛られることなく、自由に生きていける。 うん、と心に頷いて、残った仕事を片付けるべく、ミゲルは書類に向かった。 「………どうぞ、こちらです」 それから暫くして、見なれた男性委員が扉を開け、誰かを案内して部屋に入ってきた。 続いて入室してきたのは、やはり1人の男性だった。 「………あ」 部屋に居た3人の視線が、その男性に集中する。 その男性は。 150歳になるかならないかの若さだが、左足に障害があるらしく、脇にがっちりとした松葉杖を挟み、足を引きずるようにして歩いていた。見れば無惨なまでに大きな傷が額から左目を通り、そして顎まで走っている。その傷で潰されたのだろう、左目は不自然な形に閉ざされていた。おそらく身体の左半分を徹底的に痛めつけられたらしい。杖を握る左の指も薬指と小指がない。 「グレイス。ほら、昨日連絡を頂いていた、ウィンコット領で孤児院を経営なさっておられる方だよ」 「ああ、助成の陳情にこられた……。どうぞ、こちらへ」 さりげなく椅子を引くグレイスに感謝の視線を投げかけ、男性が微笑んだ。傷は酷いが、元々端正な顔立ちをしていることは、今もはっきりと分かる。 「ありがとうございます。ジャスワント・パーシバルと申します」 「オースターシア・グレイスです。遠路お疲れ様でした。どうぞお座り下さい」 「………孤児院を運営なさるのは大変でしょう。ご家族で?」 グラディアが運んできたお茶を一口、口に含んでから、男性、ジャスワント・パーシバルは首を横に振った。 「いえ、私は独り身ですので。村の者が手伝ってくれておりますので何とか……。しかし、年々物入りが嵩むばかりで。魔王陛下は戦争未亡人や孤児の存在について、どれほどの関心をお持ちでいらっしゃいますでしょうか?」 「大変気に掛けておいでになりますよ。……お願いしておりました書類はお持ちになりましたか?」 「はい。こちらに。……手続きは、これで終りにはならないのでしょうね?」 「申し訳ありませんが、後もう1、2度……。ここにおります誰でも分かるようにしておきますので、さほど時間を取ることはないかと存じます。……ああ、一応今ここにいる者だけでも紹介しておきましょう。彼女はシュゼット・グラディア。それからあちらの彼が、ラスタンフェル・ミゲルと申します」 「……! ラ、ラスタンフェル……!?」 「ええ。…あの、どうか……?」 「あ、…いえ…」どこか狼狽した様子で男が首を振る。「あの……確か、人間の国に……ラスタンフェルという王家があったと……」 「ベイルオルドーンをご存知なのですか!?」 嬉しそうにいうミゲルを、男、ジャスワント・パーシバルが一瞬息が詰まったような顔で見た。 「彼のお母上が、その王家の方なのですよ」 グレイスの言葉に、ジャスワントがハッと目を瞠く。 「あの……では………あなたは……」 「ええ、私は人間の母と、魔族の男性との間に生まれた混血です。と申しましても、父の顔は存じませんが」 「…………あの……あなたは、その、お幾つ、ですか……?」 男の問いに、ミゲルがきょとんと首を傾げる。 「25、になります、が……?」 にじゅう、ご、と呟くジャスワントの唇は細かく震え、一旦逸らされた視線は、しばらく宙を彷徨うように動いてから、再びミゲルに戻った。 どう見ても不審な男の様子に、部屋に居た者の怪訝な視線が集中する。 「………あ、あの……あなたの、お母う……」 「さあ、こちらにどうぞ! ご遠慮には及びませんよ!」 突如、扉の開く音と共に、歯切れもよければ威勢もいい声が室内に響いた。誰とも間違い様のない声。フォンカーベルニコフ卿アニシナ嬢だ。 「お邪魔致します」 続いて別の明るい女性の声。 「……母上!」 ミゲルが驚いた声を上げ、立ち上がった。 「ミゲル!」 息子を見つけたサリィは、嬉しそうに笑うと、いそいそとミゲルに歩み寄った。 「今ね、私ね、フォンカーベルニコフ卿の発明品を見せて頂いていたのよ! すごいの! アニシナ様は発明家でいらっしゃるのですって! 素晴しい発明が山のようにあるのよっ!」 何を見せられてきたのか、興奮するサリィに、うんうんとアニシナが頷いている。そのアニシナが、つい、とミゲルにきつい目を向けた。 「いけませんね、ミゲル。せっかくお出でになっている母上を1人で放っておいては。こういう時に仕事を残しておくとは、これだから男は……。今回は陛下もいらっしゃいませんし、サリィ様もがっかりなさっておいでなのですよ」 「そうなんですの、アニシナ様。まさか陛下がお国においでにならないなんて……。私、やっと出来上がったドレスをぜひ陛下にお召しになって頂きたくて、こちらまで運んで参りましたのよ? 私の近年にない自信作ですの! ツェツィーリエ上王陛下からも、大輪の薔薇の花びらのようなフリルが何とも言えないと、お褒めのお言葉を頂戴致しましたわ。ウェラー卿は……何だか複雑なお顔をなさっておいででしたが……。ああ、そうそう、それでねミゲル、これを見て!」 母の思考はあっちへこっちへと飛び跳ねていく。 「ほら、これ! すごいでしょう? ユーリ陛下のお人形なのよ! アニシナ様に頂いたの!」 取り出したのは、毎度お馴染み「魔動応援人形ガンバリタイゾ−君 陛下ばあじょん」だ。 「これ、動くのよ! 声も出るの! 私、宝物に……」 「あ、あああの、母上っ」 延々続きそうな母のお喋りに、何とかミゲルが口を挟む。きょとんと息子を見上げるサリィ。 「あの……ただ今、仕事中ですので……」 「………え………あらっ」 あら、まあ、私ったら! 苦笑するグレイス達にようやく気づいたサリィは、瞬く間に頬を真っ赤に染めた。 「私ったら、なんてはしたない真似を……! まあ、皆様、お許し下さいませね? 憧れの国に来られて、私ったらついはしゃいでしまって。お仕事中でいらっしゃいますのに、お邪魔してしまって。本当に私ったら…………」 陛下人形を抱き締めて、恥ずかしそうに笑いながら居合わせた人々の顔を見回すサリィの動きが、ふと、止まった。 「………? 母上?」 ぴくりとも動かなくなった母の姿に、ミゲルが眉を顰める。 その時、ふいに静かになった部屋に、かたり、と音がした。 田舎で孤児を育てている男、ジャスワント・パーシバルが、不自由な身体を懸命に動かして立ち上がろうとしている。 よろめく男の腕を、側に居たグレイスが思わず支える。それにも気づかぬ様子で、ジャスワントはこれ以上ないほど目を瞠いてサリィを見つめていた。 そしてサリィもまた。 「………………サ…リィ…」 え? と男に顔を向けるミゲルの傍らで、サリィがひゅっと鋭く息を吸う。 サリィの腕の中から、人形が転がり落ちた。アニシナが咄嗟にそれを受け止める。 「………………………パ…シバ…ル…?」 ぽろり、と。瞠かれた瞳から、大粒の涙が一粒零れ落ち。そしてそれからすぐに、ほろほろほろほろと、涙が溢れて流れてサリィの頬を濡らしていった。 「……ははうえ……」 「あ、あの、これは……」 呆気にとられて見つめる人々を他所に、ひと組の男女は、互いのわずかな距離を埋める事すら思いつかない程ただひたすらに、互いの顔を見つめ続けていた。 ガンバレー ガンバレー ガンバレー ガンバレー………。 アニシナの掌の上で、日の丸の扇子を振りながら人形が躍る。 「さあ、行こう!」と、彼らを常に未来へと導く、優しくて強くて元気な少年の朗らかな声を、そこにいた全員が耳にしたような気がした。 完(2006/02/08) プラウザよりお戻り下さい。
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