「…っ! コンラッドっ!!」 勢い良く振り返ると同時に、ユーリは叫んだ。 視界に飛び込んできたのは、夢にまでみたコンラートの姿だ。その瞬間、ユーリは一切を忘れ、名付け親で護衛で野球仲間で、そして親友以外誰にも知られていない(はずの)、密かな片思いの相手の腕に飛びつ……こうとした途端、何かが引っ掛かったように動きを止められた。 え? と見れば。 ユーリの上着を子供達が掴んでいる。そしてその子供達はと言えば。 2人が接近するのを阻むかのようにユーリを取り囲み、じーっとコンラートを見上げている。 「……ええ、っと……」 瞬きするほどのほんの一瞬たじろいだンラートだが、即座に表情を爽やかな笑顔(誰かに言わせると、太々しくもうさんくさい笑顔)に切り替えた。 「ユーリ、お待たせしました。遅くなりまして、申しわけありません」 「うん、待ってたよ」コンラートの声が耳に響いた瞬間、ユーリも全開の笑顔になる。「絶対来てくれるって、おれを迎えにきてくれるって信じてた」 「ユーリ…」 コホン。 ほとんど反射的に見詰め合う2人の隣で、わざとらしい咳払いの音が響いた。 え? ユーリがきょとんと顔を向ける。ついでに子供達の顔も一斉に動く。 「村田! お前も来てくれたのか!?」 「うん、そうなんだよ、渋谷。隣にいる僕にすぐに気がついてくれて嬉しいなー。さすが親友」 「……あー……」 ごめん。 むっつり腕組みする親友に、ユーリは思わず手を合わせた。 「良いよ良いよ。君の目に掛かった分厚いフィルターが僕を通さなかった理由は分かってるしね」 フィルターの名前は恋心。今度はからかうような視線を向けられて、ユーリの頬がポッと赤くなる。 コホン。今度は、どこか照れ隠しのような咳払い。ユーリと子供達の顔が再度、一斉にコンラートに向く。 「失礼しました」 コンラートが村田に向かって軽く頭を下げ、改めてユーリの顔を覗きこもう……として、やっぱり子供達の群れに阻まれた。……どうも数が増えているようだ。 「……あー…ユーリ、大丈夫ですか? 何か無体な真似をされるようなことは……」 「…え、っと……。まあその、ここにいることが無体っちゃー無体だけど。でも、危害を加えられるって意味なら大丈夫だよ! 元気元気!」 「そのようですね。ひとまず良かったです。…ところで、俺が到着するまでの繋ぎ役としてヨザックを送り出しましたが、こいつはお役に立ってましたか? 立ってなかったら、どうぞご遠慮なく仰って下さいね? ああ、遠慮は無用ですから」 「遠慮なんてしないよ。だってヨザックが役に立たないなんてあり得ないし。グリエちゃんが来てくれてて、ホントにホッとしたんだ。ありがと、コンラッド!」 「……ヨザックを送り出したのは僕だったような気がするんだけどな……」 「……………」 「……え、えーと! クっ、クラリスも来てくれてたんだな! ごめんな、心配掛けて」 「とんでもございません。ご無事で何よりです。……ところで、アレなのですが」 「アレ?」 「はい。アレです。如何いたしますか?」 アレ、と言いつつ、軽く眉を顰めたクラリスの目線がユーリの肩越し、離れた場所に向けられている。 「…え…と?」 きょとんと振り返れば、イライラと手揉み足踏みするタクパ王子を先頭にした、ボロボロの集団がじーっとユーリ達を見つめている。 「ありゃ?」 「我が愛しの姫! 何ゆえ私に背を向けられますかっ!?」 ……忘れてた。っつーか、ずっと忘れていたかった。 むすっと呟くユーリに、コンラートがくすりと笑みを零す。だが、次にタクパに見せたコンラートの表情は、優しさとも爽やかさとも縁遠いものだった。 「……こ、これは…ウェラー卿……。お、お久し振りで……」 今にもユーリの側の駆け寄ろうとしていたタクパ王子だが、ユーリの背後に立つコンラートの表情に気圧されたらしく、逆に数歩後退った。 「おや、アリリャット王国の元! 王子様じゃないか。ちょっと見ない間にすっかりみすぼらしくなって」 それこそ君に相応しい姿だよね。 笑う村田に、タクパ王子がいきり立って拳を振り上げた。 「元とは何事! 確か姫の従兄弟殿でござったな。たとえ姫のお身内といえど、無礼な物言いは許さんぞ!」 「……そこまで自分のやったことを棚上げできるのは、ある意味大物かもね」 くすくすと無邪気に、見る者が見れば無気味に笑うと、村田はスッと前に出た。 「ここに来る途中、フランシアから鳩が飛んできてね」 「鳩? 白鳩便か?」 ユーリの問いに村田が「そうだよ」と答える。 「ツェリ様からだった。フランシアにアリリャットの第一王子殿が、文字通り駆け込んできたらしくてね」 「第一王子? ってーと、王太子だな?」 「あ、兄者が?」 ユーリと村田と全員の視線を受けて、タクパ王子がらしからぬ戸惑いの表情を浮かべる。 「どうやらフランシアからの連絡を受けて、供もろくに連れずに馬を爆走させてきたらしい。馬も人も汗みずくの泥まみれになって、そのままフランシアの城内に飛び込もうとしたから、驚いた兵士達に捕らえられたらしいよ。それからアントワーヌ殿とツェリ様の前に引き出されたんだけど、よほど無理をしたのか、ほとんど足腰が立たない状態だったってさ。そして二人の前に身体を投げ出して、這い蹲って、ものすごい形相で許しを乞うたんだって。別邸の再建はもちろん、賠償として王家の家宝も献上する、王女や王子を含めて民を魔王陛下の奴隷に差し出すとかね、イロイロ言ってきたらしい。もちろん奴隷は断ったってことだけど。でね?」 君、第5王子の身分を剥奪されて、アリリャットを追放されたよ? 通告された言葉の内容が脳に到達しないのか、タクパ王子、いや、元王子はその場にきょとんと突っ立っている。 「君のお母さん、正妃じゃないけど国王の寵愛が一番深かったんだってね。だからお母さんも君も我がまま放題したい放題できた。でもやり過ぎたよね。どうやら以前から、王太子やその周辺での評判が散々だったらしいじゃないか。今回ついに君は、国を滅亡の淵に追い込んでしまった。という訳で兄上達もついに堪忍袋の緒が切れてしまったんだね。君の父上は責任を取って退位、お母さんは山奥の僧院に幽閉だって。そして君は追放。君は現在ただの逃亡中の犯罪者。ああ、そうだ、もしもアリリャットに逃げ帰ってきたら、即座に捕らえてフランシアに引き渡すってさ。捕縛部隊も派遣するとか言ってたらしいな。とにかく、君は捕えられたら、フランシアの国法に基づいて罰を受ける。何せ国王陛下の別邸に放火した上、国賓を誘拐したわけだから、極刑は覚悟しておくんだね」 そんな……そんな……。 壊れたように繰り返すタクパ「元」王子の瞳は宙に向けられている。自分を見捨てた、そこにいない誰かを見ているのかもしれない。 そんなタクパの様子をじっと見つめてから、ユーリは村田に顔を向けた。 「ありゃりゃ……えーと、アリリャットの王太子はその後どうなったんだ?」 「うん」村田もユーリに向き直る。「実を言えば、僕はアリリャット王国自体もただじゃおかないつもりだったんだけどさ。…ツェリ様がね……」 「ツェリ様?」 「兄として弟の所業に恥じ入っており、魔族とフランシアの報復の可能性に心底怖気づいている様子。充分苛めて、狼狽する様子も嘆き苦しむ様子も堪能したので、陛下のお許しさえあれば、そろそろ許してやりたいと……」 「……堪能?」 って、こういうシチュエーションで使う単語だったっけ? 軽く首を傾げるユーリに、コンラートが「コホン」と咳払いして「実は」と続けた。 「どうやら母上好みの、それも『うんと苛めて困らせたい』系の男性だったらしくて……」 やれやれと肩を竦めるコンラートに、「あー、なるほど」とユーリも頷く。 「アントワーヌ殿もね」村田が続ける。「許しがたい行いは多々あるが、間道は何世代も昔に通されたものであり、アリリャットにフランシアの国土を侵す意思はなかった。今回の事件も、タクパ王子の独断専行なのは確実だし、アリリャットの肝胆を寒からしめることは充分できたので、彼らが国家としてそれ相応の誠意を示すのであれば、あえて紛争を起こすような真似はしたくない。どうか陛下にお取り成し願えないかって、事もあろうにこの僕に頼んできてさ。……ったく」 久し振りに楽しいプランを山ほど思いついて、道中ワクワクしてたのに。 つまらなそうにブツブツ呟く親友に、ユーリも思わず「…あはは…」と苦笑を漏らす。 「というわけで!」 村田が気を取り直そうとするかのように、「パン」と手を叩いた。 「とりあえずアリリャットの放火強盗誘拐逃亡犯を捕らえて、それから全ての処分について決めよう。もちろんこの国の誘拐犯についてもね。フランシアの正使もそこそこの兵を率いてこっちに向かってるし、国家的犯罪に対しては、僕達もやれることはしなくちゃ」 「…うん、まー、そうなんだけどー………えっと、村田、あのな……」 「なーにーかーなー? 渋谷く、じゃない、キューリちゃーん? 誘拐された君が、何でここでもじもじしてるのかなー? ……あっ! まさかと思うけど、君、この国の王子に恋しちゃったとか言ったりするんじゃっ!?」 「なワケねーだろっ!!!」 ユーリよりも、隣に立つコンラートがドキッと顔を引き攣らせ、そんな幼馴染にヨザックが「アホか」とため息をついたその時だった。 「へい…っ、いえっ、姫様!」 クラリスが鋭く声をあげ、ユーリがハッと視線を翻し、コンラート達が即座に表情を引き締める。 剣を抜き、凄まじい形相となったタクパ元王子とうっかり目を合わせてしまったユーリが、思わず仰け反った。 「こうなったら、姫と共に世界の果てまで逃れるのみ!!」 かなり傍迷惑な宣言をかまし、タクパとその手下達が迫ってくる。 「下がってください、ユーリ」 冷静な声でそう言うと、コンラートとヨザックとクラリスが剣を抜きながら前に進み出、ようとしたその時。 「お待ちください!」 決意の籠もった強い声と共に、ザッと飛び出してきた一団があった。ドナとその幼馴染達だ。 「ここは我らにお任せ下さい!」 ……お任せ、って……。 「我々もまた罪びとです」ドナが言って、苦しげに1度、唇を引き締めた。「ですが今は、キューリ姫、あなたを護る剣と盾となることをお許しください!!」 さんざん情けない姿を目にした後なので、その堂々たる態度は何だか別人のようだ。 ユーリとタクパ元王子の間に立ちはだかるドナも、側近であり親友達であるロディオンやラチェル達も、その表情は凛々しく引き締まり、並々ならぬ気合と覚悟がその身の内に滾っていることが充分に感じられる。 だが。 「……剣と盾……?」 「って言われてもね……」 偉丈夫が、それに相応しい堂々とした態度で敵に相対している。 真正面に向き合ったタクパ元王子達は、だが、自分達を邪魔するドナ達に対し、あからさまに戸惑った様子で、抜いた剣を振り上げて良いのか下げて良いのか分からずにいるようだ。 なぜなら。ドナ達ラーダンの王太子とその側近が手にしている武器は、どれもこれも農作業用品、つまり鋤や鍬、鎌に熊手といった農具ばかりだったからだ。女性であるラチェルやルチェルを含めて、全員がそれらの農具を勇ましく掲げている。 どうやら、というか、間違いなく、この場に集まっていた農民達から借りたものだろう。 当の民達は、国王や王妃達と並んで(王も王妃も重臣達も、何も不思議に思っていないらしい)、真剣な眼差しで自分達の王子の勇姿を見つめている。 「あれはー……剣が手元になかったから、仕方なく……じゃないんだろうな、あの様子からすると……多分」 「……本気ってか?」 コンラートとヨザックが、呆気に取られた顔で言う。 「アレで剣と互角に戦えるというのであれば、それはそれで大したものだと思いますが……」 クラリスも珍しく戸惑いを露にしている。 「どうやら自信があるらしいよ。相手によるけど、そこそこ遣えるみたいだし」 「はあっ!? だってあっさり負けてたじゃん!」 村田の言葉にユーリが驚いた。 「…あー…君は見てなかったんだっけ」 「って、村田、お前何か知ってるのか?」 「ドナさま、強いのよ!」 ユーリと村田の会話に割り込むように、少女が声を上げた。1番年長の、聖地の存在をユーリに教えてくれた少女だ。 そうよ! そうだよ! ドナさま、とっても強くて頼もしいよ! 子供達の声が続く。 「暴れ馬だって、ドナさまには敵わないんだから!」 「暴れ牛だって、ドナさまが睨んだら大人しくなるんだから!」 「暴れ羊だって、ドナさまに怒られたら鳴くんだから!」 「暴れ猫だって、ドナさまがメッしたらしっぽをふるんだから!」 「ミミんトコのルッパがあばれたときも、ドナさまがおしりペンペンしたら泣いちゃったんだよ!」 「……どうしてだろう。どんどんレベルが低くなっていくような気が」 「つーか、後半のは強さと何の関係もないんじゃないか?」 「だから姫さま、お願い!」 そっと頷き合うユーリと村田を、少女が縋るように見上げて言った。 「ちょっとだけ待ってあげて!」 少女が、必死の眼差しをユーリに向けている。 「ドナ様に、えっとっ、何だっけ、あのっ、そのっ、そうだっ、めーよをかんぱいさせてあげて!」 「名誉を乾杯?」 「名誉挽回じゃないかな」 そうそれ、そっち! 少女が村田を指差して叫ぶ。 させてあげて、させてあげて! 声を揃えながら、他の子供達もコンラート達の腰にしがみついてきた。 「……え、えーと……」 相手が大の大人なら、邪魔をするなと振り払うこともできるのだが、縋りついてくるのが幼い子供達とあっては、さすがのコンラート達も邪険にできない。 「ドナさまやロディオンさまに活躍させてあげて! ぜったいぜったい悪者をやっつけるから!」 「そうだよ! ドナさま、強いもん! あんなボロボロの悪者なんか、あっという間にやっつけるよ!」 「やっつけるよ!」 「ドナさま、ぜったいかっこ良いよ!」 「すてきだよ!」 「そしたらきっと、お姫さまもドナさまを見直すよね!」 「お姫さま、ドナさまにホレちゃうね!」 「ホレちゃうってなーに?」 「ユタ村のロンと、タタじーさまのトコのパヤみたいになることだって。ウチのとーちゃんが教えてくれた!」 「あー、あっちっちだね!」 「そーそー、あっちっち」 「ドナさまがわるものをやっつけたら、お姫さまはドナさまにホレるの?」 「うん! もー、ぜったい!」 「じゃあ、ドナさまとお姫さまもあっちっちになるんだね!」 「なるね!」 「なるよ!」 「やったー!」 「やったね!」 あのなー! ユーリは思わず声を上げた。というか、ようやく口を挟むことができた。はしゃいでいた子供達が一斉にユーリを見上げる。 「そう簡単にあっちっちにはならないんだぞ! 悪いけど、おれはみんなの王子にはぜーったいホレないから!」 きっぱり宣言してから、でも子供達の夢を壊して悪かったかな? とちょっとだけユーリが後悔しかけた途端。 子供達が顔を見合わせ、うんうんと頷き始めた。 「コレがアレよね? キラキラ星もクワのなか?」 「違うよー。キライキライもスキのウチってゆーんだよ」 「なにそれー?」 「なにそれー?」 「あたし、しってるー。あのねー、あんたなんかキライーとか、お嫁さんになんかならないーって女のひとがゆーときはー、ホントはぎゃくのことをかんがえてるんだって。ユケばーちゃんがゆってたよ!」 「だったら、お姫さまもホントはドナさまのお嫁さんになりたいんだね!」 「だねっ!」 「なりたいんだねっ!」 「そーだねっ!」 「やったー!」 「やったね!」 「も、元に戻った……」と呆然とするユーリの周りを、子供達が「やったやった!」と一斉に歓声を上げ、手を打ち合い、跳ね回り始めた。 それを目にした国王や重臣達、そして集まった王村の村人達が、互いに顔を見合わせ、何か素晴らしいことを思いついたように顔を紅潮させ、拳を握り、力強く頷きあい、目を輝かせ、それからその熱い眼差しを戦いに赴く王子達に向けた。 「気張るんじゃ! ドナ! 悪党共を見事打ち果たすのじゃ!」」 「殿下! これぞ千載一遇の好機でございますぞ!」 「男なら、ここで一発キメるのです!」 「ドナ様! 姫様が見守っておられますぞ!」 「良い所を姫様にお見せしてください!」 「ドナ様! この戦いにラーダンの未来が掛かっておりますぞ!」 「悪者をやっつければ、姫様に見直して頂けますよ!」 「凛々しいお姿に、姫様もきっと夢中になられます!」 「姫様をお嫁さんにできるかどうか、これで決まりますよっ!」 急激に鼻息の荒くなった人々のエールが背中にぶつかる度、ドナの身体にしゃっきりと芯が通っていくようだ。後ろから見ていても、並々ならぬ気合がオーラとなり、うねりを上げて一気に燃え上がるのが感じられる、気がする。 と思った瞬間。 うおおっ! 手にした鍬を振り上げ、ドナが吠えた。 「姫!」 ドナが顔だけをユーリに向けて、不敵に笑う。……似合わない。 「貴女の剣の切れ味、とくと御照覧下さい!」 ドナはユーリに告げたのだろうが、反応したのはラーダンの人々だった。 頼もしい王太子の言葉に、「おおお!」と歓声が上がる。 「ここが正念場じゃ、ドナ!」国王が叫んだ。「勝てばあっちっちじゃぞ!!」 だから、ならねーよ。 ユーリがうんざりと呟く。 「そもそもアレ、剣じゃねーし。つーか、おれの剣はコンラッドだし」 当然の事実と、さらりと口にするユーリの背後で、コンラートが力強く頷いている。 前を向いたまま、頷き合う主従の隣で、村田が「何だかさあ…」と声を上げた。 「単純っていうか、素直っていうか、これっくらい堂々と下心が披露されちゃうと、逆に感心しちゃうね」 「お前が感心してどーすんだよ!」 腕組みをしてうーうー唸るユーリの背後で、コンラートとヨザックとクラリスが、怒るよりも反応に困っている様子で現状を見守っている。 「如何しますか? というか、猊下、彼らはアレで本当に戦えるのですか?」 とりあえず、このまま見ていて良いものだろうかと、コンラートがユーリと村田に囁きかける。 「うーん」村田も腕組みをして考え込んだ。「アレが彼らの戦法らしい、からねえ。確かに弱くはない、と思うよ? ただねえ……」 「巫山戯おって………この下郎共めが……っ!!」 馬鹿にされたと思ったのだろう。呆気に取られていたタクパ元王子がわなわなと震えだしたかと思うと、大地を削るように低く、殺気の籠もった声で言葉を吐き出した。 ブン、とうなりを上げ、剣が振られる。 「皆のもの! この道化共を叩っ切れ!!」 うおおおおっ!! 小さな小さな国王の館の前庭で、二つの国の王子の軍(?)が激突した。 □□□□□ 鍬が空を切り、剣が跳ね返し、鎌が唸り、鍬が地面を穿つ。 農作業具を振りかざすドナ達と、一応真っ当に剣を振るうタクパ元王子達。 その戦いの決着はなかなか着かなかった。 ドナ達の戦法に、武人らしい型などもとよりない。だがそれなりに威力があるのか、もしくは迎え撃つ側の単なる経験不足からなのか、タクパ達はかなり戦いあぐねているようだ。 とは言っても、前回のように激弱相手というわけにもいかないからか、ドナ達もここ1歩の踏み込みが出来ないらしい。 戦いは、すっかり膠着状態となってしまった。 やがて、剣戟の激しい響きは少しずつ間遠になり、刃と刃がぶつかる鋭い音もだんだん鈍くなってきた。……どちらも疲れてきたらしい。 まもなく、両者共に己の武器をひたすら相手に向かって振り回し、戦うというよりは、むしろ剣と農具がただ闇雲にぶつかりあう状態が延々続くことになってしまった。 「……ひでーな、これ……」 ヨザックが「あーあ」と疲れた様な声で嘆息した。ひどいものですと、クラリスも同じく言う。 「ラーダンの者は、体力はありそうですが戦い方というものを全く分かっていません。アリリャットは全てにおいて不足しています。どちらもこれでは、とてもじゃありませんがウチの軍には入れませんね」 コンラートも頷いた。 「ギュンターが見たら、虎の穴級の猛特訓をさせるだろうな」 あふぅ。ユーリの隣で村田が大きなあくびをする。 「何か、僕、退屈だなー」 「村田!」思わずユーリが嗜める。「皆も! アレだって一応武器だぞ! 本物の刃物だぞ! 当ったら怪我するんだぞ。打ち所が悪かったら死んじゃうぞ!」 「まったくだよねえ。なのに、君にまで『打ち所が悪かったら』なんて言われちゃうくらい切迫感がないっていうかさ。本人達は命懸けのはずなんだけど……。どっちも疲れて禄に武器を持ち上げられなくなってるし、あれじゃそれこそ、よっぽど打ち所が悪くない限り誰も怪我もしない。元気なのは、ほら……」 あの人たちだけだ。 村田が指差した先で、大きな歓声が湧いている。 「そうっ、そこじゃ! ドナ! 油断するでない! うーむ、実力伯仲だのう」 「まことにござります! まさか殿下達がこれほどの腕をお持ちとは! 感動でございます!」 「ドナー! 今こそ汚名を返上する時ですよっ! 粘りなさい!」 「右右! 違った、左! ああっ、下がって! そう、そこです! 殿下! しっかり!」 「ロディオン様〜! がんばって〜!」 「ドーナ! ドーナ!」 「ラチェル様! ルチェル様! あんまり暴れちゃダメですよ! はしたないですよ! お婿のなり手がいなくなりますよ! でも悪者はやっつけてくださいねっ!」」 「スラヴァちゃん! エフレムちゃん! 怪我しちゃダメよ〜! 気をつけて〜!」 「ああっ、危ない! くそー、野菜があれば加勢するのに!」 「……元気だなー」 「根っから暢気っていうか、良く言えば前向きで陽気なんだね、ここの人たち。自分ちの王太子が一応は命懸けで戦ってるんだってコト、いまイチ実感してないんじゃないかな」 「うーん、確かに……」 しかし、さすがに暢気なラーダンの人々も、時間が経っても決着しない状況に焦りを感じてきたらしい。ドナ達の疲労が、素人目にもはっきりしてきたこともある。 突如、農民の1人が叫んだ。 「もう辛抱ならん! 皆っ、ドナ様をお助けするんだ!」 「おう! 得物を用意しろ」 「鍬や鎌なら、ほれ、そこの庭の隅の物置にあるぞい!」 「よーし! 皆で加勢するぞ!」 「あたしもやるよ!」 「俺もだ!」 ユーリ達があららと見守る前を、農民達、男も女も関係なく、全員が「うおおっ」と走り過ぎ、やがて一斉に鍬や鍬や鎌やスコップもどきを振り上げて駆け戻ってきた。なぜか猫車を押して走ってくる者までいる。 「ドナ様! 我らがお助けいたしますぞ!」 「いやいや、皆! もうしばらく待ってくれ!」 今にも戦いの中に乱入しそうだった民を、国王が押し留める。 あ、やっぱり民を危ない目に合わせたくないんだな、とユーリが好意的に思った瞬間。 「ドナを男にしてくれい!」 国王が叫んだ。 「姫様が見ておられるんじゃ! ここはドナが踏ん張らねば! 皆の者に助けてもろうて勝ったのでは、姫様ががっかりなされるであろう。どうか皆、ドナを姫様のめがねに適う男にしてくれい!」 「陛下!」 民の足がぴたりと止まった。 「陛下、そのお気持ち、よう分かりますぞ!」 「さすがお父上でございます」 「たしかに、わしらが横からお手伝いしたのではドナ様の面目が立たんわい」 「姫様に情けない男と思われては大変じゃからの」 いや、もう充分思ってますけどね。ユーリ達が思わずため息をつく。 当のドナとタクパ元王子はといえば、組み合った剣と鍬を挟んで、互いをぎゅうぎゅうと押し合っている真っ最中だ。ふんぬと踏ん張った顔はどちらも真っ赤で、わき見をしている余裕はない。 我が侭お坊ちゃまのタクパも、実は意外と力があったらしい。両者の力は拮抗し、2人は胸筋と腕力で相手をねじ伏せようとしているが、どちらも果たせず、お互いがお互いの身体を支えあう、いわば漢字の「人」のような奇妙な格好で固まっている。全力で踏ん張っているからだろう、2人の足元の土だけが、ぐりぐりと掘り起こされていく。 「よし! わしら、ドナ様を精一杯応援するんじゃ! ドナ様ーっ! がんばれーっ!!」 「おーし! 皆、やるぞ! 勝て勝てドナ様! 負けるな、ドナ様!」 「おお、皆、ありがとう! ありがとう! 皆でドナを男にしてやってくれ!」 「ドッナッさっまっ、がっんっばっ!」 「おーっ!!」 「……応援団が無駄に盛り上がってきたな……」 げんなりと呟くユーリに、側近全員が頷く。だがそこで。 「ねーねー! 聞いた!?」 ユーリ達のすぐ傍らに集まっていた子供達が、いきなりびっくり声を上げた。 「聞いた聞いた!」 「おっどろいたー!」 「あたし、知らなかったよぉ」 「おいらもー」 「あたちもー」 「まさかまさか、ドナさまが!」 「ドナさまが!」 男じゃなかったなんて!! ユーリと村田が仲良くコケた。 「ドナさま、これから男になるの?」 「勝つと男の人になるんだって」 「負けると女のひとになるの?」 「じゃあ、今は?」 「わかんなーい」 「でも、男のひとにならないと、お姫さまをお嫁さんにできないよね」 「できないねー」 「じゃあ、ちゃんと勝たなきゃ!」 「おーえんしよう!」 「そーしよう!」 「ドナさまー! 勝ってー!」 「ドナさまー! 男のひとになってー!」 「ドナさま、ちゃーんと男になあれ!」 「そぉれ! なあれ!」 あっちもこっちも大騒ぎである。 ……なんか。ユーリががっくりと肩を落とした。 「色んな意味で収拾がつかなくなってきたぞ……」 「うん。……めんどくさいから、後はフランシア軍に任せて帰っちゃおうか」 「猊下。ラーダンもアリリャットも叩き潰すんじゃなかったですかー?」 「……そのつもりだったんだけどさー。コレ見てたらアホらしくなってきた。渋谷も無事だったし……。そもそも、ねえ、渋谷?」 「…あ?」 「君、アリリャットはともかく、この国に対して罪を問おうって気はあるのかい?」 「………う」 「……まあ、君のことだからねえ」 分っていたさと、村田がため息をつく。 「でっ、でもなっでもなっ、おれ、丸っきり許す気もないし、すぐに助けてやろうなんてことも考えてないぞ」 「そうなんだ?」 「ああ! ここの人たちにもちゃんと言ってある。もしここで何もなかったことにしたり、子供達に絆されて助けたりしたら、犯罪を犯した者勝ちってことになるもんな。そんなことは、被害を受けたフランシアに対しても、同じ様に大変なのに、ちゃんとおれ達の救いを待ってくれている他の国に対しても申し訳ないことになる」 「うん。そうだね。後は、この国自身が今回のことをどう処理しようとするか、それを示してもらってから判断しよう」 「だな」 「と、話がまとまりましたところで」コンラートが割り込んできた。「出て行きますか? フランシアの正使も間もなく乗り込んでくるでしょうし…」 「うーん……何も言わずにこっそり出て行っちゃうってのもなあ……」 どーしたもんだろ。 腕組みしたユーリが首を傾げたところで、事態が動いた。 「……っ、うおおおおおおっ!!」 「あ、叫んだ」 村田の声に合わせ、全員の顔が動く。 ちょうどその時、ドナがタクパを全力で突き飛ばした。タクパ元王子が剣を放り出し、無様に地面に転がる。 でっ、殿下! アリリャットの誰かが叫ぶと同時に、アリリャットのメンバーの動きが一気に乱れた。その機を逃さず、ロディオン達がアリリャットの者達を押さえ込みに掛かる。 力が拮抗していただけに、一旦乱れると収束は早かった。 「やったぞ! ドナが勝ちおったぁ!」 「見事です、ドナ! よくぞ曲者を捕らえました!」 国王夫妻が飛び上がって歓声を上げる。 「ドナ様! お見事です!」 「やったぞ、ドナ様!」 「ドナ様! ロディオン様! 皆様、素晴らしい戦いぶりでした!」 「おめでとうございます! ドナ様!」 「わーい! ドナさまが勝った! ドナさまが勝った!」 「これでドナさま、男のひとになれるね!」 「なれるね!」 「お姫さまとあっちっちになれるね!」 「なれるね!」 「やったー!」 「よーし、悪者共を縛り上げろ!」 「牢に放り込め!」 「牢って……城の地下のか?」 「そこしかないだろ」 「いや、アレ、使わないから、とっくに物置になってるぞ」 「空けろ!」 「ねーねー、ドナさま、いつ男のひとになれるのー?」 「いつー?」 「詮議なんざ無用だ! こんなヤツら、とっとと縛りっ首にしちまった方が良いぞ!」 「そうだそうだ!」 地面にねじ伏せられたアリリャットの者達を取り囲み、人々─子供達まで含めて─が興奮も露に騒ぎ始めた。その様子に、コンラートが厳しい表情で前に踏み出す。 「不味いですよ。このままでは本当に収拾がつかなくなる。この場でアリリャットの者が傷つけられたら大変です」 確かにその通りだ。タクパ元王子をこちらで確保しなくてはと、ユーリ達が動いたその時。 気配を感じたのか、タクパを見下ろしていたドナがパッと振り返った。 「姫!」 ユーリが自分を祝福しようとしてくれる(勘違いだが)喜びに、ドナの表情がパアッと輝いた。そして弾む心のままに、ドナはユーリのもとに駆け寄った。 ドナさまとお姫様があっちっちだよ! そこでいきなり子供達の弾んだ声がした。 ドナが悪者を退治して、お姫様と向き合っている。子供達には、それがまるでお伽噺の『王子様とお姫様の恋の始まり』のように感じられたのかもしれない。子供達のはしゃぎっぷりに誰より国王がわくわくと頬を綻ばせ、民達もまた、自分達の王太子の恋が成就する瞬間が見たいと、期待に満ちた笑顔を一斉に向けてきた。ロディオンやラチェル達、そしてドナの活躍を飛び上がって喜んでいた王妃はといえば、さすがにそこまでお気楽な発想ができないのだろう、心配そうな表情で人々の様子を窺っている。 「ご覧頂けましたか!? お、俺、いえっ、私は、キューリ姫、あなたのため……」 「目を離すなっ!!」 怒声はコンラートのものだ。ドナがビクンッと全身を引き攣らせる。その時。 「きゃああっ!!」 突如湧き起こった悲鳴。人々の顔がまた一斉に動く。 彼らの瞳に映ったものは、皆の注意が逸れた機会を逃すことなく跳ね起き、落とされた剣を拾い、近くにいた子供達に飛び掛り、そしてその細い首に大きすぎる刃を当てて人々を睨みつけるタクパ元王子と、その部下達の姿だった。 「こっ、子供達がっ!!」 「ミミ!」 「近寄るなっ!」 タクパがミミを小脇に抱え、剣を振り回し怒鳴った。抱えられたミミはといえば、驚きと恐怖のためか、目と口を大きく開いて全身を引き攣らせている。 「下郎共! どけどけぃっ!」 「ピパ! ウチの子が!」 「トヨぉ!」 「きゃああっ、いやああっ」 「お父ちゃん! お母ちゃん!」 「はなしてっ、はなしてっ」 「子供を無事に返して欲しくば、我らから離れよ!」 タクパの爺やが、老人とは思えないほど機敏に剣を構え、大音声を上げた。 「ひっ、卑怯者っ!!」 「これ以上近寄るならば、子供の命はない!」 鍬を振り上げ駆け寄ろうとするドナ達。爺やが切っ先をタクパの腕の中のミミに突きつけて怒鳴る。 「ちっ!」 コンラートが即座に剣を抜いた。ヨザックとクラリスも同様だ。そして、ユーリを自分の背後に庇う村田の、さらに前に進み出て隙を窺う。 「……相変わらず救いようのない王子と爺やだな」 村田が忌々しそうに呟いた。 「我らに近づいて良いのは」 タクパが形勢逆転と見て不敵に笑う。……こちらは実に良く似合う。 「キューリ姫、ただお1人のみだ」 人々の視線が一斉にユーリに向く。 「姫!」 タクパがユーリに呼びかけた。 「お待たせいたし、まことに申し訳なく存じまする。さあ! 我が元に参られよ! 我ら2人にて、あらたな世界を目指しましょうぞ!」 この子供達は、姫と交換とさせて頂きまする。 付け足しの様な最後の台詞を、タクパはにやりと笑って口にした。だがその笑みは、誰の目にもただ醜く顔が歪んだようにしか見えなかった。 「さあ、姫! いざ我が胸に!」 その声に引き寄せられるように、ユーリが村田の背後から出てきた。 「渋谷!」 「姫! なっ、なりません!」 「ユーリ!」 村田が、そしてドナが叫び、コンラートが引きとめようと腕を伸ばす。 だがユーリは無言のまま歩を進め、そしてユーリの腕を掴んだコンラートは……。 一瞬、ハッと目を瞠り、それからパッと手を離した。 「隊長?」 怪訝な表情のヨザックとクラリス。スッと身を離したコンラートの傍らを、見向きもせずにユーリが歩いていく。 「うーん、これはもしかして、ちょっと避難した方が良いかなー?」 「……ですね」 村田とコンラートが頷きあい、それを見たヨザックとクラリスがハッと顔を見合わせる。 「姫!」 なぜかそろそろと後退りを始めるコンラート達を目にして、その理由がさっぱり分らないドナやロディオン達は眉を顰めた。が、とにかくユーリを止めようと前に進みでる。 「姫! ……我が民を思いやって下さることは嬉しく存じます! しかし……」 「控えよ! この外道共!!」 怒声と共に、雷が王の庭に叩きつけられた。 □□□□□ 轟と空気が唸りを上げ、渦を巻く。 その場に集う全ての人々が、縫い止められた様に固まった。そして全員が目を瞠り、生まれてこのかた目にしたことのない光景に魂を抜かれたかのように見入っていた。 渦の中心に少女の姿のユーリがいる。 砂を巻き上げ、少女の小さな身体を今にも吹き飛ばしそうな渦の中では、時折小さな稲光が瞬きを繰り返している。その中で、少女─ユーリは、軽く足を開いてすっくと背筋を伸ばし、握った拳を両脇に垂らして立っていた。 ゴクリ、と喉を鳴らすいくつもの音がする。 突如、ユーリがカッと目を見開いた。 瞬間、稲妻が風と共に、あり得ない渦を巻いてユーリの周囲の空気を巻き上げた。 その風は広場の人々をも巻き込み、人々は思わず手で顔を覆い、地に伏せた。 そして一瞬のつむじ風が過ぎ去り、人々がそおっと辺りを窺うように目を開いた時。 「………くろ…?」 闇色の髪と瞳を持つ、とてつもなく美しい、太陽よりも月よりも、鮮やかに艶やかに輝くように美しい存在がそこに立っていた。 あまりの驚愕に、人々の目が極限まで見開かれ、顎ががくりと落ち、子供達のぽかりと開いた口から音にならない叫びが上がる。 「……え…え…?」 「きゅ、キューリ、ひめ…?」 ドナ達ラーダンの人々、そしてアリリャットの一団が、魂を抜かれたような顔で、何かを確かめるよう揃って身を乗り出した。 「控えよ!!」 稲妻の様に鋭い声に、人々が飛び上がり、反射的に姿勢を正す。 ユーリ─もちろん上様─が、腰に手を当て、ふんぞり返って全員を睥睨した。 「そなた! アリャリャのタッパ!!」 誰それ? 何それ? アリリャットもラーダンも、全員があちこちを見回す。 「お前だ!」 ビシッと指さされ、タクパがビックリ顔で自分自身を指差した。そうだ、と上様が大きく頷く。 「己が欲望のため、他人の生命財産を損なうことをわずかも躊躇わぬ、その悪逆非道許しがたし!!」 おおおっ! ラーダンの人々が感動のため息を漏らす。 「そして今ここに到ってすら! 己の所業を悔いることなく、またも人の命を、それも罪なき幼い子供の命を盾に取るとは、何たる非道の業! それでも一国の王子として生まれた者か!」 恥を知れ!! うおおーっ! ラーダンの人々が一斉に拍手喝采で盛り上がる。 ラーダンの人々の最前列にはドナとお馴染みの幼馴染達が並び、熱烈な拍手を送っている。 「お前達もだ!!」 次に上様のお叱りを受けたのは、もちろんドナ達だった。 その眼差しの美しさと厳しさに、拍手する形のままドナ達が固まる。 「友好友愛の言葉を弄び、その真の意味を知ろうともせず、自分達の都合の良いことばかりを妄想するは愚かの極み! 挙げ句、人の気持ちを踏み躙り、略奪監禁も厭わぬ悪行三昧! それがこの結果を齎し、己が祖国を破滅の危機に導いたこと、お前達が自覚しているとは到底思えぬ! タッパと並んで頭を丸めるがよい!!」 アリリャットの者達を打ち倒し(一応)、もしかしたら「ドナ様、素敵!」と見直してもらえるんじゃないか、ちょっとくらいはときめいてもらえるんじゃないかというそこはかとない期待が打ち砕かれて、ドナはもちろん、国王や集まった人々の表情が今にも泣き出しそうに引き攣った。 「あっちもこっちも、反省いたせ!!」 お言葉と共に、上様の腕が天に向かって突き上げられる。 その瞬間、上様の背後にあった聖地の噴水、獅子だかメタボな羊だか痩せすぎの牛だかの石像が、破裂音と共にポーンと吹っ飛んだ。 そしてその跡から一気に、太い柱が突き出るように、水が怒涛のごとく噴き上がった。 「おおおっ! みみみみっ、水っ、じゃああ〜っ!!」 国王が絶叫する。民達もまた、突如天を衝くすさまじい勢いの水の出現に、状況を忘れて歓喜の声を上げた。 「んー、精霊もはしゃいでるなあ」 村田が暢気な口調で言えば、コンラートも頷く。 「今回は…水竜でしょうか?」 「けど、水の量そのものはかなり減ってるって話だったんですけどね」ヨザックが横から口を出した。「竜を出現させるほどの水が残ってるとは……おや?」 「ご覧ください、水が…」 クラリスが噴き上がる水柱を指差す。と、一抱えもありそうな太さだった水柱が、急激に崩れた。そしてその水が、王の庭の片隅の、猫の額ほどの小さなつましい畑に、ざんぶと降りかかった。……溢れていた水がピタリと止まる。 「み、水が、水がぁ……」 「この水も、かっ、完全に、止まっちまった……?」 「…あ、あ、ああ………」 絶望的な表情で、呻き、がっくりと膝を折る王とその民達。 だがその時。 たっぷりの水に濡れた小さな野菜畑に変化が起きた。 むくり。 野菜畑の弱々しい、貧相な野菜が誰の手に触れてもいないのに動いた。 錯覚か、見間違いかと、人々が目を擦る。 だが。小さな小さな野菜畑の、育ち損ね、色も悪い野菜が、あっちで、そしてこっちで、むくりむくりと動き、そして。 「………成長してる……?」 大きくなっていた。 「我が畑の野菜が! 見よ! どんどん増えておる! どんどん大きく育っておるぞ!」 「まあ! あなた、ご覧になって! ほら、色艶もあんなに良くなって!」 国王が、王妃が、思わず立ち上がり、手を取り合って喜びあおう……としたその時。 びゅん、と風を切る音が人々の耳に響いた。 「あ」 「飛んだ」 「飛びましたね」 声を出すことができたのは魔王陛下の側近達だけだ。他の人々は、ただポカンと目を見開き、手を取り合っていた国王夫妻は、作りかけの笑顔のまま固まっている。 その人々の前を、びゅんびゅんと音を立てながら野菜が飛んで行く。 そして宙を飛んだ野菜は、ユーリとアリリャットの一団の間に集まり、そしてそれが子供の積み木の様に重なっていく。というか。 「…組み立てられてるね」 大賢者の呟きに、うんうんと頷く眞魔国一行。 ずん、と鈍い音を立て、地面に突き刺さるように立つ2本の巨大大根、もしくはズッキーニ、もしくは…へちま? みたいな野菜。その上にジャガイモもどきが1個ずつ乗り、さらにその上に新たな大根もしくはズッキーニもしくはへちま。そしてその上に……と野菜が次から次へと、紛れもない人間型に積み上げられていく。ちなみに、じゃがいもは関節を意味しているらしい。 見て見てーっ! 人質にならずに済んだ子供達から、興奮しきりの声が上がる。 「あれ見て! あれ見てっ!」 「すっごーいっ!!」 「かっこいー!」 「かわいー!」 「……可愛い…?」 きゃー!! 興奮と歓喜の悲鳴が子供達から一斉に上がる中、首を捻る村田他魔族一同。子供ほど無邪気になれない大人達は、すっかり腰を抜かして「ひゃ〜…」と口から魂を飛ばしている。 野菜はどんどん上に組みあがっていく。 足になった大根やズッキーニもどきの上に、スイカっぽいものが3個重なって胴体に、またも大根&ズッキーニがジャガイモを間に挟んで腕に、色違い人参やきゅうりが指に、さらにその上に乗ったかぼちゃが頭に。さらにその頭部には、枝豆のさやが目となり、鼻がなすび、口が……。 「トマト? かな?」 「みたいなモノですね。タラコ唇より腫れ上がってる感じで、何かグロいんですけど。でもそれよりも…」 「目だよね。あのえんどう豆っぽいのの莢、どうして八の字なのさ。あれじゃ泣いてるっぽいよ」 「ええ、本当に。どうしてあんな……って、あれ?」 冷静に分析している賢者と閣下。その後でお庭番と親衛隊長が、どういう言葉で敬愛する主の魔力を絶賛したら良いのか頭やこめかみを揉みながら悩んでいた。 だが、コンラートが次に発した「見ろ」の一言で、全員の視線が野菜人間(?)の顔に向く。 野菜人間が腕(?)を胸元で交差させる。そしてそのままその腕を、ぐぐぐっと力を籠め、胸元から顔へと上げていく。 「……あれ? この動きってもしかして……」 村田が呟く間も、野菜人間の交差した腕は顎から頭に向かって動いていき、そして……。 「猊下、莢の目が!」 コンラートが魔人の顔を指差した。それに応じて、村田が「……うん、そうだね…」と、どこか脱力した声で頷く。 「莢の目が、八の字から逆八の字になってるねえ……。つまりこれって……」 「神様が怒ったよ!」 子供の声がした。えんどう豆もどきの莢は逆八の字になり、確かにその表情は怒りを表している、ようだ。 「神さま、怒った!」 「こわーい!」 「神さま、かわいくなーい!」 「神様ではない!」 口々に騒ぐ子供達に、突如、上様が訂正のお言葉を発した。 子供達がきょとんと目を瞠る。 「野菜大魔神である!!」 あー、やっぱりね。村田が「あははー」と笑う。 徐に、ユーリ、上様がビシッとタクパを指差した。 「直ちに! 子供達を解放いたせ!」 あり得ない物を目の前で見せ付けられ、悲鳴を上げる余裕すらなくし、腰を抜かして地面にへたり込んでいるタクパ達の腕の中から、すでに子供達は抜け出ていた。そしてその場で口をあんぐり開けて、小さな子は爪先立ちして野菜大魔神を見つめている。 「子供達よ! 父や母の元に戻るのだ!」 厳かに命じられ、ハタッと気づいたらしい子供達が、慌てて身を寄せ合う親達の下に駆けて行く。 それを確認し、「よし」と頷いたユーリ、上様が、改めてタクパ達に厳しい顔を向けた。 「この世に蔓延る悪しき魂よ!」上様の腕が高々と差し上げられる。「今こそ、正義の刃で叩っ斬る!」 成敗!! 上様必殺のご託宣。 その時、野菜大魔人はまるで鉄○28○のように腕を広げ、胸を張ると、朗々と雄叫びを上げた。 『ベゲッタブル!!』 「……………」 「……………」 「……………」 「………ベゲタブル…?」 って? 猊下? コンラート始め、ヨザックとクラリスが、腕を組み、顔を盛大に顰めている大賢者の顔を覗きこむ。 ひたすら「?」マークを飛ばしているコンラート達をそのままに、野菜大魔神は『ベゲタブル! ベゲッタブル!』と声を上げながらアリリャットの一団に向かって突進していった。 「……っ! うぎゃっ!? うぎゃっ!? うぎゃぎゃぎゃぎゃ〜っ!!」 「ばばばばばばばっ、ばけっ、ものっ!!」 「たすけっ! おっ、お助け……っ!!」 「化け物ではない! 野菜大魔神と呼べ!」 野菜大魔神の標的が紛れもない自分達だと気づいたアリリャットのタクパ主従は、一気にパニックの頂点に達していた。 上様の怒りのお言葉に応える余裕などもちろんない。腰を抜かしたまま、手だけで這いずり回って逃げようとする者、頭を抱え、手を合わせてひたすら拝み、魔人の怒りから逃れようとする者、一気に阿鼻叫喚の嵐となる。 その中で、唯一タクパ元王子の爺やだけが、剣を構え、主を背後に回して必死に守ろうとしているのは、ある意味さすがと言うべきかもしれない。 だが、野菜大魔神は人間達の恐怖など意に介さず、『ベゲッタブル! ベゲッタブル!』と叫びながらアリリャットの主従に掴みかかると、一気に投げ飛ばし始めた。文字通り、「千切っては投げ千切っては投げ」(別に身体を千切っているわけではないが)の勢いである。 『ベゲッタブル!』 また1人、タクパの従者が投げ飛ばされた。 「べげったぶるっ!」 野菜大魔神の活躍(?)に、瞬く間に夢中になったらしい子供達が、元気な声で腕を振り上げ、唱和し始める。 『ベゲッタブル!』 「べげったぶるー!」 「…べ、べべ、べげ、たぶる…?」 大人たちも、おずおずと子供達に続き始めた。 『ベゲタブルー!!』 哀れなタクパの部下が、また1人「うっぎゃ〜っ」とふっ飛んで行く。 「べげたぶるー!」 「べべ、べげたぶるー!!」 子供も大人も、どんどん調子に乗ってきた。アリリャットの者達が野菜大魔神に放り投げられるたび、子供達は満面の笑顔で、大人達─国王やドナ達までもが─はどこかどぎまぎと、だが全員が拳を突き上げて叫んでいる。 「あ。思い出した」 ふいに村田が言った。 「猊下?」 「渋谷がさ、前の英語のテストで、野菜のスペルを、つまりベジタブルのgeとjiを間違ったんだよ」 「つまり……vegetableをvejitableと綴ったわけですね?」 理解できるコンラートだけが村田に応じる。 「そうそう。それで正しく覚えるために、渋谷がぶつぶつ呟いてたんだ。『ベジタブルはベゲタブルー』って」 たぶん、それがストレートにアレに繋がっちゃったんだね。 そう結論付ける村田に、「……なるほど」と呟いて、コンラートは思わず額に手を当てた。 「まあ……あれだね」 そう言って、村田は改めて野菜大魔人と、それを満足気に見つめている上様に目を向けた。 今、野菜大魔神はタクパ元王子と、その忠臣である爺やを両手にぶら下げ、高々と持ち上げている真っ最中だ。「ひ〜〜〜〜っ」という哀れな悲鳴と、「私共が悪うございました〜。どうかお助けを〜」と哀訴する声が、ラーダンの民の歓声の隙間から漏れ聞こえてくる。 「渋谷。君、このままじゃ次の英語のテストも追試だねえ」 コンラートと、何だかよく分らないが、急にしょっぱい気分になったらしいヨザックとクラリスが、一緒になって深〜くため息をついた。 「恐れ入ったか! この悪党共!!」 「お、おお、おゆるし、お許しを〜……っ」 「お助けください、姫様〜」 「姫ではない!」 そこでユーリ、上様が、改めて腰に手を当て、力いっぱいふんぞり返った。 「我こそは、眞魔国第27代魔王である!!」 ラーダン国王の館の前庭が、一瞬で静寂の中に沈む。 「………ま、まま、ま、まっ、まっ、おう…!?」 誰かの声が思いっきりひっくり返って響いた。その後は、もう誰も言葉を発しない。 ラーダンの人々は色を失い、ただ呆然と顎を落とし、アリリャットのタクパと爺やは野菜大魔神に首根っこを引っ掴まれ、抵抗も哀願も忘れ、ポカンとした顔でぶらぶらとぶら下がっている。 「…あらら、自分でバラしちゃったか」 村田が苦笑を浮かべる。 「ラーダンもアリリャットも、犯した罪に変わりはない!」 美しくも冷徹な眼差しで集まる人々を睥睨し、ユーリ、上様が宣った。 「どちらも心して、その罪を償うが良い!!」 野菜大魔人がタクパと爺やを放り出した。 地面にへたり込んだ2人は、ユーリを見上げ、それこそ千切れるほどに顔を引き攣らせてから、慌ててその場に突っ伏した。 「わっわっ…我らがっ、罪っ、なっ、何とぞっ、お許し下さいませ…っ!!」 「おっ、お許しっ、お許しっ、下さいっ、ませっ!!」 その様子を呆然と見つめていたラーダンの国王夫妻、誰よりもドナとその幼馴染達が、ガクガクと身体を震わせながら、崩れるように地面に倒れこんだ。民達もまたそれに続く。ポカンと立っているのは子供達だけだ。 ぐるりと一同を見回したユーリ、上様が、ようやく納得した顔で大きく「うむ!」と頷いた。 それを待っていたかのように、野菜大魔人を形作っていた野菜が崩れ、ごろごろと音を立ててその場に転がった。と思った次の瞬間、サアッと何かが噴き上がる音がした。 「みっ、水が!」 「水が戻った!」 自称獅子の石像はどこかに吹っ飛んだが、元々噴水の合った場所、石盤の中央から、これまでなかったほど勢い良く、透明な水が高々と吹き上がり、陽光に煌いて虹を作っている。 と、小さな畑のいまだ弱々しかった緑が急激に色濃くなり、葉も茎も、そして蔓も、いきなり力強く生い茂り、その厚みを増していった。そして同時に、新たな実が次々と現れ、庭の片隅の小さな畑一杯に、溢れんばかりに実り始めた。 「畑が……! 野菜が……!!」 「こっ、こんなにたくさん…!?」 聖地の水はさらさらと爽やかな音を立てて吹きあがり続け、野菜を心地良く濡らしていく。 驚きと恐怖を一旦忘れた民達が、魂の奥底から湧き上がったかのようなため息を漏らす。 その様子をしっかり確認した魔王、上様は、再度大きく頷いた。 「これにて一件落着!」 □□□□□ フランシアの正使が兵を伴って国王の館に乗り込んできたのは、ユーリがコンラートの腕の中で意識を取り戻して間もなくのことだった。 アリリャットの一党は、その場で即座にフランシア軍に捕らえられ、引っ立てられて行った。この後、フランシア国王の離宮焼き討ちと、国賓の拉致監禁容疑で裁かれることとなるだろう。 そして……。 自分達の王太子が妻にと望み、略奪してきたのは、事もあろうに魔王だった。 その事実に、ラーダンの人々は恐怖のどん底に叩き落された。 だが同時に、魔王の力で勢い良く蘇った聖地の噴水の煌きと、国王の野菜畑の瑞々しく実った大きな野菜の姿が、先祖代々大地を耕して生きてきた農業国の民の心を感動で揺り動かしてもいた。 相反するその感情に、しばらく呆然自失状態だった人々だったが、間もなくフランシアの正使が兵を伴って乗り込んできたことで、否応なしに現実と向かい合わなくてはならなくなった。 しばらくはおろおろと庭を右往左往した人々だったが、このままではいけないのだと最初に思い至ったのは、他の誰でもないドナだった。 自分が恋をし、誘拐し、略奪婚に走ろうとしたのは、これまでずっと畏れてきたはずの魔王その人だった。 その驚きと、襲ってきた恐怖は本物だった。だが、これまでのわずかな時間ながら、キューリ姫、いいや、魔王と触れ合ってきた時間が、ドナに逸早い理性を取り戻させたのだ。 それは幼馴染達も同様だったらしい。 個人的に会話の多かったラチェルとルチェルが、続いてロディオン、スラヴァ、エフレムがドナと共にユーリ達の前に進み出た。 「ひめ……あ、あの、いえ……」 口篭ってから、ドナは改めて「キューリ姫」と真正面から向き合った。……キューリ姫ではないと言われてしまったが。 「あの……本当に、その……魔王、陛下、でいらっしゃるのですか……?」 「うん」 きっぱりすっぱり即答された。 「本当はユーリって言うんだ。シブヤ・ユーリ。眞魔国、第27代魔王です。あらためてよろしく」 「あ……」 どうしよう。どんな顔で、何と言えば良いのだろう。 ドナ、ロディオン、ラチェル、ルチェル、そしてスラヴァとエフレムの、誰の口からもその場に相応しい言葉が出てこない。ただ、意味もなく開いたり閉じたりする口や、中途半端に揺れる手が、彼らの惑乱の程をひたすら示している。 「貴殿は!」 そこでいきなり怒鳴り声が響いた。ドナ達がピクリと全身を震わせる。 怒りの声を上げたのは、ちょうどユーリ達に挨拶をしていたフランシアの正使だった。 「国を憂えたが故とはいえ、我らが陛下を謀り、魔王陛下を拐すとは、何たる恥ずべき所業であることか! 貴殿等は、一体どれほどの覚悟をもって、このような途方もない罪を犯されたのだ!?」 あ……。 一瞬呆然と目を瞠って(身内以外にはよく分らないが)から、ドナは慌てて地面に膝をついた。ロディオン達もすぐさまそれに続く。 「あっ、あなた、が、まさか魔王、陛下ご本人だなどと、お、俺は……、あ、いっ、いえっ、私は何ということを……。今さらこのように申し上げるのも恥ずべきことではございますが!」 申しわけ! ございませんでした!! 勢い良く叩頭する偉丈夫とその幼馴染達。 「これほどのことを仕出かして、貴殿は、我が国や眞魔国と戦になる可能性をお考えにならなかったのか?」 だとすれば、許し難き愚かさでござるぞ! 使者に怒鳴りつけられて、だが返す言葉もなく、ドナはただ深く頭を下げるだけだった。 どれだけ怒鳴られても、軽蔑されても、全ては自業自得だ。実際、今この瞬間にも、ラーダンの国土を瞬く間に灰燼に帰す宣告がなされるかもしれないのだ。ドナの行った愚かな行為のために。 その時、ふいにドナ達の背後から声が上がった。 「まことに、まことに申しわけもございませぬ……」 「許されぬ罪であるとは重々存じておりますが、何とぞお慈悲を頂戴いたしたく……!」 お願い申し上げます! ドナ達が振り返れば、ラーダンの国王夫妻が文字通り土下座して、頭を地面に擦りつけていた。そのさらに後方でも、重臣達や村の主だった者達が同じ様にひれ伏している。 「…! 父上、母上! 皆……!」 「息子の罪、お許し頂くならば、この老骨の首をもって償いたいと……」 「お、お待ち下さい!」ロディオンが慌てて、膝行るように進み出て叫んだ。「この度の所業、全てはこの私が考え……」 「いいや!」ドナが鋭く遮る。「何もかも、このおれ…私の罪です! 両親は、国王陛下と妃殿下は、何もご存知ではありませんでした! 全ての罪は私にあります! まことに、ま…ことに…、フランシアの国王陛下、そして眞魔国の皆々様には申し開きの言葉もなく……」 「貴殿はそれで済むと……!」 その時、ふいに響いてきたたくさんの声に、使者の怒りの言葉が遮られた。 お姫さま! お姫さまー! と声を上げながら子供達が駆け寄ってくる。 見れば、トマトや南瓜もどきの野菜が、子供達の腕の中いっぱいに抱えられていた。 「お姫さま、あのねー」 「お姫さまじゃないよー、王さまなんだよー」 「お姫さまの王さまー?」 「王さまのお姫さまー?」 「どっちー?」 「わかんなーい」 「お姫さまで王さま? あのねー」 野菜を抱えた子供達に囲まれて、ユーリは苦笑を浮かべた。 国王達や村人達が慌てて子供達を止めようとするが、ユーリは手を上げて大人達の動きを留め、膝を曲げて子供達と目線を合わせた。 「お姫様でも王様でもどっちでも良いよ。それで? どうした?」 「見て見て、これ、でっかいのー」 「すっごくでっかいの。でね? つやつやー。前といっしょだよ?」 「前よりでっかいよー」 「でね? すごいの! あのね、これ、1こ取ったらね? すぐにまた新しいのが生えてきたの!」 「1こね、もいだらね、2こ生えてきたの! すごいの!」 「でもね? とーちゃんたちがね? これ、とっちゃダメって」 「かあちゃんも、さわってもダメって。どうして?」 そうか、とユーリは身体を伸ばし、周りの大人達を見渡した。 ユーリの視線を受けた村人達が、おどおどと顔を逸らす。 ユーリは、庭の片隅にある国王の小さな野菜畑に目を向けた。 聖地の水は、今、石盤の噴水口から勢い良く吹き上がり、小さな畑全体に雨の様に水を降らせている。そしてその野菜畑では、太い茎に大きな葉が青々と茂り、その中に、目にも鮮やかな彩りの野菜や果物が、ぎっしりと実っていた。 だが良く見ると、生気と勢いを取り戻したのは野菜畑の野菜だけであり、そのすぐ傍らにある木々などは全く変化が見られない。 ユーリが発動させた魔力が影響を及ぼしたのは、この小さく区切られた一画だけなのだ。 「国王陛下」 ユーリに呼びかけれらて、国王が「はっ、ははっ!」と飛び上がる。 「それから皆さん。よく聞いて下さい」 あの畑の実りは、この国の大地の力そのものによるものです。 人々がきょとんとユーリを見返した。 「あの噴水の水は、聖別された水、このラーダンの大地の精霊の、祝福を受けた水なんです。大地の力が弱くなって、ほとんど力を出すことができずにいましたが、おれの魔力が、まあ、そのー、切っ掛けになって生気を吹き返しました。言ってみれば、この畑が新しい聖地になったんです」 「あの水が……」 聖なる水? 人々がまじまじと吹き上がる水を眺めた。 「だからこの畑の野菜は、聖地の力、この国の大地が本来持っている力によって生き返ったのであって、おれの魔力で生み出したものじゃありません。だから……気味悪がったりしないで、あの野菜を活用してください」 でも野菜魔人を見ちゃったら難しいかなー。内心軽く首を捻るユーリ。だがその時。 「あ、あの、では、姫、いえ、魔王陛下」 おずおずと前に進み出てきたのは王妃だった。 「あの、べげったぶるというのはつまり、このラーダンの大地の精霊なんでございますね!?」 「…………え?」 「やっぱり左様でございましたか!」 「わしもそのではないかと思っておりました!」 村長や村の世話役達、そして村人達が、興奮したように声を上げ、「奇跡だ!」「ありがたや!」と抱き合って喜び始めた。 「…え? ええ?」 ぽかんとするユーリを他所に、子供達が手に手に野菜を抱え、「わーいわーい」とユーリの周りを駆け回り始めた。 「やさいの神さまだよー」 「やさいの神さまだねー」 「やさいエラーい!」 「やさい強ーい!」 「気味悪いなんぞ、とんでもないことでございますです」 「でも、聖なる野菜の神さまを食べても、構わんものでございますか?」 「罰当たりではございませんですか?」 「ちーっとも構いませんとも!」 あっけに取られるユーリに代って、朗らかに声を上げたのは村田だ。 「野菜の神さまは、皆さんを護って、手助けするために存在してるんですよ〜。そしていつも、美味しい野菜を食べてもらいたいと願っているんです。ですからどうぞご遠慮なく、あの野菜畑の野菜を食べてくださいね!」 ありがとうございます! 深々と頭を下げる村人達。べげったぶるー、べげたぶるー。歌うように声を合わせて跳ね回る子供達。 「私ら、あの畑を『べげったぶるの聖地』と呼んで、大切にしたいと思っとります!」 「え……ええ…っ!?」 「あ、あの……」 何それ!? ユーリが声を上げようとした時、今度は国王が進み出てきた。 「これから国中が、この畑の様に蘇りますのでございましょうか……?」 「調子に乗らない。先走らない。今回の事件、陛下がここにいる理由を考えたら、小さくても聖地を1つ、復活させてあげただけでもありがたいと思うべきじゃないのか? 違うかい?」 村田はにこやかな表情のまま国王に顔を向けたが、向けられた国王の顔からは一瞬で血の気が引き、今にも引き付けを起こしそうなほど頬を引き攣らせた。国王の口から「ひゅいぃぃ……」と、首を絞められたかのような音が漏れる。あなた、どうなさったの? 王妃が隣で声を掛けている。 「この先どうなるかは、この国のこれから次第だよね? 陛下?」 「あ、う、うん! その通り!」 村田の、掛け値なしの笑顔を向けられ、ユーリは気を取り直し、コホンと咳払いをして、あらためてドナと向き合った。ドナとその友人達がピンと背筋を伸ばす。 「あれが復活したのは、正直偶然っていうか、弾み、なんだ。本当は、これだけのこともするつもりじゃなかった。……冷たいって思われるかもしれないけど」 「いいえ! そのような…!」 ドナ達は、揃ってふるふると首を振った。何がどうあれ、自分達が眞魔国とフランシアに対して罪を犯したということを忘れるわけにはいかない。 「従兄弟殿が仰せの通りです! 俺達、いえ、私達に陛下のお力を望む資格も権利も……ありません。今、こうしてあの聖地を蘇らせて頂けただけでも望外のことと存じます!」 「ドナの言う通りです」ロディオンも殊勝な声で言って、頭を下げた。「あのように野菜が蘇ったことで、民に希望が齎されました。心より感謝申し上げております」 全員に頭を下げられ、ユーリは「うん」と頷いた。 「復活したのはあの小さな畑だけだけど、でもきちんと大切にしたら、精霊はこれからもちゃんと応えてくれると思う。……それで、あんた達のことだけど」 「あ……はい!」 「あんた達はアントワーヌを、フランシアの国王を騙し、おれを拉致した。これはどうしようもない事実だ」 「はい」 「ただ、それでおれがアリリャットの手から救い出されたのも事実だ。それともう1つ、あんた達はアリリャットのように、人の命を軽んじるような真似をしなかった。だからおれは、あんた達をアリリャットと全く同じ様に裁かれるべきだとは思ってない」 「あ……ありがとうござ……!」 「許すって言ってるわけじゃない。だから礼なんかいらない」 「あ、は、はい…!」 「アリリャットと全く同じには扱わない。だからまずは、この国が、ラーダン自身が今回のことに対してどう対応するつもりなのか、それを聞かせてもらう。この国に対しておれ達がどうするかは、それを聞いてからだ」 それともう1つ。 ドナ達はもちろん、国王や宮廷の人々の緊張が増した。 「ツェリ様の宿題。魔族との友好について、ラーダン王国がどう考えるのか。助けて欲しいから条約を結ぶんじゃなく、本気でおれ達と友好を結びたいのかどうか、結びたいと思うのなら、どうしていこうと考えるのか。ちゃんと考えて、この国の答えを聞かせてほしい」 「陛下……」 「ラーダンが本気で魔族と友好を結ぼうと考えるなら、おれ達もそのつもりであんた達とつきあっていく」 「あ…ありがとうございます!!」 国王の庭に、野菜の収穫に勤しむ子供達と村人の歓声が高らかに響き渡った。 □□□□□ ラーダンの宮廷が改めてランシアの正使を迎え、話し合いを行った翌朝。 フランシアの使者と兵士達、そしてユーリを始めとする魔族の一行が、ラーダンを発つために館の前に集まっていた。 そしてその中には、ドナとその幼馴染達がいる。 彼らはユーリ達に従ってフランシアに赴き、アントワーヌに正式に謝罪することになっている。 ドナ達は一国の王を欺き、その国賓を拉致した。フランシア国民の生命、財産を損なうことがなかったとはいえ、本来なら、その罪はアリリャットのタクパと大差はない。だが、それがより凶悪なアリリャットの手からユーリを救い出したことも事実であり、その他もろもろの状況を考慮して、彼らを罪人として裁くことは避けてもらえるよう、ユーリが取り成すつもりだ。 ……その辺りの知恵を村田に貸してもらいたかったのだが、偉大なるダイケンジャーからは、にっこりと朗らかに「許す必要性をまーったく感じないから、やだ」と言われ、コンラートからも渋い顔をされて(ドナがユーリを「妻にする」と宣言したという話を聞いてから、彼らを見る目がさらに冷たくなっていた)、ユーリが自分で考えなくてはならなくなった。 良く考えたら、どうして自分がドナ達のために悩まなくてはならないのか、ユーリ自身もさっぱり分らないのだが、窓の外を元気に駆け回る子供達の笑顔を見たら……仕方ないと思ってしまった。 ……こういうところが、自分のとことん甘い部分なんだろう。と思う。思うが……やっぱり仕方がない。 そしてもう1つ。 ユーリが彼らを庇ってやろうと思った理由があった。 国王が、この人物がまさかと驚くような断を下したのだ。 「ドナから王太子の地位を剥奪し、ラーダンからの追放を命じまする」 え…!? びっくりして目を瞠るユーリ。 だが当のドナも、友人達も、そして王妃や重臣達も、表情こそ悲愴だが驚いた顔は全くしていないので、どうやら彼らの間でその話はすでに決着しているらしい。 「今回のことで」ドナが意外なほど落ち着いた声で言った。「俺は、自分の愚かさはもちろんですが、あまりにも無知であることを痛感いたしました。世界のことを何も知らない。何も理解しようとすらせずに生きてきた。そのことを心底思い知った気がしています。大切な祖国を、1歩間違えれば戦乱と滅亡の中に叩き込むところであったことを思えば、俺の王太子位剥奪は当然と思います。それで良いのだと思います。だからこの際、と言っては、また調子に乗ってと叱られるかもしれませんが、旅に出て、世界を己の目でしっかり見てこようと考えております」 「私も」とドナに並んだのはロディオンだ。「ドナについて国を出ます。本来、私こそが罪人なのですから、おめおめと国に残ることはできません。それに……これまでのことを思えば思うほど、知恵があると思いあがっていた自分が恥ずかしく……。自分は無知であるということを自覚した上で、修行したいと思っています」 「あの、私達も……」 そう言って、どこか哀しげにラチェルとルチェルが顔を見合わせた。 「本当はドナ達と一緒に行きたいって思ってるんです。スラヴァとエフレムもそうです。私達いつも一緒に育ってきたし、それに世界を知らないのも同じだし、知りたいと思っているから……。でも、私達が皆いなくなってしまうわけにもいきません」 「だから私達、国に残って、ドナ達の分もラーダンを、この国で頑張る皆を護っていこうと思います。そして、ドナとロディオンの帰りを待ちます。あの……」 待っても、よろしいですよね…? 遠慮がちにユーリ達の表情を窺うラチェルとルチェル、そして国王達。 もちろんだよ! とユーリは笑顔で頷いた。 「しっかり知識をものにして、国の役に立てなくちゃ、せっかく修行の旅に出た意味がないだろ?」 ユーリにそう言ってもらえてホッとしたらしい、ラチェル達の表情がホッと緩んだ。 「そうだね、最低でも5年は苦労しながら、しっかり世界を見て回るんだね。王様だって、5年や10年跡取り息子が留守をしても、しっかり国を支えていけるだろう?」 村田にも言われて、国王と王妃が「もちろんでございます!」と声を揃える。 「王位をどうするか、息子を復位させるかさせないか、そういうことも皆、彼が逞しく成長して戻ってくるかどうかを確かめてから決めたって良いんじゃないの?」 そ、それは……! 一瞬言葉に詰まり、それからまじまじと村田を見つめた国王達は、次に反応を窺うようにユーリに視線を転じた。 それを受け、ユーリが笑顔で大きく頷く。 ユーリの笑顔で、悲壮な覚悟に緊張していた心が緩んだのかもしれない、ドナ達が唇を震わせ、国王達も感極まった様子で目尻に涙を浮かべた。 「本当に、本当に申し訳ありませんでした…! そして、心から……ありがとうございます!!」 人々に見送られ、「お姫さまで王さまー! 元気でねー!」「王さまのお姫さまー! またねー!」と元気な子供達の声を背に受けながら、ユーリ達は出発した。 「ホントに何かもう、おれ、えらい目にあったなー」 「いつものことっちゃあ、いつものことだけど」 「いつもじゃねーよ! ……でも、まあ、その、さ」 心配掛けて、ごめんな? 小さく首を傾けて、上目遣いの必殺技を使ったのだが、図太い親友からは「それこそいつものことだけどねー」と笑われてしまった。 今、ユーリは村田とともに馬車の中にいた。2人が乗る馬車の周囲は、もちろんコンラートとヨザック、そしてクラリスが固めている。 「コンラッドもヨザックもクラリスも、ホントにごめんな?」 馬車の窓から声を掛けると、すぐ傍らで馬を操るコンラートも笑顔で「ユーリが謝る必要はありませんよ」と返してきた。 「うん…ありがと。……でも、おれさ、今回しみじみ思ったんだ」 「何を、ですか?」 馬車の外からコンラートが尋ねてくる。 「人間との友好について。ラーダンの国王陛下も、おれ達とまだ条約が結べるって分ったら喜んでただろ? あれってさ、まだおれ達の援助がもらえるって考えてるからだよな? 友好の本当の意味について考えてっていっても、結局変わんないのかなーとか思って。難しいよな」 「難しいよね。でも、友好は友好として、条約を結ぶとなれば、自国の有利になるように考えるのは当たり前のことだからね。君にとって大切なのは、対等な友好国であることと、手助けしてあげることの兼ね合いを、自分の中できっちりつけることだね。何でもかんでも、救いの手を伸ばせば万事上手く行くってことじゃないことも、大分わかってきたんじゃないのかい?」 「うん……。おれもまだ修行が足りないなー!」 「何だい、今頃分かったのかい? 君はまだまだ発展途上。修行あるのみ! ま、とりあえず……」 「とりあえず?」 「次のテストの追試をクリアしよう! 英語、やろうね? 渋谷君!」 「追試前提かよ!!」 前途には、まだまだ乗り越えなくてはならない課題が山の様にある。この数日の経験だけでも、改めてそのことを痛感した。 それでも。 乗り越えていく。 自分ひとりでは無理でも、仲間と一緒に。理解して、ともに歩んでくれる人が、昨日より今日、今日より明日、1人でも増えてくれれば、その人とも一緒に。 きっと。乗り越えられる。 そしていつか、きっといつか、辛かったことも哀しかったことも全部、皆で語り合える素敵な思い出にできる。そしていつか、蘇った大地の、輝く緑とたわわに揺れる大地の実りを眺めながら語り合おう。きっといつか……。 「世界中の皆で、思いっきり笑おうな」 風が馬車の窓から吹き込んで、反対側の窓へと流れていく。 その乾いた感触が頬を撫でるのを感じながら、ユーリは微笑を浮かべたまま、そっと空を見上げた。 おしまい。(2012/05/11) プラウザよりお戻り下さい。
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