精霊の日・12 |
「……ホントに……ごめんなさい……」 「これ以上、何を謝られますか? 陛下……」 くすくすと、エレノアが笑いながら問いかける。その笑みを向けられた方、ユーリは、もじもじと両手の人さし指を合わせている。 「その……魔王だってコト、ずっと黙ってて……」 「そのような事。もし堂々と宣言された上でお出でになられていたら、我らは戦どころではない、とんでもない騒ぎになっておりましたぞ?」 ダード師も笑いながら、そう言う。 ユーリを立たせたままではいけないと、練兵場に大量の椅子とクッション、そして敷物が運ばれてきていた。しきりに恐縮するユーリを、半ば無理矢理一番良い椅子に座らせて、砦の人々はその場を囲む様に、椅子やクッションや敷物、もしくは地面に直に腰を下ろしている。 本当なら、砦の中に入ればいいのだが、それでは他の人々が入り切らない。皆がユーリの側で、その声を聞き、眼差しを向けられたがっていた。「何だか、野外学級の先生になったみたい……」と、ユーリが照れくさそうに呟いている。 「……あの……いい……?」 おずおずとアリーが言葉を挟んだ。 「あの、じゃあ、ユー…陛下、は、コンラートに会いたくて、お忍びでご旅行なさったわけなのね? 眞魔国って、そう言う事が簡単にできる国なの…?」 陛下は止めてよ、と笑いかけ、ユーリはちょっと躊躇う様に頷いた。 「ご旅行、というかあ……うん、まあ、コンラッドに会いたくて、はその通りなんだけどぉー」 「家出したんだ、こいつは」 「………家出ぇ……っ!?」 ばらすなよ、ヴォルフぅ、という情けなさそうなユーリの声を他所に、思いも寄らない単語を聞かされた人々の素頓狂な叫びがあちこちで巻き起こった。 「家出って………魔王が、家出!?」 だって、と、愕然としたような、呆れ果てたような視線を向けられて、ユーリが唇を尖らせながら反論を始める。 「……会いたいって、何度言っても……誰も許してくれないし……。でも、どうしても会いたいし……。そしたら、村田が、えーと、割と偉い俺の友達なんだけど、協力してくれるって言ったから……。だから……」 置き手紙をして、城を抜け出したのだと言う。 「カーテン何枚も結んでさ。それを窓の外に垂らして、外に出たの。荷物を入れたリュックは、もう用意して隠してあったし……。そしたら、途中でヨザックとクラリスが待ってて、連れ戻されるのかと思ったら、ついてきてくれるって言うし、ヴォルフも一緒に行くって追いかけてくるし、いつの間にか、ツェリ様も合流しちゃって……」 「……カーテンは、俺がお教えした様に結びましたか……?」 「うんっ!」嬉しそうに破顔して、ユーリが頷いた。「もうばっちり! 特訓したかいがあったよ。さすがコンラッドだよなっ。全然緩まなくって、すっごく下りやすかったよっ!」 そうですか、それはよかった、と、コンラートが疲れた様に呟いて、ため息をついた。 どうやら魔王の、家出成功の一助を、彼が担っていたらしい。それにしても。人々は思った。 置き手紙して、家出する魔王。 物心ついた頃から教え込まされてきた、世界の邪悪の根源、恐怖を司る王、全ての災厄の操り主は、そういうことはしないだろう。たぶん。 改めて、目の前に座る少女(……やはり少年か……?)を見直す。 えへへ、と照れくさそうに笑うその姿は、やはりこの世のものとは思えない程愛らしい。 「あの」今度はレイルが言葉を発した。「じゃあ、コンラートは元々魔王陛下と近しい…側近なんですね……?」 だから、陛下はやめてよ、とユーリが苦笑する。それからうーんと一つ唸った。 「側近は……側近、だよな……。でも、その前に家族だよ。コンラッドはツェリ様の息子だし、俺の名付け親で、保護者で、それで……」 ユーリの頬が、ぽぽぽと色付く。ちら、とユーリがコンラートに目を向けると、コンラートがコホン、と一つ咳をした。……どことなくコンラートの頬も赤らんでいる、気がするが、皆すぐさま目を逸らした。……いくらいい男でも……無気味だ。 「……あの、ツェツィーリエ殿のお子だから、というのは……?」 「え? あ、だって、やっぱり、ツェリ様、俺の前の魔王だし」 「…………………」 「…………………」 「…………………」 「………………………………はい……?」 「え? あの、だから……」 おほほ、と高らかな笑いが、ユーリの隣から起こった。ただひとり、長椅子にゆったりと身体を横たえる様にくつろいでいるツェツィーリエだ。 「申し遅れましたわね。私、ユーリ陛下の前王、第26代目の魔王でしたのよ」 ぱかっと、周囲の人々の顎が落ちた。 「…………えっ……? あの………それは……つまり………?」 しどろもどろに呟いて、一瞬虚空に目を遣ったカーラが、ハタッと気づいたようにコンラートを見た。 「あの、という、ことは…………コンラート……?」 眉を顰めたまま、そっぽを向くコンラートは何も答えようとしない。だが、そんな心情に全く斟酌しないのがユーリだ。 「つまり、コンラッドは第26代魔王陛下の元プリ……第2王子殿下、だよ?」 「…………………………」 「…………………………」 「…………………………」 「………………え………」 「………あの……………」 「…で……………………」 でえぇーーーっ!!? 絶叫が。練兵場一帯に響き渡った。 「俺が魔王だって分かった時よか、皆、びっくりしてたんじゃねーの?」と、後でユーリがちょこっと拗ねてみせるくらい、絶大な反応だった。 夜が明けて、ユーリが姿を現してから1時間も経っていないはずなのに、どうしてこんなに疲れているんだろう、と、エレノアはくりくりと顳かみを揉みながら悩んでいた。 その時、彼らの中で徐に立ち上がった男がいた。 クォードだ。 厳しく頬を引き締め、鋭い眼光でコンラートを見つめると、前に進み出てユーリの足元に跪いた。 「………おっさん……?」 「魔王陛下に、お願いしたき議がございまする」 「……お願い? 俺に……?」 「ク、クォード殿……?」 驚いた様に声をかけるエレノアも無視して、クォードは「は」と頭を深く垂れた。 「あ、あの……俺にできる事……?」 「陛下にしか、できぬ事でございます。………何とぞ、お願い申しあげまする。コンラートを……」 クォードが、顔を上げ、しっかりとユーリと目線を合わせた。 「コンラートを、元大シマロンのこの地、この国土の王とお認め下さいませ!!」 「……で、殿下っ!?」 「クォード殿、何を……っ!」 騒ぎたつ人々の中で、コンラートもまた立ち上がった。 「殿下! ……そのお話はとうにお断りしたはず。それに、国土は元の国境線に従って統治者を定め、連邦制とすることと、決めたはずではないですか!?」 「おぬしの、その血筋を知らなければな」 やはり立ち上がって嘯くクォードに、コンラートが眉を寄せた。 「ベラールの正統の血筋と、眞魔国の王家の血筋。これを二つながらに合わせ持つことの意味を、おぬしが理解できんとは言わせんぞ、コンラート。連邦制になろうと、それを束ねて長とする人物が必要だという意見は、すでに出ておるではないか。これからのこの国の行く末を思えば、たとえ象徴といえど、おぬし程、その座にふさわしい者はおらん!」 「………眞魔国に王家などというものは存在しませんよ。それより、あなたはどうなのです? 血筋から言っても、実力を見ても、あなたはベラールの末裔などに引けはとらないと、常々豪語されておいででしたよね?」 「もちろん、その言葉の通りだ。俺は、王となる器の男だ。我が事ながら、胸を張って堂々と宣言できるわ。だがコンラート。それでもやはりここは、おぬしにやってもらわなくてはならん。なぜなら……」 強い眼差しでコンラートを見遣ってから、クォードは改めてユーリの前で威儀を正した。 「……陛下……いや、ご無礼と承知の上で、あえて今は姫と呼ばせて頂きまする! 姫っ!!」 その勢いに、ユーリは思わず仰け反った。 「……………はひ……?」 「この日々、このクォード・エドゥセル・ラダ、延々と思い悩んでおりました! 麗しくも清らかな陛下のお姿と、生まれ落ちてより耳にしてまいった『魔王』とのあまりの落差に、我が目は曇っておったのか、それとも、我が人生を作り上げし様々な教えが間違っておったのか、とっ!!」 「……………はあ……」 「そして本日! かくも美しく、麗しく、愛らしく、神々しく、綺羅らかにして……ああっ、何と言葉とは不自由にして不十分なものなのであろうかっ!? とにかく! 姫の真のお姿を拝見致し、このクォード・エドゥセル・ラダ、はっきりと確信致しましてございます!」 「……………なに、を……?」 「姫が姫である限り、我が愛は揺るがず! この想いに一点の曇りも迷いもなしっ!!」 「………………………?」 ユーリは眉間に指を当てて、きょとんと首を傾げた。目の前で腕を振り上げ、天を仰いでいる男が、何を言っているのかさっぱり分からない。あっちこっちに飛ぶ言葉の意味が理解不能だし、「!」と「!!」と「っ!!」ばっかりで、うるさいし。 そんなユーリと、呆気に取られる人々の前で、クォードは振り上げたいた拳を下ろし、胸元で強く握りしめた。顔が苦渋に歪んでいる。 「………しみじみと、思いましてございます。ああ姫! 姫はこのか弱くも繊細な肩、この細腰で強大な国家を支えておいでになるのだとっ。さぞお辛かろう、人知れず涙したこともおありだろう……!!」 王様やるのに腰は関係ないだろう、と突っ込みたい人々は大勢いたが、すでに皆、それこそ腰が引け始めていた。 「できることならそのお苦しみ、このクォード・エドゥセル・ラダが替わって差し上げたい。そのお腰を支えて差し上げたい!」 まだ腰から離れてない。 「しかし……姫が魔王陛下という大いなる地位に就いておられるとあらば、たかが人間風情に一体何ができましょうや? まして姫が故国にお戻りになり、一旦その玉座にお座りになられれば、もはやこのクォードなど、姫の衣の裾にすら近づく事叶わず、それどころかっ、はるか海のかなたより、ただ天に姫の玉顔を思い浮かべ、我が愛の言の葉を、せめて精霊よ、かの御方にお伝えしてくれと、虚空に告げるより他ないのでございまするっ!!」 だが、しかしっ!!! 絶叫する様に一声叫ぶと、クォードはぐるんっとコンラートに対した。そしてびしっと指を突き付ける。 「……コンラート、おぬしが……っ。この元大シマロンの地に残り、国土国民を象徴する王となり、その座に就けばっ。姫はおぬしの養い子、すなわち姫は我らが王の一人娘、言を短く簡潔端的断定的に表現するなら、姫は我らが唯一無二の王女殿下っ! となればっ。王に近しく政に携わるこのクォード・エドゥセル・ラダが、姫の御相談相手となり、王の座にあるが故の孤独をお癒し申しあげ、そして………」 「つまり」 コンラートが、うんざりした様子で、クォードの長広舌をぶった切った。 「俺がここに残って、あなた方の王になれば、陛下がまたここへやってくるだろうし、そうなれば、近づく機会も、手が出せる可能性も高くなる、と?」 それは王ではなく、ほとんど人質ではないだろうか? 「そうあからさまに言うものではないぞ、コンラート。品性が疑われるではないか」 腰に手を当て、堂々ふんぞり返って、クォードがコンラートを嗜める。 「……殿下」コンラートの声が地を這う。「……思えば、長いようで短いおつき合いでした。お別れするのが残念です」 物騒な言葉を軽く口にすると、コンラートの手が剣の柄に掛かった。と。 「あいや、待たれよ、コンラート殿っ!!」 横合いからいきなり制止の声が掛かると、突如わらわらと、何人もの男達が立ち上がった。 「……あなた方は……」 新生共和軍指導部の若き指導者達、かつての王侯貴族、青年、そして壮年の武官将校達が人々を掻き分け、コンラートに向かって一斉に迫ってきた。 「クォード殿の仰りよう、一理あり!」 「さよう! この地にはやはり連邦を束ねる王が必要でござる!」 「眞魔国の王子殿下であり、ベラール王家の直系とは、なんと高貴なお血筋!! さすがでござる、コンラート殿っ」 「それに加えて、魔王陛下をご養女になされておられるとは、もはや地上に並ぶ者なきご威勢!」 「貴殿こそ、我らが王と仰ぐにふさわしいお方でござる!!」 「コンラート殿っ」 「ぜひぜひっ!」 「「「我らの王にっ!!」」 「あなた……方、は………」 コンラートの軽く上げた口元が、ぴくぴくと震えた。 期待に目を輝かせる(どんな期待であるかは、あえて問わない)男達の集団を、コンラートが殺気を滾らせて睨み付ける。 「隊長」 いつの間にか、クラリスがコンラートの側に控えていた。 「やはり一思いに片付けた方がよろしいかと。お手伝いいたします」 「………そうだな、クラリス。俺は少々優し過ぎたかもしれない」 「いえ、甘っちょろいだけです。ご心配なく」 言葉の意味が掴み切れない程礼儀正しく告げると、クラリスもまた剣の柄に手を掛けた。 「はーい、そこそこーっ。ちょっとは場所を弁えろってのーっ」 ヨザックがげっそりした顔で近づいてくると、パンパンと手を叩いた。 「魔王陛下の御前ですよっ、皆さーん? ほら、陛下がご不快に思っておられますよ!」 一斉に視線が飛んだ先には、不快というより、訳が分からないといった表情のユーリが、ぽかんと座っている。 「はいっ。何か主張したい事や、始末したい事があるなら、あっちでやって下さいね! さあ、行った行った!!」 問答無用に追い立てられて、コンラートにクラリス、クォードに指導部有志一同(?)が、やがて抵抗空しく、その場から去って行った。 「………ねえ。今の……何だったの……?」 お笑い芸人志望の元王子様が、訳の分からない事をさんざん喚いていたかと思ったら、コンラッドが怒って、そしたら他の人達、クラリスまで参加しだして。 「山盛りのギュンター対コンラッドって感じだったよね……? あれって……?」 「気にするな、へなちょこ。理解する必要のない低次元の話だ」 バカバカしい、とヴォルフラムがため息と共に呟いた。 「あれ? でも……コンラッドを王様にとか何とか言ってなかった? それ……」 「あー…。大丈夫でございますわ、陛下。ヴォルフラム殿の仰る通り、お心に留める必要はないかと。……本当に……馬鹿馬鹿しい」 「全く……ウチの男共ときたら……」 エレノアとカーラが、揃って深いため息をつく。 「あんなのは放っときましょうよ!」 何やら淀んだ空気を追い払う様に、アリーが大きく声を上げた。 「ねえ、陛下、あのー……ユーリ……?」 「うん、アリー! 陛下は止めようよ。……友達だろ?」 「ええ! そう、そうよねっ。じゃあ…ユーリ、身体の方は大丈夫?」 「うん、もう大丈夫。たっぷり過ぎるくらい寝たしねー。……ちょっとお腹が空いてきたかなーって感じ」 「ホント? じゃあさ、早めのお昼にしたら、野球やらない? しばらくやれなかったから、思いっきり走りたいの!」 「いいねーっ! よし、やろう! ……えっとー、食事の後に野球やる人ーっ? あ、今日から始めようって人も、もちろんオッケーだよーっ。ちゃんと教えてあげるから!」 はーいっ!! よい子のお返事と共に、一斉に人々の手が上がった。カーラも高々と手を上げている。 「よっしゃ、今日は日が暮れるまで野球するぞーっ!!」 風に乗って、何故か剣戟の響きがかすかに聞こえてくるが、そんなコトは気にも止めず、ユーリは満面の笑顔を残った人々に向けた。 皆、とっても幸せだと思った。 「今までたくさん、ありがとうございました!」 ユーリがぺこん、と頭を下げる。 今日のユーリの出で立ちは、初めてこの地を訪れた時と同じ、冴えない、どこか野暮ったい少女の装い、だった。大きな丸メガネと、その上に被る前髪で、あの美しい瞳は見えない。 「とんでもございません。こちらこそ、御礼の申し上げようがございませんわ」 別れの日。 砦の広場に、帰り支度を整えたユーリ一行と、エレノア達が集まっていた。広場はぎっしりと人で埋まっている。 「またぜひ遊びに、と申しあげたいのですが……難しいでしょうねえ……」 「何せ、家出でございますから。……今頃国ではどんなことになっておりますやら……」 楽しそうに笑って言うツェツィーリエに、うう、と一声唸って、ユーリが俯いてしまった。 帰れば間違いなく、きついお仕置きが待っている。ご飯抜きでサイン書き、で済むだろうか……。 暗くなってしまったユーリの頭に、ぽん、と優しい手が乗った。 「……コンラッド……」 見上げられて、コンラートがにっこりと微笑んだ。 「事情を説明した鳩を送ってあります。母上もいらっしゃいますし、大丈夫ですよ。……俺は、お会いできて嬉しかったし……」 「……コンラッドォ……」 結局、コンラートはユーリと共に帰国する事を断念した。 共和軍が共和国として踏み出す確かな基盤が出来上がるのを、きちんと確認する必要があると判断したからだ。共和軍を指導した者として、そしてこれから深い繋がりを持つであろう眞魔国の魔王名代として、それに立ち会うのがコンラートの義務だ。 だが。 「………コンラッド……すぐ帰ってくる……?」 小首を傾げて、ユーリが必殺技を繰り出す。 ぶかぶかのドレスに身を包んで、背には真っ赤なリュック。その姿はどこかひどく幼げで、ユーリ自身も別れの寂しさからだろうか、すこし口調や仕種が子供っぽくなっている。 「…うん。………なるべく早く帰るよ……」 「どれくらい? ……1週間、くらい……?」 「ユーリ……」 コンラートは思わず苦笑を洩らした。国家がゼロから新たな体制を整えて出発するのが、1週間でできるはずもない。 「ごめん、ユーリ。…1週間じゃ無理だな」 「そ、そうなの…? じゃ、じゃあ……10、日……?」 「いや、そうじゃなくて……」 「2週間もっ!?」 はあっ、と、その場にいた近しい人々が一斉に大きく息をついた。ただしそれが意味するところは、かなりばらつきがあった。 どう言えばいいのだろうとコンラートは思いを巡らし、呆れたへなちょこだとヴォルフラムは思い、陛下ったらかーわいい、とツェツィーリエはしみじみ再認識し、コンラートと離ればなれがそれほどお辛いのか、お可哀想にと、人間達は同情していた。 「ユーリ、済まない。……この仕事は2週間でも終わらないと思う。もうしばらく……」 「2週間でも帰って来れないのっ!? そんな……」 ユーリの声が悲痛に揺れた。「ユーリ」と、コンラートがそっとその両肩に手を置く。……本当は、抱き締めたいのだが……。 「2週間掛けても……帰って来れないんだ……。じゃあ、じゃあさ、もしかして、もっとすっごく長くなって……」 ユーリが祈る様に胸元で手を組み、コンラートを見上げる。 「もしかして………15日、くらい………?」 ……………1日しか延びてないし。 コンラートは、ユーリの肩に手を置いたまま、がくりと頭を落とした。 「……コンラッド…?」 「……はい…?」 「また来ても、いい?」 ユーリが大人しく待っていられるのは、最大半月。 認識を新たにしたコンラートは、今度は思わず天を仰いだ。 「おお、姫! もちろんでございますともっ! 姫のお越しを、我ら首を長くしてお待ち申しておりますぞ!!」 あれ? と皆の視線が声のした方に向いた。ユーリの後ろで、小さな声が「…執念深いヤツ」と呟く。 「………おっさん? それに他の人も……。どうしたの!? そのかっこ、傷だらけじゃん!」 やって来たのは、クォード始め、指導部有志一同(…)の面々だ。……何故か身体のあちこちを包帯でぐるぐる巻にし、そうでないところにも、血の滲んだ小さな切り傷が見える。その彼らが、剣を杖に、または互いを支えに、身体を引きずる様にして、ユーリに向かってくるのだ。 そう言えば顔を見ていなかったと気づいたが、どうして彼らがこんなに包帯だらけなのか、ユーリにはさっぱり分からない。 「どうしたの!? 集団で怪我? いいよ、そんな身体で見送りにきたりしないでよ。ああ、そうだ……」 ユーリの手が、そっとクォードに伸ばされた。ふわり、とその掌に燐光の様な煌きが現れ始める。 「おお、姫……!」 どこか恍惚としたクォードの声。続く男達の顔も、傷の痛みを忘れたのか、溢れんばかりの期待に輝いている。 「…じっとして……て、あれ……?」 いきなりひょいと抱き上げられて、ユーリはきょとんと目を瞬いた。 自分を子供だっこしているのは、すでに慣れてしまった大好きな人の感触。 「コンラッド……?」 「全員かすり傷です。気になさる必要はありません。……ったく、ユーリの気を引こうとして……」 最後の言葉は胸の内で呟くだけにして、コンラートはユーリをさらにぎゅっと抱き締めると、元の場所に戻っていった。 取り残された面々が、「姫ぇ…」と、情けない声を上げて、震える手を伸ばしている。 「……でもなんか…可哀想…っぽくない…?」 「全く全然微塵も!」 「残念ながら、コンラートの言う通りです」 カーラが眉を顰めて続けた。 「我が共和軍の男共が、ああも情けない連中だったとは。………国のあり方を考える上で、実に良い参考になります。感謝しています、ユーリ」 「………は?」 どうやら自分の知らないところで、色んなコトが起きているらしい。コンラッドの首に腕を回し、きゅっと抱きつくと、ユーリはそれ以上考えるのを止めた。……今はコンラッドを、うんと近くで感じていたい。 「じゃあ、これで。皆、元気でね!」 「陛下もお元気で。またお会いできるのを楽しみにしておりますわ」 「今度はぜひ眞魔国へお出で下さいね。お待ちしておりますわよ」 「ええ。ぜひ」 「私も行きたい! 眞魔国で、本場の野球を見てみたいの!」 「いいなー、それ。待ってるからさ、アリーもレイルも皆も、絶対来てくれよな!」 「うん、僕も! 絶対遊びに行くよ!」 「絶対な! 約束だぞ! あ、帰ったらすぐに、野球道具一式と、ルールブック、送るから!」 「楽しみにしてる!」 「ヴォルフラムも、ちょっとは上達しなさいよね。結局一度も私のボールにかすらなかったし!」 「うーるーさーいーっ!」 「それじゃあ……」 「さようなら!」 手を振って、何度も振り返って、離れ難い思いを噛み締めて、それでも彼らを乗せた馬は躊躇なく進んでいく。 「ユーリ、くれぐれも気をつけて! 皆、ユーリを頼むぞっ!」 「元気でねーっ!」 「姫ーっ、我らは諦めませんぞーっ!!」 「いい加減、諦めなさい!」 そうして。 わずかな、だが忘れ難い時間を共にした人々は去り。 寂寥感を胸に残しながらも、砦の人々は本来すべき仕事に戻ろうとしていた。 「……さてと。各行政府の首長候補殿達は出そろったのかな? カーラ、聞いているか?」 「ああ、8割方は、我が指導部から各地方への配属という形で調整ができているんだが、問題はこれまで積極的に我々に協力してこなかった地方の有力者達の扱いだな……」 「ふん、今頃になって大慌てでご機嫌伺いに来ておるではないか」 身体に巻いた包帯をぞんざいに解きながら、クォードが口を挟んだ。 「機を見るに疎いというのも、政治力のなさの証明だ。そんな奴輩によい統治等期待できん。他の地方と統合してでも、我が指導部の者が直接……」 「殿下、そういう混乱をきたす発言はお慎みを。それから、包帯をあんまり無駄にしないで下さい」 「ふん! ……おぬしが邪魔さえせねば、姫のあの神秘のお力を体験できたと言うのに……!」 「これからも、どうぞご期待なき様に。ああ、カーラ、それから……」 何のかんのと言い合いながら、それでも3人は並んで歩いていく。 その姿を、楽しげに見送ったアリーとレイルは、広場で青空を見上げ、大きく伸びをした。 「……なんだか、もう何年もユーリ達と一緒にいたような気がするわ……」 「ホントだよね」 レイルも楽しそうに答える。 「私、絶対眞魔国へ行くわよ。本場の野球を勉強してくるんだから! 目指せ、眞魔国リーグよっ」 「……僕は、その前にユーリがまたここに来るような気がするなあ……」 「……………確かに、あり得るわね」 二人は顔を見合わせて、ぷぷっと吹き出した。 「ねえ、レイル? 私、結局分からなかったんだけど……」 「何だい?」 「ユーリって、結局、女の子なの? それとも、男の子?」 「…………あ…………」 透き通った春の盛りの青空の下。 今日も精霊達が、生命を謳って空を飛ぶ。 生きてあれ。幸いなれ。 「世界」から全ての「生命」に言祝ぎの歌を。 日々是好日。世は事もなし。 おしまい(2005/08/27) プラウザよりお戻り下さい
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