「春だねぇ」 「…そうですね」 「そろそろ花祭りなんじゃない?」 「…そうですね」 「俺、タイミング悪くてさ、花祭り、まだ一度も見たことないんだよな」 「…そうです…え? そうなんですか?」 「そーなんです。……あー、祭り見たいなー」 近頃暖かい日が続いて、王都の花々が一斉につぼみを綻ばせ始めた。春のお祭りを経験するのは僕も初めてだから、今からとっても楽しみなんだけど……陛下はやっぱり下々に交ざってお祭り見物なんてできないんだろうなあ? 「ああ、ホントに陽射しが暖かくて気持ちいー」 ええ、陛下はそうでしょうとも。でも。 ………………陛下。僕の背後に…………ブリザードが荒れ狂ってるんですけどーーーっっ! 「ところで、陛下」 陛下を挟んで反対側を歩いておられるウェラー卿が、そっと囁いた。 「…さきほどの涙は、どこから持ってこられたのですか?」 どう言う意味? と聞く間もなく、陛下がひょいとポケットから小さな目薬を出された。 「アニシナさん謹製、うつむいたままでも点せます噴霧式目薬、名付けて『あなたの胸で泣きたいの』君!」 「………あのー、よろしいでしょうか、陛下。僕、『泣きたいの』と『君』の間に微妙なギャップを感じるのですが……」 「そこに違和感を感じるのは、固定観念に縛られた旧時代の遺物である証拠なんだって」 「……むっ、難しいんですね……?」 それは衝撃の出会いから、一夜明けてのことだった。 ウェラー卿のお部屋に泊めて頂き、朝、ろーどわーくとやらを終えて戻ってこられた陛下と一緒に、食堂へと向かった。食堂というにはあまりにも豪華な、テラス式のお部屋にいらっしゃったのは。 フォンヴォルテール卿グウェンダル閣下。フォンクライスト卿ギュンター閣下。フォンビーレフェルト卿ヴォルフラム閣下のお三方。 しぶいーっ。びじんーっ。きれーっ。 お名前はしょっちゅう耳にしていても、実在なさっている実感なんか一度も感じたことのない、遠い遠い世界のお歴々だ。もちろんその筆頭は陛下なんだけれど、どうも夕べの出会いからその辺がおかしな感じになっていて……。 すさまじく緊張する僕を連れて、陛下がお部屋に入って行くと、閣下方が一斉に立ち上がり、それはもう優雅にお辞儀を………。 「ユーリッッッ!! きっさま間男を引き入れたというのは本当なのかっ尻軽だ尻軽だとは常々思っていたが今度という今度は許さんぞ大体引き入れた男というのはそれなのかお前そんな貧相なチビがいいのかそういう好みだったのか僕という完璧な婚約者がいながらなにを血迷ってるんだーーーっっっ!!!」 でーーっ!? なんだなんだなんだーーーーっっ!? 「血迷ってるのはお前だーーっ!! だから首を絞めるなっ。死ぬーーーーー!!」 びっくりして三歩ほど飛び退った僕の目の前で、陛下が絞殺されつつあった。 「陛下っ。私も哀しゅうございますーっ! 一体何がよろしくて、このようなものをお召しになられたのでございましょうかっ!? このギュンター、陛下がお望みになることでしたらどのようなことでもいたす覚悟がございますのにっ。何故に私めではなくっ、ヴォルフでもなくっ、こんなオオヤマスノマタタヌキツネンそっくりのチビすけなんぞをーーーっ!!!」 ………あ、ひどー。村の皆は「ティートはコノシタコネコネコみたいでかわいい」って言ってくれてたのに。 それにしても、一体何を叫んでるんだろう? 何がどうして朝からこんなにハイテンションなんだ? ふと見たら、渋いお方、フォンヴォルテール卿が、難しいお顔で僕を上から下までじろじろと眺めていた。 「……はいはい、それまで。ヴォルフ、いい加減手を離せ。そろそろ陛下が死ぬ」 ポンポンと手を叩きながら口を挟んだのは、ウェラー卿だった。 「「「新聞記者ぁ!?」」」 声を揃えて驚いて頂き、ありがとうございます…。 ウェラー卿と陛下の説明に、三閣下がそろって大きなため息をついた。 「素顔のユーリだと?」 「そ。ありのままの俺を取材してもらおうかと……」 「ハッ。バカでへなちょこでやることなすこと間が抜けた魔王だと、国民が失望するだけだぞ」 「…………るせーぞ、プーのくせに……」 そのお美しさ、可憐さ、中睦まじくてお似合いなこと比類なし。眞魔国国民が憧れのため息とともにうっとりとその名をお呼びする最高のカップル。……ですよね? そうですよね? その後。弱小新聞など信用できないだの、こんなガキに大した記事が書けるもんかだの、どうせゴシップを漁りにきたんだろうだのと言われ(言ったのは主にヴォルフラム閣下だったが…つか、この人、顔と中味の落差ひどすぎるゾッ)、さすがの僕も言い返そうとしたその時だった。 僕を庇う様に前に立たれた陛下が、徐に両手を顎の下で組まれた。そしてお三方を前にして、くんっと小さく首を傾げられ、そして………。 十秒後、僕の取材が満場一致(?)で許可された。 「お願い、といいながら、いきなりぽろぽろ泣き出すから、いつの間にこんな新しい技を身につけたのかとびっくりしましたよ」 本当に泣いたとは思わないんですね、ウェラー卿。 と言う訳で、僕は今、陛下の一日最初のお仕事、午前の謁見を見学させて頂くべく、広間に向かっているところなのだ。 なのだけどー………。僕らの後ろからおいでになる閣下、特にヴォルフラム閣下とギュンター閣下の視線が、さっきから氷柱のように太く鋭く、僕の背中をずぶずぶと刺している。なんだかなー……。 謁見の間はすでに、本日この座に連なることを許された貴族たちや、陛下のご下問に備えて、官僚、そしてその補佐官などが陛下のご出座を待っていた。巨大な扉が開かれると同時に、その人達が両脇に並んで一斉に頭を垂れる。 「君は俺と一緒に来なさい」 ウェラー卿に言われ、その後について行き、人々の背後を回って玉座に近い柱の陰に立つ。ウェラー卿もその近くに佇んでいらっしゃる。 何となく、妙な気分になった。 扉を開けて、広間のまん中を貫く黒い絨緞の上を陛下と共に歩いたのは、宰相フォンヴォルテール卿、王佐フォンクライスト卿、そしてフォンビーレフェルト卿だけで、陛下が玉座にお座りになられると、宰相閣下と王佐閣下はその後ろ両脇に、ヴォルフラム閣下は五段ほどある階段の中程に立った。………ウェラー卿、は……? 「……ぬばたまの御髪、黒水晶の瞳、輝かしき御身に拝謁叶い、この光栄に身も震える思いにて……」 すごい。さっきから美辞麗句のオンパレード。最初の謁見者は、扉から入ってくるとすぐ、身を投げ出す様に跪き、陛下の御意を賜った歓びを捲し立て続けていた。すでに十五分くらい経ってるような気がするけど、一体何を訴えたくて謁見を願い出たんだろう…? 見上げると、陛下はにこやかにその姿を見下ろしておられる。……でも、何か、ヘン。陛下の笑顔がピクリとも変化しないというか、時折こくりこくりと頷いておられるのが、どうも話のリズムと合わないというか……。あれぇ? とお姿をじっと見ていたら、顔に笑みを張り付けたまま、陛下のお身体がぐらーっと横に傾いだ。 倒れるっ、と思った瞬間、すかさず隣におられたフォンクライスト卿が、陛下のお身体をご自分の身体で支え、そしてさりげなくまっすぐになされた。その間、陛下の笑顔は全く変化なし。て、ことは………? 「…あの技を身につけられるまで、大変な努力があったらしい」 いつの間にか、ウェラー卿が隣にいらっしゃった。 「あの……、陛下は………、眠っていらっしゃる…?」 笑顔のままで。 「そう。大したものだろう?」 「………眠らない努力をする方が、楽なのでは……?」 「その努力は早々に放棄なされた」 「…はあ……」 「………つきましては、領地内を走ります街道におきまして、人身事故が近年急激に増し…」 ついにようやく本題に入ったのかも、と思った瞬間、陛下の様子が変化した。身体にふっと芯が通った様になり、ぱちっと両目が開く。 「…事故?」 おおっ。確かに「技」だ。 「は。国内に活気が増すと同時に人や物の移動が激しくなり、馬も馬車も人もなげに道を疾走することが多く見受けられる様になりました。そのため、徒歩の者が重大な事故に巻き込まれることが多くなっております」 そう言えば、編集長も似たようなコト言ってたような…? 「…ギュンター、そういうのって、一地方だけの問題じゃないよね? 何か聞いてる?」 陛下の質問に、フォンクライスト卿が「はっ」と頭を下げる。そして閣下の目配せで、控えていた人々の中から担当らしい官僚が書類を持って進み出てきた。 「……ここ一、二年、王都はもちろん、特に地方都市の興隆が目覚ましく、文物の取引や移動が一気に増えたことは確かでございます。またそれに従って、特に地方都市と王都を結ぶ幹線道路を主として、人身事故、また恐れながら、強盗や誘拐といった凶悪な事件も増えております」 「それは……。対策は? 何もしてないってことはないよな?」 「もちろんでございます。現在………」 担当官僚が、対応策や実情について説明を始める。 その間、陛下は全く居眠りなどなさらず、真剣に話に聞き入っておられた。そして時折、「そういえば、犯罪の検挙率は?」とか「各街や村の治安維持はどうしてるんだ?」とか「救急医療体制は?」など、多岐に渡って質問を挟まれた。それに対して、官僚や実務担当者が入れ代わり立ち代わり言上を繰り返す。 「……すごいなー……」 「ん?」 僕のつぶやきに、ウェラー卿が反応した。 「謁見って、陛下へのご機嫌伺いや、貢ぎ物の披露の場だって聞いてたんです。でも全然違ってるっていうか…」 「前の陛下の頃までは、確かにそうだったな。だから謁見の間に居合わせるのは、それを見物するヒマな貴族達がほとんどだった。しかし今は、貴族達より役人や現場担当者の方が多いみたいだ。陛下は、疑問が生まれると、即座に答えを求められるからね。近頃では十貴族も必ず代表を同席させているらしいな」 「お役人たちも、のんびりしてられませんよね。陛下が何を質問されるか分からないんだし」 「ああ。謁見を求めてきた者達から事前に言上の内容を聞き出して、御質問を想定して調べているらしい。ま、彼等も勉強になるんだから、悪いことじゃないな」 「そう言われれば、そうですよねー」 「……以前は、玉座に座ることさえ照れくさがっておられた。身の置きどころがなさそうに、もじもじとなさっていたものだったが……。本当に、あの方は成長なされた…………」 静かな声にひかれて仰ぎ見たウェラー卿は、小さく笑みを浮かべていた。嬉しそうなのに、なぜか僕にはそれがひどく淋しそうな笑みに見えて、我ながら焦ってしまった。 「あ、あの、ウェラー卿」 「なんだ?」 「あっ、あの、えっと…。あ、ウェラー卿だけ、どうして陛下のお側においでにならないのですか? 兄上や弟君は陛下と一緒に広間を歩かれて、玉座のお近くに……」 「俺は兄弟達とは身分が違う。それに俺は陛下のただの護衛だ。私的にはどうあれ、公的な場では分を弁えなくてはならない」 「……あ。あー……」 僕のバカ。 「……本日は陛下のご謁見を賜りましたこと、まことにまことにありがたく……」 最初の謁見希望者が、謁見終了の挨拶のため、あらためて陛下の前に跪いた。 彼の願いは、事故が減る様に幹線道路となる街道の幅を広げて欲しいというものだったらしい。 「陛下の御代、磐石なことこの上なく、民の歓び日々いや増し……」 陛下の笑顔がまた、居眠りモードに戻った。 午前の感想。 『ユーリ陛下は、とっても器用な方です』 以上。 午前の謁見が終わって、お昼になった。 お昼ご飯のテーブルに、僕までご一緒させて頂けることになって、もう恐れ多さも緊張もいっぱいいっぱいだ。となると、不思議なもので、逆に腹が据わるというか、覚悟が決まるというか、妙に落ち着いてしまうものなのだと、僕はこの数時間で知ってしまった。 「なー、あの挨拶どうにかならない? 『陛下の麗しき御尊顔を』うんたらかんたら。全然うるわしくねーっての。『前略』って、すぐ本題に入る訳にはいかないの?」 「…前略、でございますか?」フォンクライスト卿が困ったように眉を顰めた。「あれはどれほど陛下を崇敬申し上げているかを、懸命に表現しようとしているものでありますから…」 「長過ぎ。時間の無駄だって。コンラッドもそう思わない?」 「…まあ、前略、で終わられるのもなんだけど。ただ表現合戦が苛烈になり過ぎて、日々長くなっているような気はしますね」 「我こそが、ユーリへの忠誠著しい臣下だと主張したい訳だ。僕もあの美辞麗句の長さには些かうんざりしている。褒め言葉は短く適格に、が理想だな」 「俺への短く適格な褒め言葉って何よ?」 「可愛い」 「……殴るぞ」 当たってると思うけどなあ。 で、皆さんと揃って食堂に入り、席におつきになった陛下が仰った。 「コンラッド。サンドイッチ作って」 その瞬間。 フォンヴォルテール卿、フォンクライスト卿、フォンビーレフェルト卿が、揃ってビクゥッッと身体を強ばらせた。空気まで音を立てて固まったような気がする。 さんどいっちーって、ルクカのことだよなあ。なんでそれがそんなに怖いんだろ? 三閣下のお顔が恐怖に引きつって、おまけに冷や汗までかいてるみたいだし? あ、フォンビーレフェルト卿、わなわなと手が震えてる。 「何を挟みますか?」 ウェラー卿だけが平然として、にこにこと笑っている。 「任すよ。コンラッドが作ってくれると、すっごく美味しい気がするんだ」 「光栄ですね」 にこにこ。 ウェラー卿はテーブルにある野菜やサラダや肉類をパンに挟み、そして陛下に差し出して言った。 「食べさせて差し上げましょうか?」 三閣下が氷の彫像に変化する。 「はい、あーん、なんちゃって。あはは、コン様ったら、冗談ばっかり」 けらけらと笑って、陛下がさんどいっちーを受け取ると、三方向から同時に深ーいため息が漏れた……? 「ねー、グウェン?」 午後は会議が入らなければ、もっぱら書類仕事だそうだ。 陛下の執務室には、窓際中央に陛下、そこから下がって両脇にフォンヴォルテール卿とフォンクライスト卿が席につき、それぞれ書類を手にしている。ウェラー卿は陛下の斜め後方で、壁に背を預けて立っていて(護衛だからだそうだ)、フォンビーレフェルト卿は仕事とは関係なさそうな下座のソファに腰掛けて、お茶を飲んでいる。ちなみに僕も同じソファでお茶を頂いてしまった。時折フォンビーレフェルト卿に「ずうずうしいヤツ」と言いたげな視線を送られるけど、もー気にしない。 僕って、結構根性据わってんだな。新しい自分を発見した気分。 で、書類に何やら書き込んでいらっしゃった陛下が、宰相閣下をお呼びになったんだけど。 「なんだ?」 書類から顔を上げないまま、フォンヴォルテール卿が答える。…こういう態度って、いいワケ? 「さっきの、街道での人身事故についてなんだけど」 ここで初めて宰相閣下が顔を上げた。 「確か、整備されてないけど、街道に沿って別の道があるって話だったよね?」 「ああ。近在の村の者が使う農道だ。だからどこで始まってどこで終わっているか、どう入り組んでいるかもはっきりしていない」 「でもさ、それを歩行者専用専用道路にして、しっかり整備する方が、街道の幅を広げるよりいいんじゃない?」 フォンヴォルテール卿がフッと笑った。そしてやおら身体を、椅子ごと陛下の方へ向け、正面から対峙した。 「思い付いたことを全部言ってみろ」 「うん。…前にカロリアから大シマロンに向かう馬車に乗った時…」 あちらでは、馬車や馬だけが走ることを許される大道が整備されていたそうだ。歩行者がどうしているか分からないが、その道では馬車も馬も思いきり走ることができる。そして道の途中には休憩所もあるらしい。 「せめて王都と繋がる幹線道路を、そんな風に整備するのってどうかな? 道の幅を広げるったって、道沿いには建物だって建ってるんだし、それを動かすのってすっごく手間と予算が掛かるんじゃない? 補償だってしなくちゃいけないだろ? それより今の街道を馬や馬車が走りやすい様にして、同時に農道も歩行者用に整備するの。きちんと一本の道に繋げてさ」 「確かに、予算的にもその方がずっと安くつくな」 「陛下の仰せの通りでございます。それに道幅を広くすれば、それだけ馬車も馬も増えるだけで、結果的に事故が減るとは申せません」 「うん、俺もそう思う。んでさ、後ちょっと思い付いたことがあるんだけど…」 「なんだ」 「所々に作る休憩所をね、近隣の村が経営することにしたらどうかな、って」 「村が経営? どういう意味だ?」 「んーと。俺が見た休憩所は、何もない広場でせいぜい水や飼い葉を売ってるくらいだったんだ。他にあっても小さな屋台とか。でも新しく作るんなら、ちゃんとした食堂があるとか、お土産が買えるようにしたらどうかなって。ほら、地方によって色んな特産品とかがあるだろ? それを旅行者相手に販売するんだ。他には旅行グッズとか、旅の途中で補給したいものを並べてさ。その運営をひとつの村で行うんだ。そうやって売上げが村のものになれば、皆喜ぶんじゃないかな。その代わり、休憩所の整備とか管理も村が責任を持つ。……コンラッド、分かるよな?」 「パーキングエリアですね?」 「そうそう。で、旅の情報なんかもそこで知ることができたらいいな。どう?」 「だが農村では、繁忙期と休閑期がある。暇な時は人手もあるだろうが、村の者総出で取り入れに当たらなくてはならない時期もある。村が全面的にそれに関わることができるかどうか分からないぞ? それにそもそもそういう旅人のために、各村では宿があり、必要なものも手に入る様に準備されているのだ。金も落ちる。それなのに、わざわざ休憩所を経営する必要があるのか?」 「……あ、そっかー」 「だがそれはそれでやり様がないわけではない。個人ではなく、村全体の利益になると考えれば……そうだな、基本的には、悪くない」 「ホント? グウェン、そう思う?」 宰相閣下が頷かれて、陛下は心底嬉しそうに破顔なされた。それから幾つかのやり取りが、陛下とフォンヴォルテール卿、フォンクライスト卿との間でなされていった。 「……でさっ、どこの休憩所のサービスがよかったかとか、旅行した人に投票してもらうんだ。ほら、競い合うと、全体の質が向上するってあるだろ? 向こうよりこっちの方が食事が旨いぞ、とか、清潔だぞ、とか」 「…なるほど? それで?」 「えーと。一年に一度それを集計して……、一番得票の多かった村には、魔王直々に表彰する!」 ぷっと、陛下以外の方々が一斉に吹き出した。陛下の頬がぷくっと膨れる。 「……なんだよー……」 「いや、確かにそれならやる気も起きるだろうな」 陛下達の話し合いは、それからも暫く続いていった。 「…何だかすごいですねー、陛下って。どんどんアイデアが広がってってる」 思わず呟くと、フォンビーレフェルト卿が意外にも軽くそれに答えてくれた。 「ユーリはへなちょこだし、あっちこっち抜けているが、ひらめきは悪くない。十の内、そうだな、ひとつか二つは使える時がある」 それって、褒めてるんでしょうか? 「ほとんどその場の思いつきではあるが。だが、いい部分を兄上達が肉付けて具体的なものにすると、出来上がった政策はかなりのものになる。例えば、そうだな、最低五軒の家が集まった場所には、必ず診療所と学校を建てる、とか」 「あっ、あれもこうやってできたんですか!? あのお触れのおかげで、僕の村、ものすごく助かったんです。何せ十二軒しか家がありませんでしたから、それまで学校も病院もずっと遠くまで行かなくちゃならなくって。本当に大変だったんです。あれのおかげで、ちゃんとお医者様と学校の先生が派遣されてきてくれて……。そっかー、そうだったのかー…」 「医療と教育は、全ての国民が平等に受ける権利を持っているからな。………それより記録を取らなくていいのか?」 「はい?」 「この街道と休憩所の案は実現するぞ。特ダネというものにはならないのか?」 「………あぁっ!」 フォンビーレフェルト卿に、「まぬけなヤツ」と鼻で笑われた。うー。 「陛下、フォングランツが陛下のために離宮を建設したいと申し出ております」 「りきゅー?」 フォンクライスト卿の言葉に、陛下が盛大に眉を顰めた。 「グランツは陛下の関心を買おうと必死でございますから。…ふ、ん、陛下のお部屋は寝室が三部屋、浴室と洗面所が五つ、なるほど」 「なんだよ、それ。俺一人のために、どーして風呂が五つもいるわけ? 大体さあ…」 お疲れなのか、陛下はそこで立ち上がり、うーんと大きく背伸びをなされた。 「あっちの俺の部屋なんか、六畳だぜ、六畳。部屋なんてさ、でかい必要ないんだよ。ベッドと机があって、後は窓があればさ、それで充分! 離宮なんていらないよ。…あ、そーだ。そんな金があるんなら、街道の整備に出してもらおうよ。その方がよっぽど俺は嬉しいね……うわぁっ!」 「へいかっ!! 何とすばらしいお言葉っ! ギュンター、感動でございます!!」 いきなりフォンクライスト卿が陛下に抱きついた。のけぞる陛下。びっくり仰天の僕。平然としている閣下方。うわー。頬擦りしてるよ、王佐閣下…。 しかし次の瞬間、王佐閣下の視線は、呆然と観察していた僕に向けられた。 「そこな記者!」 「わわっ、はいっ!」 「今の陛下の偉大なるお言葉、書き留めたのですか!?」 「…は?」 えーと、どこら辺が偉大だったのかな……?、と首を捻っていたら、フォンクライスト卿は派手に舌打ちをし、つかつかと僕の側にやって来た。向こうでは解放されぐったりとなさった陛下の肩を、ウェラー卿がマッサージしている。 「それでも記者ですか、あなたは!? 一体何を聞いていたのです! よろしい。私が陛下のお言葉をもう一度繰り替えしますので、一字一句間違いなく記録し、国民に広く知らしめなさい! いいですか、フォングランツが陛下のために離宮の建設を申し出た件について、陛下はこうお答えになりました」 「はい!」 いそいでメモとペンを構える。フォンクライスト卿が大きく息を吸った。 「…余の住いは、豪奢でも広大でもある必要はない。ただ、国のために執務を行う机と、身を休ませる寝台、そして国と民の幸福を確かめることのできる大きな窓がひとつ。求めるものはそれだけである。フォングランツよ、余の歓びは宮殿にあらず、ただ民の歓びこそ我が歓びである。そなたの力は、余と民が今必要とする街道の整備にあてよ。以上です」 「………………………」 「………………………」 「………………ギュンター、激しく違ってるぞ」 フォンビーレフェルト卿とフォンヴォルテール卿が、揃って深いため息をついた。 部屋の向こうでは、陛下が「あー、コンラッドー、きもちいー。そこ、そこもうちょっとー」と、何ともほにゃらーなお顔でマッサージをしてもらっている。 ……数ある陛下の名言が、どうやって作られていったか、知ってしまった瞬間だった。 「終わったーっ!」 最後のサインを終え、陛下が声を上げられた。 そのお言葉が合図のように、閣下達も書類を片付け始めている。 「本日は実に仕事がはかどりました」 「ユーリが珍しく居眠りもしなければ、コンラートと脱走を謀ったりもしなかったおかげだろう」 「いやー、密着取材されてると思うと、ついついがんばっちゃいました」 「でも陛下、それって全然『素顔』になりませんよね?」 「……うぅ……どーして爽やかにそういうコト言うかなー、コンラッドさんはさー」 仕事を終えた気楽な雰囲気が、執務室に満ちている。 「ティート」 陛下が笑顔のまま、僕に視線を向けた。 「はい! あ、お疲れ様です、陛下」 「うん、ありがと。退屈しなかった?」 「いいえー、も、ぜーんぜん。色んな意味で、ものすっごく勉強になりましたー。あははー」 「そっか、よかった。んじゃさ、まだ暗くなるには間があるし……。ちょっとつき合わない?」 「はい?」 陛下がにこっ、とお笑いになった。 「散歩」 プラウザよりお戻り下さい。
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