声は。僕のすぐ左隣から聞こえた。というか、今、僕とぴったりくっつくようにしゃがみ込んで、一緒になって箱を覗き込んでいる、らしいやつから。 何故だろう。周囲から一気に音が消えた。気のせい、であって欲しい気がするんだけど。 左側を向くのがなぜかものすごく怖くて、僕はそろそろと右隣のエドアルドに顔を向けた。 エドアルドは、つい今しがた見た姿のまま、笑顔でパンを見ている。見つめている。……睨みつけている。必死に。笑顔は……引きつっていた。 もう少し向こうにいる仲間達にも目を向けた。……全員が、パンから一度でも目を離せば、何かとんでもないものを目にしてしまうと恐怖しているような形相で、瞬きもせずパンを見つめている。 そして正面に目を向けた。そこには両親と2人の姉がいるはずでー……。 いた。 目を剥き、悲鳴を堪えるように口に手を当て、飛び上がる寸前という中途半端な格好で。 親父の髪は文字通り逆立っていた。 いい加減、覚悟を決めなくちゃならない。 僕は深呼吸をすると、曲がりたがらない首をゆっくりと左側に回した。 ら。 僕の左側で、僕にぴったりくっついていたヤツ、人……方もまたくるっとこちらを向き、ばっちり同じ高さで目が合ってしまった。 「こんなに早くマー君のお父さんのパンやお菓子が食べられるって思ったなかった! 早く来て良かったあ!」 目の前にあるのは。 でっかい瞳。明るくきらきらと輝く、漆黒の。 そして、漆黒の髪、漆黒のお衣装。 そして……満面の笑顔。 つい先日まで「ミツエモン」という名で知っていたその人、いや、その方は、本来の色に戻られ、本来のお立場に戻られ、た……はずなのに、一体いつの間にっていうか、何でこうなるんだーーーっ!! 「あ、マー君のお父さん! と、お母さんとお姉さん達!」 その人、陛下、が、不格好な彫像と化している親父達ににこやかに声を掛けられた。4体の彫像がさら石化する。 陛下はひょいと身軽に立ち上がると、親父達の無礼な姿など気にも留められないご様子でぺこんと軽くお辞儀(!)をなさった。 「王都にようこそ! おれ、ユーリっていいます。魔王です。マー君とは仲良くさせてもらってます! どうぞよろしく!」 仲良く? 仲良くって!? よろしくって……っ!? 「…………まー、くん……?」 親父が呆然と呟く。 「この1週間、士官学校に来ていたと言っていただろう?」 がちがちに固まった空気を吹き飛ばすほど爽やかな、もしくは場の空気を全く読まない声がする。……ウェラー卿が笑って陛下の後ろから出てこられた。 「実は陛下のお供だったんだ。陛下が同年代の彼らと交流を持ちたいとご希望されたものでね。ここにいる候補生の皆とは、この数日ですっかり親しくなられたんだ」 おお! と周囲を埋める来賓の方々から、感動の叫びが一斉に上がった。 「で、おれ……」陛下の目が再びパンとお菓子に向く。「これ、食べたいんだけど……」 いい? 小首を傾げるように陛下が仰せになった。 親父の身体がぶるりと震えるように跳ねる。 「ももも、ゲホンっ、もちろんでっ、ございますっ!! 俺、じゃなくっ、私なんぞの作ったものでよろしければ……!」 「じゃあ、さっそく味見をさせてもらおうか」 ウェラー卿がすっと手を出して丸いパンと1つ摘み上げると、一口分千切って口に放り込まれた。隣でグリエ殿も「じゃあ俺はこれを」と、別のパンに手を伸ばしている。 「うん、これは美味い!」 ウェラー卿が意外だという顔で目を瞠った。 「コンラッド! おれも! おれも食べたい!」 陛下がそう仰って、閣下に向かって両手を伸ばされる。まるで……親に甘えるちっちゃな子供みたいだ。 「はい、陛下。本当に美味しいですよ」 自分が一口摘んだパンを陛下に差し出すと、陛下はそれを嬉しそうに両手で持って、ぱっくんと齧りついた。……って、やっぱり子供っぽく振る舞っておられる、のかな…? 何だかすごく自然だし、それにー……閣下が妙に楽しそうなんだけど。 「おいしーっ!」 陛下が声を上げられる。 「ホントに美味しいよ、これ! パンがしっとりもちもちで、弾力があって! マー君が言ってた通りだ。お父さんは最高の腕を持つ職人だって!」 親父がぱあっと顔を輝かせた。……そんな嬉しそうな顔で見るなよ、親父〜。 「これ、何が入ってるのかな? 赤いマーブル模様になってるけど。この赤いのは果物? ジャム?」 「はっ」陛下に質問されて、親父がびしっと畏まる。「それは山に生っております木の実を砂糖で煮込んだものであります! 女房が山に入って取ってきたもので、それをパン生地にざっくり練りこんでやりますと、そのような模様ができるのであります!」 「酸味と甘味がすごく爽やかで、とっても美味しい!」 「当店の一番人気であります!」 「坊ちゃ、じゃねえや、陛下、こっちのもなかなか美味いですよ。いやぁ、この野郎にこんな芸当があるとは意外だったぜ」 何だとぉ、と熱り立とうとする親父だったけど、陛下が「食べる食べる!」とグリエ殿に飛びつくと、またすぐ直立不動に戻った。 「それは先ほどとは別の木の実を砕いて、充分炒った後、生地に練りこんだものであります!」 「香ばしくて、これも美味しい!」 「光栄であります!」 「あ……何か、おればっかり食べちゃってる。皆も頂いて? ホントに美味しいから。ね?」 周囲をぐるりと見回して、取り囲む人々に向かって陛下がそう仰せになった。 「……あ、じゃ、じゃあ、僕も……頂きます…!」 最初に陛下のお言葉に応えたのはエドアルドだった。いつの間にか立ち上がって姿勢を正している。 「エド君!」と呼んで、にこっとお笑いになる陛下に恭しく、親父や僕なんぞ足元どころか影さえ踏めないほど優雅に一礼すると、エドアルドが親父のパンに手を伸ばす。 そしてエドアルドに触発されたように、「僕も!」「頂戴します!」「あの…私共もご相伴させて頂きます」と、仲間達や皆のご家族達が声を上げ始めた。 「何だ? えれぇ良い匂いがしやがるな」 おずおずと、やがて和気藹々と、僕達候補生や家族達が陛下を囲んでお話させて頂きながら、パンやお菓子を味わっていたその時。 ふいに、野太い男の声が割り込んできた。 僕のすぐ隣で、手にしたパンを口に運びかけていたエドアルドの動きがぴくりと止まる。 あーっ! いきなり陛下の素っ頓狂な声が耳を劈いた。 「アーダルベルト!」 ええっ!? ざわっと仲間達から声が上がって、視線が一斉に声のした方に向く。そこには。 「……………でかー……」 筋骨逞しいというんだろうか、親父よりもでかい体躯と顎の割れたごつい、それでもやっぱり整った顔立ちの男が、ちょっと呆れ顔で立っていた。 「えーと……」男が首を捻る。「エドアルド、お前、何やってんだ? 何だってまた地べたに座ってパンなんぞ……っていうか、そこにどうしてまた坊主が一緒になって……?」 いきなりこの光景を見せられたら、まあ、不思議に思うのは無理もないと思うけど。 この男があの……フォングランツ卿アーダルベルト。 フォングランツの跡継ぎでありながら、戦争で許婚をなくして、なぜか国を恨んで魔族を裏切り出奔した男。そしてエドアルド達グランツの人々に数十年に渡る苦痛を与え、魔王陛下の命まで狙い、そして……なぜかまたひょっこり帰ってきたという……。 「えいっ!」 ………げっ。 目の前で、陛下がフォングランツ卿アーダルベルトの腹に……拳を繰り出していた。 そのまま風景は凍りついたように止まった。 「…………で、おめぇは何がしてぇんだ? 坊主」 腹に力いっぱい拳を叩き込まれて、フォングランツ卿は痛そうな顔もせず平然と、いや、どこか困ったように眉を寄せて漆黒の頭を見下ろした。……って言うか、坊主って陛下のことかーっ!? 「坊主ってゆーなっ!」 陛下がムカッとしたご様子で顔を上げ、叫ばれる。 「聞いたぞ! あんた、エド君達にさんざん苦労掛けたんだろう! 長いことごめんなさいってちゃんと謝ったのか!? てか………コンラッドー」 「はい、陛下」 ウェラー卿がすかさず陛下のお側に寄る。 「……手が痛い」 フォングランツ卿の腹を殴った手をふりふりしながら、陛下が仰った。ウェラー卿がさっと手を伸ばし、陛下の手首を包むように握られる。 「いきなりあのようになされたら痛めるのは当然です。仰って頂ければ俺が如何様にも刻みましたのに。こんな無駄に鍛えた筋肉に陛下の拳など、もったいないではありませんか」 おいおい、と突っ込むフォングランツ卿を無視して、ウェラー卿が陛下の手首を両の掌に包んでゆっくりと揉み解す様に撫で始められた。 「だって…おれの手でお仕置きしてやろうって思って」 「それでしたら蹴りを入れた方がよろしかったのでは」 「そっか?」 ………やっぱ、あれかな? フォングランツ卿が以前陛下のお命を狙った、ってことを、閣下はいまだにお許しではないんだな。うん、もちろんそれは当然のことだ。そうとも! ……って、僕は何を必死になってるんだろう? 「…ったく、俺だってイロイロ考えちゃいるんだよ! 今日だって叔父御に頼まれて、こうして末っ子殿の入学式に駆けつけたんだからな。間に合うように出てくるのは結構大変だったんだぜ?」 「父上が!?」 エドアルドの驚きの言葉にに「おう」と答えて、フォングランツ卿は木箱の側に寄ってきた。そして僕達の輪の中に入り込むと、身軽にその場に腰を下ろした。 「で? 何だってまた、こんな所にこんなもんが…………お、こいつは結構イケるじゃねえか!」 ひょいと摘んだ焼き菓子を口に放り込んで、フォングランツ卿が声を上げた。 「ふん………俺ぁ、甘いもんは今ひとつ好かねぇが、こいつは美味いぜ。……うん、これなら酒のつまみにもなるな」 焼き菓子を飲み下し、また1つ摘んで口に放り込む。褒めてくれるのは嬉しいけれど、その口調も、ペロッと指を舐める仕草も、とても十貴族の跡取り息子には見えない。よく見れば、着ている物も頑丈さが取りえの質素なもので、適当に乱れている。……さすがに数十年単位で流浪の生活をすると、十貴族もこうなるのか。顎割れでかぶつ荒くれ男って感じだけど、服装を整えて、それから黙って立ってれば、洗練された偉丈夫にも見えると思うんだけどなあ。 「それはマー君の、おれの友達のお父さんが焼き上げて、わざわざ持ってきてくれたもんなんだぞ!」 フォングランツ卿を観察して、色々考えていたから、だから、陛下が仰せになった言葉を一瞬聞きはぐってしまった。今、陛下は何と仰ったんだろう……? 聞き間違いでなければ……。 「友達? マー君? また妙な呼び名をつけて……。おい、ウチのエドアルドは友達じゃねえのか?」 「アーダルベルト殿!」 「友達だよ、もちろん! エド君も、おれの大事な友達だ!」 無礼を咎めようとしたエドアルドの声を掻き消すように、陛下がきっぱりとそう仰せになった。 エドアルドが目を瞠って陛下を見つめている。 「ここにいる士官学校の新入生は、皆おれの友達なんだぞ! アーちゃんもセリムもマルちゃんもホル君もミーちゃんもハイン君もルディも……」 あー、分かった分かった! とフォングランツ卿が陛下のお言葉を遮る。これは勇気があるっていうんだろうか? 「まあ」くすっと笑ってフォングランツ卿が言った。「友達がたくさんいるってのはいいこった。な? へーか?」 おう! と陛下が自慢げにそっくり返る。 その様子に、くっくっく、とフォングランツ卿が笑い出した。笑いながら、顔がふっと動いて、視線が軽く僕の顔を撫でて行く。そのほんのわずかの間に見たフォングランツ卿の目が……。 何だかすごく澄んで見えたのは……きっと気のせいだろう。 「全くもー。いっつも偉そうなんだから」 ぷりぷり怒ってみせながら(でも全然本気には見えないのが不思議だ)、陛下がフォングランツ卿の側、というかパンとお菓子の山の側に歩み寄ってこられた。 ひょいとパンを摘み上げてそれから陛下が思い出したように、改めてフォングランツ卿に顔を向けられた。 「アーダルベルト」 「何だ」 「偉そうにしててもダメなんだぞ。エド君なんて、アーダルベルトに比べたら、コンラッドの方がずーっと良い男だって言ってたもん!」 ………良い男って……。 「何だとぉ!」 それだけで充分刺激的な言葉だったらしい。フォングランツ卿は勢いよく立ち上がると、エドアルドに詰め寄った。 「おい、末っ子殿! 本気で言ってんじゃないだろうな!? いいか? お前はまだ人生経験が足りない! コンラートが良い男だと? 冗談じゃねえ、このうさんくさい笑顔に騙されてんじゃねえぞ!」 「うさ……! アーダルベルト殿! ウェラー卿に対して失礼ではありませんか!?」 エドアルド、怒った! 「何が失礼だ! おい、コンラート、てめぇな……」 フォングランツ卿が無礼にも指をウェラー卿に突きつける。 と。 失礼な事を言われ、無礼な真似をされても、少しも変わらない優しい穏やかな笑顔のままで、ウェラー卿がすっと手を伸ばされた。そして、さりげなくフォングランツ卿の無礼な人差し指を握ると……。 くいっと。 指を手の甲に向けて容赦なく……! 「うがっ!」 フォングランツ卿が咄嗟に引っ込めた手を抱え込む。 「てめ…っ、コンラート! 俺の指を折る気かよっ!?」 「お前がこれくらいで簡単に折れたり破れたりしてくれるのなら」 閣下が人の良さそうな笑顔をさらに深めて仰った。 「俺も色々楽なんだが」 にっこり。 「…やっ、破れるってのは何だっ、破れるってのはぁっ!? 見たか、エドアルド! こいつはこういう……」 「大げさだなぁ、アーダルベルトは」 陛下が呆れたようにため息をついて仰せになった。 「コンラッドが本気で人の指を折るわけないだろ? ホントはあんただって痛くもなんともないくせに。おれのパンチにだって平気な顔してたじゃん。エド君がコンラッド贔屓だからって拗ねるなよ。な? エド君?」 「え? あ……はい! そうですとも! 陛下の仰るとおりです! アーダルベルト殿、みっともない真似はお止め下さい!」 「エド……っ」 「エドアルドは、いずれ俺の片腕になってくれるそうだ。エドアルド、期待して待っているよ」 「あっ、ありがとうございますっ! 僕、絶対頑張ります!」 あのなぁっ! フォングランツ卿の叫びが、中庭にむなしく木霊して消えた。 隊長、いやぁ、さすがです! 昔を思い出しちまいました! カッコ良いです! 男前です! やたらはしゃいで拍手までしてるのは、ウチの親父だろう。 何だかよく分からないけど、とにかく、ウェラー卿コンラート閣下という方が、真面目で優しくて穏やかなだけの方じゃなく、結構お茶目な人だってことも分かったような気がする、な。うん。 「失礼致します!」 突然割り込んできた声に、あ、と見ると、ボッシュ教官殿が敬礼していた。 「ご歓談中、申し訳ありません、陛下。そろそろご用意致しました部屋にお出で頂けますでしょうか。その…フォンクライスト卿ギュンター閣下もすでにおいでになっておられまして……」 「もうそんな時間!? まだろくに話してないのにな……」 焼き菓子を手にして、陛下が残念そうに呟かれる。 「これからいつでも機会を作れますよ。俺もヨザも、皆に剣の相手をしてもらいにまた来るつもりですしね」 僕と皆の視線が一気に閣下に集中した。 「また剣の指南をして頂けるのですかっ!?」 エドアルドが興奮を隠さずに声を上げた。 「約束していただろう?」 そう言われれば……そうだっけ…? とにかく、やった! またこの方と剣を交わすことができるんだ! 「そっか! じゃあ話の続きはまたその時にね!」 そう言って、じゃない、仰られると、陛下がくるっと身体の向きを変え、中庭に集まる人々を見渡した。 「えっと。マー君のお父さん!」 「はっ!」 陛下にお声を掛けられ、直立不動の姿勢を取る親父。 「パンとお菓子、ご馳走様でした! ホントに美味しかったです! 次に王都に来る時は、大評判っていうケーキを食べさせて下さい。ね?」 「こっ、こここっ、光栄でっ、ありますっ!」 「この後は公式行事ばっかりだから、こんな風にお話できないと思うけど、ここにいる人皆に会えてとっても嬉しかったし楽しかったです! 遠くからおいでになったご家族は、どうか気をつけて帰って下さい。息子さん達は、きっと立派な士官目指して頑張ってくれると思います! おれは期待してます! それじゃ……」 またね! 大きく手をお振りになり、そして敬礼してお見送りする僕達にも改めてにっこりと笑いかけて下さると、陛下は踵を返し、ボッシュ教官殿の後について歩き始められた。 陛下の後に続き、グリエ殿、そしてウェラー卿も僕達に優しく笑みを投げ掛けて下さりながら、歩み去って行かれる。 少しづつお三方の姿が小さくなり、そして建物の影に完全に消えていった。 ほう、と幾つものため息が中庭に溢れ、それからわっと、あの時の僕達と同じ様に、明るく興奮したざわめきがいっぱいに広がった。 前回よりはずっと落ち着いている僕達も、互いの掌をぱんっと合わせては、またも僕達に訪れた幸運を確認しあった。 「友達だって! 聞いたか! 陛下が僕達を友達だと!」 「父上! あの時陛下が仰せになった、アーちゃんというのが僕のことなのです! 聞いておられましたか?」 「またウェラー卿やグリエ殿に指南して頂けるんだ! やったな!」 「マチアス! 閣下が期待して待つと仰って下さった! 信じられないよ!」 エドアルドが駆け寄ってくると、興奮を隠さずに言った。頬がほんのり赤らんでいる。 「聞いたよ! やったじゃないか。でもさ……閣下ってあんな風にふざけたりもされるんだな。アーダルベルト、殿、の指は?」 「何ともないさ! それどころか……ほら、あれを見ろよ。パンの中から気に入った焼き菓子だけを選んでハンカチに包んでる。全くもう、恥ずかしいよ」 「いや、美味しいって思って頂けたんだから……」 「僕はさ」横からセリムが口を挟んできた。「閣下とフォングランツ卿があんな風に言い合ったりふざけ合ったり、というのは、案外仲の良さの証明じゃないかと思うな。ほら、友達だからこそ気楽に憎まれ口もきけるし、ふざけることもできるってものじゃないか」 「ああ、なるほど! きっとそうだよ、エドアルド。良かったじゃないか!」 「そうかな…? うん、そうだと僕も嬉しいんだけれど……」 ところでマチアス。 エドアルドが僕を見て言った。 「君のお父上、本当に閣下と親しいご友人だったのだな! 羨ましいよ」 いやぁ、と答えながら、そういえば親父達は、と、目で家族を探した。 親父達、は……。 輪になって、踊っていた。 「と、父さん……?」 思わず駆け寄って、でもしばらく声が掛けられなかった。 親父とおふくろと姉さん2人が手を取り合って、泣き笑いしながら飛び跳ねている。 「何てこと! 何てことだろうねっ!」 おふくろの声。 「信じられないわ! 魔王陛下よ! 魔王陛下がマチアスを友達だって!」 「マー君、だって!」 「俺のパンを美味いと! 美味いと仰って! あんなにたくさん食べて下さった!」 「ああ、信じられないよ、お前さんとウェラー卿が酒盛りするだなんてさあ……!」 「夢みたい!」 あんまり嬉しそうだから、たくさんの人が見てる前で恥ずかしいけど、でも止められなかった。 ぽん、と肩に手が置かれる。エドアルドが横に立っていた。 「良かったな。ご家族があんなに幸せそうにしておられる。……恥ずかしがったりしてはいけないと思うぞ?」 「うん……まあね」 「いっそのこと、あの中に混ざって一緒に踊ってくれば? 僕は良いと思うけどなあ」 「そうだよ、マチアス。恥ずかしがらずにさ」 いつの間に側に来ていたのか、セリムとホルバートもそんなことを言う。 でも僕は、恥ずかしいけど、照れくさいけど、でも、嬉しくてたまらない様子の家族の姿を見ているだけで、何だかものすごく胸が熱くなっていた。 だけど。 「ああもう! このことを村の連中が知ったらどれだけ羨ましがることだろうねっ!」 「おう! 帰ったら思い切り自慢してやろうぜ!」 「もちろんよ! まだ入学式も終えてないのに、マチアスがもう魔王陛下とお友達になってるだなんて!」 ………村で……自慢……!? 「魔王陛下にマー君なんて呼ばれてるって知ったら、きっと皆羨ましくてどうにかなってしまうわよ!」 「うんと羨ましがらせてやりましょうよ! だって本当のことなんだもの!」 ……ちょっと、待て……。 「父さんがウェラー卿とお酒を飲みに行くっていうのも、皆に教えてあげなくちゃね!」 「そうだよ! 今までさんざんバカにしてさ! 父さんと閣下がどれだけ親しいか、しっかり教えてやらなくちゃ!」 ……………。 「……マチアス」 「マチアス、えっと……」 「その……言いにくいんだが……」 セリムとホルバートとエドアルドが、どこか気の毒そうに僕を見ているのが分かる。 良いんだ。何も言わなくていい。 もう僕にも分かってる。 この先、何が起こるのか。 これまで僕は「ほら吹きオーギュの息子」だった。 でも、家族達が村に帰ったその日から、きっとその呼び名は変わるだろう。 最初に貰う給料、全部賭けたっていい。 親父達が村に帰ったその日から。 僕達は「ほら吹きオーギュとその家族」から、間違いなくこう変わる。 「ほら吹きオーギュのほら吹き一家」、と。 思わず天を仰ぎ、ため息をついた僕の耳に、元気いっぱいの声が響いた。 「マチアスは、やっぱり俺の自慢の息子だあっ!」 おしまい(2007/12/4) プラウザよりお戻り下さい。
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