「すごっ。全然濡れてない!」 噴水の中に身体半分浸していながら、俺は冷たさも忘れて手にしたモノを目の前に掲げた。 大したモンだ、地球文明。 「…水の中で、何をへらへら笑っている?」 いぶかしげに顔を覗き込みながら、お迎えのヴォルフが声を掛けてきた。いつものように、そそくさと水の中から出てこないのが不思議でならないらしい。 「……あれ? ヴォルフだけ? コンラッドは?」 「僕だけでは不満だと言うのか!? この…っ……、コンラートは昨日から人間の村に行ってる! 帰るのは明日だ! とにかく早く出ろっ。見ているこちらが風邪をひく!」 そういや、寒い。うわ、まだ雪、残ってるじゃん。 やっと自分が震えてるコトに気づいた俺を、ニブいの間抜けの罵りながらヴォルフが引っ張り上げてくれる。足が冷たく固まって、うまく動けないよ。 でも、それも気づかないくらい、俺は嬉しかったんだ。 …だから教育係の不在も、きれいさっぱり脳裏から消え去っていて、質問すらしなかった。ごめんよ、ギュンター。 「で? これは一体何なんだ?」 お風呂で身体の芯まで暖めて、関節解すためにたっぷり三往復平泳ぎして、やっと戻ってきた俺にヴォルフの質問が飛んできた。ずっと待ってたんだろうな。 ヴォルフが指差したテーブルの上には、持ってきたまんまの銀色の袋が置いてあった。口が少し開いている。 俺はタオルで髪を拭きながら近づくと、アルミで出来た防水袋を大きく空けて中の物を取り出した。 「じゃーん。フジ・インスタックス・ミニ10、通称『チェキ』だっ!」 「…………………………………相変わらず、ワケの分らん事を…」 片手に金属製の塊を載せて高く宙に掲げる俺の姿に、ほとほと呆れたとばかりの冷たい呟きが投げかけられた。 「……なっ、なななななっ、なんだっ、これはっっっ!? 僕が、ぼくがっっ!!」 かるちゃーしょおっっっっく!!! うおー、新鮮な反応だぜっ。いっそ可愛いぞ、ヴォルフ! ヴォルフは名刺大の紙片を両手で掴み、呆然と目を見開いてそれに見入っている。もちろんそこには、何やってんだ、こいつ、な顔をしたヴォルフ本人の顔が写っている訳で(北の国からふう)。 「絵、じゃない。絵でない、ぞ。確かにこれは絵ではない……」 同じようなコトをぶつぶつ呟き続けている。 「写真っていうんだぜ、これ。ここの、な、レンズに写った風景をこの紙に写し取る機械なんだ。ホントはデジカメとか携帯とかのがもう主流なのかもしんないけど。あれはプリントするのがなー」 どうしても写真が撮りたくて、皆にも撮った写真を見て欲しくて、結局兄貴が机の中に放り込んだままになってたインスタントカメラを頂いてきた。どうせ存在忘れてんだからいーだろ? 「……風景を写し取る……」 「そ。絵とは違って……ここ、覗いてみ? ほら見えるだろ? この見える部分がこのまんま、鏡に映るみたいにこの紙に写し取られて、ずっと残しておけるわけ」 「ほ、ほんとにか? 風景を、そのまま、か?」 「そういうこと。ヴォルフも撮ってみるか?」 「い、いいのか…?」 「いいって。カートリッジもしっかり持ってきたし。いっぱい撮ろうぜ!」 俺の誘いにうんうんと力強く頷く頬は興奮で真っ赤になっていて。うわー、何か、まじでヴォルフが可愛く見えるっ! いや、もちろんもともと超が10個くらいつく美少年なんだけどさ。なんつーか。ヴォルフが弟みたいに思えるって言ったら………怒鳴られるだけじゃ済まなそうだから、黙っていよう。 「…兄上っ。失礼致します!」 両手にチェキを大事そうに抱いて、ヴォルフがグウェンの執務室に飛び込んだ。すぐ後に俺も続く。中にはグウェンだけではなく、ギュンターもいた。…そか、いたんだ。 「あに…」 「陛下っ! ああ、おいでになっている事を存じていながらお迎えにも上がらず、御無礼つかまつりました!!」 「いいっ。いいんだ、ギュンターッ、ぜんっぜん気にしてないしっ。仕事、がんばってくれた方がいいしっ!」 ギュンターが両腕を大きく開いて迫ってくるのを見た瞬間、俺はヴォルフの背中に隠れて叫んだ。が、名付け親に比べると、体格において遥かに劣る三男坊は、全然防波堤にならない。 「ああ、何というご立派なお言葉! さすがです、陛下! 君主たるもの、その職務をこそ……」 「ギュンター!」 いきなりヴォルフが叫んだ。と、チェキを徐に構える。 きょとんとする王佐の真正面で、カチャ、とかすかにシャッターの音が響いた。 「やるぞっ」 ひゅるん、と出てきた白い紙片をさっとギュンターに差し出すと、ヴォルフは俺の腕を掴み、執務机の向こうのグウェンに足早に近づいた。 「兄上!」 なんだ、とグウェンが声を出す間も与えず、またもチェキを構える。長男が、羽ペンを持ったまま、訝しげに眉を顰めた。 「……な、なんですかーっ、これはーっっ!?」 「……!!」 ギュンターに数拍遅れて、グウェンも目を瞠る。 「この紙に私が。ここに私が、私がいるっ! こっ、これは、まさか………」 教育係の手がぶるぶると震え出した。 「……私の魂を吸い取ったのですかーっっっ!!?」 ……………………………………………そっか。文明開化って、こんな感じだったのか。納得。 夜。ベッドの上には今日の成果がばらまかれていた。 最初は俺が見本を見せてやっていたんだけど、すぐにチェキはヴォルフに占領された。 血盟城内の風景から、対象はすぐ人に変わり、写っているのはほとんどが身近な人の顔ばかりだ。そしてその全員の表情が、え? とか、なに? とか言っている。 「…表情がどれも同じでつまらん。興趣に欠けるな…」 芸術家はちょっと自分の作品にご不満らしい。 「皆を驚かせんのは面白かったけどなっ?」 「確かに…」何か思い出した様に、ぷぷっと吹き出して、「兄上のあのようなお顔、久し振りに見た」 「そっかー」 風景や人の姿を写し取るといえば、絵画しかないこの世界では、写真はすごいショックだったみたいだ。誰も彼もが期待に違わず驚きの声を上げてくれた。グウェンはさすがに無言を通したけど、顔は唖然としていたし? ただ、さすが魔族というか、皆がこれを俺の魔力だと思い込んでしまったのにはちょっと参った。説明しようにも、カメラの原理なんてよく分かってないし。それから、アニシナさんの瞳が異様に煌めいたのは怖かった。…大事に持ってないと、気がついたら分解されてるかも。忘れられてるとはいえ、兄貴のものを無断で持ち出して、ばらばらにされました、じゃ、ちょっとマズイだろう? いや、バラバラにされるだけならまだしも、もっと違うものに変身させられてしまうかも……。 シャッターを押した途端、殺人ビームが飛び出るカメラとか、自分の足で被写体を探すカメラとか。他にはどんなものができるかな? ネーミングは? …なんて、ちょっと想像を逞しくしてたら、ヴォルフの声を聞き逃してしまった。 「……何か言った?」 「聞いていなかったのか!? そんな態度でよく僕の婚約者だと言えるな!? ……まあいい。あちらの世界ではよく写真を撮るのか、と聞いたんだ」 …お前との婚約を主張した覚えはないんですけど。と、反論する事もできず(何倍になって帰ってくるかと思うと…)、俺はため息一つで頭を切り替えた。 「そうだな。うん、今はすっごく気楽に撮れるようになったから、何かある度、結構皆撮ってるな。…気楽すぎて、常識弁えないやつも多いけど」 「そんなに写真を集めてどうするんだ?」 「どうするって……記念にとっておくんだよ。写真だったらアルバムに納めて、あ、アルバムってのは写真を保管しておく本みたいなもんだけど、それに並べて貼って、で、たまに開いて思い出に浸ったりして」 「思い出に浸る?」 「うん、ほら、『これを写した時はこんな事があったなー』とか『この時は楽しかったなー』とか。思い出したり語り合ったりして楽しむの」 「…異世界人とは、写真に頼らなければ何も思い出せない程記憶力がないのか?」 「…………じゃなくてー」 うー、と思わず唸る。 「昔の事を思い出すのも、切っ掛けってのがいるじゃん?」 「まあ、な」 「だから、その切っ掛けになるんだよ。それにさ」 ちょこっと憧れのシチュエーションもある。 「好きな人ができたら、お互いの事をもっと知りたいって思うだろ? そんな時、自分の子供の時の写真なんか見せあったりしてさ、思い出を語るワケよ。『わー、今も可愛いけど、昔もかわいー』なーんて。『これが保育園の頃、お遊技で隣の子にケリいれちゃったー』とか『これが小学校の学校祭で、たぬきその1をやった時ー』とかさー、」 「後半は意味不明だが、前半は分かった」 なるほど、とヴォルフが腕を組んだ。 「写真の一枚一枚に、思い出がしまってあるって感じかな。写真を見る度、楽しかったことや嬉しかったことがそこから引き出されてきて………記憶ってどんどん薄れていくモンだからさ」 「僕はこんなものに頼らなくとも、楽しい思い出を忘れたりなどしない!」 あー、はいはい。胸を張るプーには逆らわない。ああ、だったら……。 「ヴォルフの楽しい思い出って、どんなのがあるんだ?」 「ぼ、僕の、か?」 「おうっ。何か聞かせろよ」 「何かって、いきなり言われても………」 「ほらな。こういう時に写真があるといいだろ?」 言い負かされそうで悔しいのか、ヴォルフは必死の形相で何かを思い出そうとし始めた。 そしてしばらくうんうん唸ってから、ハッと頭を上げた。 「小さい時」 ……何十年前だ…? 「母上に連れられて、旅行に行ったことがある。母上と…………コンラートと三人で、シュピッツヴェーグの別荘へ。避暑か何かで出かけたんだ。そうだ、あの時……」 ふっ、と。ヴォルフの瞳の焦点がボケた。 「あの城は森の中にあった。そこで、美しい湖があると聞いて……誰にも言わずにコンラートと二人で城を抜け出した。森を探検して、湖に行きたいって、僕がねだったんだ。そうだ、そしたら迷ってしまって。………でも全然怖くなかった……」 『兄上、ここはどこでしょう? 僕達、お城に戻れるでしょうか?』 『大丈夫だよ、ヴォルフ。僕がついてるだろう? だから絶対大丈夫だ』 いつも通りににこにこ笑って兄上が言うから、絶対大丈夫なんだと思った。 『……ほら、ヴォルフ、湖だ!』 『………うわぁ……!』 森の木立の奥に、大きな湖をみつけた。湖面が鏡の様に煌めいて、周りを囲む木々や山を、それこそくっきりと蒼く映し出していた。……静かだった。葉ずれの音と、岸辺の水の音。そして時折、鳥の啼く声だけが聞こえて。その静けさを壊したくなくて、僕も兄上もそっと足音を立てない様に湖に近づいたのを覚えている。雄大で、それでいて繊細な情景だった。 『…兄上、あれっ!』 『…鳥…だ』 森の中から一羽の鳥が水面に向かって飛んできた。 尾の長い、全身が真っ赤な、大きな鳥だった。それが滑る様に湖に近づいて、赤い羽が水面を撫でて、それでできた波紋が………陽の光を反射して、輝いて。 緑と蒼の静かな風景。その中で唯一優雅に舞う紅の鳥。金色に輝く波紋。 夢の様に美しい光景だった。 やがて空が紅くなり始めた。それもまた美しい風景だったが、その時には僕はもう城に帰りたくなっていた。お腹が空いていたんだと思う。 『ねえ、兄上、もう帰りましょう?』 『…うん、あのね、ヴォルフ…』 珍しく兄上が困った顔になった。 『あのね、もうちょっとここにいた方がいいと思うんだ。きっと誰かが見つけに来てくれるから』 『……どうして?』 『うん……。あ、ヴォルフ、寒い?』 『いいえ?』 『こっちにおいでよ。ほら』 兄上は僕を引き寄せて、膝の上に乗せてくれた。場所柄か、気温が大分低くなっていたんだと思う。兄上の膝も、抱き寄せられた胸も暖かくて、気持ちがよくて……、僕はいつの間にか眠ってしまった。 そして気がついたら僕は城のベッドに寝かされていた。 結局迷子になっていた僕らは、湖のほとりで眠っているのを探しに来た大人達に発見され、無事連れ戻されたというわけだ。 兄上が大人達にひどく叱られたというのを後から聞いて知った。行きたいとゴネたのは僕なのに。兄上は何でもない顔で、やっぱりニコニコ笑っていたけれど。 兄上には申し訳なかったけれど、でも、あの美しい光景は忘れられない……。 ヴォルフはふうっと息をつくと、思い出の風景をもう一度眺める様に……遠くを見た。 「………ふーん……」 顔がにやける。止められない。それに気づいたヴォルフが眉を顰めた。 「…なんだ、にやにやして、無気味な」 「いえいえ、なーんでもございませーん。………ふーん、『兄上』とねー。ふーん」 「…………………………………ああっ!!」 一気に真っ赤になったヴォルフが、手をぶんぶん振りながら慌てて立ち上がった。ら、ベッドのスプリングが良すぎて、ひっくり返った。 しかし負けてません。必死のフォンビーレフェルト卿は、がばっと起き上がると、俺の襟首をひっ掴んだ。 「忘れろっ! いますぐ記憶から消去しろ!! 僕は言ってないぞ、そんな言葉は一言なりと口にしていないぞ!!!」 「口にしていないセリフを、どうやって記憶から消去するんだ? 矛盾してるじゃん」 「へなちょこのくせに、理屈を言うな〜〜〜〜っ!」 「照れてやんの、かっわいー」 「うるさーいっ!」 しばしベッドの上で繰り広げられる、追っかけっことプチとっくみあい。 就寝前の運動(何かヘンだな?)に疲れて、俺達はベッドの上でぜーぜーとへたり込んでしまった。 「……でも、さ、なんか、さ。うらやましーかも……」 「…な、なに、が、だ…?」 「話を、聞いて、想像でき、ても、ホントはどんな景色だったか、コンラッドとヴォルフにしか分らないんだろ?」 「……そう、だな」 「記憶を共有してるのは……二人だけなんだな」 ヴォルフが顔を上げ、どこか驚いた様に目を瞠った。 「…記憶を、共有……」 「うん。同じ記憶を持ってるのは二人だけで、他の誰もそれを持つことはできないんだ」 「………そうか。……そうだな」 そしてしばらく、俺達は無言でその言葉の意味を噛み締めていた。 「ああ、そうか、分かった」 ふいにヴォルフの声が明るく耳を打った。 「……?」 「写真とは、記憶を分けあうものなんだな?」 「え……?」 「そうだろう? もしあの時、あの風景を写真に撮っておければ、今それをユーリに見せて、どれだけ美しかったか教えることができるし、ユーリもそれを知ることができる。……例えそれが、記憶のわずかなひとかけらであろうと…」 記憶の…ひとかけら。 「……ああ。そうか、そうだな。うん、そうなんだ。写真って、過去の記憶のかけらを切り取ったものなんだ……。それを知らない人とでも、記憶を共有できる様に」 「ああ。やっと分かった」 晴れ晴れとヴォルフが笑った。俺も笑った。 「ユーリ! 僕もお前と記憶を共有したいぞ!」 「は? 何言ってンだ?」 「あるばむとかいうものを、僕にも見せろ! お前の幼い頃の思い出が、そこにいっぱいあるんだろうが?…僕のは話しかしてやれないが、ユーリの思い出は共有できるんだからなっ」 「そっ、それは…」 確かにそうだけど。なんつーか……。それにしても、何でそんなにエラそうなんだ? 「あー、まー、この次に、覚えてたらな」 「いい加減なことを言うなっ。ちゃんと覚えておいて、必ずもってこい!」 「わかったわかった。ああもう、この話はここまで! ……なあ、んなコトより、コンラッドは明日必ず帰ってくるんだよな?」 「コンラートの事などどうでもいい!」 「……………『兄上』」 「……おーまーえーはぁぁぁぁ……」 第二ラウンド開始、三秒前。 翌朝。コンラッドが帰ってきた。 「陛下、お帰りなさい。お迎えできなくて、申し訳ありません」 「陛下って言うな、名付け親。迎えなんていいよ、気にしないで。あっちは皆元気だった?」 「ええ、とっても。また一度行ってみますか?」 「うん、いいね。バットとボール持って、ね?」 「はい」 「コンラートッ」 いきなり割り込んできたのは、もちろんヴォルフだ。 コンラッドの前に立ったかと思うと、チャッ、とチェキを構える。 おや、と一瞬だけ目を瞳るコンラッド。と。 すかさず掲げるVサイン。次男はカメラ目線でにっこりと笑った。 ホントは悔しかったなんて。 ヴォルフとコンラッドの間に、ちゃんと兄弟の、俺の知らない思い出があるのが悔しかったなんて。 理不尽な感情だって分かってるから。バカみたいだって、自分でも思うから。 だから絶対言わない。脳みその皺の奥に隠しとく。 でも………それでもやっぱり俺はヴォルフがうらやましくて、ちょっとだけ、憎たらしかった、デス。 プラウザよりお戻り下さい。
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