『手を伸ばせば届くぬくもり』 「…っくし!」 部屋に小さなくしゃみが響いた。その音源となった人物は、しまったとばかりに口と鼻を手で覆う。もちろん、それで誤魔化せるはずもなくて。 「寒いですか?」 「いや、全然寒くない。」 慌てて手と首を左右に振る。実際部屋は暖炉のおかげで程よく温まっており、寒くはないのだ。 「しかし…」 「や、ホント大丈夫だから!風邪もひいてないし。」 持っていたホットミルク入りのポットを下ろし、額に手を伸ばそうとしたコンラートを牽制する。ユーリからしてみればくしゃみ一つで大げさな、と言うところなのだが、この過保護な保護者兼恋人にとってはどうにも気がかりらしく、一度は引きかけた手を躊躇いがちに再び伸ばした。今度はユーリも止めなかった。ややひんやりとした手が触れて、ユーリはふわりと目を細めた。温かさに少し火照った顔に心地良い。 「ー熱はないみたいですが。」 「だから大丈夫だって。あんたは心配しすぎ!」 「とは言ってもね、陛下。」 「陛下言うな。」 「ユーリ。この時期のこんな時間に冷たい噴水の中に現れたら、誰だって心配しますよ。」 困ったように笑うコンラートに、ユーリも苦笑いをこぼした。 確かに、冬の気配の色濃いこの時期の夜半過ぎに城の中庭にある噴水の水はツラかった。 ユーリは既に半分諦めの境地だが、今回一緒に来た村田などはしきりに文句を言っていた。 ーまぁ、いい感じの銭湯との落差を考えればわからないでもない。 その村田は、必死に宥めるヨザックが連れて行った。そしてユーリは、なんだか大騒ぎしていた王佐と三男を尻目に、コンラートがちゃっかり連れて行ったのだった。 一度お風呂に入ったユーリは、今現在コンラートの自室のベッドに腰掛け、暖炉の温もりを享受している。 ユーリは苦笑はそのままに、自分に伸ばされた腕を軽く叩いた。 「しょうがないって。ん、でも心配してくれてサンキュ」 にこりと笑えば、安心したようにコンラートも心配そうな表情を緩めた。額に当てていた手でユーリの前髪をかきあげ、露わになった額に軽くキスを送る。真っ赤になったユーリを見て、笑みを深くした。 「コンラッドっ!」 「もうすぐホットミルクの準備が出来ますから、もうちょっと待ってて下さいね。」 「〜〜〜〜っわかった!」 恥ずかしそうに顔を逸らしたユーリは、だから幸せそうに笑うコンラートには気づかなかった。 「はい、どうぞ。」 それほど間をおかずに差し出されたマグカップには、なみなみとホットミルクが入っている。一口含み、ほぅっと息を吐く。まるで全身に染み渡るような感覚に、知らず緊張していたらしい体から力が抜けた。 「おいしー」 「ほっとするでしょう?」 「うん。」 「良かった。そのためにホットミルクを入れたんですよ。」 「へ?なんで…あ、あぁー!わ、わかったわかったから言わなくていい!つーかむしろ言わないで下さい!!」 なんとなく先を悟ってしまったユーリは、全力でコンラートの言葉を封じ込めた。先手を打たれたコンラートは、つまらなそうだった。 「えー」 「えー、てあんた…」 ユーリは思わず脱力した。カップを取り落とさないように両手で持ち直す。 「頼む。お願いだから言わないでくれ。せっかく温まったのに冷えちゃうよ。」 「そんなはずがアラ…」 「あーあーあー!おれは何も聞こえない!!」 「…そんなに拒絶しなくても」 「あんたはわかってないみたいだけど、マジで破壊力すごいんだって!おれが凍えたらどうするんだよ?!」 「寒いんですか?」 「それはもうものスッゴく!!」 「それはいけないな。風邪をひいたら大変だ。」 力説するユーリにコンラートは眉をひそめた。そしておもむろにクローゼットに向かう。ユーリはその不思議な行動と、噛み合っているようで噛み合っていない会話に首をかしげた。 確かに壮絶に寒いことは否定しないが、それは気持ちの問題で、物理的には気温は変わらない。すなわち風邪なんかひきようがないわけで。 「コンラッド?」 ユーリの呼びかけに振り返ったコンラートの手には1枚の毛布。そして顔には、やたら爽やかな笑顔。 「コ、コンラッド…?」 「防寒はちゃんとしないとね。」 「は?」 ユーリの疑問には笑顔で応え、コンラートは毛布を持ったままベッドに乗り上げた。 「?」 コンラートは疑問符を飛ばしたままのユーリ の背後に回ると、ふわりと毛布を広げる。その毛布で自分もろともユーリを包み込むと、赤く染まった頬と見開かれた瞳が至近距離にあった。 「ちょっ…!?」 ビックリした拍子にマグカップが揺れて中身がこぼれそうになり、慌てて揺れを抑える。 「これなら温かいでしょう?」 「あ、うんとっても。…てそうじゃなくて!」 「いやですか…?」 思わず肯定した後で自己ツッコミを入れるユーリ。だが、寂しそうに聞かれて否定の言葉はぐっと喉の奥に詰まってしまった。 「い、や…じゃないけど。」 「ならいいでしょう?」 そういう問題じゃないと思ったが、なんとなく口には出せなかった。それは、思いの外背中に触れる体温が心地良かったからかもしれないし、嬉しそうに微笑む恋人の顔を見たからかもしれない。 赤い顔をしたまま黙るユーリを、コンラートは嬉しそうに緩く抱きしめた。 包まれている感覚にユーリはしばらく落ち着きなさそうだったが、やがて慣れてしまったのか徐々に体重を後ろにかける。 ほかほかと湯気をたてているホットミルクをこくん、と嚥下して、口元を緩めた。 「…あったかい」 「まだお代わりはありますから、欲しかったら言って下さいね。」 「うん。ありがと。」 礼を言って、また一口。二人の口元には幸せな笑み。 窓の外には青白い三日月。微かに風の音も聞こえる。 しかし、部屋の中に目を移してみれば、マグカップには乳白色の満月。炎のはぜる音。暖炉の暖かさとホットミルクの温かさ 部屋はぬくもりに満ちている。 でも、そんな中でも一番のぬくもりは。 手を伸ばせば届く距離にいる、愛しい人のぬくもり。 |