……遠くなっていく馬車の列を見ながら、私は震える手をぐっと握り締め耐え なければならなかった。この国の王太子でいながら、私には何もで きない。何という無力さだろう。 あの行列は、私の元から最愛の姉と妹を奪っていくものなのだ。 二人の行く先は眞魔国。我々人間とは異なる、恐ろしい異形のモノが住む国に 、二人は人質として、人身御供として差し出されるのだ。 我が国は大シマロンの北に位置する小国で、大シマロンによる侵略からは逃れ られたが、その代わりとでもいうように、元々厳しかった気候が年 を追うごとに更に厳しくなってきている。この上に有形無形の大シマロンの圧力 があったのだから、本当に国民は良く耐えてくれたと思う。 しかし近年大シマロンが崩壊したためかの国からの圧迫からは開放されたが、 我が国が依然厳しい状態にあるのは変わらない。近隣の国々と交易 を行うにしても、魅力ある産物は我が国にはあまりに少ないのだ。そしてその近 隣の国々でさえ、程度の差はあれ、天候不順や貧困にあえいでい る。 しかしそんな時に、かなり信憑性のある話が流れてきたのだ。 眞魔国、魔族の 国の王が、次々に人間の国と同盟を結んでいることを。そしてその 国々には眞魔国からの様々な恩恵を受け、貧しさから抜け出している国もあるこ とを。 国王である父は急いでその噂を確かめさせたところ、もっと驚くべき情報が入 ってきた。何と魔王が崩壊した大シマロンの地に現れ、大地と自然 のよみがえりの儀式を行ったという。その結果、我が国以上に荒廃していた土地 は見事自然が復活し、今年も豊かな実りが約束されているらしい。 我が国にもその力を揮ってもらえたら。 その思いから父と重臣達は眞魔国との 同盟に参加することを決定した。さぞかし我が国に不利な条約を結 ばれるのだろうと思っていたが、意外にも条約の内容は文句のつけ様も無いほど 両国に平等で公平だった。 しかし同盟国になったといって、すぐに魔王の力を揮ってもらえる訳ではない 。眞魔国と同盟を結ぶ国も、魔王の力を求める国も多く、我が国の ような魅力の少ない小国は後回しにされてしまうのだろう。父も重臣達もそれは 解っており、何とか優先的に引き立ててもらうにはどうしたら良い かと、連日話し合いが続けられた。 その結果よくあることとはいえ、王女を送り込むことになったのだ。 しかし、 魔王は婚約を発表したばかりで、配偶者は一人と定められている眞 魔国での正妃の座は望めない。格は落ちるが、愛妾の座を狙うのはどうだろうと いうのだ。 これには私も母も大反対した。眞魔国に嫁がせるのさえも身を引き裂かれる思 いであるというのに、小国とはいえ王女の身分で、妃でさえもな い、日陰の身となれなどと。 しかし白羽の矢を立てられた姉は、真っ青になりながらもそれを受諾した。王 女と生まれたからには国のためになる働きをしなければならない、 その為に自分が払う犠牲など小さなものだと、悲壮な覚悟を決めながら。 その上、父は王女の中でも最も幼い、十二になるやならずの幼い妹まで差し出 すと言い出した。 何でも魔王には、数年前からずっと寵愛している少女がいるらしい。亡国の皇 女で、魔王の元に上がったのはわずか十歳の時だったという。その 少女は魔王の寵愛がこの上なく深いため、人間の身で王族の待遇を受けているら しい。 そのことを知った父が、魔王は幼女好みかも知れぬと言い出したのだ。 ……姉は私より二つほど年上で、たおやかで美しく、淑やかな女性だ。末の妹 は年齢より幼く見え、内気で引っ込み思案な甘えっ子だ。私にも母 にも自慢の王女二人がそろって魔王の毒牙にかかるなど、国の為とはいえ、生き ながら臓腑をえぐられるほどの苦しみだ。 しかし二人は王女の義務を果たすため、内心はどうあれ淡々と準備を行った。 そして私や母と、この祖国との今生の別れの儀を先ほど執り行っ た。二人は魔王の慰み者となるため、魔王の婚約の儀に参加することになる。 再び生きて二人に会うことはできるのだろうか。いや、出来たとしても、魔族 に、魔王に身を穢されれば、その者は同じ魔族に、異形のモノの仲 間入りをしてしまう。 二人の前にはどちらにしても絶望と苦悩、心身の破滅の道しかないのだ。そし て二人をその道に送り出したのは、間違いなく、我が父、我が国な のだ……。 「ただいま帰りました母上!」 「帰りましたーー! お久しぶりでーーーす! 母上、兄上!!」 一行の帰国の知らせを聞いて、国境の町まで出迎えた私と母を待っていたもの は、元気いっぱい、旅の疲れなど全く見えない姉と妹の姿だった。 隣に立った母のほうが、ここ数ヶ月の心労で顔色が悪いくらいだ。 「三ヶ月ぶりくらいでしょうか、母上。ちょっと顔色がお悪いようですわ。ご無 理をなさったのでは?」 「い、いえ、お前達が帰ってくると聞いて心配で……」 魔王の婚約式に参加した父の一行と共に、側女として上がったはずの二人も一 緒に帰還すると聞いて、私と母は喜びもつかの間、大きな不安に襲 われずにはいられなかった。 二人はかの国でどのような仕打ちを受けたのだろう。散々魔王やその側近ども に弄ばれいたぶられ、嬲られ、身も心もボロボロになった結果、も はや用済みと打ち捨てられたのではないだろうか。そして魔族と交わったからに は、もはや「ヒト」としての形をしてはいないのかもしれないと。 「ご心配は不要ですわ、母上。眞魔国はとっても楽しゅうございましたわ。王城 までの馬車の中でたっぷり楽しいお話をしてさしあげれば、母上の お疲れも取れるでしょう」 「わたくしもっ! 眞魔国の王女さまのお話、してさしあげるわ! 眞魔国の楽 しい遊びのお話も! 眞魔国の音楽とお歌のお話もっ!」 しかし、私達の不安をよそに、二人して競うように話し出す。二人には暗い影 も、無理して明るく振舞っている様子も全く無い。そして馬車に乗 り込むと二人は声をそろえた。 「何より魔王陛下と王配殿下のお話を!」 四人乗りの馬車の中では専ら妹が話した。話しまくったといってもよいくらい だ。あの内気な妹とは思えないほどだ。妹によれば、魔王は黒髪黒 瞳の素晴らしく美しく、若い王だったという。 「こちらは我が国の末の王女でございます。陛下のお慰めになれば幸いかと。是 非、陛下の後宮にお納めください」 「後宮に納める?」 魔王は意味が解らないかのようだったという。傍らに控えていた宰相が、苦々 しげに舌打ちした。この時、王配となる彼の異父弟はいなかったと いう。私が思うに、対立しているという宰相との同席を好まぬからだろう。 「えーと……?」 「……グレタの遊び相手にどうかということでは?」 宰相がぼそりと呟いた。 「ああ、なるほど! その王女様、グレタとあまり変わらない年みたいだしな! 血盟城には同じくらいの年の子ってあまりいないし、喜ぶだろう な!」 魔王は手を打って喜ぶと、侍従にグレタとやらを呼んでくるように命じた。す ぐに可愛らしい赤毛の少女が跳ねるような足取りで現れたという。 「グレタ。こちらは俺とコンラッドの婚約を祝いに来てくれたお国の王女様だよ 。血盟城にご滞在の間、グレタとお友達になりたいって!」 「本当!? 一緒に遊べるの!?」 「うん。こちらの国の王様も是非って仰ってるんだ。仲良くできるかな?」 「できるよ! 行こう、行こう! 今、ベアトリス達と野球しようと思ってたん だ。私の方のちーむに入ってよ! 野球終わったらサッカーもしよ う!」 少女は妹の手を引っ張ると、中庭に連れ出したそうだ。後ろからは魔王の悲鳴 と父王の声が小さく聞こえたという。 「へ、陛下。そういう意味では……」 「グ、グレタっ! お前までサッカーに誘惑されていたなんてっ! おとーさん は悲しいぞーー!」 ……それから妹は、血盟城に滞在中、その娘やその友達と遊びに遊びまくった そうだ。そのグレタという娘こそが、亡国の皇女であり、十歳で魔 王の元に上がったという娘だった。しかし魔王の寵姫ではなく、養女であり、眞 魔国の正式な王女だという。 眞魔国には我が国には無い遊びが沢山あり、妹はそれらに夢中になったらしい 。いくつもの遊びの規則を教えてもらい、帰国時にはその遊びに使 われる道具などを頂いて来たという。 「魔王陛下はとてもお優しくてねっ! とってもとってもお忙しいのに、お時間 が取れればグレタや私と遊んでくれるの。一緒に野球をしたり、ご 本を読んだりして下さってね。あ、お勉強ももちろんしたわ。グレタに眞魔国語 を教えてもらったりしたの。グレタやベアトリスと一緒にお菓子を 作って陛下に差し上げたら、とっても美味しいって誉めてくださったわ! お城 のお菓子作りの名人も、私には才能があるって! 本当にとっても とっても楽しかったわ!」 妹は未だ興奮冷めやらぬという様子だった。 「わたくしは魔王陛下ではなく王配殿下の下に上がるように、父上から命じられ ましたの。でも、殿下は王女殿下ともあろう方をそのようなお立場 に置くつもりは無いと、丁重に父上の申し入れをお断りくださったの」 「まあ……」 姉の言葉に母はホッとしたように息をついた。 「本当に素晴しい方でしたわ! さすが魔王陛下がお選びになった方です。あの 方なら……あの方なら私……構わなかったですわ」 かすかに頬を染めて、姉はちょっと俯いた。出発間際、うわ言のように「我が 国のため、父上、母上、国民のために。わたくし一人が犠牲になれ ば我が国は豊かな国になれるやもしれぬのですから」などと、自分自身に言い聞 かせるように繰り返し呟いていた、あの半ば病的な感じはカケラも 無い。 「魔王陛下にも拝謁いたしましたが、本当に素晴しい方でした。お美しくてお優 しくて、その上大変ご聡明でいらして……。王配殿下がシマロン王 女マリーア姫ではなく、陛下を選ばれたお気持ちも解るとしみじみ思いましたも の。その後血盟城の素晴しい女性職員達をご紹介くださって、本当 に充実した日々で大変勉強になりましたわ」 はて、シマロン王家にマリーアなどという王女がいただろうか。ちょっと私の 記憶には無かった。 やがて馬車は王城に辿り着いた。四人のうち、一番最初に姉が、次に妹が降り 立った。……まさしく『降り立った』という感じで、二人並んで城 を見上げ、仁王立ちする。 「さあ! これから忙しくなりますわ! 今度行われる眞魔国での運動会に向け て、我が国も選手を選抜いたします! 早急に『すぽーつ振興委員 会』を発足しましょう! もちろん委員長にはわたくしが就任いたします。大陸 中に我が国の名を轟かせるような選手を選びぬかねばなりません! そして眞魔国りーぐには二年以内に出場を果たします。そして十年以内の優勝 を視野に入れる長期計画も練らねばなりません!」 「姉上、及ばずながら私もお手伝い致します! わたくしピッチャーをするつも りですの。優勝予定の十年後には、優勝胴上げ投手兼、最優秀選手 になるのはこのわたくしです! グレタにもアリーにもウェラー卿にも負けはい たしません!」 「ほほほほほっ! 我が妹ながら頼もしいこと! これからは女性の時代。女性 の自立と社会進出のため、まず我が国では我ら二人が先頭に立たね ばならないでしょう! そして眞魔国を見習い、同時に『行政諮問委員会』も立 ち上げます。委員には男ではありますが、王太子であるあなたも名 を連ねることを許しましょう。王太子としての地位と権力、財力をすべて利用し て、我が国の発展のために粉骨砕身して働くのですよ! 改革しな ければならぬことは山ほどあります。時間は一秒だとて無駄にはできません!」 「全くその通りです、姉上。わたくしも罠女候補生の名に恥じぬよう、微力なが ら全力を尽くします!」 足音も高らかに私の姉妹二人は入城していった。それを私と母の二人はボーゼ ンと見送ってしまった。 我に返ると慌てて二人に追いついて、眞魔国りーぐとは何だ、運動会とはいっ たい何をするのだと聞いた。聞けば走ったり打ったり投げたり跳躍 したりを競う競技会らしい。軍事教練の一種だな、と言うと、二人同時に凄い目 で睨みつけられた。 「「違います! 『すぽーつ』ですわ!!」」 更に足音を高らかにした上に、大股で二人は私を置き去りにして進んで行った 。……この二人に怒鳴りつけられたのは初めてだった私は、びっく り仰天してその場に立ち尽くしてしまった。 やがて後続の馬車が次々と到着してくる。そこからは、眞魔国に同行した父王 や重臣たちが降りてきたのだが、それは姉達のような颯爽とした様 子ではなく、フラフラヨロヨロ、今にもバッタリといった感じである。もしかし たら、眞魔国から我が国への帰還の間、父王達は二人のあのとんで もないテンションに付き合わされたのかもしれない。だとするとあの様子も納得 できる。 ……たおやかで淑やかな姉、内気で引っ込み思案な妹はどこに行ってしまった のだろう。そういえば、眞魔国の現在の魔王は歴代の王の中でも 一、二を争う魔力の持ち主だという。二人はきっと魔王の恐るべき呪いにかけら れてしまったのだ! 魔王やその王配の毒牙にかからなかったのは良かったが、それは我が国の現状 が、依然、厳しいまま変わらないということだ。 しかし、今のあの二人の言い知れぬ迫力ならば、父王や大臣達に代わって、我 が国を力強く引っ張ってくれる原動力に、希望の道標になってくれ るような気がした。 そんなことを思ってしまった私は、こっそり遠い血盟城にいる魔王に向かって 、「呪いをかけてくれてありがとう」と感謝の心を送ったのだ。 プラウザよりお戻り下さい。
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